【上】聖女の偽証
人にとってはバッドエンド、メリーバッドエンドと感想が分かれる話になります。復讐は一応あるのでご安心ください←
「ビオラ・シャヴァンヌ!第一王子である私の婚約者でありながら自身の妹であるダチュラに長年の間に渡り魔力封じの腕輪を施して虐げ、あまつさえ己が聖女だと偽り王家を謀った!!その大罪により貴様との婚約を破棄し、国外追放とする!」
国内最古にして最先端の教育が受けられると名高い王立学院の卒業記念パーティーが行われていた大講堂にヒステリックな怒声が響き渡った。
友人や恩師と別れを惜しみつつも思い出話に花を咲かせていたビオラは声の主であるヘメロカリス第一王子と彼の隣に立つ異母妹ダチュラの姿を見て背筋が凍りついた。
怒りでサファイアの如き蒼瞳が濁り眉間に深い皺が刻みながらも王家の特徴である自ら光り輝くような金髪に美妃と名高い王妃譲りの端正な顔立ちによって高貴さを失わないヘメロカリスと細かいレースやフリルが惜しげもなく施された淡い桃色のドレスを纏い円かなエメラルドの瞳を不安そうに伏せる柔らかな栗毛の髪と愛らしい顔立ちを持つダチュラ。
その後ろにはヘメロカリスの側近であるそれぞれ系統が違う美貌を持った三人の貴族令息が後ろに控えていた。
陳腐な例えをするなら童話の絵本から飛び出してきた王子様とお姫様、そんな二人を守護する騎士達のよう。
しかし、現実においては婚約者ではない女性を侍らす第一王子とその婚約者の妹で少女に彼らを諫めない側近達。
そんなスキャンダラスな彼らに周囲の困惑と好奇の視線が集まりつつあるのを感じながらもビオラは眉一つ変える事無く不安げに自分を見る友人達に別れを告げると、婚約者の前へ足を進めた。
進む度に上品でありながらも細かく編み込まれた光り輝く金髪を束ねる髪飾りは小さく澄んだ音を立て、逸れる事無く前を見る強い光を宿したルビーをそのまま填め込んだようなアーモンド型の紅瞳に負けないほど鮮やかなワインレッドのマーメイドドレスの裾のフリルがひらめく。
数代に渡り王家の血を受け入れた公爵家の長女とはいえ今年度の卒業生とは思えないほど気高い淑女の歩みに人々は自然と道を開けた。
婚約者達の前に辿り着くとビオラは在学中の女子生徒が手本にしたという完璧なカーテシーを見せ、ヘメロカリスは小さく舌打ちする。
こんな状況でも理想的な淑女として振舞うビオラが何とも不愉快だった。
「…面を上げろ。貴族でなくなり奴隷よりも卑しい罪人となった貴様が淑女のように振舞うなど気分が悪い」
「……恐れながらもヘメロカリス殿下。私はダチュラを虐げたことなど一度もありません。確かに学内でダチュラの態度に注意することはありましたが、それは公爵家の一員であり姉としての役目を果たしただけです」
「見苦しい、この腕輪を見てもまだ白を切るつもりか!ヨハネ!」
ヘメロカリスの呼び声に後ろに控えていた側近の一人が大粒のアメジストと優美な細工が施された銀の腕輪を乗せた台を両手に持って進み出た。
「この腕輪は一見するとただの宝飾品ですが、使用者の魔力を吸い取り結果的に一部の魔術を封じる術式が仕込まれていました。中央のアメジストに魔力が蓄積できるようになっているので、宝石を入れ替えれば半永久的に使用できるでしょう」
一つにまとめた長い亜麻色の髪と深い蒼瞳が印象的な眼鏡をかけた知的で神経質そうな青年、現宰相の息子であるヨハネ・ヒペリカム侯爵家令息が淡々とそう告げた。
優秀な魔導士と評価されている彼の言葉と件の腕輪はいつもダチュラが身に付けていた物だと気づいた卒業生達を中心に一度は静まったざわめきが細波のように広がり始める。
