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聖気師の楽園(エデン)  作者: 旅籠文楽
1章 - 《如何にして聖気師は理想郷へと至ったか》
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03. 結界の魔女 - 2

 



「儂の名はアルシェ。世間の人は儂を『六耀(セルハ)の魔女』とも呼ぶ。当面はこの家で共に住むのじゃ。ぬしの名を儂に教えてはくれぬか?」

「ああ―――そういえば、まだ自己紹介もしてませんでした。遅くなりましたが、僕の名前は(たすく)と言います。高比良丞です」

「ふむ、タスク・タカヒラか……。姓を持つと言うことは、貴族か何かかの?」

「いえ? ただの庶民ですね。僕が居た世界では誰でも姓を持っていますので」

「なるほどのう。ではタスク(・・・)よ、今日からよろしくな」

「こちらこそよろしくお願いします。あと、僕の名前は(たすく)です」

「……じゃから、タスク(・・・)であろ?」

「アクセントが違いますね。それだと日本語というよりは英語の―――」


 そこまで言いかけてから、丞は続く言葉を咄嗟に呑み込んだ。

 日本語を話している丞がアルシェと問題無く会話できるのは、あのとき神様から貰った〈自動翻訳〉のスキルがサポートしてくれているからだ。アルシェが話しているのは、日本語ではない『異世界の言語』だろう。

 そうなると―――丞の名を日本語らしく(・・・・・・)口にして欲しいと、そこまでアルシェに求めるのは、さすがに酷なことのように思えた。


「……いえ、すみません。やっぱりアルシェの呼びやすいように呼んで下さい」


 どうせ今後の人生は、きっと今までのものとは全く異なるものになる―――。

 そうした強い予感が丞の心にはあった。だったら意識を変えるという意味でも、今後は自分の名前を愛する人が口にするそれ(・・)に改め直すというのは、悪くない考えかもしれない。


「良いのか? ならば遠慮無く『タスク』と呼ばせて貰うが」

「はい」


 だから―――今日から僕の名は、『丞』ではなく『タスク』だ。

 アルシェが呼びやすい形を、この世界での自分の名前として生きたい。


「この世界の茶が、ぬしの口に合うかは判らぬが」

「ありがとうございます、頂きます」


 先程スープを温めてきた際に、お湯も沸かしていたのだろう。

 トレーの脇に用意してあったティーポットから、アルシェが注いでくれたお茶を受け取り、一口啜ってみると。それは丞の―――もとい、タスクの知る緑茶と殆ど変わらない、好ましい味わいをしていた。


「さて、食事も済んだが。まずは儂に何を訊ねたい? 儂に判る話であれば、どのようなことでも話そうではないか」

「では、アルシェさんのことを教えて頂けますか?」

「ぬしのことは呼び捨てにさせて貰うゆえ、ぬしも儂を『さん』付けで呼ぶ必要はない。儂のことはただ『アルシェ』と呼んでくれ。

 別に話すのは構わぬが……儂のことを、か? 普通はまず、自分の置かれている状況や、今後のことなどを真っ先に確認すべきところではないかの?」


 くくっ、と可笑しそうに微笑みながらアルシェがそう告げる。

 タスクにとって、自分についての情報など二の次だった。知りたいという欲求は自分自身のことなどより、アルシェに関するもののほうがずっと大きい。


「儂は、先程も名乗ったが名はアルシェと言う。長ったらしく言えば、アルシェ・ストレンシア・ペルム・セルハという名になるな。このうち名の後ろ半分は、儂が務めている『六耀(セルハ)の魔女』という役職に付随したものじゃが」

「その『六耀(セルハ)の魔女』というのは何ですか?」

「まずはそこから説明せねばならぬか。この世界―――〈アースガルド〉には全部で八箇所の『魔泉(カペル)』と呼ばれる特別な水が湧出する泉があってな、これを管理する役目に就く者は『魔女』と呼ばれる。

 儂は全部で八箇所ある『魔泉(カペル)』の六番目、『六耀の魔泉(カペル・セルハ)』を管理しておるから、魔女としては『六耀(セルハ)の魔女』という異名を持つわけじゃな」


 アルシェの話す言葉の中には、特別な語句が幾つも登場するが。それらの語句にどのような字を宛がって理解するのが適切なのかは、耳を傾けているだけで自然とタスクの頭の中に理解できる気がした。

 これも、おそらくは〈自動翻訳〉スキルによる恩恵のひとつなのだろう。


「なるほど……。その『魔泉(カペル)』とは、どのように特別な水が湧くのですか?」

「ふむ。本来は同じ魔女以外の相手には秘するべき事柄ではあるが、主神の使徒であるぬしになら話してもよいか……。

 先にひとつ訊ねたいのじゃが、ぬしから見て儂は何歳に見えるかの?」

「……ああ、すみません。まだ話していませんでしたが、僕は年齢を始めとした、相手の情報を視ることのできるスキルを神様から頂いてまして」

「―――ほほう。〈鑑定眼〉か?」


 アルシェの言葉に、タスクは頷くことで答える。


「となれば儂の年齢のみならず、天職(クラス)能力値(ステータス)、種族なども視えているのであろうが。儂の種族である『古代森林種(ハイ・エルフェア)』はもともと長命な種族ではあるが、その寿命は本来であれば、およそ1200年ほどで尽きることになる。

