【下】悪魔の証明
新しい『聖女』を第一王子の婚約者と迎えて僅か半年も経たない頃、ブゥケ王国は『聖女の偽証』に勝るとも劣らない醜聞が乱発し王宮内は疑心暗鬼のよる暗雲が立ち込めていた。
最初は複数の卒業生達が婚約破棄や離縁をしたというありふれた内容であった。その大半がビオラと仲が良いかあるいは彼女の人となりを知っている者であったが、それを口に出す者はいなかった。運がなかった、あるいはまだ青いのだと終わらせた。
しかし、『聖女』となったダチュラの家庭教師やメイドが首になるならまだマシな方で不慮の事故に巻き込まれ命を失い、王宮に勤める一部の役人や騎士が何の理由もなく自殺するようになる事件が続く度に社交界に言い知れぬ不安が広がり始めた。不幸に遭った彼らは皆見目麗しかったからだ。
『城の中に悪魔が入り込んだ』
そんな噂が流れ始めた頃にヘメロカリスの側近であったダンデリオンが同じ側近であったコリウス・ポージョン伯爵令息を殺害し自身も拷問の末に断頭台を登った。それは迷信じみた噂を事実にする決定打となった。
「ダンテ…何故だ、何故お前が…」
「カリス様…」
王城にある私室でヘメロカリスは沈み込むようにソファに座り込み、そんな彼をダチュラが慰めるように隣に座っていた。
あの卒業式から僅か半年の間に王城はすっかり変わり果てていた。
皆が次は自分の番かと怯え、少しのすれ違いでも取っ組み合いの大喧嘩となった。一部の高位貴族は領地で災害が起きたなどの理由で王都を去り、その寄子となっている下位貴族も後に続くように去った。
王城に残るのは宰相が束ねる一派と日和見をし過ぎて身の振り方が分からなくなった者だけだ。
王の腹心たる宰相とその一派は自分を支持しているためヘメロカリスは今までの事件をあまり気にしていなかったが、流石に側近であったダンデリオンの凶行と末路に酷くショックを受けた。
特に断頭台で首を落とされるまでに叫んだ、ダンデリオンの言葉が忘れられなかった。
『俺は悪魔を殺したんだ!!悪魔から守ったんだ!!!』
最後の最後までそう笑いながら死んだダンデリオンの声が耳から離れない。
何よりダンデリオンとコリウスは父親同士が親友の間柄で幼少期から顔見知りの親友であった。殺す理由も、殺される理由もなかった。
悪魔とは、一体何だろうか?
「カリス様ぁ…もうこれ以上、怖いことはないですよね…?」
上目遣いにヘメロカリスの顔をダチュラが覗き込む。不安げに眉を下げ、首を傾げる姿は見るだけで癒されるものであった。
しかし、そんなダチュラを見てもヘメロカリスの心はなぜか晴れなかった。ダチュラの甘い香りが以前より強く、なんとなく居心地が悪い。
その時、トントンと扉がノックされヘメロカリスの最後の側近の声が聞こえてきた。
「…殿下、少し宜しいでしょうか?」
「ヨハネか。入っていいぞ」
主の許可を受けるとすぐにヨハネが部屋に入ってきた。側近同士の殺傷事件と言う王家最大の醜聞の対応をしている中でも顔色一つ変わっていないのは宰相の息子だというべきか。
「今回の事件を受けて殿下に提案があります。王城に悪魔がいるという噂を払拭するべく、ダチュラ嬢に浄化の儀式を行ってもらうのはいかがでしょうか?」
「浄化の儀式?聞いたことがないぞ」
「勿論、そのような儀式などはございません。なので、過去にそのような儀式を王家は災害が続いた時に行ったという文献を見つけたとして行うのです。そうすれば、国民の不安は少しでも落ち着くでしょう」
「ふむ…。しかし、ダチュラは…」
「あの、私やります!それがカリス様のお役に立てることなら!」
ヨハネの提案に難しい顔したヘメロカリスとは違いダチュラは即答した。そんな彼女にヘメロカリスは不安そうに彼女の顔を見る。
「いいのか?王妃教育が忙しくて寝込むことが多かったのに」
「カリス様の、そして国民の不安がそれで落ち着くなら私頑張りますから!だって、私は『聖女』ですから!」
「ダチュラ…やはり『聖女』の名誉はお前が相応しいな。…ヨハネ、宰相に話を通してくれるか」
「御意。すぐに準備するように宰相に伝えましょう」
そう一礼してヘメロカリスの私室からすぐに退室しようとするヨハネにダチュラは声をかけた。
「ねぇ、ヨハネ様。貴方も一緒にお茶にしませんか?今日は美味しいマドレーヌがあるのよ」
「申し訳ございません、ダチュラ嬢。先を急ぎますので、また後日」
そう断って部屋を出ていくヨハネの姿を、ダチュラは悔しそうに目を細めた。
宰相に浄化の儀式にヘメロカリスの許可が降りたと報告し終えたヨハネは今までの道のりを思い返しながら、庭園が見える回廊を歩いていた。
とても長い道のりだった。王が行儀見習いとしてやってきたとある子爵家の令嬢、ダチュラの母の姉に手を出して末に生まれたヨハネはその瞬間から苦難を背負うことになった。
