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左回りの人時計  作者: 白福あずき
第一章
6/30

第6話 大好物

 それからのことはよく覚えていない。

 不敵な笑みを浮かべるトキセさんと何を話したのかとか、どうやって店を出たかだとか、どうやって森を抜けたのかとか、あまりよく覚えていない。

 ただ、なびく金色の髪とか怪しく光る赤いピアスとか、こちらを見透かすような青い瞳の奥で揺れ動く自身の姿と、トキセの放った理解しがたい一言だけがオレの頭の中をぐるぐると回っている。ぐるぐる、グルグルと脳みそをかき回すように。

 行きにあれだけ怖かった石階段も、帰りはちっとも怖くなかった。いや、怖さを感じる余裕さえ奪われてしまったのかもしれない。現に、最後の一段を降りてからやっと辺りがすっかり暗くなっていることに気がついた。

 オレは行きに通ってきた道を戻る。小さな月が照らす夜道は(おぼろ)げで危うく、不安定だ。時折オレの横をライトをつけた車が通りすぎるけれど、その眩しいほどの光はかえって夜の闇を一層際立てていた。行きはあんなに輝いていた赤いスニーカーも、暗闇に吸い込まれて消えてしまいそうだ。よそ様の家についた明かりがぼんやりと目に滲むけれど、その明かりさえ今はひどく眩しかった。

「あ、いたいた」

 聞きなれた声にオレは思わず顔を上げた。

「こんな時間までどこいってたんだ!探したぞ!」

 いつもは優しげに下げられている眉を釣り上げて、父はいつもよりずっと低い声を出した。

 それなのにオレの中にこみ上げる感情は怖いとかそういうのじゃなくて、ホッとしたような安心したような、そんな気持ちだった。でもトキセさんの青い目と最後の言葉を思い出して、言いようのない寂しさに似た感情がオレを覆い尽くす。寂しくて、切なくて、どこか苦しい。胸がぎゅうっと締め付けられて、鼻の奥がツーンとした。

「そうか、怖かったか」

 父の大きな手のひらがオレの頭を優しく撫で回す。その温かさに、ぽろりと涙が溢れた。熱いほどのその雫は、両の目からポロポロ、ぽろぽろと溢れて止まらない。

「ほら、帰るぞ」

 父はオレの手をとってゆっくりと歩き始める。

 父ちゃん、違うんだ……、違うんだよ。この涙は怖いからじゃないんだ。怖かったから泣いてるんじゃないんだ。ねえ父ちゃん、おれは、オレは……。

 この張り裂けるような胸の痛みを伝える術も、涙が溢れて止まらない理由も、この苦しいほどの感情の名前さえも、オレは何一つわからない。わからないんだ。

 春の夜空に輝く星も、それを率いる月さえも、オレは見上げることができなかった。


 家に帰れば新しい家には明かりが灯り、美味しそうな晩ご飯のにおいが立ち込めていた。

 帰りが遅くなったオレに母は何か言いたそうにしていたが、父に制され渋々と諦めたようにキッチンへと戻って行った。

 父はあれから結局一言も話さなかった。今思えば、昔迷子になっても怒らなかったという自身の父親のことを思い出していたのかもしれない。それともオレにかつての自分の姿を重ねて、当時の祖父の気持ちでも考えていたのかもしれない。その時父親が何も言わなかった理由はわかったかなんて、そんな野暮なこと聞けなかったし、聞く余裕すらもオレにはなかった。

 それから母の作ったカレーを食べてお風呂に入った。カレーは大好物なはずなのに全然スプーンが進まなくて、そんなオレを母が心配していた。オレは結局、食事中一言も口を開くことはなかった。

 お風呂に入ってからはダンボールが突っ込まれた新しい自室のベットに横になった。全身の力を抜けばシーツの波に吸い込まれるような感覚を覚える。聞こえるのはかすかな虫の音と、車が走り去る音だけ。そんな空間に飲み込まれそうになったところで、見つめていた天井の木目があの木の幹と重なってオレは飛び起きた。

