3:従兄は本心が見えない
翌日から、私のダイエットが始まった。
まずは、伯爵家の専属コックの元へと出向く。私とコックは、よく話をする間柄なのだ。
理由は簡単。肥満児ブリトニーが、よくコックに新作の菓子をせびりに行ったり、料理の味付けに口出ししに行くからである。他にも、料理の品数を増やすように指示したり、夜食や間食の追加を要求したり……
普通は使用人経由で伝えればいいところを、ブリトニーは事細かにコックの元へ出向いて伝えるのである。コックもいい迷惑である。
ブリトニーは、とにかく食べることが大好きな令嬢なので、食へのこだわりが半端ないのだ。
私は早速、屋敷の厨房へと向かった。
「――と言う理由で、今後は食事量を減らしてください。内容も、野菜などのヘルシーなものを中心に……間食と夜食は、今日からやめます」
大食い令嬢からの意外すぎる言葉に、ガタイの良い中年男性のコックは訝しげな表情を浮かべた。
まあ、普通はそうだろうな。
だが、それも予想していた私は、用意していた理由を告げる。
「今回の婚約破棄が、堪えたので……」
「そうでしたか……それにしても、お嬢様。口調まで変わってしまわれて」
「私は、今までの自分に別れを告げたいのです」
単に、記憶が戻った際、ブリトニーの「〜ですわ」、「〜ですの」「〜でしてよ」という口調に違和感を覚えたからという理由だけれど。
それとは別に、できる限り今までのブリトニーと別人を演じたいという気持ちもあった。
デブキャラのブリトニーは、今日から生まれ変わるのだ。
コックへの相談を終えた後は、運動の時間だ。
もちろん、午後に控えている家庭教師の授業は、きちんと受けるつもりである。
以前のブリトニーは、授業をさぼりまくっていたけれど……
ドレスを脱ぎ捨てて数少ない軽装に着替え、無駄に広い伯爵家の庭をランニングする。
辺境にある伯爵家は、広大な土地を所有していた。
四季があるこの国で、今の季節は秋。運動するのにちょうど良い時期だ。
(それにしても、体が重い……)
体重が重くなればなるほど、人の体は運動を拒絶するようになる。少しの動作でも、体重のせいで体にかかる負担が増えるからだ。
ランニングを目撃した庭師が、困惑顔で私を凝視し、通りすがりのメイドたちが、クスクスと忍び笑いを漏らしている。
(おい、見えているぞ……)
だが、わがままで気難しく面倒臭いお嬢様に声をかけることのできる人間は、その場にいなかった……いや、一人だけいた。
「そんなところで、なにをやっているんだい? ブリトニー?」
柔らかくて耳に心地よい声が、風に乗って聞こえてくる。
声のする方に目を向けると、同じ邸に住む従兄のリュゼがこちらに向かって手を振っていた。
リュゼは、私の父の姉――伯母の息子であり、祖父の養子。つまり、次期ハークス家の当主になる人間だ。ブリトニーと同じ黒髪に、深い海のような青色の瞳を持つ美男子でもある。
彼は数年前まで王都にある貴族学校に通っていたのだが、今は私と同じ伯爵家に住み、領主になるための勉強をしていた。
この国では家督を継ぐのは主に男性で、どうにもならない時のみ一時的な措置として女性が当主になる。
うちの場合は、リュゼがいるので跡取り問題は起きない。
私より五歳年上の彼は、ハークス家の人間にしてはまともで優秀な青年だった。正直言って祖父よりもしっかりしているし、顔も良く性格も優しい。
自分の身の程をわきまえないブリトニーは、この従兄に惚れていた。
リュゼを「お兄様」と呼んで彼にまとわり付き、彼に言い寄る侍女や使用人を常に牽制している。
記憶が戻った今、不思議なことに従兄を好きだという感情は薄れてしまっていた。
私の前世の記憶の方が、ブリトニーの意思に勝っているのだ。
「こんにちは、リュゼお兄様。私のことは、お構いなく。痩せるためにダイエットをしている最中なので」
ゼエゼエと息を切らしながら、私は彼に答えた。
「ダイエット!?」
「はい。先日、婚約破棄されて気づいたのです。私は、痩せなければならないと」
しかし、庭を一周しただけで滝のような汗が流れている。
この分だと、あと一周走っただけでバテそうだ。
どれだけ運動不足なんだよ、ブリトニー!
「ランニングだなんて……そんなことしなくても、ブリトニーは充分可愛いのに」
「……それ、本気で言っています?」
「もちろんだよ」
リュゼは青い瞳を煌めかせ、裏表のなさそうな微笑みを浮かべている。
(従兄の本心が読めない。このフウフウと荒い息を吐く白豚が、可愛いだなんて)
人の好いリュゼのこういうところは、少し厄介だと思う。
ちなみに、彼は例の少女漫画には登場していない。たぶん……
「お兄様、私のことは放っておいてください。誰がなんと言おうと、私は痩せるのです」
処刑などされたくないという理由ももちろんあるが、私自身が太ったままでは嫌なのだ。
(だいたい、なんで転生先が白豚令嬢? 普通は主人公や美人悪役令嬢じゃないの?)
こんな役柄に転生するなど、聞いたことがない。
心の中でブツブツと文句を言いながら、私は再びランニングに戻ろうとした。
「それじゃあ、僕もブリトニーと一緒に走ろうかな?」
私を観察していた従兄が、思いがけない言葉を口にする。
「ええっ!? ですが、お兄様はお忙しいのでは?」
「今日の仕事と勉強は、すべて終わったんだ。もちろん、剣の稽古もね」
「……素晴らしいですね」
やっぱり、リュゼは優秀すぎる従兄だった。