七枷椎間
すみません、半端なところできってしまっていたので少し追加しました。
七枷椎馬は椅子に背をもたれかけ、目元までかかる長い前髪をかきあげると、身体をぐっと伸ばす。
「大変だったけど……面白かったなぁ」
“ナナシ”として大規模戦闘を終えたばかりの椎馬はつい先程まで行っていた仮想空間での戦いを思い出し、その余韻に浸っていた。
室内は電気をつけていないので暗く、パソコンの液晶モニターだけがぼんやりと淡い光を放っていた。
「うーん、次は何をするかなー」
椎馬はモニターに映るデスクトップ画像をただ漠然を眺める。
スッパリとMMORPGに区切りをつけた椎馬だが、次に何のゲームをするかを明確に決めいていた訳ではなかった。
一度やると決めたゲームをプレイしている間は、そのゲームの事だけに集中して手をつけていたいという気持ちがある。当然一つのゲームをやり込むのには膨大な時間が必要となるので安易に決められるものでもない。
ウンウンと唸りながら、次はあれをやるか、それともこれをやるかと考えを頭の中でぐるぐると走らせる。
「出来れば今までまったく手をつけてこなかったジャンルがいいんだけどな――――」
ピロン。
言い終える前に軽快な効果音が室内に響く。
パソコンのボイスチャットツールで通話が掛かってきた音だ。
「なんだなんだぁ?」
椎馬がモニターを確認すると、先程までプレイしていたMMORPGのフレンドのSIZからだった。
ヘッドセットを装着し、マウスを操作して椎馬は通話を受け取る。
『リンドブルムを撃破したって聞いたよ。おめでとう』
「サンキュー。結構ギリギリだったけどな」
SIZは同じギルドではないが、高難易度のダンジョンを攻略する時に知り合い、それ以来お互い意気投合して遊んでいたフレンドの一人だ。
『前にも話していたけどナナシくんはやっぱりネトゲ辞めちゃうのかな?』
「ああ、悪いけどそうなる。寂しくなるけどな」
自身で決めた事とはいえ、折角出来た友人たちと遊べなくなるのは、椎馬も寂しさを感じていた。
『そっか……なあ、ナナシくん? 次やるジャンルは決めているのかい?』
「いやー、それが実はまだなんだよねー」
『……それなら格闘ゲームをやらないか?』
「格ゲかー」
確かに格闘ゲームは椎馬が今まで手をつけていないジャンルではある。
ただ椎馬の中で、面白いゲームは、一人でプレイしていても面白くなければならないという考えがある。
格闘ゲームは対戦相手がいて初めて成り立つゲーム。だから椎馬が作ろうと考えているゲームのジャンルには該当しないものだった。
「格ゲーって対戦相手が必要だろ? それは俺の考える面白いゲームの条件から残念だけど外れちまうんだよな」
『いやいや! 格ゲーは一人でやっても面白いし、対戦相手の数だけその面白さが増していく……何より60Fを1秒として、1F約0・016秒単位でお互いの攻防を読み合う凄く面白いゲームなんだよ!』
椎馬の言葉を訂正するように、即座にSIZから格ゲーに対する擁護が入る。
普段のSIZからは想像出来ない興奮した台詞に、椎馬は少し動揺しながら返事をする。
「そ、そうなの? というかSIZってそんな格ゲー好きだったのか」
『うん、僕は格ゲーが大好きなんだ。だからナナシくんならきっと気に入ってくれると思ってさ。ナナシくんは<ウロボロス>を持っているかい?』
「<ウロボロス>くらいなら持ってるけど……」
<ウロボロス>は格闘ゲームにおいて、日本でプロゲーマーという職業が誕生するきっかけとなった作品だ。
ストーリー性のあるシナリオが売りで、格闘ゲームをやったことがない人や苦手だという人にも手が出しやすいものになっている。
事実、メーカーの思惑通りに多くの新規ユーザーの獲得に成功。肝心の格闘ゲーム部分でも今までにない斬新なシステムや操作の爽快感などが評価されて、格ゲーマーと呼ばれる人たちをも十二分に満足させた。
その人気は瞬く間に広がっていき、国内で大ヒットしてアニメ化にまで至った。
海外でも同様に人気を博して、現在格闘ゲームといえば<ウロボロス>と真っ先に名前が挙がるタイトルにまで成長し、多くのプロがこの作品でしのぎを削っている。
<ウロボロス>のように大きな成功を収めているゲームは椎馬もゲーム作りの参考の為に一通り購入をしていた。
『じゃあ、今から僕と対戦しよう! そうしたらきっと格ゲーの面白さが分かってもらえると思うから!』
「対戦するのは構わないけど……俺、本当に初心者だぞ?」
『僕も大した事ないから大丈夫だよ。さあ、やろうやろう』
「分かったよ。えーっと、コントローラーってどこにあったっけ……?」
半ば強引に話を進められて、椎馬はSIZと格ゲーで対戦する事になった。
<ウロボロス>を起動して、ネットワーク対戦を選択。
一昔前のネット対戦はラグが酷くまともな対戦が出来なかったが、現在ではその問題も改善されて、ほとんど遅延を感じずに対戦出来るようになっている。
幾つかの対戦部屋の中からSIZの名前を見つけて、選択する。
『来たね。さっそく始めよう』
椎馬が準備開始のボタンを押すと、画面が切り替わりキャラクター選択画面へと移る。
<ウロボロス>では選択出来るキャラクターが20人を越える。
それだけのキャラクターの数がいるが、その特徴は一人一人違う。接近戦が強い、遠距離戦が強い、機動力が高い、攻撃力が高いといった具合に差がある。
ただ、ほとんど<ウロボロス>をプレイしていない椎馬がキャラクターごとの特徴を知っているはずがない。
(こういう対戦ゲームは主人公キャラがバランス良く出来ているはずだし、とりあえず主人公にしとくか)
椎馬が選択したのは<ウロボロス>で主人公キャラクターとなる<ルーク>だ。
20歳前後の男性キャラクターで、肩辺りまで伸びた白髪をしている。片目が見えないのか、眼帯をつけているのが特徴的で、身の丈程の大きさの重厚な大剣を手に携えている。
『ナナシくんは<ルーク>を使うんだね』
「いや、誰がどんなキャラか分かんないし、とりあえずこいつにしただけだよ」
『はは、そうか。でもそのキャラは君に合っていると思うよ。なら僕も<ルーク>にするかな』
SIZもキャラクター選択を終える。
◆
暗い草原の中を雲一つない星空の月明かりが照らす、そこに大剣を携えた二人の男が相対する。
そんな様子が画面に映し出される。
《READY…………ACTION!》
無機質な音声と、多数の蛇が絡みついたアルファベットが表示され、試合の始まりを告げる。
(えーっと、確か後ろに下がると相手の攻撃をガードするんだっけ?)
椎馬は後退をして動作を確認する。
ガシィ!!
それと同時に激しい効果音が鳴り響く。椎馬はSIZの攻撃をガードしたのだと一瞬遅れてから理解した。
『お、よくガードしたね?』
「ちょ、ちょっと待てって!」
椎馬の静止を促す言葉も虚しく、SIZの攻撃の手が緩まる事はなかった。
ガードしていたはずなのだが、気がつけばSIZの攻撃を喰らっており、椎馬の体力はあっという間に0になって地面に倒れ伏す。
《FINISH!》
試合開始直後の攻撃を一度ガードしただけで、後は何も出来ず、パーフェクト負けであった。
『ね、格闘ゲームって面白いでしょ?』
「ね、じゃねぇー! お前めちゃくちゃ強いじゃねーか! それにこんだけ一方的な負け方して面白い訳あるか!」
『そうかなぁ?』
「そうだよ! もうちょっと手加減するとか何かあるだろうに」
『ごめんねナナシくん、僕は加減とか出来ない質なんだよね。どうする? まだやるよね?』
「当たり前だ!」
いくら今まで格ゲーをやってこなかったとはいえ、ここまで一方的に負けたまま終わるのは椎馬のゲーマーとしてのプライドが許さなかった。
というより単に椎馬が負けず嫌いなだけかもしれないが。
《FINISH!》
それから椎馬は42連敗していた。そしてその全てがパーフェクト負け。
「くそっ、次だ!」
負けを重ね続けて少しだけ分かった事がある。
まず、素人目に見ても、SIZは明らかに上手かった。同じキャラを使っているはずなのに、まるで別のキャラを使われているような錯覚をしてしまう程に。
(まぐれで勝つのが不可能なぐらい実力差があるのは分かった。それならせめて一発だけでも当ててパーフェクト負けだけは阻止してやる!)
