格ゲー科
体育館のフィールド中央部分に演台があり、そこで校長が念仏のような演説を繰り広げている。もうかれこれ10分近く続いており、噂で聞いている以上に退屈なものだなと椎馬は感じていた。
生まれて初めて入学式に参加したが、それよりも建築費用の高そうなこの体育館を見ている方が余程退屈しなくて済む。
椎馬は二ノ宮付属に来る前に学校というものについてネットで調べてはいたのだが、この学校の建築物は規模が違っていた。
この体育館にしても通常のものに比べて一回りも二回りも大きい。体育館といえば一般的にはかまぼこ型が主流だが、ここはドーム状の作りになっている。天井は開閉式となっており、今は閉じているが太陽光を取り込む事も出来るのだろう。
フィールド部分にはバスケ、バレー、テニスといった各スポーツごとに専用のコートが仕切られて設置されている。進学校と聞いていたがスポーツ全般にも力が入れられているのだろうと椎馬は感心した。
格ゲー科なんてものを設立するような学校だ、この程度はどうという事はないのだろう。
他にやる事もなく、椎馬は体育館を見渡しながら、もしかしたらその辺にSIZがいないものかと視線を巡らしたが、そもそもSIZの顔すら知らず当然見つかるはずもない。
「……さっきから何をしているんですか。七枷くん」
落ち着きのない様子をしている椎馬に実乃梨が怪訝な顔を向ける。
「いやー、生徒会長がどっかにいないかなーって思って」
視線だけは観客席に向けたまま椎馬は答える。
「もうすぐ生徒会長の挨拶なんだから、それまでゆっくり待ってればいいのに……」
その会話の直後、照明が落ちて目の前には深い暗闇が広がる。
何が起きたのかと周囲がざわつき始めた頃、バチンと音を立てて照明が一斉に壇上を照らした。
壇上には演台に両手をついて俯く男子生徒の姿があった。
「やーやー、おはよう諸君!」
その男子生徒は顔を上げると満面の笑みを浮かべた。
ヴィジュアル系アーティストのような長いウルフカットをしており、その長い前髪部分によって目元が隠れていて、満面かどうかはいささかわかりにくいが。
男子生徒は遠巻きに見ても背は低く、小柄なのが分かる。椎馬の身長が164センチ。自身も大きいとはいえないが、高校一年生であれば概ね平均といったところだろう。
椎馬の見立てでは実乃梨と同じぐらい、150センチ程度ではないかと思えた。
大げさで手の込んだ登場の仕方に、壇上の男子生徒に言葉を返すものは誰もいない。
椎馬は男子生徒の声にどこか聞き覚えがあった。
そして、こんな派手な行動を好む人物にも心当たりがある。多分、いや、間違いなく、その心当たりに間違いはないだろうと椎馬は確信した。
「あれー? おかしいなぁ。インパクトのある登場だと思ったんだけど」
男子生徒は予想していた反応が得られず、頭を掻きながら残念そうにしている。
照明の明かりが元へと戻る。
新入生たちはあっけにとられているが、在校生たちは特に反応を示さなかった。
「では、改めまして……新入生のみなさん、初めまして僕が生徒会長の二ノ宮静稀です」
(やっぱり、こいつがSIZ……生徒会長、二ノ宮静稀か)
椎馬は居住まいを正し、二ノ宮の外見を頭に刻むと共に、真剣に耳を傾ける。
「僕は堅苦しい挨拶が苦手なので、さらっと要点のみでいきましょう。
皆さんがこの格ゲー科に進学された理由は格闘ゲームが好きだったり、プロになりたかったり、やった事ないけど興味がある……など様々でしょう。
大いに結構! 勉学に励みつつ各々の目標を是非果たして頂きたい……」
二ノ宮は演台に拳を打ちつけると、ダンという鈍い音が館内に響く。
「しかし、それだけではあまりに普通でありきたりだ。みなさんもそう思うでしょう?」
その問いかけに対して言葉を返す生徒はおらず、館内はシンと静まり返っている。
「格ゲー科だからといって、ただゲームをしているだけでは普通すぎて面白くない……。
僕はゲームが好きです。日々がゲームのように楽しく過ごせればと常々思っています。
そして! この二ノ宮付属にはそれがあり、他の学校では味わえないゲームの世界のような学校生活が待っている事を約束します! 共に楽しみましょう!
