〇〇三
「ジョージさんはさ、闘う事が怖くないの?」
周防玲音は隣の運転席でハンドルを握る二階堂譲治にそんな事を訊ねた。自己申告が正しければ玲音よりも三〇センチ以上高い長身に、二倍でも利かない体重の殆どを締めるのは鍛え込まれた筋肉。国産高級車のシートを限界まで下げても窮屈そうな長い脚、スーツ越しでもハッキリと主張する腕の形。闘う為に創られたと言われれば信じてしまいそうな巨漢ではあるが、恐怖を覚える事が在るのだろうかと急に興味が沸いたのだ。
よく目を凝らして見れば、譲治の指はどれも細かい傷痕が目立ち、少々形が歪な物も少なくない。一度見せて貰った腕は更に酷い傷が目立ち、お嬢様育ちの玲音は危うく気を失う所だった。幾ら譲治と言えど、痛みを感じない筈はない。例え男であろうとも自分の身体が傷付けば心も傷付くはずだ。
もう十分に傷だらけのこの青年は、どうしてわざわざSP紛いのこの仕事を選んだのだろうか? 何故、臆することなく敵の眼前に立つ事ができるのだろうか? どんな思想の元に、他人が傷付く事よりも自分が傷付く事を許容できるのだろうか。
女であり、少女であり、戦士で無い玲音には、まるで譲治の心が理解できない。
「ん? 何だい、急に」
低い声で譲治が怪訝そうに眉根を寄せる。バックミラーを執拗に気にするのが彼の運転時の癖だった。前にそれを指摘すると『RPG……携帯対戦車ロケットが飛んで来たら危ないだろ?』そんな風に答えた事がある。ゲームのやり過ぎにも思えるが、譲治はそう言った世界で生きざるを得なかった時期があったらしく、本気で言っているらしかった。
飛んで来たとして、運転テクニックでどうにかなるのだろうか?
「闘うのは怖くないのかな? って思って。そのままの意味の質問」
「まあ、怖くないな。って言うか、怖かったらやらない。好きな事は好きにやれば良いし、嫌な事は嫌々でもやらない、ってのが二階堂家の家訓だから」
「じゃあ、ジョージさんは子供の頃、勉強とか好きでやってたの?」
言って、玲音は子供時代の譲治を想像しようとするが、まったく欠片もその姿が浮かばない。どんな風に成長すればこんな大男に育つのだろうか? 食事を作るのに苦労する母親は簡単にイメージが掴めるのだが。
「……嫌々やってたな」
ばつが悪そうに譲治呟きながら、右にウインカーを出しスムーズに車線変更をする。金曜日の夕方と言う事もあって若干何時もより車が多く感じられるが、高速道路の交通が滞る程ではない。
「でも、まあ、闘うのが怖くないって言うのは本当さ。俺だって人間だ。怖かったら足が竦むし、泣きもする」
「でも、ジョージさんは銃を突き付けられても笑っているし、走っている新幹線から飛び降りたりできるじゃあないですか。それは怖くないんですか?」
冗談の様な本当の話だが、二階堂譲治は走行中の新幹線から緊急脱出した事がある。玲音の父である周防巌を担いだ状態で。常人ならざる体力と、常識を超えた潜在意識を持つとは言え、一歩間違えば二人とも死んでいただろう。あの行動の結果には中間はなかった。生か死の二者択一で、決して勝率の高いギャンブルでもなかった。
だと言うのに、巌の言葉が正しければ譲治は笑っていたと言う。根拠もなく成功を確信していたとでも言うのだろうか?
