〇〇一
ランキング七十七位だったので感謝の続編です。
お楽しみください。
二階堂譲治について訊ねれば、大抵の人間は『デカイ』と答える。そして実物を見た者は『想像よりデカイ』と揃えて口にする。それもそのはず。彼の身長は日本人離れした一九七センチ。顔は身体に比べるとかなり小さく、脚は身長に対して冗談の様に長い。
まるでモデルの様な説明だが、そのイメージも間違っている。
恵まれた体躯に甘んじることなく、鍛錬を続けた彼の体重は元々骨太な事もあって常に一二〇キロを下回る事はなく、その全身はうっすらと脂肪に覆われた筋肉の塊である。リンゴを片手で潰す事は本当に朝飯前だし、ジョギングの最中に軽トラックとぶつかって廃車になったから弁償をしろと訴えられた事もある。そんな彼が姿勢正しくピンと背筋を伸ばした姿は『デカイ』と言う他ないだろう。
もはや、ただ立っているだけでも暴力的な存在である。何もしていないのに警察官に職務質問を受けることは多々あるし、夜中に出歩いているだけで散歩中のおばさんに悲鳴を上げられた事も一度や二度ではなかったりする。彼が銀行でお金を下ろしているのを見て、外国人銀行強盗犯が計画を変更したと言う都市伝説の様な実話も存在する。
そんな二階堂譲治であるから、「か、金を出せ!」とナイフを突き付けられて脅されるのは二十二年の人生で初めての経験であった。
時刻は午後一〇時を少し過ぎた所。場所は人通りの少ない住宅街の路地の交差点。なるほど。確かに強盗や変質者が出るにはぴったりの時刻だ。婦女子ならば出歩くことを控えるべき時間帯だろう。が、彼は二階堂譲治である。見た目で言えば人間よりも熊に近い。この巨大な哺乳類を、高々刃渡り一〇センチ半ばの刃で脅迫する人間がこの世にいるなんて、譲治は想像したこともなかった。
これで相手がナイフの達人であれば納得もあるだろうが、目の前でナイフを両手で縋る様に握り締める高校生らしい彼はとてもそうは見えない。身長は一七〇あるかないか。大きめの真っ黒なジャージを着ているせいで体格は今一判別がつかない。が、泣き出しそうな顔や首の太さから体重は六〇キロを下回ると予想ができる。
まったく脅威には遠い。譲治はそう判断する。例えナイフでなく拳銃だったとしても危機感を覚えはしなかっただろう。アスファルトを蹴って飛び出し、少年の細い手首を握り砕けばそれで終わりの話だ。リンゴをそうする様に、それは容易いだろう。
だが、ここは無法地帯のヨルダンやサウジアラビアの貧民街や難民キャンプではない。あっちでは殺された方が悪い――いや、そもそも善悪なんて道徳観は半ば放棄されていたか。兎に角、過剰な防衛は咎められなかったが、ここは安全大国日本だ。未来ある未成年の利き腕を折ろう物なら、大問題になる。
面倒だが、理性的な解決を譲治は求められていた。
「おい。出て来いよ。ばればれだぞ」
取り敢えず、目の前の少年は無視。譲治は少年の後ろ、路地の奥に向かって声をかけた。
すると、向かって右側の曲がり角の向こう側から更に二人の少年と一人の少女がにやにやと笑いながら現れた。男三人に女子一人とはのびた太とその友達達のようだが、ドラえもんは何処にもいない。
彼等彼女は一見すると真面目な学生と言った風貌だった。特徴らしい特徴もない。最初の一人と違って武器を持ってはおらず、代わりに現代っ子らしくスマートフォンを持った手をこちらに伸ばしていた。どうやら、撮影中のようでライトが光っている。
なんだか、妙な事になってきた。ただ単に、コンビニにプリンを買いに出ただけなのに。譲治は溜息を吐く。
「おじさん、何でわかったの?」
自身の不運に譲治が重々しい溜息を吐くと、後ろから出て来た少年の一人が人を小馬鹿にしたような調子で訊ねた。そこには年上に対する敬意はまったくなく、自分が世界で一番優秀だと勘違いしている若者特有の傲慢があった。傲慢は我慢できるが、虚栄は視るに堪えない。
