1 雇われ勇者、誕生
ああ、どうしよう。
手のひらに乗った数枚の金貨を見つめながら、俺は大きな大きな溜息をついた。
この金額じゃとてもじゃないけど買い物なんてしていけない。今日の晩ご飯、どうしよう。
汗水垂らして必死で働いたって、貰えるお金は微々たるものだ。高い報酬を貰うにはそれなりの努力が必要なのはわかっている。
剣士になるには剣術学校に通い、魔法使いになるには魔法学校に通う。そこで知識を身に付け技術を磨き、資格を取って自分の能力を高めていけば、エリート街道も夢じゃない。
しかし、そのためには大金が必要だ。
しかし、うちにはそんな余裕はない。
6年前に父が不慮の事故で亡くなり、元々病弱だった母は心労がたたって身体を壊してしまった。
そんな母とまだ幼い3人の兄妹を養っていくには、もちろん長男の俺が頑張らねばならない。だが、大した知識も資格もない俺が良い所に就職なんて出来るはずもなく、バイトをいくつも掛け持ちして生活するのが精一杯なのだ。
今だって、目の前に並んだパンの一切れすらも買えない。つーか、週末までに弟たちの給食費と母さんの薬代を払わなきゃならないのに……ど、どうやって支払おう。
真っ青な顔で頭を抱えたその瞬間、パン屋の入り口に貼ってある1枚のチラシが目に入った。
【アルバイト募集のお知らせ】
※急募 勇者求む!※
現在、王宮では勇者を募集しています。
貴方もこの機会に憧れの勇者になってみませんか?
【応募条件】
■性別:男性
■年齢:10代〜20代後半
■資格:不問(未経験の方大歓迎)
■試験:面接のみ
■会場:王宮 特別面接室
■報酬:1億ゴールド+出来高
■備考:姫を連れ戻すだけの簡単なお仕事です。任務によって報酬の他に手当やボーナスも支給されます。怪我や万一の事故に備えた保障も充実しております。詳しくは面接にて。たくさんのご応募お待ちしております!
…………こ、これは!!
俺はパン屋の入り口にべたりと張り付いて、何度もチラシの文字を読み込んだ。
報酬金額1億ゴールド。これだけあれば給食費や薬代、学費やその他滞納金を一気に払えるどころか、弟たちを良い学校に通わせ、母さんを腕の良い医者に診せられるじゃないか!! もちろんご飯だってたらふく食えるし、仕事なんてしなくても全然余裕で暮らしていける!! なんてオイシイ話だろう!!
……まぁ、普通に考えてこんな条件の良いアルバイト、どこからどう見ても怪しいに決まってる。何か裏があるに違いない。それに、勇者といえば人気職で、倍率が相当高い職業のひとつだ。なりたくてもなれない人が大勢いるっていうのに、資格不問で未経験者大歓迎? それも高額報酬のアルバイト? これはもう明らかにヤバい仕事だろ。下手したら命を落とす危険性だってあるかもしれない。……だが。
手のひらにある数枚の金貨をじっと見つめる。
背に腹はかえられない。これはまさに天の助け、地獄に垂らされた蜘蛛の糸。どんなに怪しい仕事でも金に困ってる俺には大変ありがたいお話だ。しかも職業は誰もが一度は憧れる勇者。……やるしかない。
俺は藁にもすがる思いで、その怪しいバイトの面接を受けるべく王宮に向かったのである。
*
「…………ま、魔界……ですか?」
「うん。魔界」
ニコニコと笑みを浮かべる国王様はしっかりと頷いた。残念ながら聞き間違いではなかったようだ。マジかよ。
「えっと、あの、チラシには〝姫を連れ戻すだけの簡単なお仕事です〟と書いてあったのですが……」
「うん。そうだよ。だから魔界から連れ戻してきてほしいんだよね。うちの可愛いシャーロットちゃんを」
国王様の一人娘、シャーロット・ウィル・カーティス令嬢。ウェーブがかった銀色の髪と、つり目がちの大きな瞳が印象的な美しい少女だ。年齢は確か18歳になったばかり。そろそろ結婚を考えても良い年頃なのだが、彼女は数ある縁談を断ってばかりらしい。
その王女様を魔界から連れ戻す、ということは……まさか魔族に攫われたのか!? え、もしかして俺魔族とかと戦う系? 戦闘能力ないけど大丈夫? あれこれ死亡フラグ? アルバイトって捨て駒のこと?
「実はさぁ、うちの可愛いシャーロットちゃんが魔王にゾッコンラブドッキュンでさぁ。あ、ゾッコンとか意味わかる? 古い? うわぁ、ジェネレーションギャップって怖いなぁ〜」
棒立ちの俺をよそに、国王様はぺらぺらと喋り出す。
「〝魔王様との交際を認めてくれるまでここには帰りません!〟とか叫んで勢い良く出て行っちゃったんだよね。家出だよ、家出。何回目だと思う? もう数えきれないほどだよ。だからパパ困っちゃってさぁ〜」
……魔王にゾッコンラブドッキュン? パパ? ちょっと待て、これ本当に国王様だよな? いつも威厳たっぷりに舞台から挨拶を述べている国王様とはまるで別人なんですけど。
「だからね。レオナルドくんには魔王の城に行って、うちの可愛いお姫様をどうにかしてこの国に連れ戻してほしいんだよ」
「…………はぁ」
「いやね、パパが行きたいのはやまやまだよ? やまやまなんだけどさ。ほら、パパ一応国王じゃん? 魔界って一応敵国じゃん? そうなると立場的に行けなくない? は? 魔界行くとかお前何考えてんのみたいな。不可侵条約は結べたけど、友好条約は国民の反対多数で結べなかったからさぁ。ていうか……何よりパパが行くとシャーロットちゃんが激おこで。火に油を注ぐ結果になっちゃうんだよねぇ」
「…………はぁ」
「最初はうちの家臣とか兵士とかを迎えに行かせてたんだけど、みんなことごとくやられちゃって。あ、魔王じゃなくて姫に。ほら、姫だから。どうしても逆らえないんだよね立場上。だから次はプロの勇者に仕事の依頼したんだけど、それでもダメで。いや一応連れて来てはくれたんだよ? でも泣き叫んで大変だったんだよね。可哀想だし。じゃあもういっそのこと勇者公募しちゃおっかって今回募集してみたんだけど……いやぁ、募集してみるもんだねぇ。こんなに早く見付かるとは思わなかったよ。助かった助かった!」
ははははは! 室内には国王様の笑い声が響く。いや、こっちは全然笑えない。
「あ、余計な心配はいらないよ。報酬はきちんと払うし、命の保証だってちゃんとする。魔界とは条約を結んでるからあっちからの攻撃はないと思うけど、万が一怪我した場合の治療や入院費はこっち持ちだから」
……って言われてもなぁ。魔界なんて行った事ないし、魔族の住む危険な場所というイメージしかない。数年前までは国内に魔族が侵入して暴れたり襲ってきたりする事件もあったわけだし、正直なところ行きたくない。……だが、生活のためだ。腹をくくるしかない。
俺は覚悟を決め、国王様に向かって力強く頷いた。
「ありがとう。じゃあさっそく準備に取り掛かろうか」
「……あの。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだい?」
「バイト募集時の業種ですが、どうして勇者だったのですか? いやあの、姫を連れ戻すだけなら騎士や魔法使いでも良さそうな気がして」
その質問に、国王様は当然と言いたげな顔で答えた。
「え? だって魔王の城に乗り込むって言ったらやっぱ勇者でしょ。その方がカッコいいし、それっぽいじゃん?」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことである。