生きるために
あの日の長門はようやく夕方には何とか終息しこれから如何にしていくかと言う話になり、私は戦後の食糧難を知っているのでこの際横須賀鎮守府の倉庫から缶詰や食料、日用品を長門に移して行こうと思い下士官に集まるように伝え、「これから長期にわたり行動しなければならないが降伏してしまい軍として機能しないと思われるので食料を取りに行きたいので手伝えるものは上甲板に集合するように伝えてくれ」と言うと、曹長や軍曹など歴戦のつわもの達は私の話に最初はあっけにとられたが士官である私が悪事を積極的にすると言うとおおいに乗り気になり直ぐにでも参りましょうと水兵を召集し、ランチとカッター等を次々と下ろしていき瞬く間に岸壁に集結すると最盛期は長門の乗員は約1400名いたが今は500人程で、岸壁に集まったのは私を含め400人の悪童が集まり、前もって補給部に聴いて調べていた燃料集積所で半数が燃料を荷車にのせトラックの駐車場に向かい、もう半数で食料などが集積されている倉庫に向かい警備をしていた兵士が小銃を構え制止したので、私は前に出ると「誰の命令で小銃を向ける。降伏して帝国海軍はもうないおとなしく命令を聞け」と我ながら矛盾した論理で畳み掛け怯んだ隙に武装解除をするとトラックに次々と缶詰や米等の食料をいっさいがっさい積み込むと岸壁に戻ってきた。下士官は大きなクレーン付きの台船を準備して待っており橋を架けると手慣れた様子で次々とトラックを運び込み手を回したタグボートで長門の横へと移動させると長門のクレーンと台船のクレーンで次々とトラックごと上甲板へと移動させていき夜明け前にはすべて移動し後部甲板はトラックで埋まってしまった。
私達の行動を士官達はあっけにとられた様子で見ており私は下士官を連れて士官達の前に進み出ると、「明日から補給はなくなりますので乗員の為に自主的に受領して参りました」そう言うと顔を引きつらせながら艦内へと入ってしまった。
下士官を束ねているのは砲兵科の最古参伊藤曹長であり士官達が艦内へはいると私に「部下に慰労のため缶詰と酒をふるまってもいいですかね」と言うので了承し艦長に報告をしておかなければと思い従卒に艦長が起きたら報告をたのみ、下士官に彼等にも頼むといって自室へ戻った。
しばらくするとドアがノックされどうぞと言うと疲れた顔をした艦長が入ってきたので立ち上がり敬礼をした。艦長は話があるのだがと言うので椅子をすすめたがこちらでいいと言いながらベットにすわる。私は何を言われるかと思い待っていると「貴官が玉音放送が流れた作戦室で興奮していたようだが知っていたのか」と言われたので、本当のことは話せないので「私は頷きながらこれは米内海軍大臣からの情報でありその前日に玉音放送を止めるため近衛師団の士官が反乱をおこし皇居を襲った」ことも伝えると、杉野大佐は肩を落とし「私達はこれからどうすればいいのか」と再度聞かれたので、米軍が占領するため日本に来るのは遠い話ではないのでその時までは特に何するわけでもなく過ごすように言い、事後報告であったが補給は受けられないと思い積極的に受領したむねを伝えると、「任せる」そう言って部屋を出ていった。
私は上着を着て帽子をかぶると上甲板で行われている宴会に参加するため出向くと、降伏のショックを和らげるためか酒を飲み騒いでおり伊藤曹長を見つけると隣に座り茶碗を取ると酒をつぐようにつきだした。伊藤曹長は私を見てから嬉しそうに酒を注いでくれ一気に飲むと茶碗を渡してから返杯とばかりに酒を注ぎ伊藤曹長は一気にのみほし、私は周りの兵士達と一人ずつ酒をのみ比べ皆嬉しそうに飲んでしまう。伊藤曹長は「これが負けたと言うことなんですな中佐殿と長門で酒を飲めるとは思いもよらなかったですぞ」そう嬉しく言うと周りも頷いた。
私はこれからはそれぞれが日本の復興のために行動する事になり今までの上下関係は関係な新しい日本のために行動してほしいと言うと、皆希望がわいてきたのかうれしく頷いている。しかし後ろから別の軍曹が立ち上がりながら酒に酔った赤い顔で私の前に座ると「士官殿この戦争で散っていった仲間の思いはどうしたらいいのでしょうか、中佐殿の言っていることはおかしいです、非国民ではないですか」そう言いながら私に言い寄るのを皆が止めようとしたので私は手で制して立ち上がる。
「この戦争では多くの仲間が無くなった。彼らの思うことと我々が思うことは同じではないのかただ国のため家族のために戦った。今も気持ちは変わらないはずだし戦いは負けたが国がなくなったわけでも家族が居なくなったわけでもない、家族を無くして怒りや悲しみを胸に秘めていると思うが立ち止まってしまえばなにもかわれないし何も出来ない、これからも国のため家族のために知識と経験と技術で再び日本を世界の頂点に立とうではないか」そう言うと皆は黙ってしまいその反応に私は背中に汗が流れていたが目の前の軍曹は泣き出し亡くなった仲間の名前を言いながら日本を復興し世界に誇れるものにしてやると言うと他の下士官や水兵も泣きながら酒をのみ新な日本に希望をもって夜遅くまで騒いだ。
