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グラノラトフィーバー  作者: 小町 慧斗
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聖葉女子学園のはじまりの話3

 それからの数日、晶は留学の件で迷っているようだった。


そしてそれについて、妃穂も茨木も意見を挟むようなことはしなかった。行くにせよやめるにせよ、晶がなるべく自分の考えだけで決断するべきことだと思ったからである。


 ともかく晶は悩んだ末に結論を出した。

 行く、というのがその答えだった。

 妃穂も(もちろん茨木も)それに異議を唱えることはなく、応援するから行ってらっしゃいと笑顔で返した。


「だいたいわたくしが寂しがるからどうこうなんて、考えなくていいのよ。離れていても友達に変わりないわ。でしょ」


 別れまでのカウントダウンはきわめてなごやかなものだった。

 メールもあるし、電話もするし、あなたの向こうでのやんちゃ話を聞かせてもらうの楽しみにしてるわと妃穂は笑う。


「あなたが聖葉に来てから2年。たったの2年なのにもう10年も一緒にいるような気がする」


 と妃穂は窓の向こうを見ながら言う。

 芙蓉寮の自室でだった。妃穂は続ける。


「ここはいろんな人が出たり入ったりするけど、あなたくらい印象の強い人っていないわ」


「そう? ……かもね」


 この二年間を思い返してみて、晶はどこか後ろめたい感じで視線をそらした。当時はごく当たり前にふるまっていたつもりでいたが、今思うと確かに自分はこの静かな学園に波紋を引き起こしたと思ったからだった。


