38:お隣の領地へ
最近知った話だが、近頃のハークス伯爵家の求人倍率はものすごく高いらしい。
コックが作る美味しいまかない料理に、自由に使える温泉、子供の教育もできるし、運が良ければ試作品の石鹸や化粧水をもらえる。
などなどの特典が、人々の目を引いているようだ。
従兄のリュゼが質の悪い使用人の入れ替えを行なった後は、使用人たちとの関係も比較的平和である。
借金が増えてしまったが、友人のノーラの領地で取れた泥や鉱石を使って、私は新たな化粧品開発に勤しんでいた。
今度作るのは、ノーラの領土と共同で作るボディーパウダー。
滑石という鉱石を砕いたものと、トウモロコシから取れるでんぷん、精油を混ぜると作ることができる。これを使うと、汗のベタつきを抑えてサラサラした素肌を保てるのだ。
もう一つは、ミツロウを使ったリップクリーム。ミツロウとは、蜂の巣の材料で、ミツバチが分泌する成分の一つだ。蝋燭や床のワックスがけに使われているが、保湿成分に優れていて化粧品としても使える。
過去に自分用に一つ作ったことがあるが、ブリトニーのガサガサでひび割れた唇さえプルプルになったので、きっと売れるだろう。
(今は、ハチミツを直接唇に塗っている人が多いみたいだけれど、やっぱりベタベタするものね)
夜は、夢遊病で厨房にたどり着くのを防ぐため、とりあえず両足を縛って眠ることにした。
今のところ、拘束を解いてまで厨房に入った気配はない。しばらくは様子見だ。
リュゼのレモン畑の方も順調で、きちんと伯爵領に根付いているとのこと。
私の希望していたレモンヨーグルトもできた。さっぱりした後味で、売れ行きもまずまず好調らしい。
あれから、マーロウ王太子やアンジェラからの連絡はない。リュゼと王太子は手紙を出し合っているみたいだけれど、私に関しては諦めてくれたようで何よりだ。
(うん、そっち方面に関しては平和だな)
しかし、別の方面では完全に平和とはいえなかった。
祖父の借金の相手……お隣の領地のアスタール伯爵に会わなければならないのだ。
伯父と伯母がまだ使っていないぶんの金は、リュゼが回収して返済したが、まだまだ返せていない金がある。従兄曰く、一度、顔を出しておいた方が良いとのこと。
(たしかに、お隣の領土とは良好な関係を保っていたいものね)
というわけで、私とリュゼは、お隣のアスタール伯爵領へ向かうことになった。
アスタール伯爵領の次男、リカルドは現在王都の学園に通っているので領地にはいない。
馬車の中、向かい合わせに座った私とリュゼは、これから行く先について話をする。
「ねえ、リュゼお兄様。私まで、お隣の領地に行く必要はありますか?」
「あるよ。屋敷に引きこもってばかりだし、そろそろ外の世界を見て回った方が良いと思う。外といっても、行ったことのある隣の領地だけれどね」
「アスタール伯爵とは顔見知りですし、安心ですね……」
「ついでに、あそこの長男にも会っておくと良いよ。僕と同い年で、ちょっと繊細な男だけど……独身だし」
「……嫌だわ。リュゼお兄様の節操なし」
次男の代わりに長男を狙えとでも言うのだろうか。
「彼の名前はミラルドというんだ。病弱で部屋に引きこもっていることが多いから、結婚後はブリトニーが伯爵家の実権を握れるかもしれないね」
「……それが狙いですか、リュゼお兄様。そんなことをしても、私がお兄様に有利に動くとは限りませんよ?」
「ふふふ、言うようになったねえ、ブリトニー」
「ぐふふ……」
……言うのは自由だ。
(とはいえ、リカルドの兄だから、女性の好みも似ているかもね)
結婚以前に婚約すら拒否されるに違いない。
(私は太ったままだし)
夜中に足を縛って眠るようになって、少しは痩せた気がするけれど、外見はまだ白豚令嬢だ。
「そういえば、リカルドに授業内容の横流しをしてもらうらしいね」
「……よくご存知で。数日前にさっそく手紙が来ましたよ、興味深い内容でした」
「リカルドは、僕に色々相談してくれるから。なんでも筒抜けなんだ」
「……左様でございますか」
約一日後、私とリュゼを乗せた馬車は、アスタール伯爵家に無事到着したのだった。












