オサレな! イタリアンの店(三十と一夜の短篇第3回)
まづ、なぜそういう運びになったのかを語らなければなるまい。
例によって、またテレビだ。『帰れま10』の二時間スペシャルを、妻が観たことに端を発する。妻は『帰れま10』の支持者ではない。メイプル超合金のカズレーザーのファンで、「カズが出ているから観なくちゃ」と液晶に向きあっていた。妻にはスペース・コブラについての知識も、カニレーザーについての含蓄もない。クリスタル・ボーイも知らなければ、ドクトルGもわからない。ただただ、カズレーザーのナチュラルボーンな部分から眼を放せないらしい。「カズったら……」と口癖のように言い、Youtubeの動画をチェックしては笑いころげている。
ここでカズレーザーについて語りたいわけではない、『帰れま10』の話だ。その店の人気商品ベスト10をあてるまで帰れない。スポンサーの利益と合致させたひじょうに練られた企画であると、門外漢の私は思っていた。カズレーザー出演の『帰れま10』の舞台は、居酒屋チェーンの「鳥貴族」であった。一度は行ってみたいと思いつつ、一度も行ったことがない。全品280円(税別)という安さが、貧乏人の琴線に触れる。春日部にできているのを知っていたが、駄々目のドドリア野郎が「鳥貴族」を選択しやがらずに高い店をえらぶ。駄々目会から離れたら、わざわざ春日部まで行かない。「焼き鳥モンキー」という安くていい店がある。
話題を異次元から放りこむが、税別表記というものがゆるせない。「ガスト」の299円表記は悪質きわまりない。その点、「サイゼリヤ」は明朗会計。だいたい8パーセントってなんだ、半端な数字は。計算ができない。最初から10パーセントにしておけばいいだろう。切り替え切り替えで、めんどくさいだろうが。そもそも、ほんとうに増税が必要なのかどうか検証しなければならない。年金なんて払っているのもばかくさいのに、さらに消費増税で二重取りしようというのがゆるせない。加入時は60でもらえるという話が、いまでは65。ほんとうにもらえるのかどうかすらあやしい。国家による詐欺以外の何物でもない。マスコミが増税を煽っている時点で、増税の意義を信じることができない。
「トリキ行きたい」
番組に感化されてしまった、妻が言いだす。「トリキ」というのは、「鳥貴族」の略だ。一度も行ったことがないのに、もう「トリキ」とか呼んでしまっている妻。グダグダだったホテル・ニューオータニの戦いから、一月も経っていない。妻も懲りているだろう、今回は勝負というわけではない。「鳥貴族」で夕飯を食べようという話である。一度は行ってみたいと思っていたから、いい機会と考えた。
その週の土曜、「鳥貴族」春日部店で夕食。ひとり七品までという制限つき。おかわり自由のキャベツ盛りは、七品のうちには入らない。キャベツ盛りで腹をみたそうという庶民感覚の政略、じつに舛添めいた発想である。私が車を運転して、近くのララガーデンの駐車場に停める。なにかしら買い物をすれば、2時間は無料。そのあいだに「鳥貴族」を満喫する。まさに庶民感覚の政治、舛添的なセコさでやっていく。
『食の軍師』よろしく、妻は注文すべき七品の陣立てを考えはじめる。釜飯ははずせない。塩とタレで迷う。お酒は二杯にしておこうか云々と。獲らぬ狸の皮算用は、たのしいものである。
そうして迎えた当日。午後四時に家を出て寄り道しつつ、五時ちょっとすぎに「鳥貴族」へとたどりつく。見とおしがあまかったと言わざるを得ない。五時くらいならまだ空いていて、酔客もないだろうと踏んでいたのだ。
「ただいま満席でして、ちょっと何時にご案内できるかわからないんです」
タダのスマイルで、女店員は無慈悲な事実を突きつける。みんな考えることは同じなのだ。『帰れま10』を観てみんな、「鳥貴族」へ行きたくなってしまったのだ。予約を入れておくべきだったのだ。
「どうする?」
舛添的セコさで停めたララガーデンの駐車場は、二時間を越えると料金が発生する。確実に二時間は超過してしまう。駐車料金を出すという選択肢はない。「また来ます」と店員の愛想にこたえ、店を出る。
「どうする?」
このまま無駄足になるのもいやなので、どこかで食べていこうと釘を打つ。じつは「鳥貴族」へ来る道の途中、よさげな雰囲気の店を見つけていたのだ。窓に直接、落書きのように「Pizza」うんたらかんたらと書いてあった。雑居ビルの一階。イタリアンの店なのだろう。
