同級生
結論から言うと、椎馬はまだ寮には着いていなかった。
学校から寮までの距離が遠く、二ノ宮付属の敷地内の端々に位置しており、構内でも最長距離の場所になっていた。加えて、寮の場所が狭くいりくんだ場所にあるようで、椎馬は構内の循環バスを降りてから歩く事になってしまったからだ。
さらに、寮までの道のりが急勾配になっており、小学校から引きこもりだった椎馬にはなおの事辛い。休憩を取りながら少しずつ歩みは進めているものの一向に寮に辿り着く気配はなく、道の脇の石段に座って途方に暮れていた。
自身の体力のなさは懸念していたが、まさか通学程度でバテてしまう事になるとは思っていなかった。
落ち込んだ気分に追い打ちをかけるように、一台の自転車に乗った男子生徒が目の前を通過していった。
無意識のうちに自転車だけを目で追いかけてしまう。
(ああ……自転車ってやっぱ凄いよな)
椎馬もゲーム漬けの生活になる前に少し世話になった事がある。
歩くよりも遥かに速い自転車。気がつけばすでに大きく距離を離されている。
100年以上前に発明されたものが現在になっても利用されているというのは、その利便性、必要性を物語っている。
(俺もそんなゲームを作らないとな……ってそんな事を考えている場合じゃないな)
今はどうにかして寮まで辿り着かなくてはならない。
椎馬は棒になった足を震い立たせて、少しずつだが歩みを再開させる。
「……む?」
今しがた前方を通過していった自転車が走るのをやめて、ピタリと停まっているのが目に入った。
そのまま様子を見ていると、自転車の乗り手はその向きを反転させ、椎馬の傍まで戻ると、キイッと小さなブレーキ音を鳴らして停まった。
「君、七枷くんだよな? こんなところで何してるんだ?」
目の前の人物に椎馬は心あたりはない。
男子生徒のネクタイの色から同じ学年であるのは分かった。身長も体格も椎馬より一回り大きく、髪は短く整えられ、その風貌からスポーツマンのような印象を受ける。
「そうだけど、えっーと?」
あなたは誰ですか。と問いたいが、相手が自分の事を知っているので、実はどこかで会っているのかと思索する。
椎馬の考えを悟ったのか男子生徒は合点がいったように、ああ、と呟いた。
「俺は大暮海人。一応同じクラスなんだけど初日じゃ覚えられないよな。俺も七枷くんは覚えたけど他の人はさっぱりだし」
「ああ、なるほどね。悪いけど覚えてなかった」
海人が椎馬の事を覚えていたのは特待生パスの件で話題に挙がったからだろう。椎馬も逆の立場だったら同じように覚えていたと思う。
「別にいいよ。それよりこんなところでどうしたの?」
「寮に向かう途中なんだけど思ったより遠くてさ。休憩しながら向かってたんだわ」
海人は道の先を見つめて少しばかり何かを思案してから言った。
「んー、もしかして七枷くん、向日葵荘?」
「そうだよ」
「やっぱりか、この辺りの寮っていったら向日葵荘ぐらいしかないからな。俺も同じ寮なんだ、良かったら一緒に行かないか?」
「おお、もちろん……そうしたいのは山々なんだけどね」
「ん?」
椎馬は現在の自分の状況を海人に伝えた。
◆
椎馬は自転車で、海人は走って向日葵荘へ向かっている。
素直にこれ以上歩けないと海人に伝えたところ快く自転車を貸してくれた。
「すまんね、大暮くん」
「気にすんなって。これでも元スポーツマンだし、平気さ。それと俺の事は海人でいいよ」
「じゃあ俺も椎馬でいいよ」
「了解。にしても特待生がこんなヤワな奴だったとはなー」
「特待生であるのと、体力の有無は関係ないぞ」
「ははっ、そりゃそーだ。必要なのは格ゲーの腕前だしな」
(俺はその格ゲーの腕前もないのに特待生になってるんだけどな……)
海人は椎馬が特待生というだけで格ゲーが上手いと認識してしまっているらしい。
おそらく、他のクラスメイトたちも同じような勘違いをしているのだろう。当然といえば当然の反応なのだが、わざわざそれを訂正する気にもなれず、椎馬は苦笑い気味に相槌を打つ。
「おっ、見えてきたぞ、あれが向日葵荘じゃないか?」
