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格ゲー科へようこそ!  作者: ぺんぺん草
7/9

ランクマッチ戦

 “ランクマッチ戦”


 格ゲー科での「実戦」の授業内容の一つに当たる。

 この時限では格ゲー科の全生徒が二ノ宮付属の敷地内を自由に動き回る事が出来る。

 ステータスパスポートのメニュー内にある“マッチ検索”を押す事で周囲約5メートル内にいる対戦可能な人物の一覧がパスに表示されるようになっている。

 その中から対戦相手を選び、最寄りのアーケード筐体へ移動してランクマッチ戦の開始となる。

 対戦を挑まれたチームは拒否する事は出来ない。

 相手パスからの対戦申請を受けている状態で対戦を行わない、またはランクマッチ戦の時限が終わってしまった場合は不戦敗扱いとなる。

 ただし、シングルであればチーム側が“マッチ検索”を掛けても一覧に表示される事はない。

 これはシングル側が集中的に狙われるのを防ぐ目的があり、相方をまだ見つけていない生徒への救済措置になっている。



  ◆



 教室内の雰囲気はいつもと違っていた。

 普段であれば、授業前に皆それぞれ談笑し、教師が来たら蜘蛛の子を散らすように席へ戻っていく。

 しかし、今日は一人として談笑する者はおらず緊張した面持ちで着席している。


「椎馬」


 名前を呼ばれると同時に肩を叩かれて、椎馬は振り返る。


「海人か」

「とうとう今日になっちまったけど……本当に大丈夫なのかよ?」


 海人は椎馬の正面へと立つと、心配そうな顔を向ける。


「昨日も言っただろ、全て今日次第だって」


 海人は昨日も椎馬を気遣って声を掛けてくれていた。

 入学式から一週間経ったが、結局、椎馬は誰かとチームを組む事なくシングルのままだった。

 あの夕食の日以来、実乃梨に避けられているようで、結局チームを組むという話は進んでいないままだった。


「大丈夫だって、ランクマッチ戦もまだ初回だし、なんとかなるさ」

「そうか……」

「海人も俺を心配するよりも、まず自分を心配しろよ。集中してなくて負けたらすずなに怒られるぞ」


 椎馬は席を立って海人の肩に手を置く。


「はーい。みんな席につけー」


 教室に入ってきた小毬は教卓の前へと歩きながらそう言った。

 まだ海人は納得いかない様子だったが、渋々ながらも席へ戻っていった。


「いいねえ、みんなから緊張してるのが伝わってくるよ。なんたって初のランクマッチ戦だもんねえ」


 それに対して返事をするクラスメイトは誰もいない。

 皆、来るべき時を待って集中している。


「鐘が鳴るまで後少しか……まあ程々に頑張ってらっしゃい」


 クラスメイトの誰もが一言も喋らず、静かに耳を澄ませている。

 教室内に静寂が満ちていく。


 ――――ゴオオオォォン。


 ランクマッチ戦の開始を告げる鐘の音が鳴り響いた。

 先程までの静けさはどこへいったのか、教室内は鐘の音を合図に慌ただしくなり、クラスメイトたちはそれぞれ教室の外へと駆け出していく。

 海人が教室を出て行く手前で椎馬の方に視線を送る。

 椎馬はそれに対して一度だけ頷くと、海人はこちらの考えを察したのか、そのまま教室の外へと走り出していった。

 その様子を眺めているうちに気づけば教室内には椎馬と小毬以外誰もいなくなっていた。


「七枷は行かないの? ……っていっても相方がいないんだろうけどさ」

「いや行きますよ。別に急がなくても俺の対戦相手は他の人にとられたりしないんで」


 椎馬は立ち上がり、ゆっくりと教室の出入り口の方へ歩き出す。


「ふーん。まあ頑張んなさい」

「はは、とりあえずやるだけの事はやってきますよ」


 小毬にそう言い残して椎馬は教室を出て行った。


「…………青春だねぇ」


 誰もいなくなった教室で小毬はボソリと一言呟いた。



  ◆



 椎馬はゆっくりと階段をのぼっていく。

 目的の対戦相手は教室やその周囲にはいなかった。彼女の性格を考えればランクマッチ戦で騒がしい校舎内を他の生徒たちと同じようにうろついているとは思えない。

 以前、彼女が昼食の際にある場所を利用していると、すずなから教えてもらった事を思い出し、椎馬はその場所へと向かっていた。

 階段を全てのぼり終えて椎馬は片側にノブのついた金属製の両扉の前に佇む。

 その先に目的の相手がいるかどうかの確証はない。だが、なんとなくこの先にいるような気がした。

 椎馬は制服の上着の内ポケットからパスを取り出して“マッチ検索”を押すと、対戦可能な人物の一覧が表示された。


(……当たりだな)


