02. 結界の魔女 - 1
[1]
「ここは……?」
酷い頭痛に苛まれながら丞が目を覚ますと、そこは全く見知らぬ部屋だった。
天井は木目がそのまま見て取れる木の板で、壁面には薄く漆喰が塗られている。
上体を起こして室内を見回すと、いま丞が居るベッドの他に、木製のテーブルと本棚がひとつずつ、後はやや小さめの洋箪笥も置かれていた。
テレビや時計といった電化製品の類は、部屋の中に一切存在しないようだ。
代わりにテーブルの上には、取っ手の付いた小さな燭台が置かれている。
(……電気が通っていない家なのか?)
壁には嵌め殺しのガラス窓がひとつ取り付けられている。
あまり透明度の高くないガラス窓だが、外の様子もある程度なら見て取ることができた。―――とはいっても、見える景色は一面に生い茂る木々ばかりだったが。
どうやらここは、森の中に建てられたログハウスか何かの中らしい。
なるほど。それならば電気が通っていなくても、おかしくはないだろう。
とはいえ、いくら電気が来ていない家であっても、電池で駆動できる小型家電のひとつぐらいは置いていておかしくなさそうなものだ。
例えば時計や照明器具ぐらいならば、ひとつの電池だけで長期間駆動できるものも珍しくはない。そういった家電までもが悉く排された室内というのは……丞から見て、些か不思議な環境にも思えた。
(ああ、そうだ。僕は歩道にまで乗り上げてきたトラックに撥ねられて―――)
多少は穏やかになってきたものの、まだ収まらない頭痛に顔を顰めながら、丞は暫し沈思黙考する。
理不尽な死を経験したこと。『神様』と出会って直接話したこと。長いロープを手繰り寄せるように、幾つもの記憶がひとつひとつ明瞭に蘇ってくる。
「……すると、ここはもう『異世界』?」
気付けば全く知らない部屋の中にいて、窓から見える景色は森ばかり。
これだけでは異世界転移と断定する証拠としては不十分だが、丞には『神様』に異世界に送り出されたという明確な記憶がある。
(ああ……。そうだ、スキルがどうとか言ってたっけ)
あの時『神様』が幾つかのスキルの話をしてくれたことを丞は思い出す。
確か〈鑑定眼〉というスキルがあれば、自分や他人の詳細情報を閲覧できるようになるとか―――そんなことを教えてくれたのを覚えていた。
(……スキルって、どうやって使うんだろう?)
自分の両手を見つめながら色々と試行錯誤していると、ただ自分のことの詳細を
『知りたい』と意識さえすれば、それだけで簡単に〈鑑定眼〉のスキルを使用することができるのだと判った。
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タスク・タカヒラ
〈聖気師〉Lv.1 (NextEXP:0/100)
- 渡聖人(18歳)
生命力: 52 / 52
聖力: 1000 / 1000
[筋力] 12 [強靱] 20 [敏捷] 18
[知恵] 75 [魅力] 20 [加護] 1000
-
〈鑑定眼〉 - 神授スキル(パッシブ)
個人や物品の詳細情報を知ることができる。
得られる情報は自身にとって最も判りやすい形で知覚される。
〈自動翻訳〉- 神授スキル(パッシブ)
他者が話すあらゆる言葉が言語を問わず理解できるようになる。
また自身の話す内容は、誰にでも理解可能な言葉となって他者に伝わる。
(知性が著しく乏しい相手とは会話が不可能な場合もある)
【聖気付与】 - 聖気師スキル(アクティブ)/消費聖力:[任意]
身体に直接触れて施療を行い、他者に任意量の聖気を付与する。
一度に付与できる聖気量は『自身のレベル』が上限となる。
施療は同じ相手に対して1日に1度までしか行えない。
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丞の視界内に飛び出たのは、ゲームでよく見かけるようなウィンドウ。
そのウィンドウの中には、それこそゲームの『ステータス画面』のように、丞の能力値やスキルといった内容が羅列されていた。
(……なるほど)
確か『神様』は〈鑑定眼〉のスキルで得られる情報が『あなたにとって最も判り易い形で閲覧できるようになる』と言っていた。
つまり丞が〈鑑定眼〉で得ることのできる情報が『ゲームっぽい』形で表示されるのは、その表示方法が丞自身にとって最も判りやすい形ということだろう。
〈聖気師〉というのは、いわゆるゲームでいう職業のようなものだろうか。
『神様』は丞に治療や強化が得意な天職を与えると言っていたので、神官のような職業が割り当てられるのは妥当と言えば妥当なのかもしれない。
その下に記載されている『渡聖人』という文字列は、何を示すものなのかよく判らない。年齢は元の世界と同じで、18歳のままのようだ。
(能力値は……随分と『聖力』と[加護]がぶっとんでるなあ)
他の能力値と較べると、その二つは文字通り桁が違う。
一応、それ以外の能力値の中では[知恵]がやや高めのようだ。
所持しているスキルは三つ。
〈鑑定眼〉はいま丞が自分自身の詳細を視るために用いているスキル。
〈自動翻訳〉は、これも『神様』がスキル名にだけは触れていた気がする。
(―――【聖気付与】?)