「まず、人と話す時はスマフォをしまえ」
まさか自分が若者に説教をする日が来るとは。歳は取りたくないものだ。しかし大抵の若者がそうであるように、少年は年上の小言を無視して「俺が質問しただろ?」と我を通そうとして来た。
「…………息遣いが聞こえただけだ。幼稚園児だって気がつくさ。スマフォをしまえ」
一旦相手の要求を呑みこみ、再度忠告を行う譲治。
「なんか、こいつ調子のってない?」「状況わかってんのかよ」「おい! 馬鹿田中、ちゃんとナイフで脅したのか?」
が、話しかけて来た少年も、残りの少年少女も譲治の言葉を無視し、少しだけ苛々とした口調でそんな事を言った。
「はあ。まあ、いい。何の用だ? こう見えて俺は仕事中なんだ」
歳下の女の子が明日の朝食べるプリンを買いに行く事も、譲二の立派な仕事であった。最終学歴中卒、職歴なし、海外での犯罪歴多数の譲治を運転手として雇ってくれた周防巌の恩に報いる為にも、彼は日夜を通して彼の娘である玲音に尽くしているのだ。
「っち。わかんねーか? 金だよ、金」「ってか、何の仕事だよ」
当たり前の事を聴くなと少年少女が喚く。どうやら、本当に強盗らしい。譲治は驚きを隠しながら更に訊ねる。
「ふーん。じゃあ、それを撮影する意味は?」
強盗にナイフが必要なのはわかる。大抵の人間は刃物を持った人間を恐れるからだ。しかし、撮影する理由は理解できない。自分の犯罪を自分で記録に収めて何の得があるだろうか。普通、犯人は証拠を隠すものだろう。しかし彼等は自分の手で証拠を必死に残そうとしている。こんなあべこべな話し、聴いたこともない。
「あ? そら、おじさんの情けない姿を撮って、脅すんだよ」
何が愉快なのか、少年の答えにナイフを持った田中少年以外が笑う。
「『逆らったら、びびってしょんべん漏らした姿をネットで晒すぞ!』って言えば、偉そうな奴だって俺達の言い成りになるんだ」
「ふーん。なるほどな」
「どうする? おっさん。ナイフで切り刻まれるか、素直にそのプリンと財布を差し出すか、どっちが良い?」
ネットで晒したら、やっぱり自分達の犯罪を晒す事になるんじゃあないか? と譲治は強い疑問を覚えたが納得した振りをしておく。今時の学生の考える事は難しい。これは年齢差か、それとも三年も四年も中東の紛争地帯にいた事が原因か、どちらだろうか。
黙りこくった譲治が怯えたと判断したのか、田中少年が震える声で「さあ! え、選べ!」とナイフを突き出しながら譲治へと一歩だけ踏み込んだ。その姿に、後ろの三人から笑い声が漏れる。
強盗をしていると言うのに、この軽さはなんだ。まったく真剣さが伝わって来ない。譲治は目の前で起こる出来事に現実感を抱けないままに、至極面倒臭そうに口を開いた。
「シリアの貧民街で五歳くらいの子共に『靴を磨かせて』と頼まれた事がある」
「は?」
「たった五歳の子供でも、お金の為に働いているんだ。お前達は金の稼ぎ方もしらないのか?」
「あ? 説教か? おい、田中、刺しちまえよ。そうすれば少しは大人しくなるだろ」
「ちなみに、俺の知人はそいつに靴を磨かせたんだが、靴磨きの男の子が隠し持っていた手榴弾でバラバラになった。俺は慌てて吹き飛んだそいつの上半身を掻き集めたが、結婚指輪の嵌った奴の左手の薬指は最後まで見つけられなかった――さて、お前達はどっちだ?」
「は?」「なんだ、このおっさん」「頭おかしいんじゃないの?」
「金を稼ぐ為にやっているのか、俺を殺す為にやっているのか、どっちだ? って聴いているんだ。前者ならバイトを紹介してやる。後者なら――わかるだろう?」
言って、譲治は田中の持つナイフに向かって大きく一歩を踏み込む。思わず田中がナイフを下げてしまわなかったら、譲二の腹に鋭利な切っ先が突き刺さっていただろう。