 彼女の名前がマッチ検索の中に表示されているのを確認すると、パスをしまい、ドアノブに手を掛け力を込めて開け放つ。

 春の暖かい風と匂いが瞬く間に吹き込んできて椎馬の鼻腔をくすぐる。

 その先にはフェンス越しに校庭を見つめる一人の少女がいた。腰まで届く長い黒髪がさらさらと風に流されて舞っている。

 少女はこちらの存在に気づいたのか、踊る髪を手で押さえながら振り向く。

 椎馬の姿を目にすると、物憂げだった表情を一変させ、困惑した表情へと変わった。


「な、七枷くん……どうしてここに?」

「いやー、なんとなく風に当たりたくなってさ、どうせお互いシングルだし暇でしょ? ちょっと邪魔させてもらってもいいかな?」

「…………ご自由にどうぞ」


 実乃梨は椎馬の目を懐疑的に見つめた後、観念するように吐息を漏らした。


「サンキュー。建物の屋上なんて生まれて初めて来たけど景色も良いし風も気持ちいいな」

「……そうですね」


 実乃梨は校庭の方へと視線を戻して端的な言葉だけが返ってくる。

 校庭には屋外でランクマッチ戦を行う生徒たちで溢れかえっており、一喜一憂する声が屋上にまで聞こえてくる。


「しっかしランクマッチ戦の日だけとはいえ、屋外に筐体が置かれてるのを見るのはなんとも言えない気分になるよね」


 椎馬はそう言いながら屋上を歩き始める。


「これじゃあ折角の景色が台無しだよね」


 屋上の中心、そこにはアーケード筐体が鎮座している。それは屋上の風景としては明らかな異物だ。


「…………」


 実乃梨は校庭をぼんやりと眺めたまま、かたくなに何も言わなかった。


「……羨ましいの?」


 椎馬の言葉に実乃梨はびくりと身体を震わせる。


「な、何言ってるの。別にそんな事……」

「さっきからずっと校庭を見てばっかりだからさ、まあそうだよね、このお祭り騒ぎに加われないんだから面白くないよね」


 そこまで言うと実乃梨はようやくこちらに身体を向けて椎馬を睨みつける。


「……何が言いたいんですか?」


 椎馬はその眼差しを受けて微笑すると、筐体をポンポンと手で叩きながら答える。


「このままだと退屈でしょ? 俺とランクマッチ戦しない? ちょうど二人共シングルだし条件的には対等だ」

「…………七枷くんはまだ初心者だし、私とやってもしょうがないんじゃないですか? それにその勝負を受ける理由が私にはありません」

「確かに、俺が初心者なのは間違いないけどね、別に本気で相手してくれなくってもいいんだ。対戦さえしてくれればね」


 椎馬の言葉に実乃梨は再び身体を震わせる。けれど、はっきりと決意するように実乃梨は言う。


「……もう一度言いますけど、私には七枷くんと勝負する気はありません」

「春日さんにはその気がなくても俺にはあるんだよなー。でもいいの? 勝負受けないんだったら不戦敗になっちゃうけど」

「え?」


 椎馬は制服の内ポケットをあさり、パスを取り出すと、惚けた表情の実乃梨にパスに表示された画面を突きつけた。

 そこにはこう映し出されている。


  七枷椎馬 → 春日実乃梨


  ランクマッチ戦申請中……


 画面に表示されている事の意味を理解した実乃梨は慌てて自分のパスを取り出す。

 パスの画面を確認すると、実乃梨は愕然とする。


「な、なんで! シングルには申請は送れないんじゃ……」

「あれ? 知らなかったんだ。チームからシングルに対しては申請出来ないけど、シングルからシングルになら同条件だから申請出来るんだよね」


 椎馬は「こんなケースはまれだから、先生もわざわざ説明してなかったのかもね」と続ける。

 パスの画面を覗き込んだまま、その身を強張らせて実乃梨は押し黙った。

 二人の間を強い風が通り抜ける。校庭に咲く桜の花弁が屋上にまで舞い上がり一緒になって流されていった。


「――――った」

「ん?」

「わかったって言ったの! その代わり私が勝ったらもう金輪際関わらないで!」

「……ああ、それでいいよ。じゃあ始めようか」


 二人はそれぞれ筐体の椅子に座って、リーダーにパスを読み込ませる。



