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左回りの人時計  作者: 白福あずき
第一章
7/30

第7話 希の光

 青い空を引き連れて空高く昇る太陽は、オレの胸の内など知らないようで憎いくらいに眩しかった。

 オレがどれだけ悩もうとも日は登り、どれだけ未来に絶望しようとも変わらず明日はやってくる。太陽が沈めば夜が来るように、夜になれば月が登るように。

 今日も狭い車に揺られながら、オレは窓の外を見つめる。視界に入る桜の花も、街行く人の笑った顔も酷く色褪せて見えて、オレはついに目を閉じた。やけにちゃっちく見える景色から目を背けるように、希望の見えない現実から目を逸らすように。

 ああ、暗闇に押しつぶされる。


「じゃあお母さん達、先生とお話してくるから」

 広い病室の狭い一角。いい子にね、と仕切りのカーテンを閉めていった母親の瞼は心なしか腫れているように見えた。

 大きな窓から覗く広い空には背を向けてオレは椅子に腰かける。二人を包む静寂の中で、雪斗が本のページを捲る音だけが静かに響いた。

 雪斗の長い睫毛の隙間から文字を追うように動く黒い瞳が映る。日焼けを知らない白い手がページを捲るたび、紙が擦れる音がした。しばらくページを見つめては、また捲る。オレはそんな動作をただぼうっと見ていた。

「何かあったの?」

 先に静寂を破ったのは雪斗だった。視線は本に向けたまま再び口を開く。

「やけに静かだね」

 雪斗はまたページを捲る。

「……は?」

 オレの間の抜けた声に一度目を向けて、すぐに本へと戻る。

「だっていつもは鬱陶しいくらいに(やかま)しいのに、今日は静かじゃん」

 少しの沈黙がオレ達の間を流れる。

 オレは雪斗の言ったセリフを頭の中でもう一度再生して、そしてしれっと(けな)されたことを理解して反論する。

「はあ?喧しくねえし!しかも鬱陶しいってなんだよ!」

「ほら喧しい」

 本から顔を上げずに答えるその横顔が余計に腹立たしい。けれども図星を突かれて反論することができない。

 オレが口を噤めば再び静寂が訪れた。誰かの話し声や看護師の足跡が廊下から聞こえてくる。

 昨日の不思議な体験を雪斗に話すべきか否か。トキセのことを話せばもちろん人時計のことも話さなくてはならなくなる。余命一年だなんて嘘か本当かわからないような話、本人にすべきではない。けれどもオレの胸につっかえたこの異物は、依然としてオレの中で重くのしかかっている。それは考えれば考えるほど深く根をはり、大きく膨れ上がっていく。やがてそれはオレを覆い尽くし、暗闇へと引きずりこんでいくのだろう。雪斗ならこれを取り払う術を、与えてくれるだろうか。