在校生のみなさん! 今年は有望な新入生が集っています。ランクマッチ戦も大いに荒れると予想しています。楽しみにしていてください。では良き格ゲーライフを!」
そう言って締めくくると、二ノ宮は一礼する。少しの間をおいて一つ二つと拍手が鳴り、次第に大きな音が重なりあっていき館内を包んでいった。
椎馬はそんな二ノ宮の様子を見て微笑んだ。
「七枷くん。なんか顔がにやけてますよー」
隣りに座る実乃梨が椎馬に声をかける。
「そうだな」
「どうでしたか会長は」
「面白い奴だわ。それでこそ倒しがいがあるってもんだ」
「あはは、そうですか……凄いですね、七枷くんは」
「凄い? 何が?」
「いや、目標に対して真っ直ぐというか、楽しそうだなって……」
「そりゃそうだな。俺は自分のやりたい事しかやってないし楽しいね。春日さんだって格ゲーが好きだからここに来たんでしょ? 楽しくないの?」
「あ……」
「二ノ宮の言う通り楽しまなきゃ損だろ? 好きな事やりに来てるんだからさ」
実乃梨が壇上の方へ顔を向ける。
そこでは明るい笑顔を振りまきながら退場する二ノ宮の姿があった。
「そう……ですね」
返ってきた回答は肯定的なものだったが、それに反して実乃梨の表情は明るくなかった。
◆
二ノ宮の挨拶も終わり、その後、入学式は淡々と進んでいき何事もなく閉式した。
式を終えるとクラス分けの発表があり、椎馬は「1‐C」実乃梨は「1‐A」となった。
「お互い別のクラスみたいだな」
「……そうみたいですね」
「色々とありがとな。でも同じ学年ならまたどっかで会う事もあるだろ」
「はい。それでは私も行きますね」
体育館の出入り口で二人は挨拶を済ませて別れた。
(春日の奴、別れ際元気がなかったな)
原因はおそらく入学式での会話の所為だとは思うが、椎馬にはあの会話内容のどこに落ち込む要素があるのか分からなかった。
人はそれぞれ違う。椎馬には分からなくても、実乃梨には分かる事がある。
実乃梨があの時何を思って落ち込んだのか、それが予想できる程、椎馬は実乃梨の事を知らない。
実乃梨は二ノ宮付属に来てから椎馬が初めて会話した人物――――いや、二ノ宮付属どころか学校という場で人生始めて会話した人物だった。
ゲームでいえば初めてプレイしたMMORPGで会話したプレイヤーと同じようなものだ。それに加えて倒れたところを助けてもらったり、道案内もしてもらった。
故に気に掛けてやりたいし、何か悩んでいるのなら助けたい。
しかし、クラスが別れ、今後そう深く関わる事はないのかもしれない。
(まあ、何とか乗り越えて欲しいもんだ)
そんな事を考えているうちに椎馬は自分のクラスの前へと辿り着いた。
「1‐C」と札の下げられた扉を開ける。
教室内に入ると、新入生同士で親睦を深めようと談笑している者が多かった。
椎馬は自分の席を見つけて席に座る。流石に格ゲー科ともあって、学生机が一般的のものとは大きく違っていた。
液晶モニターが机の中に内蔵されていて、さらには格ゲーで使うスティックレバーとボタンが配置されたコントロールパネルも設置されている。使用時にはそれらを出し入れ出来る仕組みになっているようだ。
教室の隅にはゲームセンターでおなじみのアーケード筐体がまるごと一セット置かれていた。
「はーい、みんな席についてー」
格ゲー科らしい教室に感心していると、どこか幼さを感じさせる声が耳に届いた。
椎馬が顔を上げると、その声の主――――どうみても小学生にしか見えない小さな体躯の少女がいつの間にか教室内に入り込んでいる事に気がついた。
腰程に伸びたツインテールと、その外見に似合わない紺色のスーツのミスマッチが拍車をかけるように違和感を強調させており、どうしても目を引く。