 一年生のとき、テニスのシングルスで全国大会に出たのもそうだ。そこまで勝ち進んだのは聖葉はじまって以来ということで、全校あげての大イベントとなった。


当日は妃穂も応援に来たのだが、あれほど大きな声を出す高橋妃穂ははじめて見たと生徒たちは口を揃えたものだった。


「あなたのこと、忘れられる人なんていないわ。わたくしに限らず聖葉生なら誰でもよ。そう思う」


 妃穂は窓から見えるもみの木に目を向けていたが、そのまなざしは当時の出来事を思い出しているらしく、やさしかった。妃穂は肩越しに振り向いて言う。


「だから安心して思う存分一年間行ってらっしゃい。そうよ、たったの一年じゃないの。大げさに考えることなんてないわ。でしょ」


 そう言った妃穂がその笑顔を崩したのは、2月の末。

 晶の出発が翌日に迫った夜のことだった。


 その夜、晶は寮の自室で翌日の最終チェックをしていた。

 私物はもうほとんど向こうに送ってしまったので、部屋は心なしかがらんとして見える。


「さてと、忘れもんないな」


 手荷物のバッグをポンと叩いて晶は言う。


「あなたのことですもの、絶対なにかかにか忘れていると思うわ」


 見透かすように言うのは妃穂。風呂上がりの半がわきの髪を肩に散らしている。茨木は勉強机に腰掛けてそのやりとりを見ていた。


「財布と携帯と飛行機のチケットだけ忘れないで」


「そこまで抜けてないよ!」


「パスポート持った?」


「持ってるよー」


「見せてごらんなさい」


 えー?とふくれっつらをしてホラここにあるでしょ、とバッグの中に手を入れた晶だが、すぐにあれっという顔になった。


「あれ、確かここに」


「間違ってダンボールに詰めて送っちゃったんじゃないんですか。やりかねませんよ、あなたの場合」


「茨木!」


 晶がいくぶん焦り顔になったところに、妃穂が黒いものをパタパタと振った。


「あーっ」


 その手にあるのは晶のパスポート。飛びついてくる晶にすんなりそれを渡してやりながら、妃穂は言った。


「調理室の流し台の上に置いてありました」


「あーっ、ありがとーっ! でもなんで調理室?」


「知りません」


 妃穂は露骨な呆れ顔でため息をついた。


「これがないと行けないわよ」


 だよねーっと晶は大事そうにそれを鞄の内ポケットにしまった。


「あぁ、ひやひやしたあ」


「こっちの台詞です。ほんとに手のかかるひと」


 ぼろりと妃穂の目から涙がこぼれたのは、その時だった。

 それはどうにも誤魔化しようがないくらい大粒で、ぱたっと膝の上におちる水音まで聞こえたほどだった。

 晶はもちろん目を丸くしていたが、一番驚いたのは当の妃穂だった。


「あの……ひ……」


「ひーって呼ばないで!」


 顔をそむけながら打ち返すように言う声が裏返っている。


「いや、今のはひーって呼ぼうとしたわけじゃなくってね? ……妃穂?」


「泣いてません!」


 叩きつけるような言い方で妃穂は先手を打ったが、晶はけげんそうな、でも心配そうな声で茨木に助けを求めた。


「……泣いてるよねえ?」


「私は、なにも見ていません」


 茨木はしらじらしい顔で嘘をついた。


「私の目指すところは、有能な従者ですから」


 そう言ってにっと笑った。


「あるじに不利なことはしっかり把握したうえで、見ないふりをするという方針です」


「見てるんじゃん」


「もうっ、いや、この人たち!」


 言って勢いよく立ち上がったのは妃穂だった。


「ええーっあたしも含まれてんの?」


 不服そうに言った晶の横をすり抜けて、自分のベッドへ上半身を突っ込む。


「わたくしはもう寝ます!」


 その妃穂の長い髪をむんずとひとつかみにした晶だった。妃穂の細い白い首がのけぞる。


「待ちなって……それに髪乾かしなよ。風邪ひくでしょ」


 ベッドの柱に爪を立てて、今にもヒステリーをおこしそうな妃穂を見ながら茨木が淡々といった。


「尾崎さん。その格好、あれみたいです」


「なに? どれ?」


「よその部族の洞穴に押し入って有無を言わさず女を略奪する原人」


「茨木ってたとえ話に難がある。ラプンツェルって言うかと思った」


「閉じ込められたお姫さまですか? 童話の?」


「そう。妃穂の髪ってそんな感じするし」


「そういうたとえ方もありますね」


「で、あたし、魔女のほう? 王子のほう?」


 聞かなくちゃわからないんですかと茨木が眉をひそめたと同時に、妃穂が両手で自分の髪の毛を奪い返した。

 そして一息にベッドへ身を滑り込ませると、左右から勢いよくカーテンを閉めた。隙間なく、ぴっちりと。


「ねえ」


 と言いながら間髪いれずに晶がそれをあける。


「あけない!」


 間をおかずまた閉められる。妃穂の声は完全に裏返っていた。


「だって話あるもん」


 そう言ってもう一度あけたカーテンを、妃穂は今度は無言で閉めた。


「いいからちょっとあけて」


 あける。


「よくありません!」


 閉める。またあける。


「しつこいわよ晶!」


「しつこくしてんだもん! あんたの意地っ張りに対抗しようとすると大変なんだよ」


 あのね、あなたね。妃穂はそこまで言って口を閉ざす。

 冷静さを取り戻そうとするように、片手を自分の胸へあてると妃穂はゆっくり深呼吸した。吸って……吐いて。


「……少しわたくしのこと、ひとりにしておいていただけない?」


「ダメ」


 即答されて、妃穂はいやそうな顔をした。その顔のまま茨木のほうを向いて言う。


「この人をどうにかしてください。わたくしの手に負えません」


 茨木は、とってつけたような真面目くさった顔で言った。


「有能な従者を目指す身としては、如何とも迷うところです。ひらたく言うと、静観です」


「あんたをひとりで泣かせておきたくないんだもん」


 晶が妃穂をまっすぐ見て、その心に斬り込むようにはっきり言った。吊り上がっていた妃穂の眉がゆるむ。


「どうせ泣くならあたしの胸で泣いたらいいよホラ。……あっ、また閉める。一体あたしのなにが気に食わないのさー」


 晶はもう一回強引にカーテンをあけようとしたが、今度はなかから妃穂が布地を引っ張っているのでひらかなかった。中と外とで布地の引っ張り合いになるのを見て茨木が言った。


