〇〇五
「ジョージさん!?」
突然に巻き込まれた非日常。周防玲音は焦っていた。既にこの二ヶ月で潜在意識と言う超常的な存在を彼女は何度か体験したが、こればかりは一向に馴れそうにない。
潜在意識を持たない彼女にとって、彼等の闘いは意味不明の一言に過ぎる。突然に人が吹き飛び、ガラスが割れ、猫が行列を作って二足方向で歩き、風が吹く度に視界が徐々にずれて行き、説明のしようのない感触が手を握って来るのだ。人間が如何に視覚情報に頼って生きているかがわかるし、目に見えない何かが確かに存在すると言う事実が様々な想像を呼び、それを餌に恐怖が顔を出す。
それでも玲音は今日ほど焦った事はない。その理由は明白で、運転手兼護衛の二階堂譲治の存在だ。大きくて強い彼の横にいれば、玲音もそれに近い視線で世界を見る事ができた。例え何があっても揺るがない譲治の余裕とその威厳を、短い付き合いながらも全幅に信頼し、それを根拠にして冷静でいられた。
しかし今、その譲治の考えがわからなかった。田中真智と戦闘になってしまったのは仕方がない。傍から聴いていてもこの少年は恨みや辛みに精神を焼かれ、冷静な判断が出来ている様には感じられない。逃げる所を撃たれる位なら、ここで確実に戦闘不能にしてしまった方が安全だし、過去の譲治は大抵そうして来た。
ただ、どうやら有利であったらしい状況をフラットな状態に戻してしまう意味が玲音にはわからない。
勝てる時に勝つようにして勝つのがベストで、相手に塩を送るなんて馬鹿げている。傷付かずに勝つのが至上であり、損害は少ない方が得に決まっている。
それでも譲治は敢えて危険を冒す。今までもそう言う傾向が無かったわけでもないが、それは不利な状況を覆す為のリスクであり、有利な状況を自ら捨てると言うのは流石に無意味としか思えない。
「後悔するなよ!」
相手はそれを侮辱と受け取ったのだろう、譲治に突き付けている何かを掴んでいる様な形に曲げた指が動き、合わせて腕が細かく震えた。銃の管理者をした潜在意識と言う話であるから、引き金を引いて弾丸を放ったのだと玲音にも想像がついた。
たかが銃撃であれば、心配は要らない。信じられない事に、譲治の潜在意識恋の仮面舞踏の拳は銃撃よりも早い。漫画に出て来る剣士の様に拳で弾丸を全て撃ち落としてしまう。調子の良い時は鉛玉を捕まえて見せた事もあった。
だが、今回は弾丸もまた潜在意識。何が起こるかは玲音の想像の域を遥かに超える。願わくは、どちらもあまり傷付かなければいいのだが、少女はただ大きな譲治の背中を見つめて信じてもいない神に祈ることしかできない。
「まず、後悔の仕方を教えてくれよ」
無駄に格好を付けた譲治の台詞が妙に心地良い。
視界に現れたのは小指程の太さをした紐に見えた。一〇センチ程の長さをしたそれは、赤と黒の派手な色をしており、熱気に踊る鰹節の様にゆらゆらと揺れている。
その紐が百足だと気が付いたのは、左右に並ぶ無数の肢の存在が目についたからだ。ピンセットで尾をつままれたそれは、顔の正面で生理的な嫌悪を催す動きで跳ね回っている。
『はーい。今日のデザートですよー』
百足の存在に気を取られていた脳が、赤ん坊に話しかける様な男の嘲笑混じりの声を訊く。声の方に視線を向けようとするが、六人がかりで身体を抑えられておりそれは敵わなかった。視界に写るのは、徐々に近づいて来る百足だけだ。
無数の人間の手が顎を乱暴に触る。硬く閉じた唇を金属の冷たい感覚が貫く。マイナスドラーバーか何かで口が抉じ開けられたのだ。すかさずに今度は鋭い何かが口内に侵入する。カッターナイフが縦に突っ込また。口を閉じようとすれば酷い事になるだろう。