一定以上の能力を認めた者であるなら平民も通学できる学院では貴族と平民は同じ立場という学院の理念により高位貴族であったとしても華美な装飾品を身に着けないと暗黙の規則があった。
これは万が一にも紛失した時に下位貴族や平民などの弱い立場にある学生が疑われるなどのトラブルを防ぐためである。それを破って腕輪を身に着けるダチュラを『恥知らず』と陰で嘲る生徒は少なくなかった。
しかし、魔力を持ちそれを魔術として使える者は奴隷であっても重宝される国にあって自ら魔力封じの腕輪をするなど自殺行為でしかない。
特に貴族となれば強い魔力を持つ子供はそれだけで家にとっては一山の金貨以上の価値を持つ。強い魔力を持った時期後継者にも、自分達より上の爵位の貴族との婚姻を結ぶことができる。
実際に後妻であるダチュラの生母は子爵家の次女であるが強い魔力を持っていたのが婚姻の決定打と言われている。
そして、学院はデビュタントをまだ迎えない貴族の学生達の社交場としての側面を持つ。
学生生活を送る中で社交界デビュー前に人脈を作り、嫁ぎ先や婿入り先を探すのもまた学生にとっては学業と同じくであった。そして、この場に置いても大きな魔力を持つことは有利に働く。
にも拘らず、ダチュラが魔力封じの腕輪をしていた。その事実に周囲のざわめきが大きくなった。
「わ、私は、ずっとお姉様に脅されてっ…!腕輪をしなければ、私だけではなく、母も公爵家から追放しミスティコ修道院に送ると…!!母の生家は既に無く、もしも追放されたらと考えたらっ…!!」
「ダチュラ…。大丈夫だ、もう誰にもお前や母君を傷つけさせることはない」
「カリス様っ…」
溢れ出した涙を堪えつつも、途切れ途切れに自分と母が受けた仕打ちを訴えるダチュラにヘメロカリスはその小さな肩を優しく抱いた。
ヘメロカリスの慰めにダチュラは自然な動きで庇護欲を誘う愛らしい顔立ちとは裏腹の柔らかくも張りがある胸を彼の体に押し付ける。
スレンダーな美女ではあるがビスクドールのような整い過ぎた顔と堅苦しい口調で傍にいるだけで疲れるビオラとは違うダチュラにヘメロカリスの顔が僅かに緩む。
そんな二人にビオラは思わず手にした扇子を強く握りしめ、周囲のざわめきは益々大きくなった。
ミスティコ修道院は国内最北部にある戒律の厳しい修道院と言われているが、不貞や家の乗っ取りなどの罪を犯して社交界に出ることが出来なくなった貴族の女性達の牢獄である。
牢獄と言われるのは一度入れば亡くなって遺体として引き取られることくらいしかないためである。もっとも、そんな事例はほぼないのだが。
確かにダチュラは腕輪以外でも婚約者の有無にも関わらず様々な男性に擦り寄るなど公爵令嬢としては些か品がなかったが、それもスキャンダルになるかならないかすれすれ程度のものだった。
しかし、それも魔力封じの腕輪をしながらも『婚姻』という形で公爵家から離れるために取れる少ない手段だとしたら。
そんなストーリーを考えて一部の平民や子爵以下の貴族の生徒達はビオラに非難がましい視線を向け始める。中には小声でビオラへの中傷と落胆を呟く者もいた。
その幾つかはビオラの耳に入ってくるが、今の彼女はそんな小蠅の羽音に耳を傾ける余裕はなかった。
『まさか、こんな形で…。このままだと…』
長年自分と父が立てていた計画が思わぬ方向で崩れていくのをどう食い止めればいいのか答えが見つからず、思わず目の前の『元凶』を鋭く睨んだ。
