132:最近の第二王女について
「まあ、ノーラ様。いらっしゃいませ」
中に入ると、マリアがお茶やお菓子を用意しに行ってくれる。
ノーラを席へ案内した私は、よっこいしょと自分も腰掛けた。大きなお尻を包み込むように、長椅子のクッションが沈む。
(やっと、松葉杖から解放された! でも、クッションが沈みすぎてちょっと変な体勢かも)
怒りが静まったノーラは、まったく普段通りに見える。
けれど、彼女の中にあんな風に激しい感情があることに、私は今まで気がつかなかった。
以前メリルに対して怒っていたときも、領地のことに口を出されたから、一時的に腹を立てていただけだと思っていたのだ。
他の令嬢たちも、以前よりメリルへの当たりがきつくなっている。
(マーロウ様暗殺を防ぐために、メリルに話をしようと思ったけど。先にこっちをなんとかした方が良いかも……前から少し心配だったけど、大っぴらなイジメに発展しちゃった)
もしノーラが、少女漫画のアンジェラや私のような行動を取ってしまったら……大変なことになりかねない。更に、以前エミーリャの話していた、メリル信奉者の男性陣を全員敵に回しかねないと思う。色々な意味で危険だ。
とりあえず、私は彼女に質問してみた。
「ノーラ、庭で何をしていたの?」
「ああ、あれね。メリル殿下に伝えたいことがあって……同じ思いを持ったご令嬢たちと集まっていたのよ。言いたいことは言ったから、スッキリできたけどね」
「言いたいこと……?」
「あの王女様は、前々から城で働く男性に声を掛けまくっているのよ。たとえ相手に婚約者がいても、お構いなしにね。おかげで、相手の男がメリル殿下に骨抜きになって、婚約者のご令嬢は面白くないってわけ」
「そうなんだ、男性陣にね……ノーラもそれで怒っていたの? 彼女たちのために?」
尋ねると、ノーラは私から少し目をそらした。
「ええと、それだけじゃないけど……」
「言いたくないことなら、無理に聞かないけど」
「……ブリトニーになら、話しても良いわ。前にも少し言ったけど、私、婚活中でしょ? でも、なかなか上手くいっていないの」
彼女の状況については、少し聞き及んでいる。
以前も婚約者捜しとして複数人の男性に会ったらしいが、結果は微妙だった。
「そんな話を他のご令嬢としていたら、いつの間にか、婚約が上手くいかない女性陣の反省会になっていたの。しばらくして、そこに偶然メリル殿下が通りかかって……」
「ああ……」
きっと、いらない助言でもしたのだろう。
「私たちに向かって、『そんな風に落ち込んで自分を責めてばかりいちゃ駄目よ、自分で自分のことを好きにならないで一体誰が自分を好きと言ってくれるの? もっと自分に自信を持たなきゃ!』なんて説教をかましてきたわけよ」
「……そうなんだ」
黙って通り過ぎれば良いものを、メリルは自分から首を突っ込んでしまう。
確かに彼女の言っていることは、いつも正論なのだけれど。そういった言葉を受け付けられない心境の人間もいるということを認識していない。
落ち込むことだって時には必要だ。それを否定されると、どこに感情を持っていけば良いのかわからなくなる。
しかも、世の中には自分に自信が持てない人間もいるのだ。
何度も精神的に打ちのめされて立てなくなっている人間に、自信を持てとか自分を好きになれと言うのは酷な話だろう。
もちろん、メリルに悪気はない。彼女は、本気でわからないのだ。
(たぶん、この城に来るまで、他人から悪意を直接向けられることなんてなかったんだと思う)
良くも悪くも、そういうことを知らないまま、ある意味優しい世界でメリルは成長してしまった。
「私、どうすれば自分を好きになれるんだろう。こんなことばかりグルグル考えて……やっぱり、私は自分のことを好きになんてなれない! 頑張っても何も報われないし!」
「……うーん、自分が大好きって人の方が珍しい気がするんだけど。私はノーラのことが好きだよ?」
「うん、あ、ありがとう。私もブリトニーは好きよ。でも、そういうのじゃなくて」
今欲しいのは友情からの「好き」ではないと、ノーラの目が雄弁に語っている。私は次の言葉を探した。
「メリル殿下のような人はさ、他人の評価を大して気にしないんだと思うよ。自分を評価する基準が他人ではなく自分だから、あんな感じなんだよ。それは今まで生きてきた環境もあるし、急に変えられるものでもないと思うけど……」
「ブリトニーは、どっちなの?」
「私は、どちらかというとノーラと一緒。リバウンドした今の自分は好きじゃない。もっと意志の強い人間になれたら、今よりも自分に自信を持てるようになるのかな。でも、誰か他の人に認めてもらえた時は、少しだけ自分を好きになれた気がする」
