第5話 誓い
例えば明日世界が終わるとして、なんの後悔もない人は一体どれだけいるのだろう。
例えば明日死んでしまうとして、やり残したことがない人なんて一体どれだけいるのだろう。
きっとそんな人存在しないんだ。
何かしら思い残したことがあって、何かしらやり残したことがある。
その数も重みも人それぞれ違うのかもしれないけれど、その価値を他人が測ることなんてきっとできない。
オレは一体どれだけのことをアイツにしてやれるだろう。
あとどれくらいアイツと一緒に居られるだろう。
アイツは……、雪斗は、最後に何を思うのだろう。
何を思い浮かべて、何を考え、何を願うのだろう。
オレはその一つもわかってやることはできない。なんて、なんて情けない兄なんだろう。
寒さの厳しい冬の空の下、静かに雪が降り積もる中でオレたちはこの世に生まれてきた。
数分先に生まれたオレが兄で、少し遅れて母親のお腹から出てきた雪斗が弟。
それなのに兄であるオレより弟の雪斗のほうが、頭も良くて博識で頼りになるやつだった。
それがなんだか悔しくて、俺はひとつ心にに誓ったんだ。
必ず、いつか必ず立派な兄になるって。
立派な兄って一体なんなんだろう。
頭がいいこと?
運動ができること?
力が強いこと?
優しいこと?
それはオレにはわからないけれど、一つだけわかっていることがあった。
それは兄は弟を守らなきゃいけないってこと。後に生まれた弟を、一足先に生まれた兄が引っ張っていかなきゃいけないってこと。
それなのに病いに伏せている弟を、オレは何一つ守ってやれない。
痛いのも、苦しいのも変わってやれない。
なんて情けない兄なんだろう。
雪斗、お前はこんな奴が兄でかわいそうだよ。頼りないこんな小さな奴が兄で。
オレは雪斗に何をしてやれるだろう。
オレは雪斗に何を残してやれるだろう。
オレはちゃんと雪斗の兄になれているだろうか。
雪斗。こんな兄でごめん。なにもしてやれなくてごめん。
でも、今度こそ誓うよ。
もう運命なんかに負けないって。
オレの、オレたちの運命はオレたちの手で作り上げてみせるって。
木と木の間を通り抜け、一目散に駆け抜ける。
小石に躓いて時折足をとられるけれど、そんなことでいちいち止まってなどいられない。
今、行かないと。
今、言わないと。
きっとオレはまた逃げるから。
目的の建物が木々の隙間から顔を出す。
オレはさっきよりも早く足を動かした。
昼下がりの太陽が、眩しいくらいにオレたちを照らす。
オレは勢いよく、店のドアを開けた。
カラン、コロン……。
何度も聞いたその音が、今日はとても小さく聞こえた気がした。
「やあ、久しぶりだね」
透き通る金髪の髪がキラキラと日の光を反射している。思わず目を細めてしまうほどに眩しく。
カチ、コチと店内の時計が音を立てる。その音に恐怖さえ覚えた。
深い青がこちらを舐めるように見つめている。
オレは両の手のひらを無意識に握りしめていた。
「やっぱりオレは……」
上擦った声は情けなく揺れている。それでも肺いっぱいに空気を吸い込んで、再び口を開いた。
「オレは!ちゃんと最後まで雪斗と生きるよ!!」
これが、答え。
いっぱい考えて、悩んで、逃げ出したくなったけど、なんとか導き出せた一つの答え。
これが正解かなんてわからない。間違っているのかもしれないし、そもそも答えなんてないのかもしれない。
オレは正解を知ることは出来ないけれど、この答えが紛れもないオレの願い。
「本当に雪斗は、し……死んじゃうのかもしれないけど、それでも雪斗は雪斗だから!オレのたった一人の弟だから!」
トキセの言う運命とはこの世の定めであり、変わることはないのかもしれない。人の力でどうにかなるモノじゃないのかもしれない。
それでもオレは願わずにはいられない。
雪斗が少しでも長生きできますようにと。一日でも長く一緒にいられますようにと。
「オレは……最後まで雪斗の一番近くにいてやる!!」
誰よりも近くで、兄として、家族として、相棒として。
最後のその一瞬まで見逃してしまわないように。
「やっぱり君は面白い」
トキセが顎に手を当てて、その薄い唇を開いた。青い瞳が細められ、ジットリとこちらを見ている。
「人間とは弱い生き物だと思っていた。それはもちろん冬馬も含めて」
トキセの低くもなく高くもない心地の良い声が、部屋の中に溶けていく。
「挫折し、絶望して荒れ狂う。それが死を目の前にしたときの人間の姿。俺は今までずっとそれが人の子の全てだと思っていたよ」
冷たい秋風が窓を叩く。それに答えるように、鳥が空へと羽ばたいた。
「しかし、俺は人を見くびっていたらしい」
ギシ、と床が軋む音がする。トキセがこちらへと歩いてくる音だ。
「意外にも強く、逞しいものなのだな」
トキセの冷たい手がオレの頰に触れた。
「その心は忙しなく色を変え、容易く壊れてしまうのに、人は何度も立ち上がる」
トキセの左耳に付けられた赤いピアスがこちらを覗いた。
「一体何が君をここまで強くするのだろうね。冬馬にとって“弟”って何だい?」
“弟”
それは__
「オレの一部だよ」
トキセの目が大きく開かれる。
「雪斗はオレの一部だ。いなくちゃならない、そんな存在」
フッと息を吐き出すように、トキセはクツクツと笑った。
「それじゃあ、その存在が消えて無くなってしまったら冬馬はどうなるんだい?」
楽しそうにこちらを見る一方で、どこか興味津々といった様子でトキセは髪を撫でた。金髪がサラサラと流れていく。
「今度こそ立ち上がれないんじゃないのかい?」
オレはその問いに少し考えてから、すぐに答えた。
「わからない」
わからないよ、そんなの。だって失ったこともなければ、失くしてしまう想像さえしたくないんだから。
きっとそれはその時にならないとわからない。その未来がやってきた、その時にしか。
「そうか」
トキセはまた小さく笑った。
そして前髪をかきあげながらこちらを見やる。
「それじゃあ教えてくれないか?」
青い瞳が興味深そうにこちらを見てくる。
「その時がきたら、さっきの質問の答えを」
その存在が消えて無くなってしまったら冬馬はどうなるんだい?
度こそ立ち上がれないんじゃないのかい?
さっきの質問を思い出しながら、オレは答える。
「わかった」
その声は先の見えない未来への恐怖からか、少し震えてしまった。