けれど、三つ目のスキルだけは丞にも心当たりが無かった。
他の二つは『神授スキル』―――つまり神様が与えてくれたスキルという括りになっている一方で、【聖気付与】には『聖気師スキル』と書かれている。
つまり、丞の職業である〈聖気師〉に関連するスキルらしい。
説明を読む限り、他人に『聖気』というものを付与するスキルらしい。
けれどもその『聖気』を付与することで、一体相手にどんな意味が生じるのかについて、全く説明文でも触れられていないのが奇妙だった。
(……判らないことについて、悩みすぎても仕方ない)
色々と考え事に耽ったお陰で、寝起きの眠気も頭痛もすっかり治まっている。
まずは部屋を出て、いま丞がいるこの家のことについて調べてみるとしよう。
[2]
「おや、おはよう。よく眠れたかの?」
眠っていた部屋を出て、廊下を少し歩いた先。居間を思わせる少し手広くなった部屋に足を踏み入れると、すぐに呼びかけてくる声があった。
丞が声が掛けられた側を見確かめると。ソファに腰掛けながら、こちらを待っていたかのように軽く手を挙げてみせる、ひとりの稚い少女の姿がそこにはあった。
(―――『エルフ耳』!)
屋内であるというのに、黒いフード付きのマントを深々と被っていたり。
10歳かそこらにしか見えない少女にしては、随分と古めかしい口調だったり。
奇妙な部分が何かと多い少女だったが―――丞が真っ先に気になったのは、少女がフードの内側で左右にピンと尖らせている、特徴的な『耳』の存在だった。
漫画や小説によく登場する『亜人』種族のひとつ―――『エルフ』であることを思わせるような特徴的な耳。
それはロリババアをこよなく愛する丞にとって、何より特別な象徴だった。
ファンタジー作品に登場するエルフは、ほぼ例外なく『長寿』の種族だからだ。
長寿という特徴上、エルフの女性は作品にロリババアとして最も登場頻度が高い種族のひとつでもある。ちなみに同じぐらい登場頻度の高い種族として、他に吸血鬼とか鬼とかもあったりする。
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アルシェ・ストレンシア・ペルム・セルハ
〈理術賢者〉Lv.161 (NextEXP:2,108,980/2,592,100)
- 古代森林種(4297歳)
- 六耀の魔女、銀の森の管理者
生命力: 1442 / 1442
魔力: 3117 / 3117
[筋力] 356 [強靱] 543 [敏捷] 699
[知恵] 1935 [魅力] 1182 [加護] 1007
-
〔所持スキル〕 - 全177種
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〈鑑定眼〉のスキルを意識しながら目の前の少女を見つめると、すぐに彼女の詳細な情報が丞の視界内に浮かび上がってきた。
彼女の名前は『アルシェ』。種族は『古代森林種』と言うらしい。
ファンタジー小説では、エルフの上位種族として『ハイ・エルフ』というものがしばしば登場する。おそらくはそれに似たような種族だろうか。
(―――4297歳!!)
そして丞が期待していたよりも、更にひとつ桁の多い年齢。
そういえば『神様』は、別れ際に『せめて最も老齢でありながら年若い見た目をした女性の元へと送って差し上げましょう』と言っていた。
おそらく、いま丞の目の前にいるこの少女―――アルシェがそうなのだろう。
(ありがとうございます、神様!)
