4.斬られても斬れ!
シャーコ、シャーコ……
小さな町の小さな宿屋の小さな部屋から、石が擦れる音が聞こえてくる。
そこに彼らは滞在していた。
前回のゴブリン退治の依頼の終了後、この宿に戻って彼らは疲れを癒していたのだった。
部屋の中にはイセルとグラムル、寝こけているシャルルと、そして斧を研ぐドワーフの姿があった。
(やはり、一流の戦士たるもの、自らの武器は常に手入れしてないといかん。ドワーフならば、鍛冶をするのは尚更じゃ……)
そう思い、おっさんことヌニエル・スーンは一心不乱に戦斧を研ぎ続けていた。
少しずつ鋭さを増してくる刃の先端と同時に、自分の心までもが研ぎ澄まされていくのを感じる。
一流の戦士にとって武器の手入れは、精神修練の一環でもあるのだ。
ブツブツ……。
「おっさん、斧研ぎながらブツブツ言ってると、すげー怖いぞ」
「……お主も今のうちに愛剣を研いでおいたらどうじゃ?」
また余計な事を言ってきたのは、イセルだ。
おっさんは親切に助言をする。
町の鍛冶屋に頼むなんてのは、三流の金持ち戦士のやる事だとでも言いたげだ。
「いーよ、俺の愛剣はゴブリンごときで刃こぼれしたりしないの」
「……」
いけしゃあしゃあと、三流戦士はそう言った。
……言うだけ無駄だったらしい。
(まあいい。一流の戦士はひたすら自分を磨き続けるものじゃ)
向こうでその言葉を聞いていたらしいグラムルが、自分も剣を取り出して研ごうとしている。
……感心感心。それこそが戦士の心構えだぞ。
その横のベッドでは、シャルルがまだぐっすりと眠っていた。
イセルはどうやら、鎧を外そうかどうしようか迷っているらしい。
とりあえず、そのまま壁にもたれながらおっさんに話し掛けてくる。
「おっさん、武器の手入れもいいけどさ。神殿とかにお参りに行かなくて良いの?一応司祭だろ?」
「……」
おっさんの右眉毛がピクリと動く。
……余計な事を。
「おいおっさん、聞いてる?」
せっかく聞き流しているというのに、イセルは突っ込んで聞いてきた。
しつこく言ってくる三流戦士に、ついにおっさんは我慢の限界を超えた。
「……いいんじゃ!やられる前にやれば回復魔法なんぞいらん!『斬られても斬れ!』これが戦の極意じゃ!」
「そんな極意ありかよ……。まあ否定はしないけどさ」
そう、ついつい興奮気味に答える。……ついでに、お祈りは嫌いなのだった。
それに対して、やや呆れ気味に返答するイセル。
……確かに、彼も同じような戦いをしている部分はあるからな。
向こうではやっぱりグラムルが頷いていた。いたく感動したらしい。
それを見て、ほぼ同時に溜め息を吐くおっさんとイセル。
「あいつが一番、回復魔法が必要だろうに……」
(……確かになぁ……)
イセルがやや同情の目を向けながらおっさんに囁く。
彼女がもう少し丈夫になってくれたら、自分ももう少し戦えるのに……と、半分諦め顔のおっさんは考える。
さすがに、本人にはそんなことは言えないが。
……あ、後はあの無謀魔術師もか。
そう話していると、廊下からドタドタと音が聞こえた。
部屋の中にいた全員が少し身を固くする。
(従業員か……?もう勘定するのか?)
おっさんがそう考えつつ、懐の財布に手を伸ばしながら身構えた時。
ノックも無く、おもむろにドアが開いた。
「おーい、帰ったぞー!」
あ、噂をすれば例の無謀魔術師の登場だ。そののん気な声に緊張も緩む。
……知ってるか?お主は魔術師なんだぞ?というおっさんの視線を、彼はもちろん知る由もない。
「全員出動準備!急いで!」
「……どうしたんじゃ?何があった?」
隣でそう叫んだのは、一緒に出ていたイゼベルだ。
ベルのあまりの剣幕に、慌てて支度を始めながらおっさんは質問する。
「どうしたもこうしたもないわよ!あの強盗たち、グルだったのよ!」
「グルだったって、あの依頼人と!?」
ヒステリック気味に叫ぶベル。……相当キてるな。
グズグズしてたら、こっちが標的にされそうだ。おっさんは支度を急ぐ事にした。
同じく、慌てながら鎧を着ているグラムルが叫ぶ。
そして彼女はまだ寝ているシャルルを起こし始めた。
「そうっぽいよ。どうする?あいつんちに隕石でもぶち込むか」
その質問にはスプが代わりに答える。
……まだそんな大魔法使えないくせに、口だけは大魔術師だな。
ベルとスプは、情報収集に出ていたのだった。
彼らは、前回のゴブリン退治の依頼終了後、報酬を貰うべく依頼人の家に行ったのだが、ちょうど彼らが出ている間に、依頼人の家が強盗に襲われたとかで、まるっきり報酬を貰えずじまいになってしまっていた。
しかし、依頼人の態度の怪しさと強盗の目撃証言の曖昧さ、あまりのタイミングの良さなどから、その後の裏付け捜査をしていた所だったのだ。
そうして皆で手分けして情報収集し、最後に戻ってきたスプとベル組が、見事決定的情報を持ってきてくれたというわけだ。
「うっし!そうと分かっちゃぁ黙ってるわけにゃいかねえな!」
準備を終えたイセルが、剣を担ぎながら扉から出て行く。
ガチャガチャと重そうな鎧の当たる音を鳴らしながら。
「ふあ~ぁ……」
やっとシャルルが起きたらしい。グラムルが準備を手伝っている。
スプとベルはもう部屋の外だ。宿代を払いに行ってくれたんだろう。……ん?奴ら、金持ってたか?
おっさんも忘れ物を確認し、まだ半分ほどしか刃の手入れが終わってない愛用の斧を背に担ぐ。
あー、まだ出来上がってないのに……。
よく見ると、かなりアンバランスだった。
……非情に微妙な気分になるおっさん。
「むぅ、あのケチ依頼人め!絶対捕まえて、たたっ斬ってやるからのう!待っておれ!」
どこかからか沸々と、怒りの炎が湧き上がってくるのを感じる。
息巻いて、おっさんは背中にある鉄の塊の重さを確かめた。……刃の手入れだけが心残りだったが仕方ない。
鼻息荒く、部屋の外に一歩踏み出す。
「こんな余計な手間をかけおって!ズバシュッと一撃でこの斧の錆びにしてくれるわい!」
……金が絡んだ怒りは恐ろしい。
いつもの何倍もやる気になった一行は、あっという間に宿を後にする。
空っぽになった部屋には、使いかけの砥石だけが転がっていた。