「怖くなかった。親父だったら『笑うべきと分かった時は泣くべきじゃないぜ』なんて言うかもな」
「いや、だから、まさに絶体絶命でしょ? 普通の人はそれが怖いと感じるんだけど」
今一、会話が噛み合っていない事に玲音は気が付き、質問を少し変える。譲治と玲音の間には“恐怖”に対するハードルが違い過ぎるのだ。車に轢かれた蛇の死体があるだけで横断歩道を渡るのを躊躇う女の子もいれば、生きた蛇の尻尾を掴んで振り回す少年だっている。まずはその理解の差から埋めねば話しにならなそうだ。
「そりゃあ、絶体絶命かもしれないけど、だからってその場で泣き叫んで命乞いする方が俺にはよっぽど怖いね。最悪じゃあないなら、怖がる理由にはならない」
なるほど。わかりやすい理屈ではある。が、穴が大き過ぎる意見だ。
「大抵の人は、死ぬ方が怖いですよ。私だったら靴を舐めてでも命乞いします」
譲治は命とプライドを秤にかけ、命の方が軽いと判断している。
そして、真に質問すべき事がわかった。最初かこう聴けば良かった。
「死ぬのが怖くないんですか?」
と。譲治はバックミラーを確認し、当たり前の様に答える。
「いや、怖いけど」
そりゃあそうだ、と思う反面、今までのやり取りは何だったんだよと言いたくもなる。玲音は「そりゃ、そうですよね」とこの話を打ち切った。きっと、玲音には一生理解できないだろう。
「話は変わりますけど、夕ご飯は何処で食べて行きます?」
「本当に変わったな。どうぞご自由にどうぞ、お嬢様」
一気に牧歌的な内容に変わった事に苦笑する譲治。走行車線に車が戻った。
二人が一緒に食事をするのは金曜日と決まっていた。現在の周防家は母親の優香と玲音の二人暮らしである。優香の職業は医者であり何かと忙しい為、何故だかオーストリア人だと言う七〇を超えていそうな家政婦さんがだだっ広いマンションの平日の家事を担っている。基本的に玲音の夕飯はその老女が作るのだが、彼女の苦労を減らす為と言う名目で金曜日の夕飯は譲治が食事に連れて行く事になったのだ。
お嬢様育ちな玲音はフランチャイズやチェーン店で食事をした事があまりなく、金曜日の夕方のジャンクな食事が金曜日の楽しみだった。譲治としては経費で落ちる食事に高い物を食べることが出来ないのであまり美味しい話ではない。もっとも、巨体故に食べる量が尋常ではないので、安い店でも経費で落とすのが申し訳なく感じる程度には料金が嵩むので高い店に入る程に図々しくないが。
「私さ、家系食べてみたい」
「家系? 何だ? 肉じゃがか?」
玲音はずっと考えていたラーメンを食べようと提案するが、譲治は眉根を寄せて見当外れな事を言う。最近まで海外にいた為か、譲治は意外な事を知らなかったりする。
「ラーメンだよ。豚骨醤油のスープなの。それでね、そこは凄い大盛りが有名なの」
「大盛りは良い言葉だ」
まるで聖書の言葉であるように譲治の台詞は厳かな物だった。
「でしょ! ナビに入れるね」
それを賛成と取った玲音は素早くスマフォを取り出して予め表示していた住所を車内ナビへと飛ばす。『こいつ、五月蠅いんだよな』と滅多に使われる事がないナビが若い女の声でナビを開始する。
「マンションから随分と近いな、こんな所にラーメン屋あったか?」
音読された住所に譲治が呟く。
「うん。あるよ。普通に目につくとおもうけど。ジョージさんってさ、外食しないの? 男の人ってラーメン好きそうだけど」
「俺の家はお袋が料理好きでな」
答えながら譲治はバックミラーを確認する。
「お母さん」
譲治の母親とは一体どんな人間だろうか? やはり背が高いのだろうか? 猟犬みたいに鋭い目付きをしているのだろうか? それとも案外普通で、可愛らしい人だったりするのだろうか。
「『例え地球の裏側で餓死する子供がいても、私は自分の子供を食事で満足させる義務がある』とかなんとか、そんな信条の元に料理してるよ」
そのポリシーでは、子供想いなのか、冷酷な人間なのかまったくわからない。ただ、譲治の母親だけあって一筋縄では行かない人物なのは間違いないだろう。
「だから、俺も自炊が多いかな。美味くはないけど、栄養や値段を考えて料理するって言うのは案外楽しいぞ」
ただ、キッチンが使い難い。と小さく付け足した。日本人の主婦に合わせてデザインされているであろうキッチンは、日本人離れした体格の譲治には全てが小さくて当然だ。包丁ですら玩具に見えて仕方がない。