生前は神仏に対する思い入れなど全く無い無宗教者だった丞だが、溢れるほどの感謝の気持ちから、いま生まれて初めて信仰心というものを抱いていた。
「外傷は無かったようじゃが、気分はどうかの?」
あの時に見た優男風の神様の姿に想いを馳せていた丞の思考を、アルシェの声がゆっくりと現実へ引き戻す。4297歳のものと思えない、甘くて優しい声色だ。
稚い体躯と容貌でありながらも、ソファに座するアルシェの姿にはどこか泰然とした雰囲気がある。また、双眸の奥にも伶俐な光が宿っているように見えた。
―――丞は古い写真機に像を焼き付けるようにゆっくりと、アルシェの姿をひとつひとつ見確かめていく。
薄く輝く、透き通るように艶やかな金色の髪。真っ白な肌。
随分と幼い体躯の割に等身は高く、指先は白魚のようにほっそりとしている。
見ている者にどこか幻想的な雰囲気を与える、不思議な少女だった。アルシェの口調にどこか古めかしい言い回しが混じっていることも、その幻想性に拍車を掛けているようにも思う。
「これ、聞こえておるかの? 気分はどうか、と訊いておるのじゃ」
「あ―――ああ、済みません。大丈夫です」
「本当にか? ぬしは丸三日も眠っておったのじゃ。どこか身体に不調のひとつやふたつはあっても、おかしくはないと思うがのう」
「僕が、三日もですか……?」
アルシェの口から告げられた事実に、丞は少なからず驚かされる。
特に理由もなく、せいぜい半日ぐらいだろうと思っていたのだが。どうやら丞が思っていた以上に長い間意識を失ってしまっていたらしい。
そもそも、丞は比較的眠りが浅い方なのだ。
よほど疲労が溜まった状態でベッドに潜り込んでも、眠っていられるのはせいぜい六時間が限度といった所だろう。
そんな自分が三日眠っていたと言われても、容易には信じ難いのだけれど。とはいえ、こんなことでアルシェが嘘を吐くような理由も無いだろう。
「うむ。安らかな寝息を立てておったゆえ、それほど心配はせなんだが。寝返りはおろか身動ぎひとつせず、まるで死体か何かのように静かに眠っておった。
もう一度訊くが―――本当に身体に不調は無いかの?」
「ええ、大丈夫です。先程までは軽い頭痛がありましたが……それも多分、寝過ぎてしまったせいだと思いますし」
過眠などという、普段慣れない経験をしたものだから。身体の調子が少しばかり崩れるのは仕方ない所だろう。
「ならば腹は空いておるかの? 一応、ぬしがいつ目を覚ましても良いよう準備はしてあるのじゃが」
「……言われてみれば、結構減っていますね」
「そうか、ならば準備しよう。軽めの食べ物―――スープと果物ぐらいであれば、目覚めた直後でも食べられるであろ?」
アルシェの言葉に、丞は頷いて応える。
確かに今は重い肉料理を出されても、まだ胃が受け付けそうにない。
アルシェはソファから立ち上がり、テーブルの上に無造作に置かれていたエプロンを手に取ると。フード付きのマントを脱ぐこともなく、その上からエプロンをさっと身に付けて部屋の奥の方へと姿を消した。
おそらくはアルシェが向かった方向に、炊事場か何かがあるのだろう。
(……エルフ耳に加えて『のじゃロリ』属性まで持っているとは)
先程までアルシェが腰掛けていたソファの、テーブルを挟んだ対面側に腰を下ろしてから。ぼんやりと丞はそんなことを思う。
アルシェが自分の嗜好をあまりに的確に突いてくるものだから。丞はまだどこか信じられないものを見ているような心地になると同時に、生まれて初めて女性に対して抱くある種の特別な感情を、アルシェに対して意識し始めていた。
幼い見た目にも拘わらず聡く、機知に富む言い回しを好み。経験に裏付けられた深い思慮と知識を持ち、老成したような雰囲気を纏っている女性―――。
そういうタイプの女性が、丞にとってはどストライクなのだ。
無論、丞は自身の持つその嗜好が現実的で無いことを正しく理解している。
そんな女性は、漫画やアニメのような虚構中にしか存在しない。
―――判っているからこそ、丞は嘗てそれを二次元の中にだけ求めていた。
元居た世界で18歳を迎えた誕生日の当日に、丞が初めて書店で購入した成年向けの書籍は、言うまでも無く『永●娘』だった。
(まさか、実際に出逢うことができるなんて―――)
老成された雰囲気。言い回しの中に感じられる充分な知性。
現実には存在しないと端から諦めていた、丞にとっての理想の女性像。
―――アルシェという少女に、丞は早くも心を奪われ始めていた。
[3]
「もしかして、ここは異世界なのですか?」
数分ほど経って、奥から食事を運んできてくれたアルシェに向かって丞が率直にそう訊ねると。
アルシェは口を大きくあんぐりと開けたまま、数秒ほど硬直してから。はあっ、と盛大な溜息をひとつ吐き出し、それから静かに頷いてみせた。
「事態を把握しておらぬであろうぬしに、現状をどう説明したものか、これでも結構悩んでおったのだがのう……。
まさか、既にそのことに思い至っておるとは驚きじゃな。儂が想定していたより随分と状況認識が正確で早いが、どうしてぬしはそう思えたのじゃ?」