 =============================


 1P 七枷椎馬

 ランク:F    ギルド:未所属

  戦績:  0戦  0勝



 2P 春日実乃梨

 ランク:F    ギルド:未所属

  戦績:  38戦  10勝


 =============================



「……まだ初試合なのに私に挑んでくるなんてどういう事?」

「ちょっと時間が足りなくってね。ぶっつけ本番ってやつだ」

「そんなんで勝とうだなんて私も舐められたものだよね。いいよ、こんな勝負さっさと終わらせる……」


 実乃梨が言い終えると吹きすさぶ暖かい風が急激に冷たくなったように感じた。

 まるで冬のように冷たい風が椎馬に突き刺さる。


「さあランクマッチ戦、開始だ!」


 椎馬は力強く試合開始の宣言をした。



  ◆



《READY…………ACTION!》


 試合開始の合図と同時に実乃梨は大きく後ろに下がった。

 それは椎馬が想定していた通りの動きだった。その動きに対して、椎馬は次に取るべき行動をすでに用意している。


 椎馬は、ただ何もせずその場から動かない。

 行動、というにはいささか語弊があるかもしれないが、普通に考えればこんな行動は当然悪手だ。相手だけが動くのだから、むざむざアドバンテージを与えてしまうだけだ。

 しかし、この試合に限っては違う。実乃梨も椎馬と同じようにピタリと動きを止めていた。いや動く事が出来なかったのだ。


「ちょっと七枷くん何やってんの……もう試合は始まってるんだけど」


 痺れを切らした実乃梨は筐体の向こう側から椎馬に声を掛ける。


「ああ、分かってるよ。俺はただ春日さんから攻めてくるのを待ってるだけだよ……ぼっ立ちでね」

「…………馬鹿にしてるの?」

「いやいや、俺は至って大真面目だよ? 別に春日さんから攻めてきてくれれば済むだけの話でしょ? それともあれかな、自分からは攻めにこれない事情でもあるのかな?」


 数秒にも満たないであろう空白の時間が場を支配する。

 それは僅かな時間であるはずなのに普段よりも随分と長く感じた。


「……どうして⁉」


 筐体の反対側から実乃梨の声が届く。

 実乃梨は筐体から立ち上がって椎馬に向けて悲しげな表情を向けた。

「なんで七枷くんが知ってるの!? 私の事最初からわかってたの⁉」

「もちろん最初から分かってた訳じゃない。今まで忘れてたけど、俺は春日さんの動きを以前に見ていたんだ」

「私の動きを……見ていた?」

「そう、生徒会長を倒そうだなんて息巻いているような奴がさ、格ゲー科に入学するっていうのに格ゲーをほとんどプレイした事がない、なんて変だと思わなかった?」


 捲したてるように椎馬は続ける。


「俺はね、新しくゲームをやり込むにあたって、初めにそのゲームのネット情報や動画をひらすらに集めるんだ」


 ゲームのやり方は人それぞれ違う。

 椎馬はゲームのプレイよりも先に情報収集を徹底する。

 格ゲー用語から基礎的な事、ゲームのテクニックや考え方、プロや上級者の動き方から初心者の動き方まで、ありとあらゆる情報をまず頭の中に詰め込む。

 格闘ゲーム界から発祥した用語だが、いわゆる“動画勢”という奴だ。

 自分はそのゲームをプレイしないのに、知識だけは持っているので、他人の試合を見てうんちくたれるような人物をそう呼ぶ。

 野球やサッカーをやらないのに、この選手はここが駄目だ、とか監督のあの采配はない自分だったらこうする、とかそのような事を言う人と同じだ。

 椎馬の場合はうんちくを言う訳ではないので少し違うが。


「だから見た事があるんだ。春日さんの“春”も“冬”もどちらの動きもね」

「な⁉ だけどそれが私と同一人物だって事には繋がらないよね!? それに昔の私と今の私の動きは全然違う、共通点なんてないはずなのに……」

「春日さんはあんまり自覚してないかもしれないけど“春”はね、正体不明の強プレイヤーとしてネットで凄く有名だったんだ。日本最強、全一<アーネスト>使いじゃないかってね。だから当然俺も“春”の対戦動画は沢山見た。

