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グラノラトフィーバー  作者: 小町 慧斗
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聖葉女子学園のはじまりの話1

書く人(小町)と投稿者(慧斗)の男女二人ユニットです。よろしくお願いいたします。

 「カラメルナッツタルト。『仲直りしましょう』?」


 そう、というように妃穂は小さくうなずく。晶は別のを指して続けた。


「チョコムース。『あなたが好きです』」


「そうね。……で、結局どれにするの?」


「あたしケーキはいいや。コーヒーだけで。お菓子はいささか食い飽きました」


 聖葉女子教育学園の敷地内にはオープンカフェがある。その一席に、晶たち3人は腰を降ろした。やがて注文したものが運ばれてくる。


 ブラックコーヒーを飲んでいるのは高等部2年の尾崎晶(おざきあきら)だ。制服のシャツの袖を肘までまくりあげて、日焼けした腕を見せている。快活そうな少女だった。


「ローズティーと、シフォンケーキのお客さま」

「はい、わたくし」

 軽く手をあげて合図したのは同じく高等部2年の高橋妃穂(たかはしひすい)だ。柔らかそうな茶色の髪を長く伸ばして、結わずにそのまま垂らしている。小さな白いあごと大きな瞳がアンティークドールを連想させる美少女であるが、凛と伸ばした背筋からは意志の強さも感じさせる。


「妃穂さん、髪結いましょうか。風出てきましたね」


 自分の前に置かれたハーブティーよりも、妃穂の髪のほうがずっと大事だというように言ったのは茨木貴子(いばらきたかこ)だ。洒落っ気のない銀縁眼鏡をかけていて、決して派手な容貌ではない。肩までの黒髪は同色のヘアバンドでまとめており、理知的な額をすっきりと見せている。これも同じく高等部2年。


 3人は聖葉高等部の同級生でもあり、寮に帰ればルームメイトでもある。

 妃穂は風を読むように空を見上げたが、ちょうどそのとき強い風が吹いて彼女の髪を大きく散らした。髪を手で押さえて、妃穂は目を細める。


「そうね、結ってくれる? 茨木」


 そのことばが終わるか終わらないかのうちに、茨木はもう立ち上がっている。

 櫛と髪ゴムを手にして妃穂の後ろへまわるのを、晶は黙って見ていた。茨木がなにくれとなく妃穂の世話をやくのは、いつものことなのだ。

 黙って髪を編ませている妃穂を見ながら、晶は口をひらいた。


「妃穂だって人気あるのになぁ」


「え、なんの話?」


「もちろんお菓子の数の話。どうして妃穂はそれほどでもないのに、あたしのとこにばっかり集中すんだろうって話」


 気持ちは嬉しいけど、でもちょっとうんざりだという内心をのぞかせて、晶はため息をついた。


「それだけ親しまれているということよ。いいじゃない」


「まあ、女の園で嫌われるよりは好かれた方がいいに決まってるけど……。聖葉って、とかくお菓子を贈り合うよね。お菓子で気持ちを伝え合うよね。謝罪は『アイス』、愛の告白は『チョコ』、仲直りは『カラメル』、感謝やお礼は『ビスケット』……」


 指折り数えて考えながら晶は言った。


 妃穂と茨木は初等部から聖葉の寮暮らしであるが、晶は高等部からの編入生だ。晶は続ける。


「確かに気持ちは嬉しいんだけどさ。来る日も来る日もチョコとビスケット。飽きるよ」


「まあ、あなたはモテるわよ女子校で。……というか、うちで」


「なんで」


 晶は心底わからんという顔をした。


「なんでって……」


 なぜわからないのかそっちの方がわからない、という顔を妃穂はする。後ろの茨木が手を動かしながら助け舟を出した。


「聖葉にはいないタイプですからね、尾崎さんは」


「珍しいからモテてるってことかい。珍獣扱いかい」


「野性味たっぷりというか、生命力に満ち溢れているというか、自由闊達というか」


「待て、珍獣は否定してくれないのか、茨木」


 ふたりのやりとりを、妃穂はくすくす肩を揺らしながら聞いている。そうこうしている間にも茨木の手は器用に動いて、妃穂の髪の生え際に細く編んだ三つ編みを巻きつけている。

