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Alice,  作者: 清瀬 柚李
17/18

鷹の国、鷹の民

トラリア皇国滞在一日目の夜。

あたしはディナーに招かれた。


黒いシャツワンピースに着替え部屋を出ると、シャロームさんが待っていて大食堂に案内された。

「……」


そしてあたしは絶句することになる。

大食堂は名に恥じない大きさだ。

とにかく広い。そして横に長い。

ところ狭しと並べられた長テーブルが端から端まで届きそうな白い線に見えてくる。

その中の真ん中のテーブルに案内された。…落ち着かない。


部屋には人っ子ひとりいないのに、圧し殺した人の気配がある。

殺意は感じない。


そっと息を吐く。


席に着くとメイドが音もなく皿を並べ始める。

白い皿が並ぶ食卓は王国とあまり変わらない様だけど、一回りくらいお皿が小さい。

手持ちぶさたになったあたしは何となくシャロームさんに話しかけてみる。


「シャロームさん」

「はい。なんでしょう」

「皇子様はお帰りにならないのでしょうか」

「主人は訓練を終え城に戻っております。

しかし、ただいま執務をこなしております故、もう少しお待ちいただけますでしょうか」

「そうですの。申し訳ありませんわ、妙な事を聞いてしまって」

「いえ、主人の無礼、改めてお詫び申し上げます」


ワイングラスに赤ワインが満たされる。

香りを楽しみ、一口口に含む。


皿を並べていたメイドも出ていってしまって、あたしは居心地悪くグラスにまた口付ける。


困った…。


バタン!バタバタバタ…。


突然響いた騒々しい音が空間を占拠した。

あたしも人の気配も、近付いてくる足音に耳をすませる。


バタバタバタバタ、タッタッタッ。


スピードを落として駆けてきた足音がドアの前で止まる。

何やら外が騒がしい。奇襲かしら?

