春日実乃梨
「はぁー……」
春日実乃梨は正門から見える光景を前にして感嘆の息を漏らす。
その拍子に真新しく、パリッと張りのある制服のスカートと、実乃梨が密かに自慢に思っている腰まである長いストレートヘアーがふわりと揺れる。
そこには校舎だけでなく、様々な建物が立ち並んでいた。
一番驚いたのは、敷地内に歩道や道路といった交通インフラが整っていた事だ。信号機や横断歩道まで設置されており、それは学校というよりも一つの町みたいだと、実乃梨は思った。
二ノ宮学院大付属高校――――略して『二ノ宮付属』は中学、高校、大学の一貫校で、俗に言うエスカレーター方式だ。それら全てが同じ敷地内に存在する為、その敷地の広さはかなりのものとなっている。
寮もあればコンビニもあり、生活雑貨、飲食店など何でも揃っているらしい。
田舎の農村で暮らしてきた実乃梨にとっては、まるで漫画の中から飛び出してきたような別次元の世界のようで、これから自分がこの学校に通うというのがいまだに実感が沸かなかった。
二ノ宮付属はかなりレベルの高い進学校として有名であり、本来ならば実乃梨が進学出来るような学校ではない。
実乃梨は勉強が好きではなく、頭が悪かった。その事実自体は自業自得なので、別段気にはしていない。
ただ、実乃梨は比較的大人しめな性格と長い髪型が組み合わさって知的な印象を持たれやすく、誤解される事に少々のコンプレックスを感じていた。
それならばどうして実乃梨は進学校である二ノ宮付属に入学する事が出来たのか?
二ノ宮付属には、数年前に新しい学科が新設された。
『格闘ゲーム科』
これまで格闘ゲームは、ゲームであるという点から正当な評価をされていなかったが、ここ数年間で世間のイメージは大きく変わってきた。
海外に比べれば随分遅れたスタートとなったが、日本にもプロが誕生し始めた。
もともと、格闘ゲーム自体が日本の発祥であるという事もあり、日本のプロは世界で歓迎され、様々な国とのマッチ戦や大会が開かれて、大きな盛り上がりを見せている。
噂を聞きつけたマスメディアがこぞって取り上げ始め、一般の人たちにも格闘ゲームのプロというものが広く浸透して話題となった。
それからは手のひらを返したように、格闘ゲームは体格差、性別、年齢にまったく左右される事のない平等なスポーツである。などと言い出す評論家みたいな者まで現れた。
あれだけゲームに否定的だった国も「格闘ゲームは日本の国技」などど政治家が言い出す始末。実に都合の良い話である。
そんな格闘ゲームブームの波に乗っかり、将来性を期待しているのか、二ノ宮付属は日本で初めての『格闘ゲーム科』を設立した。
二ノ宮付属の理事長の孫が格闘ゲーム界で実績のある有名なプレイヤーであるのも『格闘ゲーム科』の設立に至る大きな要因の一つだ。
なのでそんな時期に高校受験が重なった実乃梨は本当にたまたま運が良かった。
実乃梨は田舎娘だ。
田舎の学校は通う生徒の人数が少なく、当然、年齢の近い友人も少なくなる。その友人たちも住んでいる場所が遠く、実乃梨は一人でゲームをして遊ぶ事が多かった。
元々ゲーム好きだった実乃梨は格闘ゲームに出会い、その面白さにのめり込んでいった。
たまたま熱中した格闘ゲームのおかげで、みのりはこの門の前に立っている。
(さてと、そろそろ行かなくちゃ。こんなところでボケっと立ってたら田舎者まるだしだもんね)
格闘ゲーム科の生徒は第一体育館で入学式を行う予定だ。
実乃梨は手にした鞄を持ち直し、ぐっと握り締めて歩き始めようとした。
「……や、やっと着いた……が、もう……だめだ」
突然、後ろから枯れたうめき声のようなものが聞こえてきて実乃梨は振り返る。
「ひっ!」
思わず悲鳴を上げる。
そこには声の主と思われる人物が、どこぞのホラーゲームのゾンビのような足取りで歩いていた。その姿はうなだれている所為か長い前髪で目元全体が隠れており、まるで本物のゾンビだと見間違えてもおかしくない程だ。
ただ一つ、服装がこの二ノ宮付属の男子生徒の学生服だった事実がなければ、実乃梨は逃げ出していたかもしれない。
「み……水……」
男子生徒はそう言って地面に倒れ込んだ。
(い、いったい何なのこの状況。どう対応すればいいの)
なんだか良く分からないが、とりあえず声を掛けてみる事にした。
「あ、あのー? 大丈夫ですかー?」
実乃梨は屈みこんで男子生徒の様子を窺う。
反応がない。そのまま絶命してしまったかのようにピクリとも動かなかった。
「……お茶ならありますけど」
お茶というワードに反応して男子生徒の体がびくっと跳ねて、顔を上げる。
実乃梨と男子学生の視線が交錯する。
「お、お茶ー!」
今度は這いずりゾンビのような動きで向かってきた。
「だから怖いですって!」
◆
「ふぅ……おかげで少し落ち着いたよ。いやー、外出するのが、かなり久しぶりだったもんで思った以上に体がなまってたみたいでさ、サンキュー」
男子生徒は前髪を掻き上げて立ち上がると、実乃梨にお茶の入ったタンブラーを返却した。
実乃梨は改めて男子生徒の全体像を眺める。
全体的に細身で、髪が肩に掛かる程伸びており、男子としては長い方だろう。第一印象は酷いものだったが、よく見れば顔立ちはきれいな方だと思う。ただ目つきは悪かった。
