ラバータイム
「…ん?」
僕はいつも通り、書類整理をしていた。
ふと目に留まった新聞の一文。
『老夫婦の自宅に強盗。夫婦は外出中の為、被害者は無し』
国内でだけ出回る所謂ローカル誌だ。
国内で起きた、大手新聞社でも拾いきれない起きたての事件や、切り捨てられる小さな事件は、地元の記者が記事にしてローカル誌として一早く伝えてくれる。
実に便利なだけに、国内での需要は高い。
城には特別発行させている。
事件が起きたのは昨日の夜。
新聞社の情報の速さが感心する。
僕はさらに読み進めた。
『西部に住む××さん夫婦の自宅に強盗が入ったのは昨夜9時25分ごろ。
幸い、夫婦は外出中で、夫婦に怪我は無かった。
近所に住む男性(25)によると、何かを探しているようだったそうだ。
犯人は男の4~6人で、体型はまちまち。警察は引き続き調査を行う予定』
また調査委員会作らなきゃ。
優秀な人材をあんまり回し過ぎると組織自体が回らなくなる。
かといって少なすぎても事件がなかなか片付かない。
…5人一組で四班。
課長クラスから4人、班長に回ってもらおう。
ついでにベテランとやる気のある新人を2:3で混ぜて、教育も兼ねてもらうか。
ぶつぶつと呟きならがら警察に電報を打つ。
基本的には僕が警察を動かすけど、やっぱり経験の生かされる場合もある。
細かい動きや指示は署長を初めとする幹部の仕事。
と、視界が真っ暗になる。
冷たい皮の感触が目元を覆っている。
「……アリス?」
「ハロー、執事クン」
「英語?」
「棒読みのねー」
くすくすと笑う。
最近アリスの悪戯の矛先が僕に向いてる気がする。
「というか、君はいつまで居座る気なの?」
「さぁ?麗しのエース様がお決めになる事だから」
「……はぁ」
アリスが肩を竦めた気配があった。
するりと手を外される。
急に目に入る光に軽く目を細める。
にやり、ともにこり、とも取れる曖昧な笑みを浮かべたアリスが手を後ろ手に組んだ。
「執事クンさぁ、最近口の聞き方悪くない?」
「…そうか?」
「ほらぁ。もう敬語使ってないし」
「あぁ」
なるほど、と言うのは飲み込んだ。
「では、敬語がよろしいですか?」
「うわ、止めて。鳥肌」
自身を抱きしめ、腕を擦る。
失礼な。とジト目になった。
と、感じる違和感。
「アリス、君、手袋なんかしてたんだな」
「へ?……うん、まぁ」
アリスに手袋のイメージは無い。
ぶっちゃけると、子供として見てきたからだ。
初めてアリスがこの城に来たとき、アリスは正装で、確か手袋を嵌めていた。
ずっと、手袋なんか嵌めていただろうか。
「てかさ、執事クン」
「…いい加減止めないか?」
「何を?」
「『執事クン』と呼ぶのをだよ」
「えー?いいじゃん」
「そんなふざけたあだ名で呼ぶのは君くらいだ」
「なおいいじゃん。個性だよ個性」
「……好きにしなさい」
「はぁい。…話それたけど本題ね。
エース様知らない?」
「エース様?…執務室にいらっしゃらないのか?」
「居なかったから執事の君に聞いてるんじゃん」
「…まぁ、そうか。
またお買い物じゃないか?
今日はジュノが午後には帰って来るはずだから」
「お買い物?…へぇ…新しい趣味?」
「みたいだな。仕事を終わらせてから行かれるから注意も出来なくてな」
「注意って?」
「一国の主が自国とはいえ、独りでふらふらと歩き回るのは危険だ、とは言ってるんだ。だけどジュノが付いてる上にせっかく初めての趣味が出来たんだ。潰す訳にはいかないだろ?
…まぁ、目を瞑ってはいるけど、最近物騒だろ?」
「ふぅん。最近何かあったっけ?」
「ん?……ん、読んでみろ」
「…………」
いつの間にか仕事に埋もれかけていたローカル誌を掘り出して、アリスに差し出す。
ほんの少し躊躇ったような気配を見せて、アリスは目を通し始めた。
直ぐにいつもの飄々とした雰囲気を纏ったが、確かにアリスは動揺していた。エース様のにお仕えする執事たる者、それくらいの事は見抜けなくてはいけない。
にしても、何処にアリスを動揺させる要素があったのだろうか。
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日も傾き始めた頃。
エースは独りで町のまで買い物に来ていた。
ただし、町とはいえ城の近くで、本人としてはあまり(ジュノ曰く)「買い物した感」が無い為、不満タラタラだ。
一国の主。そうかもしれない。昔の自分なら出歩いたりしなかっただろう。
日々書類を片付け、国の安定した繁栄に命を捧げただろう。
でも、今は。今は?
人生を国に捧げていいと思うの?
誰かが問うてくる。
それは、マリアの声かもしれない。
かつて城の花だった、姫君。
愛くるしく笑う、可憐な優しき乙女。
マリア。
マリアは死んだ。
だから私がいる。
「女王」が。
エースは頭を振って、唇を噛み締めた。
「……あのお調子者……」
紙袋は白い指先でくしゃくしゃになった。
隣を通り過ぎる男がちらりとエースを見た。
少し不思議そうな視線を向けていたが、興味を失ったのか、すぐに視線を外した。
そのまま小型無線で何やら話ながら遠ざかって行く。
エースは深呼吸をする。
埃っぽい空気が肺を満たす。
風の強い季節だ。
下から吹き上げた風が、僅かに立ち並ぶ工場の煙を巻き込んで空高くまで昇っていく。
それを核にして冷え込んだ夜に雪が降るのだ。
そんな国が、好きだと思った。
だからこそ、女王になろうと思った。
「私は女王、だ」
人知れず呟いた言葉は、深く自身の胸に染みた。
「エース様ッ」
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
僕がエース様を見つけたのは、城中を駆け回って息を切らした頃だった。
「南地方でちょっと、ありましてッ」
「…南?」
「、はい」
「私はさっきまで南地方に居たぞ。…城の近くだが」
「お怪我は…ありませんね。良かったです。」
「で?何があった」
「はい、小さな爆発騒ぎです。
平和慣れした国民性ですからね。…いい事なのですが。大騒ぎしちゃって。ちょっと居酒屋まで行ってきます。なのでエース様」
「何だ?」
「くれぐれも、アリスを逃がさないで下さい」
「……は?」
「客間に閉じ込めてあります。コック相手にキャッチボールをしたところ、ガラスを5枚割りました。帰ってきたらお説教です」
「…そうか」
「では、いって参ります」
「…いってらっしゃい」
ぽかん、と間抜けな顔をしていたんだろう。
エース様は怒ったような、困ったような顔をしていた。
「さっさと片付けろ、馬鹿者」
「…、はい」
背を向ける刹那。
エース様が笑った気がした。
もう何年も見ていない、穏やかで優しい
まるで聖母の様な微笑みだった。