その言葉を聞き、椎馬が正面に向き直ると、坂道の先に年季が入っていそうな木造の大きな建物が見えた。
坂道を登りきると、そこは遠目からの印象とは違い、あまり年季を感じさせない小奇麗で清潔感のある建物だった事に改めて気がつく。
両開きの大きな玄関扉の上には向日葵荘と掘り込まれた木の板が掛けられており、それを見て椎馬はようやくデスマーチから開放されたのだと安堵した。
「ほんじゃ、行きますか」
椎馬と海人は示し合わせると建物の中へと入る。
扉を開けると広々としたロビーが目に飛び込んできた。端の方にはソファーなどが置かれくつろげる空間がある。外観と同じように年季は入っているが、綺麗に清掃され、古風な旅館を思わせる雰囲気を漂わせている。
ロビー内にはアーケード筐体も鎮座していて、ここが格ゲー科の寮だった事を思い出させてくれた。
「へー、なかなかじゃん」
海人が寮内を見渡しながら満足そうに頷いている。
椎馬ももっと小さくて窮屈な建物を想像していたので、海人と同意見だった。唯一学校から遠いという点を除けば特に問題はなさそうだ。
「とりあえず荷物でも置きに行くか、椎馬の部屋はどこなんだ?」
「えーと、2‐3だって」
「残念。階が違うなあ、俺は3‐4だ」
椎馬と海人はロビーの隅にある階段を上がる。
「おっ、そうだ。荷物の整理が済んだらさ、もうすぐ俺の連れもここにくるんだが、飯でも一緒にどうだ?」
「俺は構わないけど、いいのか?」
「平気、平気。そいつ人が多い方が喜ぶような奴だから。んじゃ決まりだな、準備が出来たら下のロビーで待ち合わせって事でよろしく」
そう言って海人は階段を駆け上がっていった。
(しっかし、二ノ宮付属に来てからというもの春日さんといい、海人といい世話になりっぱなしだな。どっかで恩を返さないとな)
椎馬は受けた恩は必ず返すようにしている。そうする事でその人との仲は深まるし、また自分にとってプラスになるものが返ってくる時もある。協力型のゲームをする上でその事を学んだ。
ゲームと同じと考えるのはどうかと思うかもしれないが、結局のところ人間が関わっているという点では同じなのだ。
椎馬の部屋は二階の一番隅にあった。
ここに来てようやく気づいたのだが、部屋の鍵をもらった覚えがない。
もしかしてと思いながら部屋のドアノブを手に取り回してみるが、案の定ドアは開かなかった。
このままでは部屋に入る事が出来ないのではないかと少し焦ったが視界の隅にリーダーのようなものが設置されているのが見えた。
(これって……?)
椎馬は少し思案すると、パスを取り出してリーダーへと接触させる。
カチャリと何かが解除されるような電子音が鳴り、ドアノブを回すと部屋の鍵が開いているのが分かった。
(やっぱりか。パスが鍵の代わりになってたんだな)
椎馬は部屋の中へと入っていく。
部屋は1Rの間取りになっていた。テレビやパソコン、ベッドに冷蔵庫といった生活に必要なものはほとんど部屋の中に取りつけられていた。
バス、トイレは別。一人で暮らす分には十分な広さだ。
そしてここにもアーケード筐体が設置されており部屋の中で異彩を放っていた。
筐体のコンパネの上に『筐体の使用ルール』と題したマニュアル本が置かれており、パスにも出てきた謎のケモノ耳のキャラクターが表紙に描かれていた。
「へぇー」
パラパラと流し読みしながら内容を確認してみると、どうやら部屋の筐体ではネットワーク対戦が可能らしい。
構内の寮生同士のみの限定だが、中学生から大学生まで問わず不特定多数の人物と対戦が出来る。
利用時間は消灯時間までで、それ以降はネットワークの接続が切れて利用出来なくなるという点が気になるくらいで、他には特別注意する事もなさそうだ。
「七枷ー、いるかー?」
呼びかけと共に自室をノックする音が耳に届いた。
初めは海人が椎馬を呼びに部屋にまで来たのかと思ったが、どう考えても声質が違った。
椎馬は玄関へ向かい、ドアを開ける。
「んっ? いたのね」
扉を開けた先に居たのは小学生……ではなく担任教師の小毬だった。
「小岩井先生? どうしてここに?」
