10:元婚約者はデブがお嫌い
「……ん?」
顔を上げると、目の前にオレンジがかった金髪を持つ少年が立っている。私の元婚約相手で、一方的に婚約破棄をした伯爵家の息子だ。
今はまだ子供だけれど、将来有望な外見の持ち主である。
「あの……私に、何か用ですか?」
伯爵家からこの場所までは、少し距離がある。元の世界風にいうと、片道五分程度かかる。
その距離をここまで歩いてきたということは、私に大事な用があるのだろう。顎と一体化している太い首を傾げてみる。
うん、全く可愛くないな。元婚約者の顔も微妙に引きつっているし。
「俺は、不本意だ」
オレンジ頭の少年は、開口一番に私の前でそう告げた。
「はあ……」
「父と伯爵が、お前との婚約を再度決めてしまったんだ」
「……そうですか」
「俺は、お前のような白豚が嫁に来ることなど認めない」
「私にそう言われましても……伯爵家の娘に婚約に関する決定権はありません。そういうことは、私ではなく祖父に言ってください」
ここまで嫌悪を全面的に出されると、逆に清々しい。そして、お子ちゃまだなあとも思う。
前世の私に弟はいなかったが、いればこんな感じなのだろうか。
「くそ、なんで俺が、こんな白豚と……おい、お前。伯爵に俺と婚約破棄したいと伝えろよ」
「どうして?」
「伯爵は、孫に甘いと評判だからだ。お前の言葉なら、聞くかもしれない……お前だって自分を嫌っている相手との婚約は避けたいだろう?」
「なるほど、そうかもしれませんが……」
彼の言う通り、素直に祖父に婚約破棄を申し出るつもりはない。私の婚約と引き換えに、この伯爵領は様々な恩恵を手に入れることができるのだから。
白豚一匹と数々の恩恵――秤にかけるまでもない。
(でも、この素直な少年は使えそう)
私自身、こんな考えが浮かぶことが驚きだった。
他人を「使えそう」などと、今までの私は考えなかっただろう。これは、ブリトニーとして生きてきた影響かもしれない。
「確約はできませんが、祖父に掛け合ってみましょう。しかし、条件があります」
「条件、だと……?」
「そんな難しいものではありません。あなたにとっては、子供の遊び程度のことです」
元婚約者の領地は豊かだ。多数の鉱物が取れる恵まれた土地に、様々な作物が実る豊かな土壌。
ハークス伯爵領とは違い、税収がっぽりウハウハな場所。リュゼが実行したがっている水路の整備も完璧な領地。
彼にとって、多少の出費など痛くも痒くもないだろう。
「……ここに水路を、引いて欲しいのです」
「何を言っている?」
「婚約破棄する代わりに、ハークス伯爵領内に水路を引いてください」
「無茶を言うな! この領地全体の水路の整備だなんて、どれだけ手間と金がかかると思っている!」
思ったより、元婚約者はまともな頭をしているようだ。
もともと駄目元で言ってみた内容だけれど、感情に流され、あっさり水路の件を承諾してはくれなかった。
それならそれで良い。水路整備の大変さや必要な人手を知っているということなのだから。
最悪婚約相手になっても、自滅することはないだろう。
「あなたは、土木関連に詳しいのですか?」
「うちの領土は、土木技術が発達している。領主の家に生まれた者として、最低限の知識は勉強しているが」
「なら、少し知恵と手を貸してくださいませんか? この庭を少しいじりたいのですが……私には、そちらの知識が皆無で。庭いじりごときで、使用人の手を煩わせるというのも気が引けますし」
「規模にもよるが。少しくらいなら、なんとかなるだろう……俺の手を煩わせるのには気が引けないのか?」
「あら、交換条件でしょう?」
私がそう言ってグフグフ笑うと、相手はあからさまに顔をしかめた。
ブリトニーの笑いが醜いのは認めよう。
ウフフと可憐に笑いたいけれど、体型のせいかグフフにもれなく変換されてしまう。
「庭いじりの内容は簡単です。こちらの岩から湧き出ている水を、来る途中にあった人工池へ流して欲しいのです。そして、池に溜まって溢れた水が、近くの川へ流れるようにして欲しいのです」
「……それくらいなら、人手もかからないし、簡単にできるだろう」
「まあ、ありがとうございます。他にも色々お願いするかと思いますが、そこまで難しい依頼はしませんので、よろしくお願いしますね」
私があっさり婚約破棄に協力したのが満足だったのか、彼は庭の整備に協力的だった。
「祖父には、婚約破棄の旨をきちんと伝えておきます。最終判断はお祖父様が下しますが……」
私が伝えたところで、祖父が承諾しなかったら婚約破棄にはならない。というか、祖父に今日のことを伝えるけれど、私としては婚約を継続して欲しい。
三年間で婚約できる相手を探さねばならないのだから、キープは多いに越したことはないのだ。
たとえそれが、白豚ブリトニーを心から嫌悪している人物であっても。
私と同い年の素直な少年は、ひとまず溜飲が降りたらしい。
温泉計画に乗り気になってくれた。
「ところで、お前……汗臭いな」
「そうですね。今日は、よく動きましたので」
「俺は、不潔な女は好かない。怠惰な豚もな」
「世の中の大半の男性は、そうだと思いますよ。私も不衛生な人は嫌いです……」
容赦無く私を責める少年だが、彼の口から紡ぎ出される言葉は真実だ。
私だって、不潔で怠惰な人間は好きではない。ブリトニーなんて大嫌いだ。