「そういう設定の本を幾つか読んだことがあるので」
逆に質問をぶつけてきたアルシェに対し、丞はそう即答する。
言うまでも無く、それは異世界転移を題材としたラノベの類だが。
「ふむ……ぬしの居た世界の文献にも、渡りの記録が残されているということか。渡聖人殿の住む世界も侮れぬのう。主神の奇蹟たる転移について把握しておるとは」
「その渡聖人というのは?」
「いずれかの主神に使徒として招かれ、こちら世界―――〈アースガルド〉へ渡ってきた者を指す。つまり、ぬしのことじゃな」
「……僕は、神様の『使徒』とやらになった記憶はないのですが?」
「だが、主神のどなた様かと直接お会いする機会には恵まれたじゃろう? そしておそらくは、主神から特別な天職やスキルなども頂戴したのではないかな?」
「それは……」
思わず丞は言葉を失う。
事実、それはアルシェの言う通りだった。
「色々と詳しく話をしたいが、折角スープを温めたのじゃから冷めぬうちに飲むと良い。ああ、もちろん無理はせず、飲めるぶんだけで構わぬからのう」
ずいっと丞の側へ食事を載せたトレーを差し出しながらアルシェがそう告げる。
トレーに載せられているのは豆のスープと何種類かの果物。スープはともかく、果物のほうは丞も全く見たことがない形状のものばかりだった。
「……酸っぱそうですね」
「うむ? その果実は甘いぞ。クルナンも知らぬのか」
外見がレモンや夏みかんに少し似ている果物を見て、丞が漏らしたつぶやきに、やや呆れ顔になりながらアルシェがそう答える。
「そうなのですか? 僕の居た世界には無い果物のようですが」
試しにスープではなく、果物のほうから果皮を剥いて食べてみると。なるほど、アルシェの言う通り『クルナン』という名らしい果物は意外なほど甘かった。
寝起きの頭には嬉しい甘さだ。できればセットでコーヒーが欲しくなる。
木製の匙で掬い、スープのほうも口に運ぶと。こちらはカボチャのスープに似た穏やかな甘味のある味わいだった。
こちらの世界の人は甘めの食事を好むのだろうか?
「クルナンはいまの時期には有り触れた果物じゃが―――なるほど、世界が違えば全てが変わる。存在せぬものを知らぬというのは当然じゃな。
……ぬしの居た世界にも、きっと儂の知らぬ物が沢山溢れているのであろうな」
「そうかもしれません。この家には電気も通っていないようですし」
「デンキ? ……ふむ、興味深いのう」
くふふ、と少女は幼さに不釣り合いな妖艶さが入り交じる笑みを浮かべる。
そういった仕草のひとつひとつが、もちろん丞にとっては堪らなく愛おしい。
―――いやあ、ロリババアって本当に素晴らしいですね!
「今のうちに訊いてしまいますが、僕が元居た世界に帰れる可能性というのはあるのでしょうか?」
「いや、おそらくは無理であろうな。主神に招かれた『渡り人』が、元居た世界に帰ったという話は、儂もついぞ聞いたことがない。……帰りたいのか?」
「いえ、全く。一応確認しておきたかっただけですね」
「そ、そうなのか?」
あっさりと言い切った丞に、アルシェは少し不思議そうな顔をしてみせるが。
丞からすれば、別に元居た世界に未練はない。退屈な日常ばかりを過ごしていたあの世界に、帰らなければならない理由などありはしなかった。
いや―――来月発売予定の『永●娘』の新刊だけは、正直を言って是が非でも読みたい所ではあるのだけれど。
いつかamaz●nが、異世界への配達にも対応してくれないものだろうか。
「主神の意志により招かれたぬしは、今後この世界で生きていかねばならぬ。そのためには何より、今ぬしに必要なのはこの世界の情報であろう」
「ん……それは、その通りだと思います。何しろ僕は、こちらの世界のことを何も知りません。この世界で生きる上で守らなければならない規則も、普遍的な常識さえ何ひとつ把握していませんから」
頭の中では己の欲望に忠実な非常にアホっぽいことを考えながらも、丞は務めて淡々とした口調で少女の言葉に応じる。
並列思考と澄まし顔は、子供の時分より丞が最も得意としてきたものだ。
「情報が必要ですね。僕にこちらの世界のことを、色々と教えて頂けませんか?」
「うむ、ではこうしよう。ぬしは今まで過ごしていた世界の知識を儂に教え、代わりに儂はこの世界の知識をぬしに教える。
膨大な情報量の交換になるであろうから、それには多大な時間が掛かろう。ゆえに、ぬしは自由にこの家に住んでくれて構わない。ここに居る間はぬしの衣食住の面倒全てを、儂が見ることも約束しようではないか」
「女性に養われるというのもお恥ずかしい限りですが、正直を言って助かります。何しろ僕は、こちらの世界で通用するお金を全く持っていませんので……」
そう言って丞が苦笑すると、アルシェもまた釣られるように優しく微笑んだ。
契約は成った。アルシェが差し出してきた手を、丞も躊躇することなく掴む。
どうやら世界が変わっても、握手を交わす意味は変わらないらしい。