「どうしてじゃないでしょ? あたしは向日葵荘の管理人よ。七枷がいるか確認しに来たのよ」
そう言われてみると入学書類の中にあった管理人の名前が小毬だったような気がした。
「……その様子だと知らなかったみたいね。まあいいけど。確認は済んだから後は好きにしていいよ」
「えっ……ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
随分と投げやりな形で受け入れ確認が終わり、踵を返して帰ろうとする小毬を椎馬は思わず呼び止めてしまった。
「……なんか寮で守らなきゃいけないルールとかないんですか?」
「ルール? んー、あたしに迷惑かからなきゃ別に何したっていいよ」
小毬はしばらく真顔で椎馬を見た後、ニッと口角を上げる。
「若い頃は無茶も、苦労も、悪い事でも色々経験しておくべきよ。持論だけどね。応援してるから頑張りなさい」
そう言い残して小毬は去って行った。
「なんだか適当だなー。まっ、その方が俺は動きやすいからいいけどさ」
海人と別れてから随分と時間が経っているのでそろそろ向かった方が良いだろう。
椎馬は自室を後にしてロビーへと足を運んだ。
◆
「よっ」
海人はすでにロビーで待っており、休憩スペースにあるアーケード筐体の前に座っていた。
「悪い、待たせたか?」
「いや、俺も今来たところだし気にしなくていいよ。それにまだ俺の相方が来てないしな。むしろ椎馬を待たせちまいそうだが」
「飯に混ぜてもらう訳だし、それぐらいは全然構わないよ」
椎馬は海人の後ろからアーケード筐体のモニターを覗き込む。
そのモニターには格闘ゲーム<ウロボロス>が映し出されている。
「海人はどれぐらい格ゲーをやってるんだ?」
「まだまだ初心者。ひよっこだよ。もともとただのバスケ少年だからな。高校受験でバスケを引退するまでゲームなんか触った事もなかった。相方の奴が二ノ宮付属に行くって言い出して、俺はほとんどついてきたようなもんでさ……」
頭を掻きながら照れた笑みを浮かべる海人。
その後、一拍をおいて先程とは一変して真面目な顔をする。
「椎馬、良かったら今から対戦してくれないか? 相方の足を引っ張らないようにする為にも少しでも強くなりたいんだ。
そりゃあもちろん俺みたいな初心者が特待生の椎馬と対戦したって結果は見えてる。けど、それよりも今は上手い人と対戦して力をつけたいんだ」
海人の目は曇りなく綺麗に澄んでいて、ただひらすら真っ直ぐに椎馬の目だけを射抜いていた。
「頼む」
海人はアーケード筐体の椅子から立ち上がり頭を下げる。
「お、おい海人……」
海人の言っている事はすごく共感が持てる、椎馬には無下になど絶対に出来ないものだ。
自分などで良ければ幾らでもつき合ってやりたい。
しかしながら椎馬はそれに応えてやる事が出来ない。本来、特待生が持っているべきはずの実力を椎馬は持っていないのだから。
いまだに頭を下げ続ける海人の様子に椎馬は深くため息をついた。
「海人。実はな……」
椎馬は二ノ宮付属に入学するまでの過程を順を追って説明した。もちろん自分が格闘ゲームの初心者である事も包み隠さず話した。
「この事を隠すつもりはないし、皆を騙すつもりもない。誤解されているならそれを解きたいとも思う。海人にはもう少し早く言っておけば良かったな。すまん」
「いや、それなら俺の方こそ早とちりしちまって悪いな。じゃあ格ゲーはそんなにやってないのか?」
「まだ少しばかり触ったぐらいだな」
「はぁー、なるほどねぇ。にしても格ゲー初心者で特待生として迎えられる椎馬って何者だよ?」
「ただのゲーム好きだなだけなんだけどね」
椎馬のしれっとした答えに海人は訝しげな目線を送る。
「ただのゲーム好きが特待生になれるかよ……ん? そういえばあいつ『世界一面白いゲームを作りたい』っていう面白い人がいるって言ってたような。たしかそいつの名前は――――」
「ついたー!」
海人の言葉を遮るように、向日葵荘の正面扉をバンと音が立つほど大袈裟に開放して女子生徒が入ってきた。
女子生徒は胸を張り、満足げに鼻を鳴らす。
その際に制服の上からでも分かる、自己主張の強い胸囲が揺れる。