グラスを置いて席を立つ。

ドアの方を何気ない振りをして警戒してみる。銃器は持ってきてないから接近戦に持ち込もうか。ワンピース卸し立てなのに。


ノックの後にドアノブが回る。

緊張がピークにまで達する。


ドアを開いたのは、軍服の青年。

荷物持ちの青年より2つか3つ年上の、あたしより少し上であろう彼は振り返ったあたしを見てにっこりと笑った。


優しいその笑みに一瞬引き込まれそうになった。


ドアの向こうでは召使い達が、頭を垂れている。さっきの気配は彼等だったらしい。

思っていたより倍近くの召し使い達が食堂を伺っていたらしい。

なんだかどっと疲れた。


シャロームさんが意外とフランクに呆れた声を出した。


「ハーバルト様、執務はお済みでしょうな」

「客人を待たせてまでする仕事なのかな、あれは」

「…全く、呆れたお方だ。

ジュノ様、紹介致します。トラリア皇国皇帝にして我が主、ハーバルト・ヴァンキッシュでございます」


ハーバルト・ヴァンキッシュ。

そう呼ばれた青年は改めてあたしに向き直り、手にしていた帽子を胸に当て深く礼をした。


「トラリア皇国第一皇子、ハーバルトと申します」


ヴァンキッシュ皇子が、ぱっ、と顔を上げた。

暖かみのある茶色の短く刈り込んだ軍人らしい髪がふわりと揺れる。

髪を後ろに撫で付けるようにして帽子を被り、黄色い光彩の瞳を細める。


毅然とした厳しさの中に暖かい優しさがある。

まるで鷹の様な人。


遅れてあたしも頭を垂れた。


「王国から参りました、ジュノと申します。本日はよろしくお願い申し上げます」

「ジュノ、…さん」

「はい」


何か引っ掛かったのか、あたしの名を口の中で反芻する。

すぐに笑顔で取り繕ったが彼の顔には驚愕が浮かんでいた。

あのふざけた本の愛読者かという考えが頭を過ったけど、あの頃ここは泥沼の内戦中だった筈、と可能性を打ち消した。


「遠方遥々ようこそいらっしゃいました。是非とも貴女の歓迎会を催したいのですが…。

シャーリー、みんなは?」


シャロームさんの頬がひくっ、と引きつった。

痛いところを突かれたといった感じ。

無邪気を装ってヴァンキッシュ皇子に尋ねる。


「みんな、とは?」

「はい、我が国はつい最近まで戦争をしていましたので、大勢で食卓を囲むのが日常なのですが…。

……あ」


しまった、と彼の表情が語っていた。

気まずげに目をそらし帽子ごと頭を掻く。

独立したての国のトップがこんなんで果たして大丈夫なんだろうか。


「どういうことでしょうか」


あたしの声が食堂に響いた。

唇の端に苦笑を乗せたヴァンキッシュ皇子が目を伏せる。

そして、目を開くと、姿勢を正し凛、とした瞳で口を開いた。

まるで別人だ。


「繰り返すことになりますが、我が国ではつい最近まで内線を行っていました。

全員で食卓を囲むのは先の戦争の名残であります。

ここにいる者のほとんどが軍出身であります。

故に軍隊式の食事の取り方を採用し、従者と言うよりは仲間として生活を送っているのであります。

貴国は主従の関係が明確であり、従者が王と食事をとる風習が無いと聞きましたので、ジュノ様もそうかと判断した次第であります」


申し訳ありません、と軍隊仕込みの敬礼で括られた。

シャロームさんを始め、部屋の外にいるメイド達も揃って礼をしている。


あたしは息を飲んだ。

彼の、彼らの放つ空気に圧倒され、魅せられ、背筋を走る寒気に口角が上がるのが分かった。


これが、トラリア。


「…お顔を、上げてください」


震える喉を叱咤して声をかける。

真剣な顔で顔をあげたヴァンキッシュ皇子はぎょっとしてあたしを見た。


たぶんあたしの目が潤んでいたからだと思う。


揺らぐ視界の中でヴァンキッシュ皇子が焦っていた。


迷うように伸ばされた手が、あたしに触れる前にゆっくりと引いていく。

そのまま空を掴みきゅ、と握りしめた。

手袋が軋みをあげる。


「…申し訳ありません」


また深々と頭を下げた。


…何やら空気がしんみりしてきてるわね。


「私は」


沈黙の中にあたしの声が響く。

誰もが耳を澄ませて聞いてる。

それはそれで緊張するんだけど…。

距離にしてたったの2歩。

うちひしがれた様に頭を垂れたままのヴァンキッシュ皇子に歩み寄って両手を取って包み、きゅっ、と握りしめる。

弾かれた様に顔を上げたヴァンキッシュ皇子の瞳が揺れていた。


「私は何も気に障ってなどおりません。何故謝られるのですか。

…むしろ私は感激しているのです」


優しく、記憶の中の王女様を思い浮かべながら微笑む。

少しだけ挑発的な色も混じったのは無意識。


「貴国の本気、見せていただきました。

せっかくのご配慮なのですが、私は“郷に入らば郷に従え”という諺を信念にしております」


わぁ、と召使達が湧く。

誰かが、では、と期待に満ちた声であたしを促した。

頷き、両手を広げて彼らの望むであろう言葉を述べた。


「トラリアの伝統に倣い、皆様と共に食事を取らせて頂きますわ」


歓声が溢れた。


一緒に食事をとる。たったそれだけの事で彼等はこんなにも嬉しそうにする。

こんなこと王国では無かった。


芝居がかかった仕草で周りを見渡していると、ヴァンキッシュ皇子が目に留まった。

ヴァンキッシュ皇子は呆然と信じられない、とでも言う風にあたしを見た。

肯定する様ににっこりと笑う。

すると彼は子供の様な笑顔で笑った。頬を上気させて、嬉しそうに笑った。



神経質そうなメイド長のてきぱきとした指示で次々に長テーブルに椅子が並べられ、あたしの前に置かれていたのと同じお皿と、形の異なる色とりどりのグラスが並べられる。


不思議な光景だった。

召使いが家族になっていく。城がホームになっていく。

ただ広いだけだった大食堂が華やかな色を持つ。

戦争を全員で勝ち抜いてきた彼等の国家の形。

それを象徴している様だった。


「ジュノ様、こちらへ」


あたしはニヤニヤと悪戯っ子みたいに笑うふくよかな年増のメイドに、ヴァンキッシュ皇子の隣の席を勧められた。

椅子を引いてもらい曖昧に笑って腰を下ろす。

失礼しますね、と断ってそそくさと去っていくメイドをヴァンキッシュ皇子が苦い顔で睨んでいた。

あのメイド、楽しんでないかしら?


