トレーニング
「それじゃあ始めよっか」
「よろしく頼む」
すずなたちに勝負を挑んだ次の日の放課後、椎間は実乃梨に改めて格闘ゲームの基礎を教えてもらう為に自室に集まっていた。
椎間はアーケード筐体の前に座り、実乃梨は後方からモニターを覗き込んでいる。
<ウロボロス>ではCPUと対戦するアーケードモード以外に、動かないキャラクターを相手に練習が出来る<トレーニングモード>が搭載されている。
<トレーニングモード>ではコマンド技の入力や連続技など各個人の好きな練習に取り組む事が出来る。
格ゲーにも基礎というものはある。
やみくもにボタンを押せばいいというものではなく、それぞれのボタンを押す事で、どんな攻撃が出るのか。コマンド技はどういう性質を持った攻撃なのか。それらを把握し、自分の出したい時に正確に入力する技術が必要となる。
スポーツでも、基礎練習が重要である事はいうまでもないだろう。それは格闘ゲームにおいても同じである。
通常技やコマンド技のような基礎的な部分から、連続技や起き攻めなどの応用技術の反復練習をして、ミスを可能な限り減らす事が実戦で勝つ事への一番の近道となる。
その練習をするには、この<トレーニングモード>は非常に便利なのだ。
とはいえ、次のランクマッチ戦までは一週間もない。この短い期間で全ての基礎を身につける事など出来ない、その為、実戦で役立つ技術を中心に覚えていく事になった。
「まず、現時点で椎間くんが出来る事を見せてもらおっか」
椎間はアーケード筐体のスタートボタンを押してゲームを開始すると、<トレーニングモード>を選択する。
モニターにはキャラクター選択画面が映し出された。
続いて自分が使用するキャラクター<ルーク>を選択し、次に練習台となるキャラクターの選択に移る。
「大暮くんは<ドドガル>使いだから、次のランクマッチ戦までの間は全部<ドドガル>を相手にするといいよ」
椎間は実乃梨の指示通りに<ドドガル>を選択する。
画面が切り替わりトレーニングモードが始まる。
<ドドガル>はいわゆる<投げキャラ>というものに該当する。この<ウロボロス>に登場するキャラクターの中でも最も大きい。全身に鎧をにまとい、ただでさえ巨大な体躯がより大きく見える。
頭部はフルフェイスの兜で覆われていて、素顔は確認出来ないが隙間から鋭い眼光が覗いている。
「さあ、それじゃあ始めるぞ」
椎間は<ルーク>を操作して、<ドドガル>の前に立つ。
そして<ルーク>の代名詞とも言える強力な無敵技<ブレンネン・ドルヒ>のコマンドを入力して放つ。
燃え上がる大剣で<ルーク>が<ドドガル>を斬りつける。
「うん。<ルーク>の無敵技だね。他には?」
実乃梨は確認するように頷きながら、次を促す。
「以上だ」
「以上って……ええっ!? もう終わりなの!? 連続技が出来ないのは仕方ないとして、他にもコマンド技があるじゃない」
「いやー、実はさ……」
椎間は他のコマンド技を一つも覚えていない事を実乃梨に告げた。
その告白に始めは唖然としていた実乃梨だったが、話を聞くにつれて次第に納得していった。
「考えてみれば当然だよね。椎間くんは何でも出来そうだなって思ってたけど……なんか少し安心したよ」
「いやいや、ゲームは色々やってきたけど別に上手い訳じゃないしな。それに格ゲーは初心者だし」
「とりあえず<ルーク>の他のコマンドを教えるから、やってみてもらえるかな?」
実乃梨に教えてもらい、椎馬はコマンド技の練習を始める。
しかし、一通りのコマンドを試してみたものの、その成功率は決して高いとは言えず、思うようにコマンド技を出す事が出来なかった。
「<ブレンネン・ドルヒ>を覚えた時もそうだったんだけど、コマンド技ってなんか苦手なんだよね」
「コマンド入力が苦手って事はレバーの持ち方が合ってないのかもね」
「持ち方? そんなもんまで決まってるのか……」
「スポーツとかみたいに、こうするって明確に決まってる訳じゃないけどね。自分が一番やりやすい持ち方があるならそれでいいんだけど……ひとまず、今の持ち方を見せてみて」
実乃梨に言われて、椎馬は普段通りのレバーの持ち方を見せる。