「高かったらどうするの?」
妻はまったく乗り気ではない。「トリキ」の口になっていた云々と、ぶうたれる。私は何度も何度も無駄足の愚を諭し、どうにか説得する。
「&N」というのが、看板もなにもない店の名まえであった。窓際の長ソファー席。バーカウンター。暗めの照明。イカした店員。なんとも洒落た感のある内装。
メニューを見ると、意外とメニューは少ない。バーであるらしく、サイドメニューは「鳥貴族」のように安くない。だが窯で焼いているという本格的なピザは600円からと、意外と安い。安いぶん量は少ないのか、これじゃあ腹いっぱいにはならんか……私は危惧する。あんまり高いのをたのむと、妻は激怒するにちがいない。腹がみたされなかったら、しかたがない。妻がララガーデンで買い物をしているあいだ、駅前のラーメン屋でラーメンでも食おうか……そんな諦観とともに、いちばん安いジャーマンピザをたのむ。サイドメニューで500円のハムカツ。1100円、ここが限界値であろう。妻が500円のアボタコという写真のないものと、500円のカクテルを注文する。そんなに腹は減っていないらしい。
たのんだ品はたがいにシェアするのが、私たちの流儀である。アボタコというのは、タコの切り身にアボカドを和えたもの。ワイングラスに盛られたそれ(じつにオサレ)に、クラッカーが添えられている。アボカドとタコ、うまくないはずがない。
つづいてハムカツ。厚切りの肉に、カツレツのように薄い衣。むかしながらのハムカツではなく、じつに上品な料理である。これもうまくないはずがない。
これらを食べおえて、間が空く。ピザがなかなか来ない。窯焼きだから、時間がかかるのだろう。入手したばかりの『帝一の國』最終巻を読みながら、のんびりと待つ。つづきが気になるところで「お待たせしました」と、読書は中断を余儀なくされる。
ジャーマンピザ。予想よりもぜんぜん大きい。宅配ピザのLサイズくらいはあるんじゃなかろうかというくらい、大きい。宅配ピザをそうたのむことはないので、これは私の誇張かもしれない。けれど600円でこのサイズなら、じゅうぶんに満足できる。親切なことに、すでに八等分にカットされている。
ジャーマンというから、ポテトとベーコンのピザである。生地は厚すぎず薄すぎず、熱々なので取り皿にとってフォークで食べる。うまい。十万石のうまさである。ピザ評論家ではないから、ほかのピザとくらべてどうすばらしい云々ということは書かない。この味で600円というのは、安すぎる。
「おいしい」
妻が感嘆の声をあげる。お腹すいてないから一口でいい、と言っていた妻が二切れを平らげた。
「ピザもう一個、たのむ?」
まさかの展開である。ジャーマンピザとハムカツで、私の空腹はほどよくみたされていた。もうラーメン屋に行く必要はないと考えていた。さらにピザがもう一個、ねがったりかなったりである。
「なに、どうしたん? ほんとにいいの?」
「うん、ピザおいしいから」
この一事だけで、この店のピザのすばらしさはつたわると思う。そうして追加注文、850円の紫蘇ベーゼのピザ。紫蘇ベーゼという珍奇な名が、じつに妻好みである。
窯があったまっていたからなのか、注文してからさほど間が空かずにピザが来た。ジェノベーゼのハーブが、紫蘇になっているのだ。これもうまい。ジャーマンピザとあわせて、味の日独伊三国同盟が成立した。
みちたりた気分で、店を出る。ドアに掛けられた「ランチやっています」の札。ランチにはパスタもあるらしい。
「ピザ制覇したい。つぎはランチのときに来ようよ」
あれだけ「トリキ」「トリキ」で乗り気じゃなかった妻が、そんなことを言うくらいにすばらしいピザだった。「行ったことのないお店に行きたい」とつねづねリピーターを否定している妻に、こうまで言わせたのである。「&N」、じつにすばらしい店である。
これもそれも、「鳥貴族」が満員御礼でなかったなら……「鳥貴族」に無料の駐車場があったなら、この名店を知ることはなかった。人間万事、塞翁が馬。なにが幸になって不幸になるか、まったくわからない。
そして、「三十と一夜の短篇」第3回。第2回と同様、テーマに難渋した。さて、どういうものを書こうか。本音を言えば「鳥貴族」へなど行かず、執筆のための時間が欲しかったのだ。だが、どう転ぶかわかったものではない。良し悪しはともかく、こうしてテーマに沿ったエピソードを得られたわけである。妻と「鳥貴族」と「&N」には、感謝してもしたりない。