 にも拘わらず、既に四千年以上生きている儂が未だに老いというものを感じずにいられるのは、偏に管理しておる『若返りの魔泉(ロトノア・ネ・カペル)』の力に拠るものじゃな」

「……飲めば、若返る泉なのですか?」

「うむ。とはいえ、湧き水をそのまま飲めるわけではないがな。幾つかの魔術で毒を抜き、効果を安定させたものを溶媒とし、それを用いて作成した霊薬を飲めば己の年齢を自在に若返らせることができる」

「そ、それは凄い―――」


 若返りの薬を幾らでも作ることのできる『魔泉(カペル)』。

 そんなものがあれば―――幾らでもロリババアが誕生するじゃないか。


「儂が作成した霊薬を配っておるゆえ、現在『魔泉(カペル)』を管理しておる魔女どもは、どいつもこいつも随分な老齢の割に若作りばかりじゃな。

 とはいえ―――おそらく今の〈アースガルド〉で最も老けておるのは、この儂で間違いなかろう。無駄に歳を食い過ぎておるゆえ、年若い男には―――特にぬしのように、個人的に好ましく思う男にはあまり知られたく無いが……」

「……僕はアルシェの好みに合うのですか?」

「ふふ、そうじゃのう。これでも無駄に長く生きておる身ゆえ、他者の顔と話し方を眺めておればそれだけで、相手の性根というものは概ね察せる。

 ぬしの場合なら、相手を気遣う優しさを持った人物であることなども判るしな。それに儂は、ぬしの話す落ち着いた声が好きじゃ。伴侶として共に過ごすならば、そういう相手が望ましい。

 ……とは言っても、この身はもはや枯れ果てた死に損ないの婆であるゆえ、儂にそのような色恋を抱く資格など既にありはせぬがな。儂があと3500歳も若かったならば、ぬしのことは放っておかなかったじゃろうがな。

 はあ……。この歳で()き遅れなど、笑い話にもならぬ。もはや未来永劫、生涯に渡って独り身なのは確実じゃろうのう……」


 盛大な溜息を吐きながら、酷く悲しげな表情でアルシェはそう漏らした。


 あどけない童顔の中に、どこか年季の入った表情を浮かべてみせるアルシェ。

 そんな、ちぐはぐな部分もまた―――タスクにとってはどんなにも魅力的だ。


「―――他ならぬ僕自身が、4297歳のアルシェとそういう特別な関係になりたいと、期待していてもですか?」

「……………………はあ?」


 目をぱちくりとさせたアルシェの双眸が、真っ直ぐにタスクを見据える。

 まるで、何を言われたか判らないと。そう言わんばかりに。


「アルシェ。もし宜しければ―――僕のお嫁さんになってください。

 あなたを生涯を掛けて全力で幸せにできるよう、精一杯の努力を致しますので」

「ふぇ……?」


 この瞬間に見せたアルシェの驚きの表情を。

 きっとタスクは、一生忘れない。


「はあああああああああああああああ!?」


 大きく声を張り上げると同時に、対面側のソファからガタッと勢いよく立ち上がり、アルシェは呆然とその場に立ち尽くす。

 驚きと歓喜、疑いと希望。無数の感情が入り交じった、なんとも複雑な表情で。それでもアルシェの双眸はタスクの目を真っ直ぐに見つめていた。


「か、からかうのも大概にせい! そのような……そのように(すが)りたくなるような甘い言葉を掛けられては、儂だって却って辛くなることもある……」

「至って本気です。絶対に有り得ないことですが―――少なくとも、僕が元々居た世界であれば、絶対に有り得ないことでしたが。アルシェさんみたいな相手(ロリババア)ともし出会うことがあれば、即座に結婚を申し込もうと常日頃から思っていました」

「ろりば……? そ、それは一体何じゃ?」

「え、えっと……」


 何と説明したものか困惑し、タスクは思わず視線を泳がせる。

 けれど、ここで嘘をついたり誤魔化したりしては、いけないだろうと思えた。


「僕は自分よりも年上の……。いえ、自分よりも遙かに年上の方が好みなのです。さすがにアルシェほど高齢の方は想定していませんでしたが……。それでもやはり愛しい対象であることには違いありません」

「そ、そうなのか? 老人が好きなのか? か、変わったヤツじゃのう」

「そうですね、お年寄りの女性が好きなんだと思います。ただ、天寿が近い気配とでもいいますか……『死の気配』のする相手は、今では少し苦手ですが。数年前に、婆ちゃんに先立たれた時に懲りましたので……」