 けれどある日を境に突然“春”は姿を消した。ネットでもこの話題は大きく取り上げられていたよ。毎日ネット対戦していた謎の強プレイヤーの正体は誰だったんだろうって。結局誰も知らないまま、次第にネットからも忘れ去られて話題にあがらなくなったみたいだけどね」


 椎馬も筐体の席からゆっくりと離れると実乃梨の対面に移動して二人は向かい合う。


「そして“冬”。このプレイヤーの動きは違和感の塊だった。動画を見るたびに動きが変わって、相手が上級者であろうと、初心者であろうと試合は全て負け試合。

 普通の人なら気づけなかったと思うよ。そもそも大体の人は上手い人のプレイを見たがるからね、上級者から初心者まで、視聴可能な動画はほぼ全て見て、何度も見なおした俺だからこそ“春”と“冬”の共通の動きに気づく事が出来たんだ」

「共通の……動き?」

「ああ、身体に染みついた動きってのは中々忘れられるようなものじゃない。自転車の乗り方や泳ぎ方を忘れないのと同じでね。

 春日さんのはそれを上手く抑えてたみたいだけど“春”と“冬”この二人のプレイヤーの動きを注目して比べれば比べる程不自然が浮彫りになっていったよ。

 そして思ったんだ“春”と“冬”この二人は同じプレイヤーが操作しているんじゃないかって、“冬”が現れ始めたのは“春”がいなくなった後だったからね」


 椎馬の言葉を聞いて、力なく肩を落として俯く。

 実乃梨の長い髪がさらりと流れて顔を覆い、表情が隠れる。


「……七枷くんは私がプレイしている所に居合わせてないよね、なのにどうやって知ったの?」

「それはこいつだ」


 椎馬はパスを取り出し実乃梨へ向ける。


「パスにはリーダーに読み込ませた試合を動画として履歴順に保存してくれる機能がついているらしくてさ、すずなは俺と春日さんを組ませたがってたからな、無理やり動画を見せられて春日さんが“春”だって気づくきっかけになったよ」


 椎馬がそう言い終えた後、二人は互いに黙り込んで何も言わなかった。

 屋上にまた強い春風が吹き込み、サラサラと木々の揺れる葉音を運んできた。その風には先程感じたような冷たさはなく暖かいものだった。


「そっか。本当にもう全部バレちゃってるんだね」


 葉音が静かに鳴り止んだ頃、実乃梨は顔を上げてそう言った。

 髪で隠れていた顔がはっきりと椎馬の目に映る。

 実乃梨は笑っていた。けれどその目の両端から涙が頬を伝って流れていた。


「やっぱり軽蔑したかな? それとも変な奴って思った? 友達に嘘ついてまでこんな事してるなんて本当に馬鹿だよね」


 実乃梨は涙を手で拭いながら筐体の前へと座る。


「ねえ、七枷くんは私の正体を突き止めてどうしたかったの? そんなつまらない事やってるなよとか言いたかったのかな? 七枷くんには私の気持ちは絶対にわからないと思う。私は楽しそうに振舞うあなたを見ているのが辛いんだよ……」


 涙を拭い終えると。実乃梨は顔を上げて鋭い眼差しを椎馬へと向ける。


「七枷くんにはもう何も隠す必要もないし、この勝負を見ている人は誰もいない。だから正真正銘、私の全力を持ってあなたを倒す。そしてもう二度と私に関わらせない。それでいいんだよね?」

「ああ、試合前にも言った通りそれで構わない。それと俺が負けても春日さんの事や対戦内容、対戦動画とか、そういった情報は一切漏らしたりしないから安心してくれ」


 実乃梨に返答をしながら、椎馬も筐体の前へと戻る。

 まるで自分は負けるつもりがないような余裕綽々とした椎馬に実乃梨は怪訝な顔をする。


「……私が本気を出すって言ってるんだよ? “春”の動きを見た事がある七枷くんなら、初心者の――――いや、初心者の域にすら達していないあなたに勝ち目がないってわかると思うんだけど?」