そんな少女の突然の登場に、教室内は場の空気が凍りついたかのように静まり返る。
少女は悠然たる態度で歩みを進めると、教壇の前に立ち、そこから顔を覗かせながら生徒たちを見据えた。
「いいから席につけって言ってんだよ! このボケナス共が!」
いつまでも指示を聞く様子がない事に苛立ちを募らせたのか、少女は額に青筋を立て怒声を放つ。
そんな少女の豹変振りに気圧され、生徒たちは大慌てで席に着いた。
「はい、よろしい」
先の出来事は幻だったのかと見紛うように、少女は元の調子を取り戻す。
「あなたたちの担任になる小岩井小毬よ。専攻は格闘ゲーム。授業はあたしも担当するからよろしく」
小毬は自分の名前をホワイトボードへと板書する。
「今日は格ゲー科の授業内容とパスについて、一通り説明したら終わりだからしっかり聞いておくようにね」
格ゲー科は通常の普通教育に加えて、格ゲーに関する授業が組み込まれたカリキュラムで行われ、その授業は大きく三つに分かれる。
「座学」と「実技」と「実戦」である。
「座学」では、格ゲーの歴史、用語、プロを含めた上級者の対戦試合の動画を観ながら攻め、守り、立ち回りといった部分を知識的に学習。
「実技」では、実際にゲームをプレイして、連続技や起き攻めの練習、検証、正式な試合ではない練習試合――野試合などを行う。
「実戦」では、ランクマッチ戦、学校主催の大会のような正式な真剣勝負を行う。野試合とは違って、緊張感のある試合を生徒たちに経験させ精神面の強化をはかる。
小毬は続けてランク制度についての説明を始めた。ランクの説明は大半が実乃梨から聞いていたものと同じだったので、椎馬が特に気になった部分はなかった。
「次にバトルポイント――――VPについて説明するわね。ランクマッチ戦や大会みたいな学校側に記録の残る試合にのみ限定されるけど、それらの試合に勝利するとVPというポイントを獲得する事が出来るの。
そして、なーんと! このVPは、構内にある各施設で現金の代わりとして使えるの!」
腕を組みながら、さも自分の功績だといわんばかりに、ドヤ顔で小毬は言った。
椎馬はその話を聞いて、入学式で二ノ宮が言っていた「他の学校では味わえないゲームの世界のような学校生活」という言葉を思い出し、嬉しくなって思わず口元が緩んだ。
二ノ宮付属は中学、高校、大学が同じ敷地内にある。同時にその広大さから様々な設備や施設が構内に存在し、その大半は学園側によって運営されている。その為、VPのような特殊なポイントをそれらの施設で何の問題もなく使用する事が出来る。
学園内に存在するそれらの施設は多様で、このVPを使って生活に必要な資金の大半をまかなっている者もいるようだ。
実質、賞金だと考えても差し支えはないだろう。
これは勝つ事、強くなる事へのモチベーション維持や、今後プロとして活動していく目標がある人間に対して、早い段階でプロ意識を身につけさせる為に考案されたらしい。
「ざっと説明するとこんなところかな……それでコイツがさっき話したランクやVPを記録するものよ」
小毬は手のひらサイズの端末を皆へと向ける。
「これは“ステータスパスポート”、長いから略してパスってみんな呼んでる。これで自分のランクや所持しているVPをいつでも確認できる。今から配るから確認してみて」
小毬はクラスメイト一人一人、順番にパスを手渡していく。
椎馬も小毬からパスを受け取ると、持ち上げたり、裏返したりしてみた。
パスはスマートフォンを軽く、小型にした大きさで椎馬の手にすっぽりと収まり、操作もしやすそうだった。
椎馬は電源を入れて、パスを立ち上げる。
