9.……大変です。最悪の事態が起きました
「て、敵襲だーっ!であえであえーっ!」
その言葉に辺りが騒然となる中、騒ぎを聞いてバルコニーに駆けつけてきたグラムルは、目の前で呆然としている顔見知りの魔術師の姿を見かける。
珍しくこっちにも気付いていないぐらいの様子だったので、軽く肩を叩いて話しかけてみた。
「……どうしたんですか?スプ?」
「えっ!?……い、いや何でも……」
ビクッと体を震わせ、声をかけられたことに予想以上に驚いていたスプは、グラムルの問いかけを待たずして、会場の中へと小走りに戻って行ってしまう。
グラムルはおかしいとは思いつつも、まあ彼がまともな時の方が珍しいか、と一人納得して手すりの向こうへを意識を向けた。
一階では、何人もの人々が慌しく外へ駆け出していく所だった。
*
「……大変です。最悪の事態が起きました」
一同を集め、カシューナが神妙な面持ちで話したのは、それから約一時間後のことだった。
誰もがまだ、式に出席した時のままの正装だ。だが、そんなことは気にならないほど、カシューナの顔には緊張感が漂っていた。
そんな彼の表情を見て、イセルやスプを始め、何事かと固唾を飲み込んで待った次の台詞は、衝撃的な一言だった。
「ダイク様がさらわれました」
「なっ……!?」
誰もが二の句を告げずに絶句する。
皆、この場に彼がいないということに若干の違和感は持っていたのだが。
「えっ!?」
「ええっ!?」
「だって……あんなに人がいたのに……?」
各々の顔に、そんな言葉が見て取れる。特に、イセルとスプの驚きようといったらなかった。
目を見開いたまま、口をパクパクさせている。
確かに今日の状況は不審者が入り込みやすい状況だったとはいえ、そこから誰かを……ましてや最も注目を浴びていた人物を連れ去るなど、人間業じゃない。
「カシューナさん、本当なんですか!?」
あまりといえばあまりの出来事に、おっさんが代表して尋ねてみる。
ちなみにおっさんは、事件の後もフェッケンの代わりにイセルの看護役となり、まだまだ飲み足りんのに……とかブツブツ言いながら、控え室の一つに篭っていたのだった。もちろんイセルも同様である。
「私も最初は冗談であってほしいと思いましたが、……事実です」
その問いに対して大真面目に答えるカシューナを見て、誰もそれ以上聞くことはできなかった。
もちろん最も責任が重大なのは彼なのだ。
当然、護衛役を了承した彼らの責任でもあるのだが。
「でも、どうやって……?」
「まだ捜査中なのですが、……おそらく内通者がいるようです」
「えっ!?」
再び一行の間に動揺が走る。
考えたくは無いが、確かにそれなら納得ができた。
あれだけの衆人環視の中でダイクを連れ去ることができるとしたら、内部の手助け無しには無理だろう。
しかし、誰が……?という当然の疑問を口にする前にカシューナが答える。
「内通者は、現在慎重に捜査中です。残念ながらもうしばらく時間がかかりそうなので、待っている時間はありません」
「待っている時間……って、ダイクの行き先は分かってるの?」
「……それより、我々にそんなことまで話してしまっていいんですか?」
内通者、と聞いて不思議に思ったおっさんが尋ねる。
……一応こう見えても、怪しまれそうな存在であるという認識は持っているのだ。
冷静に考えなくとも、最も新参者の外部の人間であるのが彼らなのだから。
「皆様は元々偶然介入した部外者だと認識しているので、こうしてお話している限りです。……一応、失礼ながら簡単に調べさせて頂きましたしね。それに、これからダイク様を連れ戻しに行く場所では皆様の力が必要になりそうなので」
さすがに今回ばかりは誰も『我々も、誘拐犯の仲間かもしれませんよぉ?』などと軽口を叩くことはできなかった。
それほどまでにカシューナの顔は切羽詰っていたし、こんな時に軽口を叩く代表人物のうち一人であるイセルは、今回の事件の発端が自分にあるという責任から、そしてもう一人であるスプは何故かフードを深くかぶって口を開こうとしなかった……。
彼らはお互いに、目を合わせそうで合わせないよう、妙に意識している感じだ。
もちろん会話も無かったが、今のこの状況でそれをおかしいと思う人は誰もいなかった。
「じゃあもう、ダイクの居場所は分かってるんですか!?」
「それなら早く行きましょう!」
腰を浮かしかけて、勢いよくそう言うグラムルとおっさんに、カシューナは少しの沈黙で答える。
何かを迷っているようだった。
そんな彼の様子を見て、再び腰を落とす二人。
「?」
「何か……あるんですか?」
「こうなった以上、もう隠しておいても仕方ありませんね……」
カシューナが重い口を開いた後に語った事実は、一同をさらに大きな事件へ巻き込んでいく。
そしてこれが、後に様々な運命の分かれ道の発端となった瞬間かもしれなかった。
カシューナは、一瞬だけ部屋の外に視線を送ると、一行に向かって話し出す。
「ダイク様が狙われる理由は、もう一つ存在するんです」