「勝負ってのはどんなものでも最後まで分からないもんだよ。とりあえず俺だって簡単には勝たせるつもりはないから」

「そう……なら見せてもらおうじゃないの、あなたの実力がどれほどのものかをね!」


 互いにゲーム内のキャラを軽く動かして問題がない事を確認する。


「それじゃあ再開だ!」


 椎馬の合図により、二人は再びゲーム画面へと意識を集中させていった。



  ◆



 椎馬の合図で再開した二人のランクマッチ戦。

 合図と同時に先制攻撃を仕掛けたのは実乃梨だった。


『マグナム!』


 実乃梨は突進技を使い、牽制と接近を兼ねた行動を選択してきた。開始の合図に合わせて放つ事でこちらの意表を突くのが狙いだろう。


(いい選択だな……けどそんなんじゃ甘い!)


 椎馬は実乃梨の突進技に合わせてコマンドを入力した。


『ブレンネン・ドルヒ!』


 椎馬の持つ剣が発火し、激しく燃えるエフェクトと共に相手を斬り上げる。

 実乃梨の放った<マグナムバスター>を無敵技<ブレンネン・ドルヒ>で反撃したのだ。


「なっ!?」


 対応されるとは思っていなかったのか筐体の反対側から実乃梨の驚きの声が上がる。

 <ブレンネン・ドルヒ>により実乃梨は吹き飛ばされた。だが、椎馬は追撃には行かず、その場から動かなかった。


「……あくまで自分からは動かないつもりなんだね」

「動かないんじゃなくて、動けないの方が正しいかな。何せ立ち回りに関してはまだ何も練習してないもんで」


 椎馬が今回の勝負の為にやってきたのは実乃梨の対戦動画をひたすらに見続けた事と無敵技<ブレンネン・ドルヒ>の入力練習のみ。

 立ち回りどころか連続技の練習すらしていない。


「そんなネタばらししちゃっていいのかな? だったらこっちから行かせてもらうよ!」


 実乃梨はジャンプして空中から接近すると、椎馬にジャンプ攻撃を被せる。

 インファイトキャラならではの重い攻撃を椎馬はガードして防ぐ。

 防戦一方の椎馬に対して、実乃梨は手を休めず攻撃を加えていく。

 嵐のような実乃梨の猛攻が続いていくが、椎馬はその攻撃の全てをガードする。

 普通に攻めているだけでは椎馬を崩せないと判断したのか、実乃梨はしゃがみガードが不可能な攻撃である<中段攻撃>を仕掛けてきた。

 それに対して椎馬はしっかりと無敵技で相手の<中段攻撃>を潰しつつ反撃し、再び実乃梨を吹き飛ばす。


「くっ!」


 空中へ飛ばされた実乃梨は受身によって体勢を立て直し、地面へと着地する。

 着地と同時に実乃梨は再び<マグナムバスター>を放って接近を試みる。

 またも速い展開から繰り出される突進技。しかし椎馬もまたそれを難なく<ブレンネン・ドルヒ>にて切り返す。


「……もしかして見えてたりするの?」


 実乃梨が再び受身を取ると攻撃の手を止め、囁くように言った。


「流石に察しが良いね。どうも俺は普通の人より反応が速いみたいでさ、今までの攻撃は全部確認してから対処させてもらったよ」


 以前二ノ宮も言っていたが、格闘ゲームでは1秒を60Fとして、1F約0・016秒単位でお互いの攻防を読み合っている。

 一般的に人間の限界反応速度は0・2秒、約12F程と言われている。

 先程、実乃梨が放った<マグナムバスター>の発生は17F、<中段攻撃>の発生は21F。これだけ聞けば人によっては簡単に対処出来るのではないかと思うかもしれないが、現実的にはそんな生易しいものではない。

 限界反応速度である12Fとは、あくまでも捉えた情報を脳が意識出来るまでの時間であり、実際にはそれに気づいてからレバーを操作したり、ボタンを押す時間が必要になる。


「……もし、本当に今までの攻撃全てに反応していたっていうなら、とんでもない反応速度だね。にわかに信じがたいけど」


 実乃梨がガードを崩す為に放った<中段攻撃>は幾重にも布石を敷いてかく乱した末に選択されたものだ。意識を分散させ、的を絞らせない攻撃を織り交ぜられている中で、ある一つの攻撃に対して反応し、そこからコマンド技を入力するという事は常識的には至難の業だろう。