《READY…………ACTION!》
試合開始の合図と同時にSIZはジャンプして攻撃をしてくる。椎馬はこれを立ってガードをした。続けて着地ざまにくる攻撃をしゃがんでガードする。
SIZとの最初の対戦の時、気づいたら攻撃を喰らっていたのには理由があった。
格闘ゲームには立ちガードでなければガード出来ない<中段攻撃>。しゃがみガードでなければガード出来ない<下段攻撃>。立ち、しゃがみどちらでもガード可能な<上段攻撃>の三種類がある。
そんな格闘ゲームの基本的なシステムを椎馬は対戦の中で思い出していた。
そのおかげで少しずつだがSIZの攻撃をガード出来るようになってきた。
(問題はどこで攻撃を当てるか、何の攻撃を当てるかだ)
格闘ゲームにはレバーを決められた手順で動かしてボタンを押す事で出せるコマンド技が存在する。
しかし、椎馬は肝心のコマンド自体を知らないので、コマンド技を出せずにいた。
おのずと椎馬に残された攻撃手段はボタン一つ押せば出せる通常攻撃のみだった。
<ウロボロス>には、弱、中、強攻撃という三種類の通常攻撃がある。
弱攻撃は発生Fが速い代わりに、リーチが短く、威力が低い。
強攻撃は発生Fが遅い代わりに、リーチが長く、威力が高い。
中攻撃はその中間の性能をしている。
SIZは常に接近戦を挑んできている。近距離にいるのでリーチの長い攻撃は必要ないだろう。弱攻撃は発生Fが速い、つまりその分だけ攻撃を当てやすいという事になる。
(一発でも当てられれば良いんだから、威力は必要ない。使うのは弱攻撃、後はどこでボタンを押すかだ……)
ガードが出来るようになり始めてから椎馬はある事に気づいた。<中段攻撃>は基本的にはジャンプ攻撃全般だけだが、一部の地上技に<中段攻撃>の性能を持った<地上中段>の技があるようだ。
椎馬の感覚では、その<地上中段>は他の攻撃よりも発生Fが遅いように感じていた。
(そうか、考えてみると<地上中段>がなかったとしたら、相手が地上にいる限りしゃがみガードしてれば良いって事になるもんな。<地上中段>はそれを崩す為の技って訳だ)
相手のガードを崩す技なのだから、発生Fが遅いのにも納得がいった。
(それなら<地上攻撃>に発生Fの速い弱攻撃を合わせればいい……!)
攻撃モーションは何度も喰らっている内に覚えた。後はチャンスを逃さないように椎馬は集中力を高めていく。
次の瞬間、SIZが<地上中段>の踵落としの体勢に入る為に脚を振り上げるのが見えた。
「そこだっ!」
ぱしっ。しゃがんだ体勢のまま軽いジャブを繰り出し、SIZの踵落としを発生前に潰した。
「おっしゃー! やったぜ!」
ダメージ量としては微々たるものだが、SIZの体力を確実に減らした。
椎馬は狙い通りに上手くいって、大きな声を出して喜ぶ。
『ふふ、やるね。けど試合はまだ終わってないよ?』
「ですよねー」
《FINISH!》
なんとかパーフェクト負けだけはまぬがれたものの、その後は結局何も出来ずに椎馬は負けた。
「もうこれ以上は無理だ……」
『ふー、お疲れ。それにしてもいきなり40戦近くもやるなんてガッツあるね。わかってくれたかな、格ゲーの面白さ』
「いや、面白いも何も、ボコられてただけじゃん。ほとんど意地だけでやってたようなもんだし」
『そう、それが大事なんだよ』
「それって……? 意地がか?」
『うん、ナナシくんは途中から僕のパーフェクトを止めるのに専念し、作戦を立てた。僕の攻撃を狙い通りに潰せた時どう思った?』
「……まあ気持ちよかったかな、自分の思ったとおりに試合が運べるとたしかに面白いのかもしれない。けどそれって、やっぱり格ゲーは二人で遊ばなきゃ面白くないって事じゃないのか?」
『そうだなぁ、例えば椎馬くんが僕を倒そうと思うとするよ? どうする?』
