9.……あまり無理はするな
「待たせたなグラムル。……よくやった」
「嬢ちゃん、気をしっかり持つんだ」
崩れ落ちるように膝を着くグラムルに、おっさんがすかさず駆け寄る。
その手元に灯る魔法の光を見届けると、入れ替わりにイセルは魔獣の前へと進み出た。
まだ魔法の光の残る魔剣を手に、ポンポンと気軽に肩を叩きながら緊張感の無い足取りで間合いを詰めていくイセル。
思ったより早くゾンビ部隊が片付いたのは、ほぼおっさんの力によるものだった。
もちろん、イセルの手腕もあるだろうが、それ以上に対不死生物用の魔法があったのが強い。
特に、≪死者返し≫は、一気に三体ものゾンビを倒すことに成功していた。
というわけで、グラムルが意識を失うより早く、対魔獣の戦線へと駆けつけることができたのだ。
……どうやらグラムルは間一髪、意識は失わずに済んでいるらしい。
イセルに向けて(気をつけて……)という視線を送ってきているのが、目の端にちらりと見えた。
「手応え無い相手ばっかりだったからな~、これでようやく本気が出せるぜ」
『――腐肉に比べたら、魔獣の方が全くもってマシだな』
「おお、悪いなぁいつも。最近こんなのばっかりだってのは、どうにも神の悪意を感じるぜ」
『――確かに。俺に対する嫌がらせだな』
全くいつもと変わらず軽口を叩くイセルが、キマイラまできっかり十歩と迫った所で足を止め、両手の剣を構える。
その瞳には、揺らめく炎が宿っているような気がした。
「おいワン公。よくもうちの最後の良心を可愛がってくれたな。俺たちが悪党になったらどう責任取ってくれる」
『――もうとっくに悪党のような気もするが……。どちらかと言えば、ニャン公じゃないか?』
「どっちだっていいぜそんなの。とにかく、お礼はたっぷりしてやんないとな」
『――それには、大賛成だ!』
「――行くぜっ!」
沈み込みながら駆けていくイセルが、瞬きほどの時間にキマイラへと距離を詰める。
動きや武器などから先ほどの相手とは間合いが変わる事を察知し、魔獣は距離を取るために後ろへと羽ばたいた。
だが、それすらも予測していたのか、瞳の中に紅の炎を宿した戦士は近すぎるほどにキマイラへと接近し、両手を振るう。
瞬間的にキマイラは身を捻ってかわそうとしたが、間に合わない事を悟って爪を盾に受け止める。が、叩き切るタイプの大剣と違って、切り裂くタイプの曲刀剣の刃の鋭さに、鮮血が飛んだ。
そのまま着地点を正確に予測していたかのようにイセルは魔獣へと肉薄し、全く間を置かずに追撃を開始する。先ほどのグラムルの戦いを見ていたため、最初から距離を空ける気は無いようだった。
そして、それと同時に魔獣の山羊の形状の後ろ足の付け根部分に、再度短弓の矢が吸い込まれる。
瞬間的にバランスを崩した魔獣へ、ここぞとばかりに攻撃を叩き付けるイセル。
『おのれ、人間め――っ!!!』
山羊の口が何か発したと同時に、獅子の口が吼える。
「グオオオォォッ!!!」
『来たれ、≪害虫召喚≫!』
殺気を感知して、咄嗟に顔を庇ったイセルの全身に無数の痛みが走る。
腕の隙間から辛うじて覗いた様子から察するに、魔法によって召喚された小さい羽虫の群れが彼の全身に牙を立てているようだった。
それに気付いたと同時に、イセルは横に転がって群がる虫たちを払い落とそうと暴れる。
しかし、さすが魔法で召喚された生物らしく、それぐらいでは離れるような事は無かった。その代わり、すぐにどこかへと消えていなくなってしまう。……魔法の効果は一瞬だけだったらしい。
だがそれでも、虫の凶悪な顎によって瞬く間に全身を赤く染める事となったイセル。その正面に、ギリギリ彼の攻撃が届かない位置で滞空するキマイラの姿があった。
獣の表情というのは良く分からなかったが、大体憎々しげな表情をしていることぐらいは分かる。
イセルが全力で攻撃した刃が何度か命中したにもかかわらず、どうやらキマイラはまだまだ元気なようだった。
(……ちっ、超過依頼だったか……?)
イセルの脳裏に、そんな言葉が過ぎる。
冒険者が依頼を受ける際には、事前に情報を調査して自分たちの実力に見合った物かどうかを確かめるという段階が必須だ。
そうでなければ、強力な魔物と対峙することになって簡単に全滅の危険性があるし、自分たちのパーティーがあまり得意でない種類の依頼を受けてしまう可能性もある。
以前であれば、店の主人や周囲の冒険者、それに町の人々から仕入れる情報によって取捨選択している彼らなのだが、今回は名指しで指名された事もあり、そういった事前判断は甘かったと言わざるを得ない。
……事実、このランクの攻撃をあと二度も受ければ、たとえイセルと言えども戦闘続行は不可能な傷を負う予感がしていた。
そしてそれは、彼以外のメンバーには耐えられるものがいないということも示している。
その事に気付いているのかどうか、魔獣はイセルを真っ直ぐに見据えていた。
グラムルを戦闘不能に追い込んだ今、まるで後は彼を倒せばもうお終いだと考えてでもいるかのように。
「イセル……あまり無理はするな」
背後からおっさんの声がかかる。
この言葉のニュアンスは、予め打ち合わせておいた通り、『残りの魔力が少ないため、今後の回復は限られている』ということだ。
言い回しが若干違っている事から、もしかしたら敵のダメージに回復量が追いつかない……ということかもしれない。もしくは、その両方という最悪の状況ということも考えられた。
イセルの額に嫌な温度の汗が伝う。
(……上等だぜ)
心の片隅に巣食う戦慄を、無理やり強がりで閉じ込めてイセルはにやりと笑う。
こんなにゾクゾクするシチュエーションは無いよなぁ……などと考えている自分を自覚している辺り、彼はどこかで戦闘依存者なのかもしれない。
それはともかく、相手がやる気になっている以上、こちらが引く事はできない。
ちらりと後ろでぐったりと寝かされているグラムルを視界に入れ、彼は両手に持つ白銀色の塊を再び構える。
おっさんも戦斧を構え、いつでも飛び出せる状態だ。
シュンッ
後ろから飛んできた短弓の矢をキマイラがするりとかわし、それを合図として再度接近戦に持ち込もうと急降下してきた時、再び戦火は花開いた。