「なあ、ユキ……」

 ああ、なんてオレは薄情な奴なんだろう。

「もしオレが、明日……、死ぬってなったら、どうする?」

 自分が楽になるための答えをコイツに求めるなんて、オレはなんて残酷な奴なんだろう。

 雪斗はピタリと手を止め、こちらへと顔を向ける。そしてこれでもかというくらい眉を寄せ、口を開いた。

「はあ?頭でも打ったの?」

 訝しげにオレを見つめる雪斗。その視線に耐えられなくなって、オレは慌てて続ける。

「ゆ、夢を見たんだ!」

「夢?」

「そ、そう!夢!夢でオレは死んじゃうんだけど、雪斗ならどうする?」

 うーん、そうだなあ……、と雪斗はパタリと本を閉じた。

 再びやってきた静寂は居心地が悪く、冷や汗が滴れる。しかしオレとは対照的に雪斗は涼しげな表情で顎に手を当てて考え込んでいた。

 雪斗の薄い唇が静寂を破る。

「トーマのやりたいことをやるかな」

「え?」

 雪斗の予想外の答えに、オレは思わず聞き返す。

「だって明日で死んじゃうんだろう?だったら好きなことをやって終わりたいだろ」

 当たり前のことだろと言わんばかりの物言いは、なんとも雪斗らしかった。

「”明日死んじゃうからどうしよう“じゃなくて、”どうしたいか“」

 オレの中につっかえる得体のしれない何かが、するすると解けていく。

「好きなことをして、馬鹿みたいに笑う……。ボクはそんな最期をトーマと過ごせたらいいと思うよ」

 (もや)がかかったかのように前の見えなかった世界が、今少しづつ色を取り戻していく。明瞭(めいりょう)に広がる視界は、オレの頭の中もクリアにしていく。

 ああ、心が軽い。

 窓の外を眺める雪斗の横顔は、いつかのガーベラとよく似ていた。



 どこまでも広がる雲ひとつない空の下を、ただ前だけを向いて走った。驚くほど足は軽くて、ぐんぐん坂道を駆け上がっていく。流れる景色は止まることを知らず、追いかけてくる風はオレの足をまた一歩前へと誘う。

 長い長い石階段も休む間も無く一気に駆け上がる。途中で段差に躓いてしまったけれど、すぐに立ち上がってひたすら走る。二匹の狛犬の間を通り過ぎ、社への挨拶もほどほどにオレは森へと足を踏み入れる。ガサガサと音を立てる草木に驚き、鳥が翼を広げて飛び立っていく。差し込む光は暖かく、眩しい。やがて道は開かれ、太陽が顔を出す。その下にはあの日と同じように、小さな木の家が日の光を浴びていた。

 すっかり上がってしまった息を整えながらドアノブを握る。そこにもう迷いはなく、自分より大きいドアを勢いよく開けた。

 ふわりと風が抜け、(まばゆ)いほどの光が視界に飛び込んでくる。その中心に佇む人物。透き通るほどの金髪から覗く赤いピアスが、キラリとその存在を主張する。

「いらっしゃい。やっぱり来たね」

 楽しそうに目を細め、こちらを見つめる。

 オレはトキセが何かを言うより先に口を開いた。

「オレは……っ!」

 心臓が慌しく動く音が聞こえる。

「オレは、ユキがあと一年で死ぬなんて信じない!」

 息が苦しい。

「でもオレが明日死んでしまうとしたら、ユキには笑顔でいてほしい!」

 それでも言わずにはいられない。

「父ちゃんにも母ちゃんにも笑っていてほしい!オレが見たいのは悲しそうな顔でも、苦しそうな顔でもない!」

 もし明日、オレの命が終わるとして、この瞳には何が映るだろうか。

「オレが好きなのはみんなの笑顔だから……!」

『もし』なんて話は想像でしかなくて、実際にそんな状況に追い込まれたら何を思うかなんてわからない。それでもどうか、最期にこの目に映るのは好きな人の好きな顔でありたい。

「だからオレは信じねえぞ!」

 なにもかもが終わりだと、この世のすべてに絶望するにはまだ早い。

「トキセさんの言う通り、いつか終わりが来るのかもしれない」

 先の見えない暗闇に足をとられ、動けなくなるのかもしれない。

「でも!明日が来る限りオレは諦めねえ!」

 それなら足元を照らす灯りを作り出せばいい。希望が見えないと一度は絶望しかけたけれど、希望は見るものではなかった。希望は自分で見出すもの。

 だからオレは諦めない。明日も雪斗と生きていく術を探していく。

「アイツの隣でしょうもない話をして、馬鹿みたいに笑いあって生きてやる!」

 オレの声が狭い店内に響いて消えていく。

 トキセは一言も挟まずオレの話を聞いていた。そして面白いものを見るように、けれどもどこか満足気に笑う。

「それは楽しみだ」

 そっと人時計に触れ、こちらを見やる。

「最後まで見届けさせてもらおう」

 大きな古時計が振り子を揺らす音が規則正しくリズムを刻んでいた。

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