「俺も普通ならこれだけ反応するのはきついよ。けど俺はこの一週間ずっと“春”の動画を見続けて頭の中に叩き込んできたからな。何もしてない時でも脳内再生されるくらいにはね。

 それが俺の反応速度の助力になってくれてるんだ」

「ふーん、そんな事言われても信じられないけど、もう一度やればわかるよね⁉」


 実乃梨は椎馬へと接近し、再びインファイトを仕掛ける。攻めの中にバックステップやジャンプガードなど、椎馬の無敵技を誘うようなフェイントを混ぜた崩しを多用し、先程とは毛色の違う消極的な攻め手で様子を窺っている。

 椎馬はそれらに釣られる事なく、本命の<中段攻撃>に<ブレンネン・ドルヒ>を合わせて放った。

 四度目の<ブレンネン・ドルヒ>を受けて、実乃梨の体力はすでに半分近くが失われ、かたや椎馬の方はまだパーフェクトの状態だ。


「……あはは、本当に見えてるんだね、凄いよ。それだけの反応速度があれば生徒会長だって倒せるかもね。

 でも、それは相応の実力を身につけたらの話! 今の七枷くんが勝てる程格ゲーは甘くないよ!」


 そう言うと実乃梨は飛び上がり、頭上から椎馬を攻撃した。

 それを椎馬はガードすると、目の前に実乃梨が着地する。

 単純なジャンプ攻撃をして着地しただけなのだが、椎馬は目の前に立つ実乃梨に対して、今までとは違う威圧感のようなものを感じた。

 実乃梨は片足を上げると、身体に深く捻りを加えて蹴りの体勢を構える。


『ヴェネラブル!』

『ブレンネン・ドルヒ!』


 二人がコマンド技を放ったのは、ほとんど同じFだった。


(しまった!)


 椎馬がそう思ったのは、反射的に<ブレンネン・ドルヒ>のコマンドを入力した後だった。


「思った通り引っかかってくれたね」


 椎馬の<ブレンネン・ドルヒ>を実乃梨は蹴りを放つ構えの体勢のまま防ぎ、そのまま深い稔転の力を利用して思い切り蹴り抜いた。

 格闘ゲームには<ガードポイント>という特殊な判定を持った攻撃がある。

 その名の通り、ガード判定を持ったまま相手を攻撃する事が可能で、実乃梨が使用した<ヴェネラブルクラッシュ>は、その<ガードポイント>を持ったコマンド技である。

 しかし、発生が遅い上に、ガードされてしまうと確定反撃を受けてしまうので、用途としては主に連続技で使用される事が多く、立ち回りや攻めの中で単発で使われる事は少ない。

 椎馬の反応速度を逆手に取る為、即興で考えだした一手なのだろう。

 椎馬も実乃梨の攻撃全てに反応出来る訳ではない、幾つかの警戒するべき技や大振りな攻撃にのみ意識を割いて、それに反応していた。

 そこを実乃梨に気づかれて上手く利用された。

 <ヴェネラブルクラッシュ>がヒットし、そこから連続技に持っていかれ、大きく開いていたはずの体力差を一気に縮められる。


(くそっ……!)


 椎馬は連続技によりダウンした状態から受身を取って体勢を復帰させる。

 体勢を整え終えた頃、頭上には今まさに襲い掛かろうとする実乃梨の姿があった。

 その攻撃モーションに反応した椎馬は無敵技<ブレンネン・ドルヒ>を放った――――だが、それはなぜか実乃梨にガードされてしまっていた。


「勉強熱心な七枷くんなら知ってはいるんじゃないかな? これが<詐欺飛び>だよ」


 <詐欺飛び>は格闘ゲームのテクニックの一つである。

 相手がガードしていた場合はジャンプ攻撃をガードさせる事が出来て、相手が無敵技を放っていた場合は、その攻撃が当たる前に着地してガードをする事が出来るというテクニックだ。