そして、頭上から降りて来る百足は止まる気配がない。百足の体温が唇に触れた。おぞましさに寒気が走る。わしゃわしゃと動く肢が敏感な舌の感覚を冒涜的に掻き混ぜ、初めて体験する味と臭いが脳内から恐怖を呼び出す。
『はい。美味しいですよー』
ピンセットから百足が外れた。自由落下した百足は口内に降り立ち、出口を求めて動き始める。が、もっとも巨大な出入り口である口は直ぐ様に乱暴に閉ざされてなくなってしまう。狭い口の中を百足が這いまわる。
吐き気がする。だが、吐けない。全身の力を振り絞って拘束を振り解こうとするが、多勢に無勢でどうにもならず、ただただ百足に口内を蹂躙される。最早、頭の中には何もない。身の毛もよだつ感覚だけが全てで、自分が何をしているかも徐々に分からなくなって来る。
『お、鼻から出て来たぞ』『うける』『写真撮ろ、写真』
潜在意識U?U!は譲治の『人々は違った価値観を持ち、共有することができない』と言う考えを根本から否定する潜在意識だと言えるかもしれない。このグロテスクなAKを模した潜在意識の弾倉から伸び心臓へと繋がる茨が、真智の心から汲み出した記憶を弾丸として放つのである。
弾丸となった記憶は、真智の体験をそのまま被弾者に追体験させる。それは、普通であれば絶対に不可能な、一〇〇%の精度で相手に自分の気持ちを伝える事を可能としている。もっとも、一〇〇%伝える為には相手の脳に打ち込む必要があるが。
それぞれの価値観や、個人個人の肉体の持つ差、言語と言う不完全なツール、あらゆる問題点を無視し、絶対の共感を呼ぶ潜在意識。それがU?U!だ。この能力の前では、誰もが真智を理解せざるを得ない。
物理的な干渉能力は殆どなく、現実には蝿の一匹も殺せない。しかし人に使う場合には何の問題にもならない。むしろ、最悪と言っても過言ではない凶悪な攻撃能力を持つ。
この一年間、田中真智が受けて来た虐めの数々。死んでしまおうと何度も考えた生き地獄。無防備な心でそれを体験してしまえば、とてもではないがまともでは入られない。先の攻撃に使ったのは、去年の夏に百足の踊り食いをさせられた時の記憶だ。今でも夢に見て悲鳴を上げる恐怖体験は、特に食事中だった人間には効果があっただろう。
目の前の二階堂譲治は確かに屈強な身体を持つ偉丈夫だが、真智の攻撃に肉体の強さは関係ない。何の心構えも無くこんな体験をすれば、普通の感覚で要る事は不可能なはずだ。取り乱した所に、銃床を鼻先にぶつけるなり、ナイフで突き刺すなりをすれば終わりだ。
終わりに決まっている。
決まっているのに。
「なるほど、な」
譲治は唾を地面に吐き捨てるだけでシニカルに笑って見せた。
「自分の経験を体験させる潜在意識、か。攻撃的な外見に、精神干渉の能力。ちぐはぐで、戦闘向きじゃあないな」
たったの一撃でその能力を看破し、譲治は一歩だけゆっくりと足を前へと進める。真智はその大きな一歩に気圧され、潜在意識の照準を保ったまま、小さく二歩後退してしまう。
「弾は当たった筈だ!」
「当たったな」
「じゃあ、何故動ける!」
「女の子じゃああるまいし、虫一匹で騒ぐ道理はない。俺は二階堂譲治だぞ?」
「なら!」
更に後ろに下がりながら真智はAKの引き金にかけた指に力を込める。フルオートで乱れ飛んだ弾丸な譲治の身体を撃ち抜いた。どれもこれも、忘れたくても忘れられないおぞましい記憶を真智は選んだつもりだった。
「それで?」
が、譲治は揺らがない。顔色を少し変えた程度で、ひょっとした無視出来てしまうような変化だ。