「ジョージさんの料理かー。おにぎりとか、凄いサイズになるよね」
「女子高生が一日に必要とするカロリーは摂取できそうだな」
そんな馬鹿な話をしながら、黒塗りの高級車は徐々にスピードを落とす。それでも法定速度より高速で車はインターへと降り、ETCを潜って一般道へと降りて行く。地元の産業が殆ど死に絶え、近くの自動車工場地帯のベッドタウンと化した町には家路に向かうヘッドライトが列をなしていた。二人を乗せたセダンもその一部となり、ゆっくりと進んでいく。
そうやって車を転がし、国道へと繋がる道から外れて五分。ナビの指示通りに進み、件のラーメン屋が見えて来る。店はマンションの一階のテナントにある小さな物だった。埋まっているテナントは交差点の角に当たるこのラーメン屋だけで、他はシャッターが閉まっている。外に並ぶ椅子には高校生が三人並んで席が開くのを今かと待っていた。
「結構混んでるね」
「飯時だからな」
たかだかラーメン一杯に並ぶと言うのは譲治にとって馬鹿馬鹿しい事に思えるが、それだけ美味しいと言う事なのだろう。しかしそれよりも問題は駐車場がないことだ。先見性のない政治家の手によってこの街の開発は何度か失敗しており、建設途中の建物が異様に多い。取り潰すのにも金がかかる為、中途半端な形の建物を壊さずに開いたスペースにまた建物を作り始めた為、駐車場になるような広い空間はあまり残っていない。
ここから一番近い駐車場は集合住宅団地に造られた公園。殆ど遊具もいため、ただの広い空き地なのだが、入居率の悪い集合住宅団地の子供達の遊び場として何とかその存在を許されているようだった。一応市公認の駐車場が取り付けられているので、団地と無関係な車を止めても問題はない。
ラーメン屋から少々遠いのが難点だが。五分は歩かねばならないだろう。そう伝えると「私、先に降りて並んでおく?」玲音はそんな風に答えるのだが、一昨日に刃物を持った連中に脅されたばかりの譲治としては玲音を一人こんな寂れた町のラーメン屋に並ばせておくわけにはいかない。
「お前は誘拐されかけたばっかだろ。健康にも良い。歩け」
「えー」と、譲治の言葉に文句を付ける玲音だが、すぐに年上の意見には従うべきだと考えを改める事となる。
そして、駐車場に車を置いて戻って来てみれば――
「え?」
――店先にいた三人の少年が苦悶の声を上げながら地面の上を這い回っていた。おぞましい叫びは店の内部からも聴こえ、ガラスや丼が割れる音が状況の荒々しさを補足するようだった。
「何? 何? 集団食中毒!? ジョージさん!? 何? 何なの?」
玲音にとっては阿鼻叫喚にも思えるその光景に、彼女は自然と譲治の右手を掴んで身を寄せる。頭の中は既にパニックで「一一九番って何番だっけ?」と定番な事を言っている。
対して譲治は冷静な物で、「いや、食中毒じゃあない。銃声が聴こえた」静かな声で質問に応えた。
「銃声? 有り得ないよ! ここ、日本だよ!?」
「改造されてはいるが、あの音は恐らくAK系だな。懐かしい」
「そのエーケーが何か知らないけど、私には銃声なんて聴こえなかった! 銃の音って大きいんでしょ?」
余りにも非日常な答えを示す譲治に玲音は首を横に振る。
「ああ。だろうな。潜在意識だ」
「ポ、潜在意識!? 私を狙って? いや、って言うか銃じゃないの?」
「だから、銃の形をした潜在意識だ。武器の管理者はそこそこ珍しいが、滅多に見ないってわけでもない」
答えながら、譲治は玲音を庇うようにしてジリジリと後退を始める。
「それって珍しいの珍しくないの!?」
「そこそこ珍しいんだよ。そして俺達は無関係だ。断言できる」
此処を選んだのは玲音だ。それも三十分もしない前である。事前に予測するのは殆ど不可能だろう。その説明に玲音は何度も頷き、訊ねる。
「そうだね。じゃあ……どうするの?」
無論、ここは退却の一手を玲音は希望する。何が起きているかまったくわからないが、あの惨状に自分から進んで関わっていく気にはなれない。だが、見ず知らずの玲音を助けた譲治であるならば、なんの恐れも無く助けにいってしまうのではないだろうか? 自分の危険も顧みず、他者を助ける事が出来る譲治の姿を想像すると、自分が如何に臆病な人間であるかを思い知らされる様で心が苦しくなって来る。
早く『逃げる』と言って!
そんな玲音の想いを裏切る様に、ラーメン屋から高校生らしい少年が一人飛び出し、叫んだ。
「助けてくれ!」