「ああ、リカルド様ね」
ノーラは、やれやれといった感じで私を見た。
「私にも、ブリトニーにとってのリカルド様のような人が現れたら良いんだけど」
「そうだね。今度のお見合いは上手くいくと良いね……ノーラの領地は、確か弟が継ぐんだよね?」
「ええ、そうよ。まだ小さいけれど、年の離れた弟がいるから私は余所へ嫁ぐの」
「ノーラの領地は、数年前と比べるとかなり発展してきているから、きっとまた縁談のお話が来ると思う」
「うん……良い方からお話が来ればいいんだけど。リュゼ様とか」
「…………グフォッ!?」
言えない、リュゼお兄様に婚約しないかと聞かれたなんて。
「そうだわ、ブリトニー。メリル殿下が、リカルド様にちょっかいをかけていたわよ。ルーカス様がいるのに、何を考えているのかしら。とはいえ、王族相手に面と向かって反論しにくいわよね。リカルド様は私の恋人だから盗らないで……なんて」
「グフフ、そうだね。婚約もしていないからね」
王族に反論しにくいと言いつつ、ノーラは先ほどしっかり文句を言っていたようだが……
(私はリカルドを信用しているから、彼がメリル殿下になびく心配はしていないけど)
メリルからリカルドが好きだと告げられたことを思い出す……面白くないと言えば、面白くない。
でも、王族相手に田舎貴族が面と向かって「リカルドと私は両思いだから盗らないで!」なんて言えるだろうか。
(常識的に……ダメだよね)
しかも、婚約すらあやふやで前途多難だというのに。
(そんなものが通用するなら、私の父は駆け落ちしていないし、母も家を出て行かなかった)
十二歳から成長していく過程で知ったことがある。
侯爵家出身である私の母は、父に片思いをしていたのだ。
でも、当時の父は男爵家の令嬢と両思いだった。
男爵家の令嬢から、事実を告げられた母は逆上。強引に父の元に嫁入りし、相手の令嬢は強制的に別の男性……ダン子爵家の息子をあてがわれた。
その後、父と男爵家の令嬢は、二人で駆け落ちして行方不明。
色々とズタズタに傷つけられた母は、一度侯爵家に戻って再び他国に嫁いだと聞いている。
それらはある意味、私のトラウマとなっていた。
(メリルは私のお母様のような行動を取らないとは思うけど、一途だから簡単に意思を曲げたりしなさそうだ)
でも、いつまで我慢できるだろうかと不安にもなる。
(前に、メリルがリカルドに触っていた時、嫌な気持ちになった)
私は、醜い感情を抑えておくことができるだろうか。漫画のブリトニーみたいになってしまわないだろうか。
(メリルは悪い子じゃないし、ゆっくりとだけど成長している……けど、恋愛面においては、そんなことは関係ないかもしれない)
嫌な考えを払拭するために、私は大きく深呼吸した。
「ノーラ、私も婚約するまで前途多難だけれど……頑張ろうね」
力なくそう言うと、ノーラがスッと私の前まで移動してきた。
「ブリトニー、お願いがあるの。今度のお見合い、付いてきてくれないかしら?」
「お、お見合い!? 予定があるの?」
「ええ、送られてきた釣書から、お父様と良さそうな相手を選んだの。でね、見極めて欲しいのよ、ブリトニーに」
「……そんな、責任重大な」
「あなたの他人を見る目は信用できると思って。なんとか、お願いできない?」
ノーラのお見合いが上手くいけば、彼女の自信が回復するかもしれない。
そうすれば、王女いじめに加担して変なリスクを負うことはなくなる。
現状は少女漫画とは違うけれど、あんなことを繰り返していればノーラの身が危険だ。
(正解なんてわからないし、私だって今の自分に自信は持てない)
意志が弱くてすぐに太る自分。
苦労してやっと痩せても、ストレスで食べ物に手を伸ばすし、太るとわかっているのに他人の良心を拒めない。
少しだけでも前に進めたのは、こんな風に駄目な私でも肯定してくれる相手がいたから。
(ノーラにもそんな相手ができれば、あるいは……)
こんな考えは他人任せだし、ある意味上から目線で良いものじゃないけれど。
友人の私じゃダメと言われてしまったからには、そういう第三者に現れて欲しい。
「わかったよ、ノーラ。あなたのお見合いに付き添うことにする!」
迷った末に答えると、ノーラは顔を輝かせた。
「ありがとう、ブリトニー!」
純粋に、友人のノーラには幸せになって欲しい。
「それで、お見合いの日はいつなの?」
「明後日よ」
「お、おお……そ、そうなんだ。もうすぐだね」
私は、彼女のお見合いが上手くいくことを静かに祈った。