 椎馬も動画の中で何度か見た事があり、知識としては知っていた。

 だが、実戦で初めて受けた<詐欺飛び>を椎馬が咄嗟に見極めて判断するのは難しいだろう。

 無敵技をガードされて隙だらけの椎馬に実乃梨は連続技を叩き込む。

 つい先程まで優勢だった体力はあっという間に逆転され、椎馬の体力は残り僅かとなった。

 椎馬は受身を取って実乃梨の起き攻めに備える。

 しかし予想に反して実乃梨は起き攻めを仕掛けて来なかった。それどころか大きく後退して椎馬から距離を取る。


「なんで止めを刺しに来ないんだ? 別に奥の手なんかこれ以上持っちゃいないよ」

「もう止めを刺す必要すらないからよ。画面をよく見てみたら?」


 そう言われ、椎馬は画面全体に視線を巡らせる。そして、その存在に気づいた時、実乃梨の言葉の意味が理解出来た。

 確かにもう決着はついていた。無慈悲にもカウントは秒読みに入っており、残り1秒になっていた。


《TIME UP!》


 格闘ゲームの試合時間は無制限ではない。試合開始後に問答をしていた椎馬たちの試合時間は通常よりも短くなっており、少ない攻防ではあったがその残り時間を使い切るには十分だった。

 時間切れの場合は、残り体力が多い方の勝ちとなる。


「後もう少し時間があったら勝負は分からなかったかもね。けどこの試合に勝ったのは私だよ」


 椎馬は試合時間の事など頭の中になかった、というよりもその事を考える余裕などまるでなかった。


(……完敗だな)


 椎馬と実乃梨のランクマッチ戦は、実乃梨のタイムアップ勝ちによる勝利で幕を閉じた。



  ◆



「あー、負けた負けた!」


 試合の勝敗が決まると椎馬は筐体から勢いよく飛び跳ねるように離れ、身体をぐっと伸ばす。


「勝てる可能性は低いと思っていたけどさ、やっぱり“春”の名は伊達じゃないね。強えーよ、春日さんは」


 椎馬は両腕を頭の後ろで組み、屋上のフェンスへ向かって歩きながら言う。


「でもすっげー面白かったよ。対戦ありがとな」

「……な……んで」


 椎馬の笑顔を直視出来ず、実乃梨は俯いて肩を震わせる。


「勝ち目がないってわかってるならどうしてこんな勝負を挑んできたの!? そんなに私の事馬鹿にしたかったの!?」

「うわわ、ごめん! さっきもそうだけど別に悪気があってこんな事してるんじゃないんだって!」


 実乃梨は瞳に涙を滲ませながらそう言うと、その姿を見た椎馬は慌てて返事を返した。


「…………じゃあなんでよ?」


 実乃梨は頬に伝う涙を手で拭いながら椎馬に問いかける。


「うーん……春日さんが“春”でネット対戦しなくなったのって、ネット内で話題に上がって叩かれたりしたのが原因なんだろ? 俺もネット配信とかやってたし、そういう経験はしてるから気持ちは分かるんだ」


 椎馬は一度こほんと咳払いをすると、実乃梨の様子を窺いながら話を続ける。


「でもさ、そんなつまらない奴らの為に春日さんが傷つく必要なんてないんだ。好きな事を楽しくやらないなんて間違ってるよ。格ゲー、好きなんでしょ?」

「う……うん」


 椎馬の問いに対して実乃梨は声こそ小さかったが、はっきりと肯定した。


「だったらさ他人なんてどうでもいいんだ。好きな事をするんだったらまずは自分が楽しまないと、そうしなきゃ何も始まらない。さっきの俺との対戦、久しぶりに手加減なしの全力を出せてどうだった?」