「カーテン、破かないでくださいね、尾崎さん」


「妃穂に言って?」


「破かないでくださいね、妃穂さん」


 あなたどっちの味方なのよ!と妃穂が中から大声を出す。


「だって泣くんだもん!」


 妃穂のヒステリーに対抗するように晶が断言する。


「泣いてる子には、まず抱っこでしょ」


「わたくし子供じゃありませんからお気遣い御無用です」


「いやあ、あんたは子どもだよ結構」


 カーテンの中で、ぴたりと妃穂が動きを止める。


「子どもでしょう。大人になっても時には誰かに甘えていいんだってこともわかってない。自分の内側に感情を閉じ込めてしまえばそれで済むと思ってるのは子供だってあたしは思うな。」


「あたしたちは友だちなんだよ。ならたまには思い切り駄々をこねても無理を言っても、それは悪いことじゃないんだってそんなこともわかってない、友だちにならわがままも無理難題も、言われたら嬉しいときもあるんだってこともわかってない、子ども」


 カーテンの中で、妃穂はくっと息を詰めた。小さくうつむく。晶は茨木の方をむいて言った。


「こういう子が閉じた扉は無理やり開いちゃっていいんだよ」


 いいんですか、無理やりですか。と茨木が言って、参考になりますと小さく頭をさげた。晶もうなずく。


「いいことになってるの。どんな手を使ってもいいって、決まってるの」


 騙してでもね、といって晶は足で左端のカーテンをすくいあげる。寝巻きを着た妃穂のうすい肩がびくっと震え、きゃっと小さな声があがった。


「ということだからあきらめて出てきな。こういう時のあたしには叶わないと思うよ? しつこいし、粘り強いし。あれ一緒か」


 もういやっ、あなた。言いながら妃穂は手を離してベッドから飛び出た。


 その次のひとことはよく考えて言ったのではなくて、ベッドから飛び出した拍子に喉につかえていたことばまで転がり落ちてしまった、そんな感じのひとことだった。


「だって行っちゃう人じゃないの」


「はァッ?!」


 なんだってえ、と晶の顔が歪むのを見て、妃穂はしまったという顔で口をつぐんだ。


「今、なんてった?」


 妃穂は視線を泳がせている。


「もう一回言ってごらん」


 普段あけっぴろげな晶が抑え気味に言う声はかえって凄みがある。


「この3ヵ月間ずっとそう思ってたのかどうか、ちゃんと言ってごらん。どうせ行っちゃう人間相手になにを言っても仕方がないってあなたはそう思ってたの?」


「今のうそ、うそですから」


 晶はまばたきもせずに妃穂を見つめ続ける。


「妃穂、あたしはそういうのは嫌いだ。いつも言ってるよね。たとえ摩擦が起きたとしても、意見が違ったとしても本当のことを言ってって。他の人にはしなくても、あたしにはそうしてって」


「ですから今のはうそです」


「そんな言い逃れは通用しないよ」


「じゃあ今のなし!」


「妃穂!」


 晶が叱りつけると同時に妃穂は身をひるがえして駆け出した。部屋の外へ。白い寝巻きの裾をつかもうと伸ばした晶の手が空振りする。晶よりも先に茨木が反応した。間髪入れずにそのあとを追う。晶もすぐにそれを追った。


 寮の各階にはそれぞれ調理室がある。小さなテレビと椅子もあり、サロンの役割もする場所だがそろそろ就寝時間とあって誰もいない。電気も消えている。その調理室に妃穂は飛び込んだ。とっさの行動だった。


勢いよく扉を閉める直前、そこに肩をぶつけるようにして茨木が滑り込んだ。晶は一瞬遅れて扉に手をつく。直後にかちっとなかから鍵のかかる音。ちっと、晶は舌打ちをもらした。


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