身長は椎馬より少し低めな程度なので、女子として考えると高い方だろう。制服からのぞく腕や足は細すぎず、太すぎずでバランスが良く、健康少女といった印象を受ける。
少しウェーブのかかったショートボブのヘアースタイルがその外見に相まってよく似合っている。
女子生徒を見た海人は残念なものを見るように額に手を当てていた。
「ほーら、みのりん。ウチの言った通りでしょー」
女子生徒は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「確かにすずなさんの言う通りでしたけど……無駄に遠回りしてた気もするんですが」
もう一人女子生徒が姿を現した。
その姿には見覚えがあり、その声にも聞き覚えがあった。つい数時間前まで一緒に行動をしていた人物。その日のうちに再会するとは思っていなかった。
後から現れた女子生徒と目が合った。
「……春日さん?」
「あれ? 七枷くん?」
互いが互いに指をさした姿勢のまま硬直する。
そんな椎馬と実乃梨の様子を見て、海人と女子生徒の二人は顔を合わせて頭上に疑問符を浮かべていた。
◆
誰もが今の状況をのみ込めていなかったので、各々自己紹介をして、現在の状況を整理する事にした。
健康少女な女子生徒の名前は音羽すずなという。海人の幼馴染で、先程から海人が待っていたのもすずなだったようだ。
すずなは同じクラスで席が隣りだった実乃梨と仲良くなり、寮も一緒だと知って二人で向日葵荘に向かったとの事。
「それはいいけど。どうしてこんなに遅くなったんだよ?」
海人は言った。
「あー、それはね。帰りにみのりんと格ゲー対戦したりー、ちょっと道に迷ったりしたり……とか」
「どうせそんなんだろうとは思ってたけどよ」
はぁ、とこれ見よがしに海人は大きなため息をついた。
「でもね、みのりんすっごい格ゲー上手いんだよ? びっくりしちゃった」
「あ、あのねすずなさん。何度も言ってるけど私なんか全然上手くないですって」
すずなの発言をすぐさま否定する実乃梨。
「へぇー、すずなでも勝てなかったのかよ?」
「いや、ウチが全部勝ったよ」
「……あのなぁ、勝っといて相手を褒めるってそりゃなんか違うだろ」
「ウチだってそれぐらい分かってるよ。けど何て言うのか、上手く表現できないけど所々にセンスがあるっていうのか……とにかくそう感じたんだよー」
ゲームに限った話ではないが、相手の強さというのは実際に対峙した者にしか分からないものである。
見ているだけでは相手の強さの表層の部分までしか分からないものだ。深いところまで知る為には、実際に対峙しなければはかる事は出来ないのだ。
すずなが実乃梨に何かを感じたというのならばそれは正しい。ただその何かは当事者にしか分からないし、椎馬たちに伝わることはない。
「まっ、ウチは勝てたけど海人じゃみのりんには絶対勝てない。それだけは断言できる」
「な……! ちくしょー。悔しいけど多分その通りだろうから何も言い返せねぇ!」
「一応相方なんだからさー。頑張ってよねー」
海人とすずなは二人とも幼馴染だけあってか仲睦まじい。
そのやり取りを見ているだけで椎馬は微笑ましく思う。実乃梨も同じ事を考えているのか、頬を緩めている。
(それにしてもこの音羽って子。どこかで会ったような気がするんだよな。それもわりと最近に……)
すずなを一目見た時から椎馬はそんな既視感をずっと感じていた。
「七枷くん……だっけ? みのりんと知り合いみたいだけど、二人はどんな関係なの?」
「ん?」
何か意味ありげな表情を浮かべたすずなから疑問をぶつけられて、椎馬は巡らせていた思考を中断する。
「すずなさん。七枷くんとは二ノ宮付属の正門で偶然会って、入学式の会場まで案内しただけの仲ですよ」
椎馬が返答するのを遮るように実乃梨は言った。
おそらく実乃梨はすずなから変な疑いをかけられたくなかったのだろう。
だがそれはそれ、椎馬は自身が思っている気持ちを素直に口に出す。
「春日さんは俺の恩人だな」
椎馬の言葉に一瞬だけ場の空気が凍りついたように停止した。
その後、少し遅れて実乃梨が椎馬の言葉に反論する。