「………………楽しかった」

「それでいいんだよ。他人がどうかじゃなくて、まずは自分が楽しむのが一番大事。俺が伝えたかったのはそれだけだよ」

「……どうしてこんな私にそこまでしてくれるの?」

「言ったろ? 恩は返すって、それに春日さんは二ノ宮付属で出来た初めての友達だからな、後は春日さん次第だ、頑張ってね」


 そう言って椎馬は踵を返すと屋上の出入り口へと歩みを進める。


「ま、待って! どこに行くの!?」

「勝負に負けたら金輪際関わらない、だろ?」


 後ろを振り返らないまま手を振り、椎馬は出入り口のノブに手をかけようとした――――。


「待ってよ…………」


 背中からの悲痛な声と制服の裾を掴まれる感触に椎馬は手を止めた。


「七枷くんは負けてないよ……」


 椎馬が小さく振り返ると、そこには頬に涙の伝った後が残り、目を真っ赤に腫らした実乃梨が真剣な眼差しで椎馬を見上げていた。


「七枷くんは負けてない!」


 もう一度、今度は強い口調で実乃梨は言い切って、椎馬から視線を逸らさなかった。


「あのね、春日さん、勢いとはいえ二人で決めた約束事だ。俺は一度取り決めた約束やルールは守るって決めてるんだ。だから――――」

「だって私は勝ってないよ。タイムアップ勝ちだったでしょ? だから勝ってないの!」


 椎馬はあっけに取られ、思わず「はぁ?」と口に出しながら実乃梨の方へと向き直った。


「いやいや、それはただの屁理屈でしょ?」

「屁理屈でも何でもいいの! わ、私は……こんな私の為に、こ……ここまでしてくれた友達を……失くしたくないよ……」


 実乃梨の瞳がまた涙で滲み始める。


「分かった! 分かったからさ! もう泣くなって……」

「うん……うん、ありがと……」


 しかし、実乃梨の涙はとめどなく溢れていき、ついには声に出して泣き始めてしまった。

 実乃梨を落ち着かせる為、筐体の前にある椅子へと促すと、椎馬はもう一つの椅子へと向かい、二人で筐体を挟む形で座りながら何もない屋上の景色を眺めた。


「ねえ、七枷くん」


 どれだけ時間が経った頃だろうか、実乃梨がぽつりと切り出した。


「“相方”どうするつもりなの?」

「んー? どうしようかまだ決めてないなー。最初は春日さんが良ければって考えてたんだけどさ、流石に実力が釣り合わないし、俺と腕前の近いシングルの奴が他にいればいいんだけどな」


 椎馬は自嘲気味に笑った。


「わ、私は……その、七枷くんが良いなら“相方”になりたいな……」

「はぁ……? いや別に良いけど、でも春日さんはこの学校でもトップクラスの実力の持ち主だろ? 俺なんかと組んでいいのか?」


 実乃梨の突然の申し出に動揺したが、椎馬にとって願ってもない提案だった。

 以前から、実乃梨とはチームを組みたいと考えていた。

 それは実乃梨がレベルの高いプレイヤーだからとか、すずなに薦められたからとか、そんな理由ではない。

 “相方”が必要だと知ったその時から、根拠などなく、感覚的に実乃梨とチームを組めば良い方向に転がっていけそうな気がしていたからだ。

 実乃梨は筐体から離れ、自身の胸に手を置きながら椎馬の前へと立つ。


「実力が合わないとか、そんな事はどうだっていいの……私はずっと前へ踏み出せないまま足踏みしてた、そんな自分を変えようと思ってここにきた。けど結局、嘘を上塗りするだけだった。

 そんな私を……ほんの……ほんの少しだけど、一歩前に進ませてくれたのは七枷くんだった。

 七枷くんと組めば私はもっと変われる。そんな予感がするの……だから……私の……“相方”になってください」


 実乃梨はそう言って深く頭を下げた。

 椎馬が返事をするまでは梃子でも動かないという意思が伝わってきた。


「……ふぅー、まったく春日さんも物好きだよね」


 頭を下げた実乃梨の姿を見て、ため息をつきながら椎馬も席を立つ。


「春日さんから誘われて断る理由なんか俺にはないよ。こちらこそよろしくお願いします」


 実乃梨と同じように椎馬も頭を下げる。

 少しの間を置いて、顔を上げると互いに目が合った。


「えへへ……」


 実乃梨は少し気恥かしそうに、ぎこちない笑みを浮かべた。


「……なんだよ?」


 椎馬はなんだか恥ずかしくなってきて実乃梨から目を逸した。


「何て言うのかな、すごく新鮮な気持ちなんだ」


 実乃梨は両手を扇状に広げて、軽快にスキップを踏んでフェンスへと進んだ。


「本当は懐かしい気持ち、って言った方が正しいのかも知れないけど……私ね、すっごく楽しみなんだ。


 これから七枷くん――――ううん、……し、椎馬くんと一緒に格ゲーをしていくのが」

 両手を背中で組みながら、くるりと回って実乃梨は振り返る。

 椎馬はふっ、と鼻で笑うと実乃梨の前へと歩む。


「俺も――――実乃梨と格ゲーやるのすっげー楽しみだよ」


 椎馬は実乃梨の身体の前に拳を突き出す。

 実乃梨は椎馬の意図を汲み取ると、微笑って拳を構える。


「これからよろしく頼むぜ“相棒”」

「うんっ!」


 実乃梨は元気よく返事をして、拳を打ちつけた。

 二人が拳を打ちつけ合うと、ランクマッチ戦の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。

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