することもない、やらせてくれないから、慌ただしく、でも楽しそうに皿を並べるメイド達の生き生きとした姿を眺めていると、声を掛けられた。


「ジュノ様、」


振り向くと、ヴァンキッシュ皇子が微妙な表情であたしを見つめている。

その瞳には好奇心が半分、遠慮が半分。


「ジュノで構いません。私も家族に入れて頂けませんか」


にっこり笑って意見を捩じ込むと、困った様に笑いながら頭を掻いてヴァンキッシュ皇子も席につく。

肘をテーブルに付き、背を丸めて息をついた。

リラックスした表情は、ついさっきまで国のトップとしてあたしと向き合ったとは違って年相応か、もう少し若く見える。


改めて彼の顔をまじまじと見てみる。一言で言うなら端正な顔立ち。

すっと鼻筋の通った整った作りをしていて睫毛も長い。

柔らかそうな唇がまた優しそうで、あたしは無意識に目を細める。

獲物を狙う猫の様に。


カノンとは違った意味で女を虜にしそうだわ。


「あの」

「はい」


にこっ、と笑顔で応える。

何か言い淀んで口を閉じたヴァンキッシュ皇子がまた静かに口を開く。

あたしを伺っているのか言葉を選んでいる様子だった。


「…、…ジュノさんは」

「はい」


妙な緊張感が漂う。

ヴァンキッシュ皇子が真剣な面持ちだからあたしも自然と背筋が伸びる。

しばらく見詰め合い、ヴァンキッシュ皇子の言葉を待つ。待つ。待っていた。


「お待たせ致しましたぁ!!」

「うわっ!」

「きゃっ!」


突然割り込んで来た元気な声に張りつめていた空気が霧散してしまった。

ドンッ!と目の前に置かれた大皿には山盛りの肉料理と野菜のサラダ。

その大きさにあたしの目が釘付けになる。


「美味しそう…」

「ジュノ様の為にシェフが張り切っちゃいました。私も大好きです、これ」


料理を運んで来たメイドは幼さが残るそばかす顔で無邪気に笑った。

お皿は彼女の両腕を広げてやっと抱えられそうな程大きい。

あたしより細いこの腕のどこにこんな大きなお皿を運ぶだけの力があるのかしら。


ヴァンキッシュ皇子は頭を抱えていた。


「アニー…」

「ハーバルト様、お疲れですか?」

「ああ…。今どっと疲れたよ…」

「蜂蜜お持ちしましょうか?」

「いや、いい…」


今度は疲れきった顔でテーブルに突っ伏してしまった。

そんな皇子にアニーさんは疑問符をたくさん浮かべながら首を傾げる。

が、仲間にどやされて慌てて厨房に戻っていった。

あたしは苦笑しながら彼女を見送り、ヴァンキッシュ皇子に話し掛ける。


「…元気のいい方ですね」

「えぇ…。元気が取り柄の様な子ですから」


体を起こしたヴァンキッシュ皇子は皇子として振る舞う気も無いのか頬杖を付いてぽつりと応えた。

頬を緩ませ、次々に料理が並ぶテーブルを眺める姿は、待てをさせられた犬の様で少し可愛らしい。


こんな若い人が急成長中の国を纏めているとは改めて思えなかった。



「さぁ、夕食にしよう!!」


ヴァンキッシュ皇子が高らかに張り上げた声に様々な声が応える。


長テーブルに並んだ大盛りの料理はホカホカと湯気を立てていて、

テーブルをぐるっと囲んで座る召使達が今か今かと待ちわびる。

人との距離が近い。何だか新鮮で少し緊張して、暖かい。


「今日も全員揃って夕食を囲める事に感謝しよう。そして今日は客人がいらっしゃる。この出会いに感謝しよう!」


また声が湧く。


「今日と言う日が無事に終わります様に。そして明日また皆が無事に揃います様に。頂きます!!」


頂きます!!と続く大合唱。

そして賑やかに、とても賑やかにディナーが始まった。


「ジュノ様、ジュノ様」

「、はい」


いけない。あたしとしたことが少しぼうっとしていた。

目の前の席に座っている青年が手を伸ばす。手のひらをあたしに向けて、犬を呼ぶように指を揺らしている。


「お皿、お皿貸してください」

「?…はい」


差し出した取り皿を引ったくるように取られた。

目を白黒させるあたしに簡単な質問を投げ掛けながら、てきぱきと手を動かす。


「豚肉はお好きですか」

「えぇ、まぁ」

「辛いものは召し上がれますか」

「えぇ…。あまり辛すぎなければ」

「お野菜は」

「……、好きですわ」


実際そこまで好きな訳では無いけど。


「お待たせいたしました」

「どうもありがとうございます…」


帰ってきたお皿には料理がところ狭しと盛り付けられていた。

しかも量が多い。

状況が飲み込めないあたしをちら、と見ただけで青年はそっぽを向いてしまった。

代わりに、口一杯に料理を詰め込んでモグモグと口を動かしていたアニーさんが動かないあたしに気付いて声をかけた。


「ジュノ様、…あぁ、大丈夫ですねー。私たち、ご飯時は戦争なのです」


よく見れば、あちらこちらでお互い一歩も引かずに料理を取り合っている。奪い合っている、といってもいい。

とてもじゃないけど「私」には太刀打ち出来なさそうだ。

…あぁ、だから取ってくれたのか。


「ありがとう」

青年の目を見てお礼をすると、料理を取り分けながらちら、とあたしを見て、嬉しそうに少し頬を緩ませた。

そうしている内に横から肉団子を横取りされて目を尖らせた。

隣と小競り合いを始めた青年から目を離してヴァンキッシュ皇子に彼の名前を尋ねようと思ったけど、ヴァンキッシュ皇子はメイドとトマトの取り合いをしていた。


今日一日で分かったことがある。

ここは本当に、王国とは違う。不思議な国だわ。

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