「どうするって今の段階じゃあまず勝てないわな。そもそも俺は連続技どころか、キャラのコマンドすら知らないんだぜ?」
『ほら、一人で練習しなきゃいけない事が二つ出てきた』
「…………」
椎馬はようやくSIZの言いたかった事が理解出来てきた。
格闘ゲームは、テニスや卓球のようなスポーツと似た考え方も出来るのだろう。
一人の時は技術的な練習を積み、二人で対戦する時にそれを実践する。それで勝てなければまた練習に励む、それを繰り返していき自身の成長を楽しむジャンルなのだと。
『格ゲーやってみたくなかったかな?』
SIZの口調から、椎馬への期待が見え隠れする。
「……なあ、どうしてそんなにSIZは俺に格ゲーをやらせたいんだ?」
『僕はね、ナナシくんのような人が格ゲーをやったらどうなるかすごく興味があるんだ』
「俺のようなって……ただの初心者だったじゃんか、散々ボコボコにされたし」
『残念ながらあんなふうに戦略を立てて反撃してくる初心者なんて中々いないよ。それも、その日の対戦のうちになんて特にね。ナナシくんは格ゲーをプレイする上で二つ重要な素養を持っている』
「重要な素養?」
『うん、一つは情報処理能力が高い。MMORPGの時もそうだったけど、自分を含めた周囲の状況をいち早く正確に判断して適切な行動を取る事が出来る。
格ゲーはどうして負けたのか、原因を探すのが上達への一番の近道だからね』
まくしたてるようにしてSIZは続ける。
『二つ目は、ナナシくんは反応速度が速い』
「反応速度?」
なんだか漠然としたものを挙げられて椎馬は反応に困る。
『これは僕も、MMORPGの君の動きだけじゃあ確信は持てなかったけど、さっきの対戦ではっきりしたよ』
「反応ねぇ。いまいち自分じゃよく分からないが……」
『はは、確かにそんなものかもしれないね……それでなんだけど』
ピロン。
SIZからファイルが送信されてくる。
「なんだこれ?」
『まあまあ、とりあえず開けてみてよ』
SIZにそう促されて、椎馬は訝しみながらもファイルを開く。
「んー、二ノ宮学院大付属高校入学案内ー? なんだこりゃ」
『僕はこの学校に顔が利いてね……ナナシくん、この学校の“格闘ゲーム科”に特待生として進学してみる気はないかい?』
「は?」
突然の話の飛躍に椎馬はついていけず、素っ頓狂な声を上げる。
「マジで言ってんのか? そもそも格闘ゲーム科なんて聞いた事ないぞ」
最近の学校には変わった学科が増えてきているのは知っているが、流石に格闘ゲーム科は初耳だった。
『まだ新設して日も浅いからね。格闘ゲーム科の特待生は学費を全額免除、さらに優秀な成績を納めた生徒がプロを目指す。もしくは在学中にプロとして活動していた場合、卒業後も学校側によるサポートが受けられる。
本来は格闘ゲームに対しての話だけど、ナナシくんの場合は“ゲームの制作”をサポートするよ。どうだい? 悪くない条件だと思うけど?』
「そりゃあ悪い話ではないが……そんな権限持ってるなんてお前一体何者だよ?」
『ただのしがない格闘ゲーマーの一人さ。ここに入学すれば僕にもまたリベンジ出来るよ。それじゃあ良い返事を期待しているよ』
そう言うとSIZは一方的に通話を切った。
「あ、おいっ! もしもし! ……切りやがった」
すでにSIZはオフラインになっており、もう連絡がとれなくなっていた。
「格ゲー……かぁ」
今まで椎馬がやり込んでいるゲームジャンルに対戦ゲームは一つもない。
椎馬の面白いゲームの条件と合わないと思っていた。けれどそれは違うという事をSIZは教えてくれた。
「良い事を教えてもらったし……だったら恩は返さねえとな」
次の目標は決まった。
「とりあえずまずは……」
やらなければならない事はたくさんある。
「…………学校って何するところだっけ?」
小学生から引きこもっていた椎馬にとっての問題はそこからだった。