「なぁっ! ちょっと七枷くん一体何を言っているんですか!」
「だって力尽きた俺を助けてくれたし、二ノ宮付属の事や生徒会長の事も教えてくれたし、体育館にも案内してくれたじゃん。これだけ色々世話になったら恩人でしょ。本当に感謝してるんだよ?」
しっかりと実乃梨の目だけを見つめて礼を述べる椎馬。
「べ、別にそんな大した事した訳じゃ……」
頬を赤く染めて、椎馬から目を逸らす実乃梨。その様子を満足げにニヤニヤと笑みを浮かべるすずな。
「同様に海人も恩人だ」
「えっ? 俺?」
突然名前を呼ばれた海人は思わず自身を指でさした。
「海人も動けなくなった俺に自転車を貸してくれたし、こうして音羽さんとも知り合わせてくれたしな。二人にはちゃんと恩は返すから期待しててくれよ」
すずなは眉を寄せて、面白くなさそうな顔をする。
「七枷くんあれだよねー。わかっててやってるでしょ。なーんかウチの知ってる人とそっくり」
「おっ奇遇だね。俺も音羽さんみたいな人にどっかで会った事あるんだよなー」
椎馬とすずなは互いににらみ合いを始める。その光景に実乃梨はどうすればいいか分からず狼狽え、海人は嘆息する。
「椎馬、お前って……ひょっとしてナナシって名前でゲームやってたんじゃないのか?」
はっきりと問い掛けるように海人は言った。
すずなは上手く聞き取れなかったのか、惚けた表情で海人へと振り返る。
「すずながいつも言ってたじゃん、ナナシって。多分、椎馬がそのナナシだ」
「え!? 本当に、あのナナシ?」
「あのナナシがどのナナシか分かんないけど、その名前でゲームをやっていた事はあるね」
すずなは俯いて黙り込むと、ゆっくりとした足取りで椎馬の方へと歩み寄る。
「ていっ!」
「あだっ!」
鈍い衝撃が椎馬の額に走った。すずなの右手の形からデコピンを受けたのだとすぐに分かった。
「っ! 何する――――」
反論しようとしたが、口を押さえて笑いを堪えるすずなを見て留まった。
「あははっ、今のでもまだわかんないのナナシっち? ウチは名前そのまんまなんだけどさー。思い出さないなんて酷くない?」
「もしかして……ガーディアンのスズナか?」
「そうだよー、久しぶり!」
こんなところでネット仲間に出会うとは椎馬も予想していなかった。
◆
椎馬たちは寮内にある食堂にいた。
椎馬とすずな、海人と実乃梨が向かい合うように座って、注文の品が来るのを待っているところだ。
始め、実乃梨は自室に戻って荷物の整理を済ませようと遠慮していたのだが、すずなによって半ば無理やり連れてこられ、四人での食事となった。
食堂は席の全てが座敷になっており、食堂というよりは居酒屋に近い。というのも実際に大学の生徒や教師などに向けた居酒屋としても営業しているようで、喧騒にも近い他の客たちのはめを外した笑い声が聞こえてくる。
「いやー、ナナシっちが二ノ宮付属にきてたとはねー。しかも同じ学年で、同じ格ゲー科だったなんて、偶然にしてはできすぎててびっくりしたよ」
「俺も驚いたよ。すず――――っと、音羽さんが格ゲーやってたなんてね」
「いまさら呼び方なんて変えなくていいよー。ネトゲの時と同じですずなでいいって、その代わり、こっちもナナシっちって呼ばせてもらうから」
向かい合って座っている椎馬とすずなが会話を弾ませ、喧騒に一役買っている。
椎馬とナナシが同一人物だという事が分かってから、すずなの話が止まらず、海人の提案で食堂まで移動してきたのだが、ここに来てからも二人の会話に終わりは見えない。
「ウチは昔から格ゲーやってたんだよ。ゲーセンで格ゲー、家に帰ったらネトゲ、みたいな。ナナシっちがネトゲ辞めちゃってからは、なんかイマイチ乗り気になれなくて、格ゲーだけに絞るようになったんだけどね。
だから、二ノ宮付属に進学したのは半分くらいはナナシっちの所為かなー?」
なおも、すずなは話を切り出す。
「おいおい、ネトゲ辞めた事については申し訳ないとは思ってるけどよ……」
「あはは、もちろん冗談だって。でも、そのおかげで二ノ宮付属に入って、本気でプロ目指してみようって決心したんだからね」