 オレをあそこへと誘った白い猫の鈴の音と、草木を揺らす風の音。よく通る声に笑みを作り上げる薄い唇。こちらを伺う青い瞳を思い出して、オレは頭から布団をかぶる。

 トキセの放った最後の言葉まで思い出してしまわぬように、オレは耳を塞ぎ目を固く閉じた。


 目が覚めたのはすっかり夜の闇に包まれた頃だった。

 オレは目が覚めたついでにトイレでも行こうと部屋を出る。しかし真っ暗なはずの廊下に微かに光が漏れていた。目を凝らせば、そこは父と母の部屋だった。まだ起きているようで、部屋を灯す明かりがドアの隙間から漏れ出ていた。

 オレはその光を頼りにトイレへと向かう。しかし父達の部屋の前を通った時、すすり泣くような声が聞こえてきて、オレは思わず足を止める。寝ぼけていた頭が一気に覚めていく感覚がした。

「う、うっ……」

「母さん、落ち着いて」

 父の宥めるような声が聞こえてくる。

 オレはドアに一歩近づき、聞き耳をたてる。

「これが落ち着いていられるもんですか!だって、だって……!」

 母の切羽詰まった声がドアの向こうで響いている。

「ゆきとが、雪斗が……っ!」

 オレはゴクリと喉を鳴らす。

「あと一年しか生きられないなんて!」

 頭をガツンと殴られた気がした。

 鈴の音が鼓膜の奥で鳴り響き、生い茂る木々がその影を揺らしている。

 母の泣き叫ぶ声がどこか遠くに感じていた。



「あと一年、っていったところだね」

 トキセは大きな木の時計に手を当てながら言った。まるで『今日は雨だね』とでも言うように淡々と言ってのけた。

「……え?」

「だから君の双子の片割れの余命はあと一年だってこと」

 窓際に置かれたガラスの置き時計がキラキラと日の光を反射している。

 トキセは青い目を伏せて口を開く。

「人時計のこの四つの文字盤はそれぞれ"年"、"月"、"日"、"時"を表している」

 細い指が文字盤の金色の枠を撫でる。

「これを見る限り、弟君に残された時間はあと一年と数日ってところかな」

 文字盤に刻まれたよくわからない文字はこの世のものではないのかもしれない。

「なん、で……、なんで!?」

 オレの声が店の中に響き渡った。

「ユキは!ユキの病気は、新しい病院でちゃんと治るって……っ!」

 言ってたのに。

 最後は掠れて、萎んでしまって、ちゃんと声にならなかった。

 トキセはオレの大きな声に動じることもなく、ただオレのことを見下ろしていた。

 オレはそれがなんだか悔しくて目をそらす。

「仕方のないことだよ」

 トキセは窓の外へと目をやる。窓辺には小さな鳥がその歩みを止めていた。

「この世に生まれ落ちたが最後、必ず死ぬことが決まっている」

 キョロキョロと辺りを見回した小鳥は、その羽を広げて飛び立っていく。

「鳥も人も、俺だって必ず最後は死ぬ」

 トキセのあの青い目が真っ直ぐ俺を射抜く。

「君は弟君の残された時間を、どう寄り添うんだろうね」

 そして怪しい笑みを浮かべる。

「何かあったらまたここにおいで。話ぐらいは聞いてあげるよ」

 もう二度とくるもんかとトキセを睨みつければ、彼はまたフッと笑った。

「君は必ず、またここに来るよ」

 なんでもお見通しとでも言わんばかりのその目から逃げるように、俺は店から飛び出した。



 嘘だと思った。そんなの嘘だと思いたかった。

 それなのに取り乱す母と、それを宥める父の声を聞いてしまえば、いやでもそれが事実だと突きつけられてしまう。

 これからもずっと俺の隣には雪斗がいて、雪斗の隣には俺がいると思っていた。雪斗が元気になって退院したら学校にも一緒に行って、小学校を卒業して一緒に中学生になって。当たり前に一緒に大人になっていくものだと思っていた。そんな未来、あるはずがなかったのに。

 明日も明後日も、一年後も二年後も当たり前に生きていけると思っていた馬鹿な自分が、ひどく滑稽で憎らしかった。







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