椎間の持ち方は、レバーのボール部分を野球のグリップのように横から握り締める持ち方だ。
「そういう持ち方かぁ、それだとちょっとやりにくいような気がするけど……椎間くん的にはどうなの?」
「自然にこういう持ち方をしてただけで、特にこだわりがある訳でもないんだよね」
「そっか、だったら基本の持ち方を教えるから、試してみて動かしやすそうだったらそっちに変えてみるといいよ。大体の人は<被せ持ち>と<ワイン持ち>の二通りの持ち方をしているの……」
椎間の背後から手を伸ばして、実乃梨はレバーのボール部分を手のひらで上から被せるように柔らかく握る。
「これが<被せ持ち>。この持ち方の利点はどの方向にも少し力を入れるだけでレバーの操作が出来る、入力速度に優れた持ち方だって言われてるんだよ」
椎間は実乃梨が見せてくれたのと同じように<被せ持ち>でレバーを握ってみる。
「これは中々……」
「さっきよりは良くなった?」
試しに<ルーク>の無敵技<ブレンネン・ドルヒ>を入力してみる。若干、最初の時よりも早く、正確に入力出来ているような気がした。
「さっきまでよりは確実にやりやすくなってるよ。それにしてもレバーに持ち方があるなんて考えてもいなかった」
「次は<ワイン持ち>の方もやってみようか」
実乃梨はそう言い、またも椎間の背後から手を伸ばすと、今度はレバーのスティック部分を中指と薬指の間に通してワイングラスを持つように握る。
「これが<ワイン持ち>。この持ち方の利点は入力の正確さが優れていると言われてるんだよ。じゃあ、試してみてもらえるかな」
椎間も<ワイン持ち>でレバーを握ってみる。
確かに実乃梨が言うようにレバーをしっかりと握ってる分正確に入力が出来そうだ。
「ちなみに実乃梨はどっちの持ち方なんだ?」
「私は<ワイン持ち>だよ。でも私の場合は最初からこの持ち方だったから、レバー入力が正確かって言われてもあんまりよくわかんないんだけどね」
実乃梨ははにかんだ笑いを浮かべる。
「でも、持ち方なんて自分が入力しやすければ何だっていいと思うよ」
「ふむ、確かに」
椎間は<被せ持ち>と<ワイン持ち>を交互に変えながら操作の感触を確かめる。
実乃梨は椎間の手元の様子をしばらく見つめた後、口を開いた。
「それで、今後の事なんだけど……すずなさんたちとのランクマッチ戦は来週の木曜日、後六日しかないよね。平日はあんまり時間が取れないから、土日の間にどれだけ上達出来るかが大事だと思うの……」
椎間は一度レバーから手を離すと、その話に耳を傾ける。
「明日……出来れば今日には、コマンド技を覚えてもらって、連続技の練習に入りたいな」
「おっけー、やってみるよ。でも、その前に少し気になる事があるんだけど、もし俺が連続技も出来るようになったら、海人に勝てる確立はどのくらいだと思う?」
「うーん、大暮くんのプレイを見た事ないからわからないなぁ。ただ、一つ言えるのは、もし私と対戦した時みたいに反応に頼った戦い方をしようと思ってるなら、椎間くんは勝てないだろうね」
実乃梨ははっきりと断言をする。
「えっ!? なんで反応に頼ると勝てないんだ?」
「それはね、大暮さんが使ってるキャラが<投げキャラ>だからなんだ。普通のキャラなら通用するかもしれないけど、<投げキャラ>にはあの戦い方は向かないの」
格ゲーでは反応の速さが重要な要素だと椎間は思っていた。反応して相手の攻撃を捌けるなら手痛いダメージをもらう事はなく、投げ技であってもどうにか出来る自信があった。
その為、実乃梨の言っている事が椎間にはさっぱり分からなかった。
「うーん、よく分からん……」
「なんて説明したらいいのかな……そうだ、実際にやってみよっか? その方がよくわかるよ」
実乃梨はそう言うと椎馬の隣に座ってスタートボタンを押す。
《HEAR COMES A NEW CHALLENGER!》
<投げキャラ>の動きを見せる為、実乃梨は<ドドガル>を選択した。
「椎間くんは私が投げると思ったら反応してジャンプしてみてね」
「分かった」
実乃梨が<ドドガル>を操作して<ルーク>の前に立つ。