「有り得ない! 嘘だ! さっきの潜在意識の能力か!?」
皆から無視された一カ月間の孤独。安全ピンとペンで背中に男性器の刺青を彫られた痛み。女の子達の前に裸で突き出されたマスターベーションをさせられた羞恥。浮気して妊娠した幹部の女のその腹を踏みつける役目を強制された罪悪感。まだまだまだ、忘れたい記憶は沢山ある。信じられない経験が腐るほど眠っている。
その全てを吐き出すつもりで、真智は後退する脚を止めてAKをぶちまける。
が、譲治は少しもそれらに反応を示さずに真智へと向かって行く。いや、反応はある、僅かだが憤っている様に見えた。が、それは真智が求めるリアクションではない。人によって差はあったが、グルールのメンバーの多くは三発も頭に喰らえば発狂した。
決して、こんな風に胸がむかついてくる記憶に対して、怒りを燃やしたりはしなかった。
「辛かった自慢か? 苦しんだ自慢か? だから、お前も同じ経験をしろって? お前は定年退職間近の老害上司か? 体育会系の伝統が残る部活の先輩か? 鬱陶しいだけだ、止めろ」
そんなツッコミを入れて欲しいわけじゃあないのだ。
「何で効かないんだよ!」
何時の間にか、真智は引き金から指を外し、尻餅をついて譲治を見上げていた。当然だが、先程よりもずっと大きく見えた。
「俺より弱いお前が耐えられる程度の悲劇を、お前より強い俺が耐えられない理屈があるか?」
「た、耐えられる程度、だと?」
確かに、どの苦難も真智が受け、そして耐えたイメージだ。真智が死んでいない以上、そのショックで死ぬと言う事は能力の仕様上有り得ない。が、そんな簡単に口に出来る様な体験でもなかったはずだ。幾ら譲治の精神が肉体と同様に不撓不屈であったとしても、矢継ぎ早にあれだけのストレスを受けて変化がないわけがないはずだ。
U?U!は自分の経験を体験させ、強制的に理解させる能力。ネットの精神ブラクラ画像を見てしまったと言うレベルの話ではない。実際に自分の記憶として理解させられているのだ。“あつものにこりてなますを吹く”の言葉もある、自分の体験を軽視する人間なんていないはずだ。
で、あれば? 何故、譲治は未だに直立しえるのか?
可能性は二つ。人としての心がない怪物であるか、これ以上の地獄を知っているかだ。どちらにせよ、精神的な面で譲治は遥かに真智を凌駕していなければ、こんな結果は有り得ない。
馬鹿馬鹿しいまでに完全なる敗北の理由は至ってシンプル。
田中真智は二階堂譲治よりも遥かに弱い。そもそも勝負にすらならない程に。
「嘘だ嘘だ嘘だ。馬鹿な馬鹿な馬鹿な」
そんな話があるだろうか? 長い長い苦難を乗り越え、降って沸いた様な幸運で力を得て強くなったと言うのに、まったく敵わない相手がいるなんて。手も足も出ずに負けるだなんて。
「僕は強くなったんだ!」
何時の間にか遠くになってしまった忌々しいグルールの上司。あれだけ恐ろしく、従うしかなかった存在が泣きながら許しを請うまで強くなった。それは間違いない。あの美城も素晴らしい報復の為の力だと太鼓判を押した。
「ああ。お前は強くなったのかもな。ひょっとすると俺の恋の仮面舞踏よりも厄介かもしれん。まあ、親父は強くなる事を認めないだろうが」
譲治もそれは認めた。顔も知らない親父が認めない事はどうでも良い。
「じゃあ! なんで! 僕はまだ見下されてるんだよ!」
納得がいかない。U?U!が何故負けなければならない? 長い不幸がどうして報われない? 何故、幸せは訪れてくれないんだ? こんなカタルシスのない結末のシナリオで誰が喜ぶんだ?
