「カノン」
翌日。
エース様お気に入りの紅薔薇に水をやっていたら、アリスがエース様を引っ張っているのが見えた。
少し遠いから聞こえないけど、何やらアリスが一方的に連れ回しているらしい。
主の危機に僕は動かざるべきを得ない訳で、ホースを置いた。
「エース様ぁ、お茶しようってー」
「だから私は忙しいんだ。何度言えば分かる。本来旅人は賢い生き物じゃないのか?」
「基本的にはね。僕も例外じゃないけど、旅人にはもう一つ共通点があるんだよ」
「何だ?」
「美しい女王とお茶するのが大好きなの」
「ほざけ」
「ひっど。まぁ強制連行だけどねー」
ちなみにエース様は書類から顔を一切上げない。
今日は珍しく白いお召し物で(エース様曰く、白は着ていると目がチカチカするらしい)引き摺った裾が皺になってしまっている。
全く。アリスは自由な奴だ。
「エース様」
僕の声にエース様が顔を上げた。
緩く巻かれた黒い髪がゆらゆらする。
「…あれ。エース様?」
「なんだ」
「髪、巻いてらしてましたか?」
「カノン、なんか言葉おかしいよ」
文系何じゃないの?あぁ、びっくりしちゃった?
くすくすアリスが笑う。
正直、びっくりした。
あんまりエース様が綺麗だから。
あんまりエース様が嬉しそうにしてるから。 基本的に仏頂面をしてるエース様だけど、僕だって伊達に執事をしてない。
ミリ単位、雰囲気単位でエース様がいつもと違うのはすぐ分かった。
でも嬉しそうなのは意外だった。
いつもは緩やかに波打つ黒髪は、内側に巻いている。
「…カノン?」
怪訝そうな顔で眉を寄せる。
「見とれちゃった?」
「、なッ」
「顔まっかー」
からから笑うアリスを若干睨みながら顔を背ける。
「あっれー?カノン顔赤くなぁい?」
ジュノが中庭からひょっこり顔を出した。
「うるさい」
「アリスになんかされた?…おー、エースが髪巻いてるー」
「エース様に失礼だぞバカ猫」
「バカ猫じゃないわよ鉄仮面兎。化け猫よ。
で?どーして執事サマの顔が赤いのでしょーか?
ついでにエースサマ、よくお似合いですよー」
なんか豪華で女王っぽい、と言う発言は頭を失礼して黙らせた。
「そういえば、どうしてジュノがいるんだ?」
「ん?あたしは非番。アリスが誘ってくれたの」
行基悪くベリータルトを頬張りながら答える。
僕らは結局エース様からメイドまで全員でお茶会をしていた。
城の中は静かな物だ。
例外として厨房と紅薔薇畑を除けば。(料理長を筆頭に調理人達は大急ぎでケーキやらスコーンやらを焼いてくれている。彼らは元々お祭り好きだ)
アリスの要望をあっさり受け入れて、休憩中だった料理人達を馬馬車のようにこきつかっているのは意外な事にエース様で、みんな目を白黒させながら、でも何処か楽しそうにお茶会を楽しんでいる。
普段殺伐とした雰囲気のある城だけに、賑やかで活気のある今の状況はちょっと面白い。
普段使用人達と接さないエース様にとってもいい機会になっただろう。
「うぇ。これお酒入ってるー…」
ガトーショコラを口一杯に頬張ったアリスが苦い顔をする。
「んー?…あぁ。これラム入ってるわ。お子ちゃまが食べちゃだーめ」
残りを一口食べたジュノがにんまりと口角を上げた。
お気に召したらしい。
「エースも無理だったらちょーだい。食べたげるから」
「結構だ。…第一、私はお前より年上だ」
「あれ?そうだっけ?
あたしの方が発育いーからすっかり忘れてたわ」
「ジュノ」
「止めろカノン。
…雰囲気を崩す気か」
「…御意」
ジュノが感心したように声を漏らした。
「すっごい。完全服従なのね」
「当然だ。この暴れ馬を私が乗りこなせなくてどうする」
「エース様…」
「暴れ馬だってよー、良い子のカノンくぅん」
笑い転げるジュノは放っておいた方が懸命だ。
…エース様が笑っている。珍しい。
「…何の騒ぎでしょう」
「ハーノ=ベルか。お前も少し飲んでいったらどうだ?」
「いいえ。本業が残っております故」
「そうか」
「失礼致します。親愛なる閣下。
執事殿。手伝って頂きたい」
「あぁ、はい」
地に響くような低い声で静かに喋る彼はハーノ=ベル。自称医者だ。
主に定期健康診断と医薬品の補充にたびたび訪れる。
「執事殿。お茶会ですか」
「えぇ。アリスが、…紹介がまだでしたか?」
「えぇ」
「旅人です。城に住み着いた」
「ほぅ」
「そのアリスがエース様を引っ張ってきて、お茶会を始めたものですから。大規模になってしまって」
「賑やかで大変宜しい」
「まぁ、そうなんですけど」
「何か」
「いえ。…最近、エース様から棘が無くなったな、と」
「ほぅ」
「…喜ぶべきでしょうか。僕は」
「さぁ」
「さぁ、って…。
随分曖昧ですね」
「左様で」
「……。此方です。
毎度毎度、ありがとうございます」
「いえ」
「帰りの道案内はいりますか?」
「いえ。いずれたどり着くでしょう」
「…そうですか。
それでは失礼致します」
「どうも」
僕は彼が苦手だ。
理由は特に見つからないが、苦手だ。
たぶん、彼独特の雰囲気とか声とかに圧倒されてしまうからだ。
これからお茶会が終われば片付けをするであろうメイド達の指揮を執らなくてはいけない。
執事とて、忙しいのだ。
赤い瞳に金の髪。
故郷で神の子と崇めたイカれた大人達から僕を連れ出してくれたのはエース様だった。
地位も名誉も投げ出して、自由に生きる方法を教えてくれたのもエース様だった。
あれからエース様は僕の全てだった。
だからこそ、僕は思う。
国の為に人生を捨てて、ただひたすらに女王として背筋を伸ばして平等に、冷静に世界を見渡してきたエース様がアリスによって少しずつでも少女らしさを取り戻すべきなのだろうか。
僕は思う。
いったいどれが
エース様に一番いいのだろう、と。