ワイルドベリーのためいき
「それでは、よろしくお願い致します」
書類を鞄に詰めて、45度の座礼をする。
にこやかに握手を求めてくる似非紳士の手を似非レディスマイルで握り返す。
手袋をしていても伝わる玄人の手。
流石は軍人さんだこと。
割りと細身の人だけど、手は立派な銃ダコ、剣ダコ。
幹部かしら、なんて考えつつ手を引いて微笑みかけて、サヨナラ。
某ホテルのロビーは広々としていて、ゆったりと流れるジャズに目を軽く細める。
受付嬢に領収書を頼んで、敬愛なる執事サマにお電話。
「あ、もしもし。執事サマですか?
迎えに来て。ん?そうそう、仕事場」
もちろん、敬語で。
エンジンは快調。
空も快晴。
仕事だって順調。
「あたしの人生、順風満帆じゃない?」
「…あまり調子に乗るなよ」
「はいはい、誠心誠意込めてお仕事させて頂いてますぅ」
「そう言う意味じゃない」
珍しくカノンの声が尖った。
別に怖くないけど、背筋が伸びる錯覚がする。
カノンが、その文系の知識を余すことなく駆使して相手を徹底的に、黙らせる。
あたし自身、何回か経験したカノンの説教は、不思議なくらい正論だけを突いてくる。
「執事」として、ロイヤルに仕える人材を教育する為に、カノンが唯一手に入れた武器だから、
あたしは喧嘩で勝てても
口では勝てない。
「…どういう意味よ」
「別に、お前が失敗したって構わないさ。
その分僕がフォローするから。
…確かに、お前は有能だ。
美人で、強気で、狡猾でありながら、さらりと優しい笑顔を作れる。
自分の実力を鼻に掛けないで前を向き続ける。
お前は素晴らしい交渉センスを持っているよ」
「それはそれは…」
お褒めに預かりまして、と頭を下げとく。
「でもな、ジュノ。
国を見くびるなよ」
視線を前に向けたまま、カノンはあたしに手を伸ばす。
「いやん。なによ、節操無し。城に帰るまで待ってよ」
「…話をややこしくするなよ。
だからお前は一流未満だって言うんだ」
「なによ。さっきまで褒めてくれたのに。
…心変わり?」
「…黙りなさい」
まるで埃でも取るような気軽さで、ジュノがあたしのジャケットの肩口から摘まんだのは軍用小型盗聴機。
流石軍用。年季を感じる、と呟くカノンの隣で失笑が漏れる。
「…やっぱ幹部かしら」
「さぁ?どうだろうな」
興味無さげに相槌を打って、カノンは口元を吊り上げ、盗聴機を寄せた。
「ごきげんよう、×××××国軍の皆様。
私、女王エース様にお仕えする執事でございます。
このたびは、我が国家と貴国の同盟条約を快諾して頂き、誠に有難う御座います。
さて、この盗聴機で御座いますが、こちらの方で処分させて頂きますのでご心配無く。
また、我が国一の馬鹿者の失礼な発言についてはお詫び申し上げると同時に、どうかご内密にお願い申しあげます。
我が国にも、貴国にも、リメットは御座いませんので。
以上を持って、両国同盟条約の挨拶とさせて頂きます。
それでは失礼致します。
さようなら」
バキャン、と空洞まで潰れる音がした。
哀れな鉄片を袋に詰めていく作業を押し付けられた。
なめらかな舗装された道が終わり、ガタガタとした剥き出しの大地。
それでも不快な揺れが少ないのは、執事の高性能な愛車のおかげか、単純にテクニックか、それとも
…自惚れは止めよう。
後が虚しいだけだもの。
重力でシートに押し付けられつつ、僅かな耳鳴りを感じながら、あたしは目を閉じた。
気が付けば、時は遅く。
光と成れないならば、私は影でいようか。
ふ、と意識が繋がる。
微睡みから覚める瞬間は個人的に風船が割れるイメージ。
子供の頃、手を離したあの風船は、どうなったのかしら。
ぼんやりと覚醒を拒む頭を振って振り切れば、愛しいあなたの顔が
見える訳無い。
「…うわー…」
「失礼だね、チェシャ猫さん」
「誰が猫よ。あたしは健気に国家に尽くすいたいげなわんちゃんよ」
「わんちゃん、って。どっちかって言えば、執事クンじゃない?」
「あー。確かに」
くすくすと笑みを溢して、まるで恋人のように手を合わせる。
「犬は犬でも、忠犬ね」
「それも病的な、ね」
思わず吹き出したアリスに柔らかく微笑み、ジュノは優しく諭すように、吐き出す。
「…で?アリス君はどうして此処にいるのかなぁ?」
「可能性は3つ。
いち、ジュノが鍵をかけ忘れた。
に、僕が忍び込んだ。
さん、襲いに来た。
さぁ、どぉれだ?」
「2のアンタが忍び込んだ」
「わお!即答だね」
「じゃあ、どうしてアリスはあたしに乗っかってるのかしら?」
「何ででしょう?」
にっこりと微笑み合う。
「セクハラに決まってんだろこのマセガキ」
「いたいいたいいたいいたい」
真顔で前髪を鷲掴みにする下着同然の美女と、引っ張られる前髪の痛みにいたいを連呼する青少年の絵は軽く地獄絵図だ。
「いたいってば、離してっ」
「さっさと降りる」
「だから離してってばぁ」
底冷えのする目で睨みつつ、手を離して肩口を強く押す。
うわ、と声を上げてベッドにぼふん、と仰向けに引っくり返り、けらけらと笑う。
背はそんなに低くはないが、細身で華奢に見える為キングサイズのベッドに転がられても、狭さは感じない。
シーツに散るさらさらした金髪はやや長めで憧れの癖のないストレート。
ジュノはそっとため息を吐く。
女として産まれたなら、きっと美女だっただろうに。
笑いも治まったのか、くすくすと笑いながらうつ伏せになる。
普段の言動とあいまって、あまり年も変わらない筈なのに、弟でも見ているような気にさせられる。
というか、アリスは幾つなのだろう。
「アリス」
「んー?」
足をぶらぶらと揺らしながら生返事を返した。
「アリスって幾つだっけ?」
「…年?」
僅かに空気が変わった。
「そ、年齢」
「聞いてどーするの?」
「…別に?」
「何それ」
ふふ、と吹き出したアリスは冗談めかして胸に手を当てた。
「僕はアリーリス、通称アリス。
不思議の国ではなく、エース様のお城に迷い込んだ旅人。
ここはなかなか居心地がいいから居着いちゃいそうな、妙齢の美少年」
自分で言ったよコイツ。と軽く冷たい目がアリスに刺さる。
が、アリスは気にも止めず柔らかく笑んで呟く。
「薔薇は、赤い内に摘んでおかなくては、取り返しのつかないものさ。
ね?チェシャ猫さん」
それは、ジュノの思考をしばらく停止させるには十分な比喩だった。