二ノ宮付属のロゴマークが映った後、ケモノ耳の生えた謎のキャラクターが“格ゲー科へようこそ!”と漫画のように吹き出しを浮かべて万歳していた。
画面が切り替わり、メニューの一覧が並ぶホーム画面が映し出された。
「メニューは開けた? ホーム画面には色々な機能が表示されていると思うけど、今日は基本情報――――“リザルト”についてだけ説明するよ。一覧にある“リザルト”のボタンをタッチしてみて」
小毬の言う通りにホーム画面の一覧の中にある“リザルト”の項目を選択する。
パスがホーム画面から切り替わり、情報が映し出された。
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七枷椎馬
ランク: F
VP: 0
ギルド: 未所属
戦績: 0勝 0敗 0%
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“リザルト”では自分自身の情報、ステータスを閲覧出来るようだ。
プレイヤー名、ランク、VP、戦績が表示されている。
ギルドというのは簡単に言えば椎馬がプレイしていたMMORPGにあるギルドとほとんど似たものと認識して良いようだ。
「リザルトに自分の名前が表示されているから分かると思うけど、このパスは一人一つ、他人と交換は出来ないし、譲渡も不可。学生証としても扱うものなのでなくさないように大切にする事。とりあえず今日のところはここまでだけど、何か質問はある?」
ランク制度に、VPシステム、ギルドもある。
(確かに二ノ宮の言うとおり、まるでゲームの世界みたいだ。正直言って思っていたよりも全然楽しめそうだな)
椎馬はパスを見つめながらほくそ笑む。
「あのー、先生?」
椎馬の隣りの席に座っていた男子生徒がおずおずと手を上げる。
「はいはい。えーと君は鈴木かな? どうぞ」
「パスの色に違いがあるのは何か意味があるんですか?」
鈴木は椎馬のパスに視線を合わせながら言った。
椎馬は改めて自身のパスを確認する。
手に握られたパスはメタリックな銀色に染められている。
他の人のパスはどうなのだろうとクラス内を見渡すとほとんど……いや、椎馬を除いたクラスメイトたちは皆、黒色のパスだった。
(……あれ? パスが銀色なのって俺だけ?)
クラスメイト全員から注視されて椎馬はなんともいたたまれない気持ちになる。
「あー、みんな。七枷を可哀想な目で見るのはその辺にしといてあげて。今から説明するから」
その様子を見かねたのか小毬が助け舟を出してくれた。
「パスの色は黒、白、銀色の三色。黒は一般生徒、ほとんどの生徒はこの色。白は生徒会の所属者、Sランカーを表す。そして銀は特待生の事を示している。七枷のパスだけ色が違うのは特待生だからなのよ」
クラス内にどよめきがあがり、クラスメイトたちは先程までとはうってかわって尊敬するような眼差しを椎馬に送った。
格ゲー上手いんだろうな……と呟く声が聞こえてくるが、実際のところまだほとんどプレイしていない椎馬には、非常に耳が痛い。
「他には特にないね……じゃあ今日はここまで。寮の生徒は各自で受け入れ先の寮に行って管理人に確認を取ってもらうように。それじゃあお疲れー」
クラスメイト一同、小毬に挨拶を終えて解散となった。
(さてと……それじゃあ俺も向かうとするか)
椎馬も実家ではなく寮暮らしを選択した。理由は単純。その方が格ゲーにあてられる時間が多くなるからだ。対戦相手にも困らないし、調べ事や練習に関しても寮の生活の方が都合が良い。
格ゲーが上達する環境は二ノ宮付属には揃っている。これを活用しない手はない。
椎馬は自身の受け入れ先である『向日葵荘』に向かう為、教室を後にした。