「そして、俺はまだ二十二だ! 次におっさんって呼んだらその役に立たない目ん玉を抉りだして並べて揃えて晒してやる!」
ずっと我慢していた事を近所の迷惑も考えずに叫び、譲治は田中が持つナイフの刃を握り締め、乱暴に奪い取る。大したナイフでないことはわかっていた。この程度の質であれば、ただ押しつけるだけでは人の皮を斬る事は難しい。それに加え、譲治の手の皮は分厚く、安っぽいナイフで切り裂かれるほど柔らかくはなかった。
しかし信頼していたナイフの刃を掴んで奪う荒技に、学生四人組は驚きの表情を顔に作って硬直する。その顔を撮影していた方がよっぽど面白い動画になっただろう。
「で? どうする?」両手を使って安っぽいナイフを根元からへし折り訊ねる。「真面目にコンビニでバイトするか、暫く病院のベッドの上で点滴が落ちるのを眺めるか、選べよ」
譲治としては、尻尾を巻いて帰って欲しいのだが、子共と言うのは引き際が悪い。特に自分の事を頭が良いと信じ込んで、大人を見下すような連中は。
「は、はは! そんだけで勝ったと思うなよ! 俺達がお前に襲われたってこの場で叫べばどうなると思う?」
少年の一人が高らかに言った。
なるほど。見た目だけで恐れられる譲治と、あどけなさの残る学生四人。譲治は折れているとは言えナイフも持っている。客観的に見ればどちらが悪人かは火を見るより明らかだ。もしかしたら、悲鳴を聴きつけて誰かが助けに来てくれるかもしれない。
「〇点だ」
が、所詮は子共の浅知恵だ。譲治は鼻で笑う。
「今までのやり取り、俺も録音している」
「は?」
「俺、運転手をやっているんだが」
「お前みたいなでかい運転手がいるか!」「駕籠かよ!」「人力車かも」
「奥さんとか娘さんを運ぶ時は変な疑いがかけられない様に、レコーダーを回すことにしてんだよ。そのレコーダーがポケットに入っていたから、田中君が出て来た時に起動した。お前達とのやりとりもばっちり録音している」
やはり、少年達は間違っている。犯罪の記録と言うのは、自分の無実や誠実さを証明する為に記録するべきなのだ。
「人の声は指紋と同じでそれぞれ個性があるからな。俺がこれを証拠として警察に届ければお前達の一人を見つけるなんて簡単だろうな。そもそも、俺はお前達の顔をもう覚えた。はっ! お前達、才能ねーよ。悪人にはなれないな」
両手を広げて譲治は自らの勝利を誇示するように口元に笑みを浮かべる。尤も、こんなガキ相手に誇るも何もないのだが。譲治にしてみれば、この程度は可愛い悪戯だ。この対応は少し大人気ないくらいだろう。
だが少年少女にとっては遊びと言えど真剣だった。田中を除く三人は先程までの余裕の笑みが失せ、明らかに苛立ち憤慨していた。過去に成功した方法が通じず、そればかりか自分達が不利な立場に追い詰められ、思春期特有の全能感と誇大なプライドに傷がついたのだろう。
暫く睨み合いが続き、動いたのは少年達だった。
「田中ァ! そいつをひきつけとけ!」
と、叫ぶとリーダー格らしき少年がその場で踵を返して走り出した。もう一人の男子生徒と女の子もそれぞれバラバラに十字路に逃げ込み、田中だけが譲治の前に取り残された。
田中は逃げてしまった友達の背中と譲治の顔を何度も何度も振り返って確認し、遠くなっていく足音が完全に聴こえなくなると、その場にへたり込んで泣き出した。
「う、ううぅ」と押し殺すような泣き方に、譲治は勘弁してくれと肩を竦める。これではまるで弱い物虐めだ。刃物を突き付けられた被害者なのに。
ここでこの田中を見捨てて雇い主にプリンを届けるのが社会人として正しい姿なのだろうが、譲治は顔に似合わず面倒見が良かった。
「おい。男が一々泣くな」
「ひぃ、殺さないで」
と、田中の返しは中々斬新な物であった。「殺さねーよ」。そんなに顔が怖いだろうか?
