1.本物のエルフは凶暴なのよ
まるで映画のワンシーンみたいだな、と一ノ瀬鈴花は思った。
コンクリート打ちっぱなしの殺風景な空間。開発途中で打ち捨てられたビルの、だだっ広い地下駐車場。煌々と焚かれた撮影用の照明の熱は、冷んやりとした空気を生温くしていた。
白い光に焼かれるようにして、一人の男がパイプ椅子に拘束されている。目隠しと猿轡でなにも見えず、なにも話せない状態にされて、頑丈な針金で手足とパイプ椅子がつながれている。
針金が肌に食い込み、生乾きの血が滲んでいた。
安物のスーツは薄汚れ、髪は乱れ放題だ。
「ひどいことするなー」
快活な女の声が、無人の駐車場に響く。
「わたしが?」
意外な言葉だったので、鈴花は振り返った先の相棒を見た。
「違う違う。こいつがやったことだよ」
そう答えた相棒は、わざとらしく顔の前で手を振った。金枝工業という企業の名前が刺繍された作業着姿で、いかにも町工場の従業員然とした姿だ。
それでも彼女――神村籐子の美しさはなにも色褪せない。
癖ひとつない白金の長い髪はいつだって眩しくて。
大きな碧眼はいつだって感情豊かに輝いていて。
繊細な白い肌はちょっとしたことで傷つきそう。
奇跡的なバランスで配置された顔のパーツ。
アスリートのように引き締まったスタイル。
モデルや女優だと言われても信じてしまいそうだった。
なにより、ひこひこと動く長く尖った耳。
神村籐子は本物のエルフだった。
対して自分はどうだ、と鈴花は思った。
ショートカットにした、少し癖のある黒髪と濁った碧眼。
身長は籐子と変わらないが、スタイルは相手にならない。
なにより、中途半端に尖った耳。
彼女はハーフエルフだった。
世界がこんなことになる前にはフィクションの世界だけで語られてきたエルフとハーフエルフの格差は、現実になってしまえばことさらに残酷だ。
「へいへーい。寝てる場合じゃないんだよ」
籐子は軽く肩をすくめると、パイプ椅子に拘束されている男に近づいていく。
鉄板が入った作業靴の足音が、ひどく酷薄に響いた。
裏拳を男の顔面に軽く叩き込む。
猿轡のせいで悲鳴を上げることもできず、男はパイプ椅子ごとコンクリートの床に転がった。
「おーい、聞いてる?」
籐子は転がった男の腹を容赦なく蹴り上げた。
作業靴の硬い爪先が腹に突き刺さり、男がさらに苦悶の声をもらす。
「こんなくらいでくたばらないでよー?」
籐子はあくまでも淡々としたものだった。
男をいたぶることを楽しむわけでもないし、忌避するわけでもない。
それは鈴花も同じようなもので、組織からの命令なのだから好きも嫌いもない。
鈴花は小さく嘆息すると、籐子と肩を並べて転がる男を見下ろした。
こちらの気配を感じているのか、猿轡をされていても息が荒くなっているのがわかる。
「どうしてわたしたちがなにも質問しないのか、不思議に思っているでしょう?」
鈴花は作業着からスマホを取り出し、画面を操作しながら続けた。
「知りたいことは知っている。聞きたいことはなにもない」
「あんたさー、桐島建設に雇われた地上げ屋でしょ。もう名前も住所も、卒業した学校だって全部割れてる。身に覚えがあるんじゃない? 怖いエルフに拉致られることにさ」
籐子が男の目隠しを外した。
およそ堅気ではない剣呑な視線だったが、瞳の奥には怯えの光がわずかに宿っている。
鈴花はその場にしゃがみ込んだ。
「五日前、再開発地区で地上げに応じない蕎麦屋の一人娘を学校の帰りに拉致したわね?」
そんな話は、この街ではどこにでもあるちょっとばかり不幸な話に過ぎなかった。
だが、この男の運が悪かったのは、蕎麦屋の店主がエルフだったということだ。
そして、娘も長く尖った耳を持つエルフだった。
「両耳を切り落として、娘の死体を庭先に放り込んだ。警告の効果は抜群ね」
鈴花は娘の死体の写真をスマホの画面に表示させ、男の目の前にかざした。
「けれど、蕎麦屋の店主はわたしたちの組織に泣きついた。全財産投げ打ってでも、娘を殺したやつを見つけ出してひどい目に合わせて欲しいそうよ」
店主は別に、彼女たちの組織の一員というわけではない。店がみかじめ料を払っていたわけでもない。だが、彼女たちのようなエルヴン・マフィアと呼ばれる犯罪組織でも、理由があれば見知らぬエルフを助けるものだ。たとえば、土地の権利書が手に入るであるとか。
鈴花はスマホをポケットに放り込むと、ヒップホルスターから自動拳銃を引き抜いた。
ゆっくりと立ち上がり、なんの躊躇もなく発砲する。
小気味いい音が駐車場に響き、金色の空薬莢が宙を舞った。
太ももを撃たれた男が悶絶して、つながっているパイプ椅子ががたがたと音を立てる。
黒のスラックスにみるみると血が滲み、ぐっしょりと濡れていく。
「……っ! んーっっ! んーっっっっ!」
「いいねー。蕎麦屋のおっちゃんも大満足だよ」
籐子がスマホで録画を始めた。きちんと仕事をした証拠は大事だ。
「安心して」
発砲。
「簡単に死なないようにしてあげるから」
発砲。
「せいぜい苦しめ」
発砲。
ものの見事に急所だけを外して、男の身体に弾丸が撃ち込まれていく。
その度に男は身体を震わせ、パイプ椅子ごと激しく暴れ、涙を流しながら、怒りと慈悲を乞う複雑な視線を鈴花に向けた。
「拳銃で撃たれるだけなんて運がいいよ。あたしも彼女も、拷問は好きじゃないんだ」
籐子はスマホでの撮影を続けながら、男の猿轡を外した。
「蕎麦屋のおっちゃんに、謝罪のメッセージをちょうだいよ」
「魔王因子中毒者の、淫売エルフどもが……! くたばりやがれっ! お前ら、どこの組織の人間だ……! 桐島建設を、この街で、敵に回して、生きていられると思ってんのか!?」
「あたしが聞きたいのはさ、三下のそういうお決まりのセリフじゃないよ。それに魔王因子が活性化するかしないかだけで、いまや人類みんなが魔王因子中毒者じゃんかよー」
籐子が本当に呆れた様子で肩をすくめた。
「もういいや。面倒だし、殺っちゃおう」
「いい加減なんだから」
鈴花は嘆息すると、血溜まりを避けて男の頭側に回った。
「あなたの陳腐なセリフに答えるとするなら、そうね――」
銃口をそっと下に向ける。
「そんなこと、わたしたち〈ビスカム・デパート〉の知ったことか」
引き金を絞る。
瞬く銃火。
鼓膜を震わせる銃声。
火薬の匂い。
どれもが一瞬で、永遠にも感じられた。
男の頭が弾けて、ぱっと血煙が舞う。
「覚えておくといいわ」
鈴花はヒップホルスターに自動拳銃を戻すと、左手首の腕時計にそっと触れた。
作業着には似合わない、カール・F・ブヘラの時計だった。
時刻を確認しながら、血溜まりに沈む死体に言ってやる。
「本物のエルフは凶暴なのよ」
ハーフエルフの自分がこんなことを言うのもおかしな話だな、と鈴花は思った。