 タスクは―――丞は、いわゆる『お婆ちゃんっ子』だった。

 何かと仕事で多忙にしている両親に代わり、物心付いたときからずっと丞の面倒を見て、育ててくれたのは父方の祖母だった。

 丞にとって、毎日の食事の面倒をみてくれて、生きる上で必要な知識を与えてくれたのは、母ではなく祖母だった。丞が間違ったことをしてしまったときに叱ってくれたのも、父ではなく祖母だった。

 本来両親から与えられるべき愛情の総てを祖母から受け取って育ってきたのだ。

 だから丞が本来育ててくれた親に対して抱くべき感謝や敬意の心もまた、両親にではなく、祖母に対してのみ抱かれるものだった。

 丞は祖母のことを愛していた。もちろん『祖母と孫』という関係が既にあるから、祖母本人と特別な関係になりたいとは思わなかったが。―――いつか結婚するのであれば祖母みたいな相手が良いと。そうした思いは、常に胸の裡にあった。


 ―――祖母のように、歳を重ねたことによる魅力を持つ相手が好きだ。

 けれども老齢特有の『死の気配』を感じさせる相手は好きになれない。

 その結果―――年寄りでありながらも身体だけは若い。そんなロリババアという理想像を、いつしか丞は追い求めるようになっていた。


「アルシェは僕の理想通りの女性です」

「……ほ、本気か!? 儂、四千歳を越えている(ばばあ)じゃぞ!?」

「歳を沢山重ねていることは僕にとって魅力にしかなりませんよ。それにアルシェは若返りの薬を自作しているお陰で、身体自体は若いじゃないですか。歳を重ねているのに『死の気配』を全く感じないだなんて、まさに僕の理想通りです」

「ふ、フヒっ……。り、理想通りか! 儂を理想などと言ってくれる相手がまさか見つかるとはのう。長生きはしてみるものじゃな……ふひひ」


 垂れた(よだれ)を服の袖で拭いながら、アルシェが何とも緩んだ声色を漏らす。

 そんな所もまたタスクにとっては、可愛く見えるチャームポイントでしかない。


「それで、良ければアルシェの返事を聞かせて欲しいのですが」

「む! へ、返事か! ……そうじゃよな! 儂、求婚されたんじゃもんな!」


 少し前に見せた、自嘲に(まみ)れた悲しげな表情は一体どこへ消え失せたやら。現在のアルシェが浮かべている満面の笑顔は、キラキラと輝いていた。


 その表情を見て、少なくとも告白されたこと自体はアルシェにとって不快なものでは無かったことを理解し、内心でタスクはほっと胸を撫で下ろす。

 あまりに唐突すぎる求婚だということは、自分自身でも判っているのだ。なので断られるならそれはそれで仕方ないし、構わないとも思っていた。

 ―――もっとも、一度や二度、あるいは十度や二十度、百や二百程度断られたところで、タスクはそう簡単に諦めるつもりは無いのだが。


「ま、まさか儂が誰かから求婚される日が来るとはのう……ゆ、夢のようじゃ!

 いや、夢の中では散々見てきたシチュエーションなんじゃがな! フヒ……こ、これでもう五耀(ワース)七耀(カトア)に馬鹿にされることもない……!」


 ニヤけすぎて、アルシェの表情が何だか大変なことになっている。

 無論、その非常にだらしない表情もまた、タスクにとっては最高でしかない。


 陶酔したようにうっとりと表情を緩めるアルシェの姿を、タスクはお茶を片手に暫しの間ただ眺めながら過ごした。

 愛しい人の姿を見ていられればそれだけで、退屈など感じはしない。

 タスクの心は、既にアルシェにべた惚れだった。


「お……お受け、する」

「―――えっ。今、なんと?」

「じ、じゃから! 謹んで求婚をお受けする、と言ったのじゃ!!」


 アルシェは顔のみならず、特徴的な耳の先端部までも真っ赤に染め上げながら、力強くそう答えてくれた。


「いいんですか? 自分で言うのも何ですが……現時点の僕は財産がゼロですし、しかも無職の身の上です。経済的な生活能力という意味では、僕の甲斐性は皆無に近いと思うと思うのですが」

「そ、そんなものはいらぬ! 金は儂もあまり持たぬが、稼ごうと思えば幾らでも稼ぐことは難しくない。ぬしひとりぐらいなら、何百年でも養ってやるわ!」

「………」


 唐突すぎる求婚だという自覚はあり、まさか受け容れて貰えるとは予想だにしていなかっただけに。承諾して貰えたこと自体は、途方もなく嬉しい。

 間違いなく嬉しいのだが―――愛する人が告げた『ヒモで全く構わない』という意味の言葉に、同時に少しばかり複雑な心境にもなるタスクだった。

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