 ふと、膝の上に銀杏の葉が一枚落ちたのに気づいて妃穂はそれを摘みあげた。それを目の高さに持ち上げて、くるくると回しながら妃穂は言う。


「花や小物でなしに、お菓子で気持ちを伝えるというのはいい方法なのよ。特にうちみたいに、女ばかり何百人も集まって共同生活している全寮制の学校ではね。ことばをそのまま伝えるよりも、時にはずっといいの」


 まあ、わかる気はすると晶は言った。テーブルに肘をついてコーヒーを口に運んでから続けた。


「あたしも聖葉に来てそろそろ2年目になるからね。確かに来た当初は相当面食らったけど、今はだいぶわかってきたつもりだよ。たださぁ、量が問題なんだよねぇ」


 だからそれは、それだけ慕われてるってことよ。と妃穂がなだめるように言った。晶は続ける。


「謝罪のときのアイスを贈るっていうのは理にかなってるなと思うよ。ものがアイスだけに贈る方も贈られた方もその辺に放置しておくわけにいかないしね。喧嘩をできるだけ長引かせないためのいいやり方だと思う。たとえそのアイス1個で問題のすべてが解決するわけじゃないにしても、『謝った』『謝罪の気持ちを受け取った』という形が成立すれば、それが解決への取っ掛かりになるじゃない。だから冷菓の場合はわかるんだよ。ただね、ちょっとなにか親切にしただけですぐに『感謝』のビスケットとか『告白』のチョコとか贈るの、あれどうにかならんかなあ。あたしはひとりしかいなくて、胃袋の容量にも限界があるんだけど」


 そう言う晶に妃穂は苦笑して、だがすぐ真顔になって言った。


「うちみたいな全寮制の女子校で、そのほとんどが持ち上がりで、全員が家族みたいに親密……そんなところで『感謝・謝罪』をこまめにする習慣がないとどうなるか。うやむやになってしまうのよね。感謝の気持ちも、謝罪の気持ちも。うやむやになるとどうなるか」


「どうなるの?」


「言わなくてもこのくらい通じているだろう、わかってもらえているだろうという気持ちが出てきてしまうわけ。でもね、それって甘えなのよね」


 3人の横を通り過ぎる後輩たちが、ごきげんよう、と言いながら会釈していく。ごきげんよう。妃穂は笑顔で返す。晶は軽く片手をあげて、ようと返した。茨木は落ち着いた笑みをのぞかせただけ。後輩たちを見送ってから、妃穂は続けた。


「聖葉の生徒は、裕福な家の子女が多いわ。でもね、いくら同じ年頃で、同じような家庭環境で育った女の子同士だとしても、無理なのよね。なにも言わずして自分の気持ちをわかってもらおうだなんて」


「そりゃそうだ」


 晶が賛同する。


「みんな、わかってはいるのよ。いくら毎日顔をあわせていて、一緒に暮らしていたとしても違う人間なんだって。頭ではわかってる。でもね、わかっていても失敗しちゃうってこと、あるでしょう」


 あるね。また晶がうなずく。


「喧嘩のときなんて特にそうよね。そこまでするつもりはなかったのに失敗した、やりすぎた、言い過ぎた。自分でもしまったなと思っているのに相手はすっかり態度を硬化させてしまっていて、謝ろうにも取り付く島もない。そんなとき、形式化された仲直りマニュアルとそのためのアイテムがあるというのはすごくいいのよね。本格的な喧嘩に発展して、お互いズタズタになる手前で食い止められるから」


「その点で、聖葉の『お菓子を贈る』というのは大変よくできたシステムだと思います」


 妃穂の髪を結い終わった茨木がそう言って、椅子に戻った。すっかりぬるくなったハーブティに口をつける。


 そのとき、校内放送がかかった。


『高等部2年B組、尾崎晶さん。高等部2年B組、尾崎晶さん。連絡事項がありますので至急職員室まで来てください』


 3人は揃って顔をあげた。


『繰り返します。高等部2年B組、尾崎晶さん。連絡事項がありますので、至急職員室まで……』


 聖葉の敷地はたいそう広く、しかもその大半は緑地や森林である。というより、山の一角を切り崩して全寮制の女子校をつくったというのが正しい。さすがに短い休み時間の間にあまり遠くまでで歩く生徒はいないのだが、放課後になるとこうして妃穂たちのようにオープンカフェまで出向いてお茶を楽しむ生徒も多い。だからスピーカーは敷地内のいたるところに据え付けられている。今、そのスピーカーから聞こえる声は学年主任の女教師のものだった。