「いえー、これぐらい全然いいですよ。ところであなたも一年生ですよね?」
二ノ宮付属には学年ごとに見分けがつくように学年色というものがある。今年の新一年生は黄色で男子はネクタイ、女子はスカーフが学年色になっている。男子生徒のネクタイが同じ色だったのでそうではないかと実乃梨は思った。
「そうだよ。じゃあ君も――――っとそういえばまだ名前を言ってなかったな。俺は七枷椎馬だ、よろしくな」
「私は春日実乃梨です。こちらこそよろしくお願いします。七枷さんは何科なんですか?」
「俺? えっと、格闘ゲームするとこ」
「本当ですか!? 私も格ゲー科なんです!」
同じ格ゲー科の生徒とこんなに早く知り合えた事に実乃梨は嬉しくて少し興奮してしまう。
実乃梨は地元で一緒に格ゲーが出来る友人がいなかった。だからこそ、この学校で同じ格ゲーが好きな友人を作りたいと考えていた。
「おお、そうなんだ、奇遇だね。実は学校に着いたのはいいけど、入学式の場所が分からなくてさ、良ければ教えてもらってもいいかな」
「格ゲー科は体育館で入学式やるんですよ。折角ですし、一緒に行きませんか?」
「ぜひぜひ。本当色々世話になって助かるよ」
実乃梨は椎馬と肩を並べると、先導するように体育館のある方へと歩き始めた。
学校案内のパンフレットで体育館の場所を確認しながら広い構内を歩く。
現在位置を把握する為、顔を上げて辺りを見渡すと、まるで学校とは思えない周囲の景色に実乃梨は驚嘆するばかりだった。
さっきはバスが走っていたのを見た。どうやら構内に循環バスが走っているらしい。たったそれだけの事にも実乃梨は口をポカンと開けて感心してしまった。
「ふぁ…………」
隣を歩く椎馬は退屈そうに欠伸を漏らす。
そんな椎馬の様子に自分のしているこ事が田舎者の典型なのではないかと恥ずかしくなり、それを隠すように椎馬へと話題を振る。
「な、七枷くんはどれぐらい格ゲーやってたんですか?」
「ん? いや、まだほとんどやった事ないよ」
椎馬は欠伸を噛み殺して答える。
間を持たせようと切り出した問いだったのだが、意外な返答に実乃梨は思わず足を止める。
椎馬もそれにならって足を止め、実乃梨へと向き直る。
「あ、あれ? ならどうして格ゲー科に……」
「ちょっと色々あって、これから覚えてみようと思ってね。それより春日さんSIZってプレイヤー知ってる? この学校にいるのは知ってるんだけど」
「SIZ……ってこの学校の生徒会長じゃないですか?」
「生徒会長……?」
「はい。生徒会長はこの二ノ宮付属の理事長の孫です。格ゲー科の教育方針やプログラムは実質、生徒会長が決定していると聞いています」
「あいつってそんな立場だったのか……」
「七枷くんは生徒会長と知り合いだったんですか?」
「ちょっとした間柄でね。生徒会長さんと対戦するにはどうすればいいの?」
「ランクを上げて生徒会に入らないと駄目みたいです」
格ゲー科では生徒たちの実力を区別しやすくする為にランク制というものを導入している。
ランクを生徒自身の実力の指標とし、ランクマッチ戦などの真剣勝負の場を設ける為に考案された。
Fランクから始まり、E、D――――と上がっていき、Sランクまで到達すると生徒会ランクとなり、生徒会のメンバーとして組する事になる。
「へぇー、ランク制ね。それじゃあすぐには対戦できない訳か」
「というか七枷くんは生徒会長と対戦したいんですか? でもまだほとんど格ゲーをやった事ないって……」
「うん。だってその為に入学したようなもんだし」
「生徒会長は本当に強いですよ……私もあの人の対戦は何度か見ましたがプロと比べても遜色ありません。むしろ高校生という若さでプロと渡りあえているのは異常です。
まだ格ゲー初心者の人にはとても……」
今の椎馬と生徒会長との差は分かりやすく例えれば、一般の高校生が一流のプロボクサーに戦いを挑むようなもの。それなのに何故当然のように対戦をしたがるのだろうか。実乃梨には理解出来なかった。
「今すぐやったって無理だってのはもちろん分かってるよ」
実乃梨の不安げな眼差しを見かねたのか椎馬は返答する。
「だけど、あいつは俺が格闘ゲームを始めるきっかけになった奴で、倒さなきゃならないラスボスみたいなもんだ。別にチャンスが一度って訳じゃないなら、RPGみたく何度も挑戦して攻略していきたいじゃん?」
(どうしてそんなに……)
「RPGの主人公だって、最初はひのき棒と布の服ってちゃっちい装備だけど、最後には魔王とか倒すじゃん。それと同じだよ」
そう言うと椎馬は踵を返して歩き出す。
実乃梨には椎馬が何を考えているのか分からなかった。
ただし、そう語る椎馬の表情はものすごく楽しそうだったのが強く印象に残った。ゲームと同じでラスボスは倒せるものだと信じて疑っていないように。
「春日さん何してんの、置いてくよ?」
実乃梨がついてこないのを不思議に思ったのか椎馬が振り返って呼ぶ。
「あはは、すいません。すぐ行きますー」
実乃梨は慌てて後を追う。椎馬の歩みは先程までと比べて足取りが軽くなっているように見えた。