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左回りの人時計  作者: 白福あずき
第三章
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第4話 喧騒と静寂

 雪斗の手術当日、オレは家で留守番を頼まれていた。

 しかし夏休みの宿題もゲームさえも手につかなくて、一日をぼーっと過ごしていた。

 今話題のお笑い芸人がテレビ画面の向こうでネタを披露している場面を見つめては、全然笑えなくて結局テレビの電源を切る。すると訪れる静けさの向こうに蝉の気配を感じて目を閉じる。クーラーの効いた部屋ではあのむせ返るほどの暑さも、べっとりと汗の張り付く不快感も感じることはない。しかし飽きもせず鳴き続ける蝉の声を聞けば夏の情景が簡単に思い浮かんだ。

 ギラギラと照りつける眩しい太陽。高く、高くに広がる青い空に真っ白な雲。揺れる緑に、乾いた土の匂い。気まぐれに吹く風は蒸し暑く、息が苦しくなるほどに濃い。この夏に感じたそれらは思い出しただけでも、しつこく纏わりつく。

 なんだか部屋の温度が上がった気がして冷房の設定温度を一度下げた。そして蝉の声から逃げるように再びテレビの電源を入れる。

 この繰り返し。テレビを消してはまたつけてる。空腹を感じれば作り置きしてあるご飯を食べて、またテレビをみる。

 テレビをつければ司会者の声やゲラゲラと笑う芸能人たちの声で喧騒が訪れる。大きな口を開けて笑う有名人も、カメラ目線で進行を進めるアナウンサーも、テレビ画面に映るどの映像も、どこか別の世界を見つめているような気分だった。

 だからただぼーっと時間が過ぎるのを待っていた。

 何も考えずにテレビ画面を見つめることにさえ飽きてきた頃、ずっと握っていた子供用のケータイが音を立てて振動した。ディスプレイに表示される”お母さん“の文字を確認して慌てて通話ボタンを押す。

「もしもし!」

「冬馬?お母さんだけど」

 通話中に切り替わるなり大きな声を出したオレに、電話口で母がクスクスと笑ったのがわかった。

 けれどもオレはそんなこと気にもならなかった。ただ次の言葉をじっと待つ。

「雪斗の手術、さっき無事終わったよ」

 ずっと聞きたかったその言葉に、大きく息を吐き出した。ホッとして胸を撫で下ろせば、体が軽くなった気がした。無意識のうちに上がっていた肩からガクンと力が抜け落ちる。

「今はまだ寝てるけど、目が覚めたらまた連絡するね」

「うん!わかった!!」

 叫びたい衝動を抑え、母といくつか言葉を交わしてから通話終了のボタンを押した。小さなケータイを握りしめる。

「やった……、やった!」

 胸の奥から湧き上がる興奮を抑えきれないように、自然に言葉がこぼれ落ちる。

「やったぞ!」

 誰もいない部屋にオレの声が響き渡る。テレビの声も搔き消すほどの声は、外で鳴いているであろう蝉を驚かせたに違いない。

 オレは勢いよくソファーに飛び乗り、大きくジャンプする。そしてそのままソファーに寝転がれば、体が二度ほど飛び跳ねた。

 見慣れた天井が目に入りじっと見つめれば、部屋に静けさが戻ってきた。

 クーラーが冷たい風を送る音もテレビの騒がしい音も鳴り続けているけれど、それでもオレが口を閉ざした部屋は静かに感じられた。

 オレの息を整える音が聞こえる。息を吐いて、吸って、また吐いて。同じことを繰り返すその音と共に、ドクドクドクと脈打つ心臓の音もオレの中から聞こえてくる。

 手術が成功した。雪斗は生きてる。雪斗の心臓は動いてる。今オレの胸の奥で振動を繰り返しているのと同じように、雪斗の胸の奥でも規則正しく鼓動を繰り返している。

 雪斗はちゃんと、生きている。

「……よかった」

 自然とこぼれ落ちたその言葉をもう一度繰り返す。

「よかった……!」

 今度はその気持ちを握りしめるように、心の奥底から絞り出す。噛みしめるように、これは夢ではないと確かめるように。

 オレの耳にはもううるさい蝉の声も、喧しいテレビの音も聞こえていなかった。


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