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グラノラトフィーバー  作者: 小町 慧斗
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聖葉女子学園のはじまりの話2

 晶はその足でオープンカフェではなく、まっすぐ寮の自室に帰った。妃穂も茨木もそちらへ戻っている筈だと思ったからだ。


 聖葉(せいよう)は初等部から高等部まである全寮制の女子校である。基本的に部屋は三人部屋で、等部ごとに寮の建物はわかれている。妃穂たち高等部生の住む建物は芙蓉寮といい、その四階東棟に3人の部屋はあった。


「おかえり」


 思ったとおり、ふたりは部屋にいた。晶はただいまと言って自分の机に申し込み書類を投げ置いてから、制服のボタンをはずしはじめる。

 床に直接座っている妃穂がたずねた。


「お話、なんだったの」


「留学だって」


 ベージュのジャケットを脱いでハンガーにかけながら言う晶に、妃穂は息をのんで大きな瞳を見開いた。そのまま晶の背中を見つめて固まってしまった妃穂を見て、茨木が助け舟を出すように口を挟む。


「で、行くんですか?」


「いやあ、保留にしてきた。返事はすぐでなくてもいいって言うからさ」


 ブラウスのボタンをはずしながら言う晶の台詞で、妃穂はやっと金縛りがとけたというようにゆっくり吐息を漏らした。それから言った台詞はかすれてもおらず、震えてもいない。まったく普段どおりの妃穂のものだった。


「どうして保留にしたの? 迷っているの?」


 だが晶はあっけないくらいずばりと、妃穂の動揺の核心を突く。


「あたしがいなくなったらあんたが寂しいと思って」


「……まあ」


 まるで背中にも目がついているようなもの言いだった。


 まあ、と妃穂は言った。床置きのテーブルに頬杖をついていた手から、あごがかすかに浮いている。妃穂はその姿勢のままゆっくりまばたきしていたが、やがてその手の甲をやんわりと口元に当ててほほほと笑った。


「笑ったね?」


 シャツを脱いで上はブラ一枚、下は制服のスカートという姿になった晶が勢いよく振り向いて、妃穂に向かってびしりと指を突きつける。ブラの白レースのふちと肩紐には等間隔で黄色の小花が並んでいる。その胸のふくらみを隠そうともせずに、片手を腰にあてがって晶は続けた。


「あんたが『あら』とか『まあ』とか当たりさわりのない返事をしたあとにね、そうやって時間稼ぎみたいに笑うときっていうのはね。なにかを肯定してる時なんだよ」


 茨木が吹き出した。妃穂ににらまれてあわてて向こうをむく。時間割を指でなぞって明日の時間割を確認しているふり。


「しかも肯定してるのを認めたくないときなんだよ、そうやって笑ってごまかすときっていうのは」


「ごまかすために笑っているわけじゃありません!」


「そう。で、図星をさされると怒る」


 妃穂は一瞬カッとなったように眉を吊り上げた。なにか言おうと口をあけたが、結局ことばは出てこなかった。茨木は背中を向けて時間割を眺めているふりをしているが、その肩は小刻みに震えている。妃穂はしばらく口をパクパクさせていたが、やがて眉をひそめて聞き返した。


「わたくし、そんっなにわかりやすい?」


 晶が即答する。


「相当スケルトン」


「茨木! わたくし相当スケルトン?!」


「……ノーコメントです」


 茨木は背中を向けたままで答えた。晶がさらに言う。


「茨木がね、充分考える時間があったくせにはっきりものを答えないときっていうのはね、言いづらい答えが出たからだよ」


 茨木は我慢できなくなったらしく、低い笑い声をもらしている。妃穂はしばらく晶をにらんでいたが、軽く咳払いして仕切りなおした。


「……で? そうなの?」


「なにが」


「わたくしが寂しがったら留学しないつもりでいるの?」


 晶は部屋着に袖を通すと、あごの下まで一気にファスナーを引き上げて言った。


「試しに言ってごらんよ、寂しくなるから行かないでって」


「誰が」


 口をゆがめて吐き捨てる返事は短い。晶は呆れたように妃穂を見下ろすと、三段ベッドの一番下に腰掛けた。そこは妃穂のベッドであるが、そんなことはお構いなしで足を組んでぶらぶらさせる。


「自分で言うのもなんだけど、あんた、あたしと仲良くなってからちょっとガラが悪くなったんじゃないの」


 晶はベッドスペースの都合上、やや前傾姿勢をとりながら言う。聖葉の寮室は比較的天井が高めに設計されているが、三段ベッドの内側はさすがにそう広くはない。晶は親指で茨木の背中を指した。