こうして並んでみると<ルーク>と<ドドガル>では一回り以上の体格差がある。これはゲームの中の出来事のはずだが、<ドドガル>の巨大さに威圧感を覚え、自分が目の前に立っているような錯覚すら椎馬は感じていた。
「それじゃあ、合図したら投げるね」
椎間は<ドドガル>のモーションを見逃さないように目に全神経を集中させる。
「いくよー」
実乃梨の掛け声が聞こえ、それと同時に椎間はジャンプをして<コマンド投げ>を回避しようと試みる。しかし、その時にはもう<ドドガル>に掴まれ、投げられてしまった。
「ねっ、だから言ったでしょ?」
「あ、後もう一回、もう一回だけやらせてくれ!」
「別にいいけど、何度やっても無駄だと思うよ」
後一回と言いつつ十回近く試してみたが、結局椎間は一度も<コマンド投げ>を回避する事は出来なかった。
「こりゃ無理だわ。<コマンド投げ>の発生ってこんなに早かったんだな」
椎間が観念すると、実乃梨は筐体から立ち上がる。
「椎間くんが私との対戦で反応してガードしていた<アーネスト>の中段は21F、約0・3秒。だけど<ドドガル>のコマンド投げは8F、約0・1秒。
前に人間の反応速度については説明したよね? 椎間くんがいくら反応速いといっても、人間の限界反応速度である12Fを超えてるからね。見てから回避しようとするのは不可能だよ」
「それなら投げに対してはどう対処すればいいんだ?」
「投げなのか、そうじゃないのかを読み合うしかないね。読み合いは対戦経験で身についていく部分が多いと思う。それを覚える為に、対戦に必要な基礎は早めに出来るようになって欲しいの」
「なるほどな、確かにこりゃ根を詰めて練習していかないと駄目だな」
「うんうん。だから、反応だけじゃあ勝つのは難しいんだ」
実乃梨はしたり顔で筐体に座る椎間を見下ろしながら言った。
「……それにしても、椎馬くんが連続技出来るようになったら、どれぐらい強くなるんだろうなぁ」
「なんだよ突然。まだ操作すらおぼつかないのにそんな事言われてもな」
「ああ、ごめんごめん。そういう意味じゃなくてね。あれだけの反応速度があるなら、投げの読み合いでは使えないけど、それ以外のところでは凄く役に立つと思ったの」
(投げの読み合いでは使えないけど、他の部分では役に立つ……?)
椎馬にはそれがどういう事なのか理解出来なかった。
「立ち回りでは常に対峙している相手の動きを見続けて、何をしてくるのかを判断して動くよね。
もちろん見てからだけじゃなくて、予想して先に動く事も多いけど、反応が速いって強みがあれば、予想だけに頼らずに相手の動きを見てから動いて対応する事が出来る。これは格ゲーをする上で大きな強みなんだ」
実乃梨は一度そこで言葉を切ると、ひと呼吸置いてから話を続ける。
「まずは一つずつ出来る事から始めて、ランクマッチ戦までの間、やれるだけの事をやっていこ」
実乃梨は背中で手を組んで微笑みながらそう言った。
「その通りだな……」
椎間は今まで様々なゲームをプレイしてきたが、どちらかと言えば一人でプレイ出来るゲームを中心にやっていた。
対人ゲームの経験はほとんどなかったが、同じゲームなので、上手く出来る自信があった。しかし、実際には操作面にすら手こずっているのが現状だ。
反応は上達するうえで、大きな武器となる。
実乃梨がその為の過程を示してくれたおかげで方向性が見えてきた。
(とにかく一歩ずつ確実に、だな)
二ノ宮を倒すという目標に向けて、ようやく一歩を踏み出せたという実感が湧き始め、椎間は自然と笑みが零れる。
「うしっ!」
椎間は気合を入れる為に頬を張る。
「な、何! どうしたの!?」
椎間の突然の行動に実乃梨は驚いて後ずさる。
「実乃梨のおかげでスイッチ入った。今日、明日でやらなきゃいけない事を教えてくれよ。全部ものにしてみせるからさ」
「そ、そう? その様子ならもう私が何も言わなくても大丈夫そうだね」
実乃梨はそう言うと穏やかな顔を浮かべた。
「いや、実乃梨には聞きたい事が山程あるからな、これからも頼むぜ」
「はいはい。じゃあまずはコマンド技全てを考えなくても出せるようにして、そうしたらこの連続技を――――」
次のランクマッチ戦まであと六日…………。