11:婚約者との出会い(リカルド視点)
釣書の絵の中の婚約者は、黒髪巻き毛に大きな青い瞳を持つ、ほっそりとした美少女だった。
俺――リカルド・アスタールは、一目で婚約者に恋をした。
父に婚約者の存在を知らされたのは、俺が十三歳の誕生日を迎えた翌日だ。
最初は戸惑ったものの、この少女が嫁に来るのなら良いかもしれない。
むしろ、婚約者として指名されたことが光栄である。
姿絵の中からでも、彼女の美しさと聡明さ、性格の良さが伝わってくるようだ。
令嬢の名前は、ブリトニー・ハークス。父の良き友人である、隣の領土のハークス伯爵の孫だ。
実際に彼女と会うのは、だいぶ先になるだろうけれど、俺は少しでも早くブリトニーに会いたかった。自分の目で直接彼女を見てみたかったのだ。
だから――祖父に黙って婚約者に会いに行った。
※
運の良いことに、その日、令嬢は外に出ていた。
なぜ、俺が婚約者を判別できたかというと、使用人が彼女の名を呼んでいたからだ。
「ブリトニー様、こちらにテーブルと椅子を用意いたしました」
屋敷のすぐ近くで、その令嬢はピクニックをしているようだった。
ちなみに、不法侵入にならないように、伯爵にはこっそり話を通してある。伯爵は、俺の行動を微笑ましく思ったようで、親身になって協力してくれた。
俺は、木の陰からブリトニーたちのピクニックを見守ったのだが……
(嘘だろう!? あれが本当に絵の中の彼女なのか!?)
そこにいたのは、絵の中の少女とはまるで別人の肥満令嬢だった。
見間違いかと思ったが、彼女に呼びかけるメイドの声で、あれが婚約者だと確定する。
俺は激しく絶望した。
(いや、待て。もしかすると……見た目は駄目だが、中身は天使のように清らかな令嬢なのかもしれない。伯爵も、そう言って孫を可愛がっている)
ハークス伯爵の孫への溺愛ぶりは、貴族の間で有名だった。
彼は孫を「天使のようだ」と言い回っている。
しかし、俺の耳は、ありえない言葉を拾ってしまった。
「あー、気が利かないわね! そこのメイド、あんたよ! このドブス!」
ブリトニーは、自分の容姿を棚に上げて一人のメイドを叱責している。
(おいおい、ドブスはお前だろうが……)
メイドの容姿は、いたってマトモだ。美人ではないものの、太っていないし清潔感もある。
「こんなに少ないお菓子で、お茶の時間を過ごせると思っているの!? さっさと追加のお菓子を持ってきなさい! お祖父様に言いつけるわよ!」
「も、申し訳有りません! すぐに持ってまいります!」
慌てて駆け出すメイドに足を引っ掛けて転ばし、グフグフとガマガエルのような声で笑う。
俺の婚約者は、外見だけでなく中身まで醜悪なようだ。
(嫌だ、あんなのと結婚したくない……!)
家に帰った俺は、真剣に父に訴えた。ブリトニーと婚約したくないと。
しかし、父は聞く耳を持たなかった。友人であるハークス伯爵の娘との婚約を、それはもう喜んでいる。本当に絶望しかない……!
そのことがあってから、俺は毎晩悪夢にうなされるようになった。
夢の中にあの白豚が出てきて、俺を巨大な尻に敷きながらグフグフと笑っているのだ。
(婚約怖い……嫌だ……うう……)
ブリトニーとの婚約は、俺の心に強烈なトラウマを残したのだった。
それから、俺は父の留守を狙って婚約破棄を実行した。
本当は、そんなことをしてはいけないとわかっているが、もうどうしようもなかったのだ。
悪夢が続いて不眠症になって、体重が一週間で五キロも落ちた……このままでは、いずれ廃人になってしまう。
しかし、事態が父に発覚し、俺は強制的にハークス伯爵家に連れて行かてしまった。
そこで、俺はまた恐怖の肥満令嬢、ブリトニーに出会う。
奴は相変わらず醜悪な面構えをしていた。
しかも、なんだか非常に汗臭い。良いとこなしだな。
俺は無理やりブリトニーに謝らされた……屈辱だ。
性格の悪いこいつのことだ、きっとここぞとばかりに俺を罵り始めるだろう。
しかし、性悪令嬢は意外な言葉を吐いた。
「頭を上げてください。今回のこと、私は気にしていません」
そう言って、ニヤリと微笑む。
不気味だ……何を企んでいる?
「私のことは良いですので、祖父とあなたとでお話を進めてください。私は、二人の決定に従いますから」
あっさり伯爵に全権を委ねたブリトニーは、踵を返してさっさと部屋を出ていく。
俺はひたすら困惑した。
(いや、そんなことはどうでも良い。このままでは、またあの女と婚約させられてしまう……それだけは阻止しなければ)
伯爵との対話がひと段落したので、俺もブリトニーの後を追うことにする。
伯爵や父は、俺が改心したと思っているのだろう。
彼女の元へ向かうことに、特に反対をしなかった。
ハークス伯爵家の庭は広い。葉を赤く染めた木々の間を、リスが走り抜けていく。
しばらく進むと、岩場の前に一人で突っ立っているブリトニーを発見した。
(あんなところで、何をやっているんだ?)
疑問に思いつつ近寄ると、彼女の体からすっぱい汗の匂いがむわんと臭った。
伯爵令嬢として……いや、人間として終わっている。風呂に入っていないのだろうか。
俺の気配に気づいたブリトニーが、太い首を九十度回転させてこちらを見た。
「……私に、何か用ですか?」
ああ、言いたいことは山ほどある。
俺は思いの丈を口に出し、全て伯爵令嬢にぶつけた。
「……そうですか」
しかし、相手は見た目通り肝が座っているようで、冷静に返事をする。
逆上されるかとも思ったが、その心配はなかったようだ。
俺はブリトニーに婚約破棄したいという旨を告げ、彼女から伯爵に断りを入れてもらうよう頼む。
彼女は、あっさりと伯爵に話を通すと答えた。
「確約はできませんが、祖父に掛け合ってみましょう。しかし、条件があります」
「条件、だと……!?」
「そんな難しいものではありません。あなたにとっては、子供の遊び程度のことです」
そこで彼女に出された条件は、伯爵家の敷地内に湧き出ている温泉を人工池に流し込みたいというものだった。
伯爵領に水路を……と言われた時は引いたが、庭いじりレベルのこの作業なら人出も必要な金銭も少しで済む。
他にも時々頼みごとをしたいと言われたが、この程度のことなら聞いてやってもいいだろう。
俺は、ブリトニーの話に乗った。
この女、なかなか話のわかる奴である。
「ところで、お前……汗臭いな」
酸っぱい匂いに我慢の限界がきた俺は、つい正直な感想をこぼしてしまった。
「そうですね。今日は、よく動きましたので」
「俺は、不潔な女は好かない。自己管理のなっていない怠惰な人間もな」
「世の中の大半の男性は、そうだと思いますよ。私も不潔な人は嫌いです……」
なら、どうして痩せる努力をしないのか。体を消臭しないのか。
俺は口先だけの人間が大嫌いだ。
やはり、ブリトニーとは相容れない間柄らしい。