「お前は強くなったかもしれん」
もうわけがわからなくなって、涙ながらに叫ぶ真智に譲治ははっきりと告げる。
「だが、俺は二十二年間を強く生きて来たんだ」
たったの一言。しかし真智には妙にその言葉が重く感じられた。
U?U!が武器に出来るのはたった一年にも満たない真智の経験と、その間に芽生えた黒くドロドロとした怨恨だけ。激しいそれらを武器として振り回した。
対して譲治は自分の今までの人生で培った物、育てて来た信念を武器に真正面から立ち向かって来た。譲治の経歴を真智が知るわけもないが、しかしそれでもわかる事がある。
どんな相手にも、困難にも、正面から常に全力でぶつかって譲治は闘って来たのだ。
そうじゃあなければ、あの夜にあんな事を真智に言うわけもなかったし、この場でU?U!の攻撃をわざと受ける選択もしなかった。きっと、今までもずっと自分と相手を闘いの中で競わせて来た。
ただ勝つにしても方法は色々ある。無傷で勝つ。完璧に勝つ。相手の心折って勝つ。
二階堂譲治は常に相手よりも強く勝とうと、闘って来たに違いない。強くなったばかりの真智と、ずっと強く闘い続けて来た譲二。どちらの強さがより高い領域に至っているかなど、考える必要があるだろうか?
「立てよ、田中」
前回は蹴りと一緒だった台詞と共に、譲治が力無く地面に腰を下ろす手を差し伸べる。
膝を屈めながら差し出された右手に目が行く。傷だらけの手だ。ぶあつい手の皮には細かい刃物が目立ち、骨太な指先は心なしかどれも歪に見える。爪の形は不揃いで、剥がれた回数は一度や二度ではないだろう。
武骨で痛々しく、少しの優しさも感じられない。
「お前の気持ちや痛みなんてわかんねー」
しかしそれは真智の為に伸ばされた、初めての掌だった。
「けど、『助けて』ってのは聴こえたぜ」
U?U!は自分の体験を伝える潜在意識。
この一年間、真智は主体性を捨てて生きて来た。運命に従う様に屈服して自分を殺し、ただの機械である様に、ただのシステムである様に勤めて来た。裁判で凶器である拳銃が裁かれないように、死刑と言う法的な殺人が認められているように、人でない自分が何をする分にも自分には罪がないと思い込もうと必死に耐えて来た。
しかしそれでも、やはり真智は人間だった。
ずっと苦しかったし、辛かった。そして何より、心の奥底では誰かに助けて欲しいと願っていた。
だからU?U!で体験する真智の記憶にその願いが込められているのは当然の事だろう。誰もが――真智すら忘れてしまっていたその感情を、譲治はあの苦悶の中から確かに見つけ出していたのだ。
「僕を、助けてくれるんですか?」
差し出された右手に、真智は訊ねる。
「さっきも言った。それを決めるのはお前だ」
譲治は真っ直ぐに真智の瞳を覗く。
ふと気が付くと、真智の手の中からU?U!は姿を消していた。もう、想いを伝えるのに必要はないだろう。空の右手が武骨な掌を握った。返って来る力は想像よりも何倍も強く、ちょっとやそっとじゃあ離してくれそうもない。
「助けに来たぜ? 感動したか?」
二階堂譲治――潜在意識恋の仮面舞踏
完全勝利。この後、スーパーで晩御飯の材料を買って帰った。
周防玲音 ――ラーメンは食べられず。譲治の作った皿うどんを代わりに食べた。
田中真智 ――潜在意識U?U!
完全敗北。この後、過去を認め償う為に自首した。
彼にとって、それが強く生きる最初の一歩のようだ。
美城美咲 ――潜在意識灰被りの魔法
詳細不明。潜在意識を産み出す潜在意識持ち。
グルール ――少年犯罪組織。真智の内部リークにより甚大な被害を受ける。
黒幕の一人であった教育界のビッグネームが逮捕され、世間を騒がせた。
To Be Continued?




