216:白豚令嬢、ヒップアタックを決める
数日後、一度ハークス伯爵領に帰ろうと、私は出発準備を進めていた。
母に釘を刺したし、勝手な婚約は無効だということも伝えたし、アクセルにも断りは入れたし、やるべき仕事はやった。
(まだ、婚約が確定しているわけではなかったし。ここまで言われて余計な真似をするならば、お母様は各方面から非難される)
マーロウやアンジェラとはすれ違ってしまったので、助力を得られなかったが、メリルに彼らへの伝言を頼んでいる。
彼女は「何かあれば、お父様にもお願いしてみるわ」と、心強い返事をくれた。
国王は可愛い娘のメリルに弱いのだ。
そのメリルは西の王子を気に入っているようだけれど、私を侍女にとは考えていない。
きちんと、私の意見を尊重してくれた。
アクセルの動きは読めないが、立場的に他国で大きな問題は起こせないはずだから、何もできないだろうと思う。
早起きして身なりを整えれば、あとは出発するだけ……なのだけれど。
「この剛毛くせ毛め!」
黒々と光る艶やかかつ頑固なくせ毛には、毎朝げんなりさせられる。
固くて太い上に、すぐにうねる悩みの種だ。
「ブリトニーは儂に似たんだ!」と、かつて祖父が嬉しそうに言い回っていた。
話を聞いた一同は、揃って祖父の頭頂部に目を向けたものだ。
(今となっては何もないあそこには、私のようなたくましいくせ毛が生えていたのだろうか)
将来のことが不安になったので、雑念を頭から追い出し身支度をすませた。
あとは、馬車に乗って屋敷を出発し、王都の道を郊外に向かって進んでいく。
住宅街を抜けた馬車は静かな道を走り、郊外の小さな農園の前を通過していった。
行きほど切迫した雰囲気はなく、目的を遂げたあとの平和な帰還である。
けれど、もう少しで王都を出るというところで、御者の緊迫した声がかかった。
「ブリトニー様、何者かが馬で迫ってきています。物騒な感じがしますが……」
「護衛は二人いるし、御者も戦えるので大丈夫かな」
御者の言った通り、すぐに複数の蹄の音が聞こえてきた。
窓からそっと覗くと、武装した男たちが馬車に迫っており、護衛たちが迎撃のために駆け出したところだった。
(追い剥ぎ? 思ったより数が多い……)
馬は全部で八頭ほどだが、そのうち二頭が護衛をかいくぐって走行中の馬車に到達した。
御者も応戦するが、一人が馬車の扉に手をかける。
(狙いは私だな)
だが、おいそれと襲われたりはしないのだ。
馬車の扉が開くと同時に、私は後ろを向いて飛び出した。
「ヒップアタック!!」
尻に確かな衝撃がある。
攻撃は命中し、相手は走行中の馬車から吹っ飛んで地面にたたきつけられた。
……痛そうである。
(この攻撃、太っているときしか使えないんだよね。威力の問題で)
ついでに御者と交戦中の敵にもヒップアタックを決め、無事に相手を道へ落とした。
そのあとは、冷静に馬車の中へ戻って扉を閉める。
(ふう、地味に尻が痛い)
その後、襲撃者たちは全員が護衛に捕らえられた。
王都の関所を通る際、そこにいた兵士に引き渡しておく。
(八人もいたから、運ぶのが大変そうだったな)
それにしても、あの人数でハークス伯爵家のメンバーに正面から挑むとは……無謀なり。
相手の正体も気になるので、彼らが尋問される間、私は関所でしばらく待機した。
だが、全員金で雇われた小者だったらしく、結局雇い主の情報まではわからずじまい。
(もやもやするなあ)
最近恨みを買った相手といえば母だが、彼女だと断定するには情報が足りない。
とにかく、今は領地まで戻った方がいいだろう。
私にとっては、ハークス伯爵領が一番安全だ。
関所を出ようとしたところ、一頭の大きな黒馬が駆け込んでくる。
「ブリトニー! 遅くなってすまない!」
「えっ……」
馬に乗っていたのは、苦しげに表情をゆがめたリカルドだった。












