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左回りの人時計  作者: 白福あずき
第三章
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第1話 水しぶき

 時に運命とは残酷で、その天秤はいつもちょっとしたことで望まぬ方へと傾く。無情なまでに冷酷に、悲壮なまでに無慈悲に迫り来る。まるで『運命』というモノに翻弄される人間を嘲笑うかのように。

 見えないモノに縋る姿は、一体どんな風に映っているのだろう。醜いだろうか、見窄らしいだろうか。

 それでもきっと人の子はそれに縋るのだろう。力なき者は目に見えぬモノに賭けるしか、為す術がないのだから。



 真上から容赦なく照りつける日差しは弱まることを知らず、頰を撫でる風はもはや淹れたてのコーヒーから沸く湯気のように暑い。休むことなく鳴き続ける蝉の声にも、いい加減飽き飽きしてきてオレは帽子をかぶりなおした。

「あっつい!!」

 もう耐えきれない、と吐き出した声は夏空の下で溶けて消えた。

「おい!それを言うなよ!余計に暑くなるだろーが!!」

 悠星の怒鳴り声が蝉の声に負けないくらいに辺りに響いた。蝉もびっくりして鳴き止むんじゃないかと思ったけれど、蝉も負けじと大合唱を繰り広げている。

「悠星の声の方が暑苦しいよ」

「なんだと!?」

 その声を合図にオレは勢いよく走り出す。怒ったフリをした悠星が後ろから追いかけてくる。

「待て冬馬!!」

 悠星の足音がどんどん近づいてくる。

「あーあー、またやってるよ」

「おい!悠星も冬馬も待てよ!」

 ヒロくんとトシくんの声がずっと後ろから聞こえる。追いかけてくる足音が増えた気がした。

 暑い暑い夏空の下で、オレらの騒ぐ声が暑さに負けないくらい暑苦しく飛び交っていた。

「はい!俺いっちばーん!」

「オレにばーん!」

「さんばーん」

 目的の場所に一番にたどり着いた悠星が振り返って声を上げた。それに続くようにオレ、トシくんの順に日陰に逃げ込む。

「ヒロがドベだな」

 それに遅れるようにしてヒロくんが息を切らしながら走ってきた。

「お前ら、早すぎ……」

 息も耐え耐えになんとか吐き出された言葉は呆れを含んだような、そんな声だった。

 ヒロくんの息が整うのを待ちながらオレたちは目的の場所へと足を踏み入れる。

 中はオレたちと同じくらいの小学生や、親子連れの姿が目立つ。オレははじめての場所にキョロキョロと辺りを見回す。水飲み場と、その隣に置かれたコップ。自動販売機に大きな扇風機。纏わりつくような暑さから逃げるようにここへ訪れる人たちは大きなビニールバックを手にしている。

 濡れた頭をタオルでガシガシと掻きながら出てきた中学生の軍団の隙間を縫って、券売機へとたどり着く。悠星たちは『小学生百円』のボタンを押して券を購入していく。オレも置いていかれないように百円玉を一枚入れて、同じボタンを人差し指で押した。

「小学生四人お願いしまーす!」

 入り口のところで立っていたお姉さんに悠星が持ち前の大きな声を出せば、にこりと営業スマイルを浮かべたお姉さんが券を回収する。

「小学生は大プールには入らないでね」

「はーい!!」

 マニュアル通りの言葉を言ったお姉さんは次の客へと同じ笑顔を貼り付ける。

 プール独特の鼻がツーンとなる匂いに、いよいよみんなのテンションが最高点に近づいたようで早足でロッカーに向かった。どのロッカーもほとんど鍵がかかっていたが、なんとか空いてるロッカーを見つけ出して荷物を突っ込む。

「冬馬!置いてくぞ!」

 光の速さで着替えた悠星はもうゴーグルを装着している。

「いやいや、早すぎだろ!」

「悠星待てよ!」

 支度の早い悠星に驚いたのはオレだけではなかったようで、トシくんたちの慌てたような声が狭いロッカー室に響く。早く早くと急かされたオレたちは早急に身支度を整えるのだった。

 雲ひとつない青空は、深い青色の絵の具をキャンパスにこぼしたようた。どこまでも青く、深い夏の空はまっすぐとオレたちを見つめている。

太陽に照りつけられたプールサイドは熱々に熱せられた鉄板のようだった。熱い熱いと騒ぎながらプールサイドを飛び跳ねる様は、鉄板の上で踊るアワビか何かだろうか。オレは去年の夏、旅行先のホテルで食べたアワビを思い出していた。鉄板の上で暑さに悶えるようにくねくね動く様は、今オレの目の前で「あちい、あちい」と暴れる悠星とそっくりだ。

 足の裏を焼き付ける熱さから逃れるように、見知らぬ誰かが濡れた足でつけた足跡の上を辿る。わずかに濡れたそこはいくらか温度が低いようで、なんとか足を地につけることができた。しかしそれも長くは続かず、慌てて日陰に飛び込んだ。「プールサイドを走らないでください」という注意喚起は果たして誰に向けられたものか。蝉がミンミン、と返事をしていた。

「はい、準備体操始めー」

 クラスで体育係を務める悠星が、授業の時と同じように合図を出した。

 いーちにー、さーんしー……

 みんなで声を合わせて数を数えるオレたちを、小さい女の子を連れたお母さんがクスクスと笑って通り過ぎていった。

 にーに、さんっしー、ごーろく……

 学校のプールとは違う、ここ市民プールは多くの人で賑わっていた。大、中、小、それぞれ深さが違う三つのプールのうち、小プールにはすべり台が取り付けられている。小プールで遊んでいるのは幼稚園くらいの小さい子ばかりで、もう小学校高学年の仲間入りを果たしたオレたちは入れそうにもない。

「深呼吸!」

 スーっと息を吸って、ハーっとそれを吐き出す音が大げさに響いた。

 バシャバシャと立つ水しぶきに、オレたちはもう待ちきれなくてゴーグルを装着した。

「行くぞ!」

 気合い十分に叫んだのは一体誰だったか。オレたちは再び日の当たるプールサイドへと繰り出した。

 プールに右足を入れれば、ヒヤリとした心地いい冷たさが足を伝って上ってくる。家を出たその時から暑い日差しを受け続けた体を冷やすように、オレは思いっきり飛び込んだ。頭まで水の中に入れれば賑やかだった人の声も、あれだけうるさかった蝉の声も何一つ聞こえなくなった。

オレは友人たちの声を求めるように顔を上げた。水面から顔を出せばあれほど暑かった日差しが心地よく感じられた。

「おい冬馬!飛び込むなよ!鼻に水入っただろーが!」

 オレより先にプールに入っていた悠星が痛そうに鼻をつまんでいる。

「ごめんごめん」

 オレの謝罪を待たずして、悠星は勢いよく水をかけてきた。バシャっと手が水を叩く音と同時に、水しぶきがオレへと襲いかかる。それはすでに濡れていた髪をもう一度濡らし、さらには鼻の中にまで入ってきた。

「やったな!!」

 オレは腕を回して、勢い任せで水しぶきを立てる。遅れて入ってきたヒロくんとトシくんも混ざって水のかけあいが始まった。

 宙を舞う雫は日の光を反射してキラリと輝いた。その一瞬があの赤いピアスと重なったけれど、オレは気づかないふりをして一際大きい水しぶきを立てるのだった。


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