「お前、そんなんだから虐められんだよ。おら、立て! 起立!」
爪先で軽く蹴飛ばし、譲治はさっさと立ち上がる様に促す。が、田中はそれよりも譲治の台詞に大きく目を剥いた。どうやら虐められていると言うのは正解らしい。初対面の人間にばれた事に驚いているようだ。
だが、一人だけ脅し役にされ、ビデオで撮影されている時点で田中が彼等の中で対等でないことは明白。田中の事を呼ぶ時だけ、彼等は明らかに嘲りを籠めてもいた。
「親父ならこんな時、シェイクスピアから引用してこう言うだろうな。『楽しさのない処にはなんの得もない』ってな。お前、あいつらの友達止めた方が良いぜ」
その体格故に虐められた事もないし、その性格故に虐めた事もない譲治は、取り敢えず当たり障りのない事を言いながら田中の手を取って無理矢理立ち上がらせる。
「そもそも、俺にナイフを突き付ける根性があれば、あの三人なんて怖くも何ともないだろ? 言っとくけど、ちょっと前までいた場所じゃあ、俺の名前を聴くだけで皆逃げ出したもんだ。“恐れるべき龍殺し”とか呼ばれていたんだけどよ」
冷静になると恥ずかしいだけの渾名だが、偶にそう呼ばれていた時期が懐かしく思える時もある。二度とあんな場所であんな事をしたいとは願わないが、二階堂譲治の人格や哲学に大きな影響を与えたことは間違いなく、第二の故郷と呼んでも差し支えない。
あいつ等は元気にしているだろうか? と干渉に浸っていると、「…………おじさんは」と震える田中の声が耳朶を打った。
「お兄さんだ」取り敢えず、間違いを訂正しておく譲治。
「強いからそんな事が言えるんだ」
「あ?」
「僕は勉強もできないし、運動も全然駄目だし、要領悪いし、根暗だし、言う事を聞かないともっと酷い事されるんだ。煙草の火を押しつけられたり、蹴られたり、殴られたり。もっと、もっと、酷い事も」
「やめろやめろ! 聴きたくない! そこまで関わるつもりはねーよ、悪いけど」
突然の自分語りに譲治は耳を塞いで首を横に振る。
「俺の親父ならニーチェからこう引用する。『悪とは何か? 弱さから生じる全てのものである』お前の現状が最悪なのは、あの連中がどうしようもなく貧弱な精神の持ち主である事も確かだが、お前自身の弱さにも原因がある」
虐められる方も悪い。譲治の口から飛び出した言葉に、田中は下を向いてまた泣き出してしまった。その姿は譲治と比べるまでもなく小さく、頼りない。このまま夜の闇に押し潰されてしまいそうだ。
が、気にせずに譲治は続ける。
「だが、さっきも言っただろ? お前は強い。俺の前に正面から立ち向かえる奴なんて中々いない。アサルトライフル持ってる奴だって、俺に正面からぶつかっては来なかった。お前は自分の力の使い方を間違えているだけだ。お前が一歩自分の力で前に進むことが出来たなら、俺はお前の力になれる」
コンビニで自分用に買った自分の財布からだったら絶対に買わないであろう値段のアイスをビニール袋から取り出し、譲治はそれを田中に握らせる。
「取りあえず、今日は帰って寝ろ。日記とか書いちゃ駄目だぞ。退屈な事は寝て忘れるんだ。これもニーチェだったか? 親父が言っていた」
良い歳をして親父の言葉に影響を受け過ぎな譲治の言葉に、田中は頷く事も首を横に振ることもなく、ただただ泣き続けた。
譲治は泣き続ける田中がいい加減に鬱陶しくなって来たので、連絡先の書かれた仕事用の名刺を握らせると「じゃ。待ってるぞ」と路地を駆け出した。玲音お嬢様も待ちくたびれている事だろう。