「ホラ茨木もうなずいてる」


「茨木!」


 叱責されて、茨木はこちらを向いた。椅子に横座りして言う。


「悪いとは言っていません。出るべきところへ出た時にちゃんとしていてくれたらいいんです」


「今はちゃんとしていなくて悪かったわね……」


 妃穂が恨めしそうに上目遣いで言うのを、茨木はさらりと流した。


「学校では、いいんです」


 茨木は銀縁メガネ越しにやさしく微笑んだ。妃穂もつられたように笑い返す。


「まあ、そうね。ここでは少しくらい羽を伸ばしても構わないわよね。わたくしたちにとって、聖葉は家ですもの。ね、茨木」


「そうですね。私もむしろ実家よりここのほうが落ち着きます」


「うそよ晶。この人どこへ行っても変わらないわよ。このまんま」


 だろうねえ、と晶があいづちをうつ。


「せいぜい高橋の本家に来たときくらいかしらね、もう少し改まるの」


 妃穂の実家はもうかれこれ600年も続く旧家だ。歴史ある名家だというだけでなく、たいそうな資産をも併せ持ち、この聖葉女子教育学園も元はといえば高橋家が創設したものだ。


当時の当主は自家の子女を安全かつ優雅に教育する場所を探していたのだが、その眼鏡にかなう学校はなかった。それで自らつくることにしたのだと言う。高橋妃穂はその創設者の直系の子孫にあたる。


 高橋本家の長女であり、あとを継ぐことを義務付けられている妃穂が聖葉にいるのはある意味当然なのだが、妃穂とその実父との間は決してうまくいっているというわけではなかった。


 父が一人娘を疎んじて聖葉に押し込めたというのは学園内ではほぼ暗黙の了解事項で、それが知れ渡っていながらかつて取り巻きが大勢いたのは、妃穂の父が政財界に多大な影響を持っていたこと、その関連企業重役の子女が聖葉内には多かったこと、そして親子の不仲は別にしても妃穂の機嫌を損ねることで、自分の学園内での居心地だけでなく、自らの父の立場までも悪くすることにつながると、生徒のそれぞれが考えたからだった。


 彼女たちは争って高橋妃穂の機嫌をとり、女王さまででもあるかのように扱い、妃穂はうわべの華やかさとは裏腹に孤独になった。


世慣れた振る舞いだけがなめらかに得意になり、本心を見せられるものは茨木をおいていなかった。そこへ、尾崎晶が編入してきたのである。


 晶はそのとき既に庇護してくれる保護者もなく、高橋家ともその関連企業とも関わりがなかったので、聖葉内での派閥争いからは自由でいられた。


 当時茨木とふたり部屋だった妃穂の部屋に晶を入れたのは、晶に対する学校側の配慮だった。晶がはやく学園になじめるようにとの。


 代理人を間に挟んでとはいえ、父の遺産を自分で管理し自分の人生を自分で決めている晶に、妃穂は自分が将来こうありたいと思う姿を見た。


また晶も、高橋家のひとり娘という重責に押しつぶされることなく、自分とはまったく異質な形の覚悟でもって人生に臨んでいる妃穂に、対等ではあるが尊敬するという態度で接した。


 話せば話すほどふたりが惹かれあっていくのを、茨木も止めなかった。

 晶がベッドに腰掛けたままで思い出すような目になった。


「妃穂の実家、すごかったよねえ。お正月行ったとき、正直びっくりした。格式高いってああいうことを言うんだね」


「だだっ広いだけ。そして古いだけ」


 妃穂のコメントはあくまでさばさばしている。


「わたくしも茨木も、初等部からここですもの。お互い実家に帰ってもなんだか家って感じがしないわ」

「茨木といえばさ。妃穂の実家で茨木がすごかった」


 私ですか、と茨木が無言で首を傾げる。なにがですか?


「侍女って感じだった。しかも隙のない」


「おや、そうでしたか」


 どこか嬉しそうにそう答える茨木に、妃穂が肩をすくめた。


「いいのこの人のこれは、もう直らないの」


「私の美学とでも申しますか」


 なおさら嬉しそうに茨木は言った。


「そんな時代じゃないし、そこまでしなくていいと言ってるのに」


「好きでやってるんですよ」


「おかげで高橋本家での受けは非常に良いのだけれども」


 だから茨木と一緒だと私も実家で少しは気が楽なのだけど、と妃穂はため息混じりにつぶやいた。


「茨木は父のお気に入りなのよ」


 妃穂が言うと、茨木は少し眉をしかめて静かにたしなめた。


「そういう言い方はよしてください、妃穂さん。私はあなたの父上に仕えているのじゃなくて、あなたに仕えているつもりでいるんですから」


「茨木って、小さい頃から今とおんなじ?」


 晶が聞くと妃穂がうなずいた。そう、昔からおんなじ。茨木がやわらかく笑って言う。


「代々高橋に使える家系でもありますし、DNAに組み込まれているのかもしれませんね」


「わたくしに忠誠を誓っているのよね」


「そうですよ」


「一生?」


 晶が聞くと、茨木は当然という顔でうなずいた。


「一生です」


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