「プロ? すずなはプロになるつもりなのか……」
「実力の方は、まだまだだけどね。格ゲーって、平等な競技じゃん、そういうとこ気に入ってるし、何より面白くてね。ちょっと頑張ってみようかなーって」
「へえ……立派な目標じゃないか、応援するよ」
「ありがとー。ナナシっちの方は、前に言ってたみたいにゲーム作りの為に格ゲー始めたの?」
「そうなるね。でも、格ゲーそのものは、まだあんまりプレイしてないけど」
「ほほー、って事は今ならナナシっちをボコり放題という訳ですな」
「さて、それはどうかな?」
ふっふっふっと、お互いに声に出してわざとらしい含み笑いを始める。そんな様子を海人と実乃梨の二人は、あっけにとられながら眺めていた。
「とにかく、ナナシっちがいるなら格ゲー科も随分楽しくなりそうだよ。……そういえばナナシっちは“相方”は決まってるの?」
海人と実乃梨の二人も興味を示したのか、食卓を囲う皆の視線が椎馬に集まる。
「さっきから海人も“相方”って言ってて気にはなってたんだが……相方って何?」
「おいおい椎馬、俺が話してたの分かってて聞いてたんじゃないのかよ?」
「いやー、ずっと言葉のニュアンス的なものだと思ってて……」
“相方”についてすずなが説明してくれた。
格ゲー科の「実戦」にあたるランクマッチ戦や大会などは基本的にタッグマッチにて行われる。タッグマッチにされた理由はその方が面白いし、青春しているから、だそうだ。
一人でも参加する事は可能だが、常に一対二の戦いを勝ち抜いていかなくてはならず、デメリットしかないようだ。
椎馬としてはソロで参加して、ハードモードを選んでみるのも一興かなとも考えたが、あくまでも目的は生徒会長の二ノ宮を倒す事であり、無理に難易度を上げる必要はない。
「なるほど、だったら相方を探さないとな。海人とすずなはチームを組んでいるんだよな?」
「だねー。腐れ縁だし、海人弱っちいからウチがフォローしてやんないとね」
海人は何か言いたそうに口を挟もうとしていたが、すずなはそれをスルーして続ける。
「そ こ で、ナナシっちに良い物件ありますよー?」
すずなは座った姿勢のまま、椎馬に近寄ると、商人のように揉み手をしながら怪しげな笑みを浮かべる。
「何だよ物件って?」
椎馬は寄ってくるすずなを鬱陶しそうにしっしと手で追い払う。
「みのりんだよー。なんとこの子、今はシングルなんだよー。お買い得だよー」
「ちょ、ちょっとすずなさん、何を勝手に話進めてるんですか!」
「えー、だって、みのりんだって相方作らなきゃって言ってたじゃん。ナナシっちはそりゃあ今はド素人かもしれないけど間違いなく強くなるよ、それはウチが保証する。二人がチーム組んだら絶対お似合いだと思うけどなー」
「そうなんですね……でも、私はまだ……」
辛そうに下を向いて実乃梨は目を逸らす。
「ナナシっちは格ゲー素人なんだし、気にする必要ないでしょー。コキ使ってやればいいのよ」
冗談交じりにすずなは言うが、実乃梨は反応を示さなかった。
椎馬としては実乃梨さえ良ければチームを組むのは構わなかった。その旨を伝えようとしたのだが、椎馬と見合った実乃梨はすぐさま目を背けた。その様子に椎馬は口に出そうとした言葉をのみ込んだ。
それから誰も何も言わないまま、沈黙が場を包んだ。
「ま、まあまあ。最初のランクマッチ戦まではまだ日があるし、そう急いで決めることもないだろ」
場の空気に耐えられなくなったのか、海人がそう切り出した。
すずなも少し不満そうだったが、渋々納得してその場は収まった。
その後は皆で食事を済ませると、明日からは授業もあって各々準備もあるだろうという事で解散になり、特に会話もなくそれぞれ自室へと帰っていった。
椎馬も部屋へと戻ると、久しぶりの外出もあって疲れが一気にあふれだし、ベッドに倒れるように横たわった。
今日一日で色々な事があった、それを一つ一つ思い返していく。
「……うーん、何とかしてやんないとなー」
そう呟いて天井を見上げているうちに、人生始めての学生生活の始まりが身体に堪えたのか、すぐに深い眠りへと落ちていった。