王家の血を外に漏らさないという建前のために宰相の家に引き取られ、そして秘密を守るために数年かけて子爵家は滅ぼされて母は一族ともども行方不明に。
宰相の家に引き取られたものの、その数年後に侯爵夫人が男児を出産したためにヨハネの居場所はほぼなくなった。
仮にも王族の血を引いているために表立った虐待はなかったものの、自分と弟には教育などに確かな差があった。
両親に似ても似つかぬ自分の容姿に一人悩み眠れない夜を過ごす日々をヨハネは今でも覚えている。
ヨハネが自分の素性を知ったのはダチュラが学院に入学し、王の代理として入学式で祝辞を述べに来た宰相がその腕輪に仕掛けられたのが魅了封じの術式だと気が付いたことがきっかけであった。それが全ての始まりだった。
『ヨハネ、お前は王になる気はないか?』
その日の夜。ヨハネを書斎に呼び出した宰相は悪魔のように囁いた。
宰相は兼ねてより凡庸な王とそんな王を支えるシュヴァンヌ公爵を忌々しく思っており、彼らの排除を常々狙っていた。
その駒の一つとしてヨハネを引き取っていたのだが、決定打が足りなかった。
しかし魅了持ちのダチュラが現れ、これがチャンスと宰相は彼女も利用して王家簒奪とシュヴァンヌ公爵の排除を狙った。
そのためにヨハネは側近となるべくヘメロカリスに近づき、ダチュラの腕輪を外した。
結果は宰相が望むままになった。シュヴァンヌ公爵を後妻も一緒に毒殺し、ダチュラによって王城の大半が彼女に魅了された。
想定外だったのはダチュラが嫉妬深く男に目がないために、見目麗しいメイドや自分に小言ばかりいう家庭教師を信奉者によって排除し一部の信奉者が発狂し自殺したことにより城に悪魔がいると噂が流れたことくらいか。
ビオラの一件で賢く力のある高位貴族は領地へ避難してしまったが、宰相はその状況すらも利用することにした。
それが浄化の儀式である。密かに王城のあちこちに魔術の力を増幅する魔石を配置しダチュラが普段から垂れ流す魅了を王城全体、そして王都全体に広げるのだ。
国家の式典とあれば、領地に籠もった貴族も出席せざるを得ない。仮に出席しなくても完全に傀儡となったヘメロカリスと同じになった多くの貴族の力を使えば、どうにもならない。
そんなヨハネが立てた計画を聞いて宰相は生まれて初めて彼を誉めた。『本当に血が繋がっていたら、お前を跡取りとして選んでいたかもしれない』と。
宰相の言葉にヨハネは喜んだ。『この男が思ったよりも浅慮で良かった』と。
『あんな悍ましい力が人の手に収まるなど、どうして信じられるようか』
ダチュラの腕輪を外して、彼女がヘメロカリスや他の側近を魅了していくのを見ていてヨハネは内心気持ち悪くてしょうがなかった。
優秀とは言い難いがそれでも高貴な生まれのヘメロカリス達がさながら獣のように女を求める。
自分を勝手に生ませて捨てた、父のように。
自分を欲望のために利用する、貴族のように。
思えば、ヨハネは生まれたからヨハネとして認められることはなかった。
人でありながら、人でなし。
ならば、自分も彼らを人でなしと扱ってもいいのではないか?
そうして、ヨハネは悪魔になったのだ。
ヨハネは行き過ぎた魅了の力がどう暴走するか見当がついていた。人を獣にするような力なら、きっと人以外にも効くだろうと。
実際、裏ルートで仕入れた短時間であるが魔物を誘導する力があるとされるアメジストはダチュラの魔力を色濃く残していた。
酔い覚めのアメジストですらここまでの力を持つなら、純粋に魔力を通して増幅する水晶を要にしたら。
人でなししかいない国が、人でない魔物に滅ぼされる。
おとぎ話のような勧善懲悪の結末を夢見て、ヨハネは小さく微笑んだ。
この一か月後。
ブゥケ王国は王国史最大にして最後の大災害『流血の狂宴』と呼ばれる大規模な魔物の襲撃により王都は壊滅した。王族は全て死に絶え、多くの貴族と平民が命を落としたことにより国の運営は完全に止まった。
この未曾有の大災害に隣国のガルテン帝国は被災者の救出という名目で騎士団を派遣、その道中に難を逃れた一部の貴族が恭順を示した事もあり王都を含むブゥケ王国の半分の土地がガルテン帝国の領地となった。
こうして、ブゥケ王国の長い歴史は幕を閉じた。
王国滅亡から百年経過した今日においても、王都を壊滅させた魔物大襲撃の原因は複数の仮説が立てられているが依然として分かっていない。
読んでいただきありがとうござました!
思いの外、どろどろとした話になってしまいました。病んでる男は怖いですね。
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