「どうしたの」


「どうかしたんですか」


「晶あなた、なにかしたの」


「なにをしたんですか」


 妃穂と茨木がかわるがわるに言うのを聞いて、晶は苦笑して手を横に振った。


「なんにもしてないって。人聞き悪いなぁ。それにあれでしょ、今、連絡事項って言ったでしょ。ああいう言い方するときは叱られる話じゃないはずだよ」


 とにかく行ってくる。晶は言って、急いでブラックコーヒーを飲み干すと席を立った。


 交換留学生に立候補するつもりはないですか、というのが呼び出しの用件だった。


 やはり叱責ではなかったことに、晶は胸をなでおろす。なでおろすということは今までそれだけ数多く叱られるようなことをしてきたということなのであるが、学年主任は申し込み書類を一式晶に差し出して、微笑みながら言った。


「行くつもりがあるなら、学校としては喜んで推薦するつもりでいますから、よく考えて決めてください。決まれば出発は学年末になります。尾崎さんは語学の成績もいいし、外交的な性格ですから、いいと思いますよ。……どうですか?」


「はぁ……」


「尾崎さん?」


 晶がいかにも気乗りしない様子で返事をしたので、女教師は少し首をかしげた。意外そうに言う。


「気が進みませんか?」


「あ、いえ。決してそんなことは」


 晶はあわてて首を横にふった。留学の話を聞いて一瞬ためらってしまったことに、自分でも驚いたのだった。


 今までの自分なら、嬉しいはずの話であった。今いる場所を離れる寂しさよりも、新しい世界、見知らぬ街、これから出会う人々への期待のほうが大きくて、ふたつ返事で飛びついたことだろう。旅立ちは、新しい映画のオープニングを見ているような気分にさせられて、晶にとって心浮き立つ出来事だった。


 今は亡き晶の父は画家で、放浪癖のある人だった。物心ついたときに母は既におらず、父とふたり家族だった晶は、父にくっついて世界各地を旅してまわっていたものだ。父が死ぬまでの15年間、晶の人生は出会いと別れの連続だった。父は、その土地で充分絵を描いたと思うと、その日の夜にはもう荷造りをはじめているような人だったからだ。


 もっとずっと小さいころ、子どものころは泣いて駄々をこねた覚えがある。

 その土地でできた友人たちと離れるのが嫌だといって、晶が泣いてもわめいても、父は動じなかった。小さな晶を荷物のようにひょいと肩に担ぎ上げて、ぎゃあぎゃあ泣くのをそのままにその土地を離れたものだ。


 そんなことを繰り返すうちに、晶は少しずつ現実と折り合いをつける術を身につけた。

 泣いてもわめいてもそこにとどまることができないのなら、できた絆を絶やさない努力をしようというふうに方向転換したのだった。


 今までの土地や友人と別れることはそれを失うことだと思うのではなくて、旅するごとに自分の世界は広がってゆき、友人も思い出も経験も増えるのだと考えること。幼いながらも懸命に考えた末、晶はそうやって自分を納得させるようになった。そしてそれは今も変わっていない。今はもう、今までの経験から、別れがすべてを終わりにするものではなく、また悲しいだけのものでもないと思っている。

 それなのに、今自分はこんなに動揺していると思いながら、晶は言いつくろった。


「気が進まないということではないです。急なことだったので動揺してしまって」


 学年主任が安心した表情でうなずくのを見ながら、更に言う。


「お返事はいつまでにすればよろしいでしょうか」


「そうですね……今週中に」


 女教師は卓上カレンダーを見ながら答える。


「保護者の方と相談を……あ、尾崎さんは御家族は」


 言いさして、途中で晶の両親がいないことに気づいた彼女は口ごもったが、晶は気にしなかった。あくまで朗らかに言う。


「はい、保護者代理人と相談して決めさせていただきます」


 それじゃ、と深く一礼すると晶は職員室をあとにした。

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