ひぃっと、大げさに怯えるダチュラ。そんな彼女を守るように強く抱き寄せてビオラに攻撃魔法を放とうとしたヘメロカリスを止めたのは側近であるヨハネであった。
「殿下、ここで魔法を打てば周囲に被害が出ます。ここはビオラ嬢を拘束し然るべき罰を受けさせるべきかと。彼女は『聖女』であると偽ってもいるのですから」
「っ…、仕方ない。ダンテ、この女を捕らえよ!彼女はもう公爵令嬢ではない、ただの罪人だ!」
「了解した!俺もそろそろこいつの所業に腹が据えかねていたんだ!」
そう言ってヘメロカリスの側近の一人である近衛騎士団副団長の長男ダンデリオン・カルメン伯爵令息が琥珀色の瞳を義憤で鋭くしながらビオラに近づいた。燃える落ちる夕焼けと同じ橙色の短髪と騎士として鍛えられた体も相まってさながら獲物を狙う獣のようなダンデリオンにビオラは僅かに後退った。
しかし、ダンデリオンの武骨な手がビオラの指一本にも触れることはなかった。
突如、全てのシャンデリアの灯りが消え大講堂は一面の闇に包まれた。更に不思議なことに口を動かしても声にはならず、足を動かしても靴音一つもしない。
察しの良い者はそれが魔術によるものだと気づくが、突然の異常事態に参加者の多くは混乱した。
けれども、その暗闇はほんの僅かな時間だった。再びシャンデリアに明かりが灯り、音が蘇る。
「あれ、お姉様は?!」
目の前にいたはずのビオラの姿が忽然と消えているのを見てダチュラは戸惑った。幻のように消えたビオラにヘメロカリスは吠えた。
「ビオラめ、最初からこの場にいなかったな!!馬を用意しろ、これから公爵家に乗り込む!!魔女ビオラに裁きを下す!!」
さながら悪魔を追い詰める勇者のようにヘメロカリスはそう言い切るとダチュラを残して、側近達と共に公爵家を向かった。
無事を祈るかのように両手を組むダチュラは清らかな聖女に見え、今まで遠巻きにしビオラを非難していた生徒達が声をかけ始めた。
昨日までならありえなかった光景をビオラと仲が良かった令嬢は冷ややかに、ヘメロカリスの側近に選ばれなかった高位貴族の令息は密やかにパーティーから抜け出した。
そして、ヘメロカリス達が王都にあるシャヴァンヌ公爵家のタウンハウスに向かうがビオラの姿はどこにもなく。
代わりに毒杯を煽ったらしいビオラの父であるシュヴァンヌ公爵と後妻であるシュヴァンヌ公爵夫人が眠るように寝室で息を引き取っていた。
その遺書にはビオラを『聖女』と偽造していたこと以外にも国に納めるべき税金を横領していたなどの罪の告白がされていた。
公爵家とそのご令嬢の醜聞は社交界に一際大きな嵐を起こし、王家はその火消しに追われることになった。
多くの『聖女』を輩出した家系で王族に最も近いシュヴァンヌ公爵家の醜聞は例えその騒動の間に国王が外交に行っている間に起きていたとしても王家が無視することは出来なかった。
そして何とかビオラではなくダチュラが聖女であったこと、優秀な姉の言葉を信じて聖女である妹を蔑ろにしてしまった後悔の念に堪え切れず公爵夫妻が毒杯を煽ったという『事実』を王家は発表したのだった。
たった一人の少女に全責任を押し付けたのだ。
シュヴァンヌ公爵家の生き残りとなったダチュラは一族連座で罪に問われることになるが王家の魔術師団の検査により『偽造していたとはいえ、聖女と言われていたビオラよりも強い魔力を保有すること』が判明。
これによりダチュラを『聖女』として迎えるために王家は第一王子ヘメロカリスの婚約者にし、王宮で彼女の身柄を保護することを決定した。
後の歴史書でこの一連の騒動を『聖女の偽証』と記され、ブゥケ王国末期の中でも特に大きな事件として伝えられた。