翌日私は露骨にトラックを並べるのは不味いので何処か倉庫を手配しトラックだけでもと言うと頷きカッターを港に向けて出ていった。私は下士官に長門の倉庫にトラックの物資を運び込むように頼むと水兵達と次々と運び込んでしまい、二日後には場所を確保したのかタグボートで台船を引いてきて空のトラックを次々に乗せて行き燃料と共に何処かへ運んで行ってしまった。そうこうしているうちに8月から9月に入り私でも名前の知っている大平洋司令長官であるミニッツ元帥とブルとよばれたハルゼー中将が横須賀に上陸しきて横須賀を視察し長門も視察するために乗艦してきたのでこの頃すっかり気落ちして寝込んでしまった艦長の代わりに私が担当になり前世での仕事で英語が話せたのでそれのお陰でスムーズに説明をして元帥からは気さくに話をしてもらえたが、日本人嫌いなハルゼー中将は敵意をもち話しかけてきたので冗談を混ぜながら対応して訪問は終わった。その後横須賀から元帥一行が移動しようとしたがジープが故障してしまい、長門の機関長に修理を頼むと無事終わり出発していった。その後もアメリカ軍の士官が何度か長門を訪れ私が艦長の代わりに対応し、長門引き渡しのため横浜税関にある後のGHQに出頭するように言われたので焼け跡の中一旦自宅のある品川まで缶詰と米をリュックに入れると電車に揺られて帰宅をした。二ヶ月ぶりの帰宅であり、家の周囲はバラック小屋も達はじめ、自宅も燃え残った部屋にトタンで増改築した家に入った。
家の中には誰もおらず不用心だなと思いながら食料が入ったリュックと手提げを下ろすと居間に寝転んで帰ってくるのを待った。夕闇迫る頃に玄関の扉が開きバタバタと駆けてくる2つの足音に顔を向けるとそこには弟と妹が目をまんまるくして立っており私と確認すると玄関にむいて「にいちゃんが帰ってきた」と大声で言うと玄関からさらに足音が聞こえてきて妻であるまことが顔を出して、私の顔を見ると力が抜けたようにその場に座り込み「無事でよかったです」そう言うと泣きはじめ私はあわてて駆け寄った。「無事だ連絡をせずにすまない」そう言うと胸に抱きついてきてさらに泣かれ、ようやく顔を出した両親からも「親不孝ものめ新妻をほっておいて」と言われたが嬉しそうにしていてくれる。こんな遅くまでというと食料がてに入りにくいため田舎に向かい食料を調達してきたと言い、私もリュックと手提げを指差すとこれでしばらくは大丈夫でしょうと言った。
戦争が終わり父親も来週から会社に出勤することになり、まことも看護婦の免許を持っているので働きに出ることになっており、私は長門を米軍に引き渡ししだい家に戻る予定だと伝えた。夜は気をきかせてもらいまことと二人で寝ることにし就寝した。
翌日は横浜へ戻りGHQがおかれている税関に向かうと、長門を引き渡す米軍側の担当のドルツ中佐が出迎えてくれドイツからの移民でありニミッツ元帥もドイツ移民だったので好意として担当を指名してくれたようで良好な関係で話し合いができ、長門の現状とこれからの行程を乗組員の処遇などを話し合い、9月15日に除籍となり乗組員は一部を除いて軍務を解かれ故郷へと帰ることになり長門にある食糧等は持ち帰る事を了解してもらい残す下士官の名簿を渡すとそれでは予定道理にと言われその日の内に長門へ戻り艦長と士官にまず説明をして退鑑の準備を進めるようにと艦長からの指示をもらった。
私は士官は砲兵科と機関科の大佐以外は今週中に離れる準備をするように話をしておみあげに食料と米を持ち帰る準備をさせる。下士官は先任をのこし先任からそれぞれの水兵を選ばせるとそれ以外の兵員は食料を受け取り隠してあるトラックを持ち帰りたい希望者にはそれぞれの故郷まで仲間を乗せていくように手配をするとようやく自室に落ち着いた。
翌日から俸給と食料をもらい次々と長門を離れていき泣きながら岸壁へと向かっていく。任せると艦の重要な書類などを作戦室に集め厳重に封印していき9月12日には居残り組以外は故郷へと向かっていき、食料はまだまだ倉庫に積み上げられていたので自分でした事なのだがどれだけの事をしたのかとあきれながら一部をのこし伊藤曹長のトラックを隠していた倉庫に運び込み残ったトラック4台に燃料と共に積み込むと居残り組の30名の家へ(幸い神奈川か東京の者ばかり)帰宅組に輸送を頼む。翌日が除籍の日であり米軍の管理下におかれるので士官食堂にみんなを集め宴会を催し就寝した。政府からの使者とドルツ中佐そしてその上官たるハルゼー中将が乗り込んできて引き渡しが終わりこれから米軍の詳細な調査を行うことになると言う説明があったが急にハルゼー中将はGHQから呼び出しがかかったらしく悪態をつきながら横浜税関へとジープで戻っていった。ドルツ中佐は特に気にしないで明日からの調査を友好的に頼むと伝えると待たしていたジープに飛び乗り同じくして戻っていく。
翌日伊藤曹長の声で起こされ上甲板へと上がると目の前をアメリカ海軍の艦船が次々と出港しており、私はソ連が攻めてきたので過剰に反応し牽制するために出港したのかと思いながら大型空母からなるアメリカ海軍の艦船を眺めていた。翌日からは調査団がドルツ中佐と共に乗艦してきたが当初聞いていた人数の半分ほどしかおらず私は気にしながらドルツ中佐にソ連の進行は止まらないのかと聞くと、ソ連はすでに停戦しており危険はないと言われたので、昨日の艦隊の出航多分ハルゼー中将貴下の艦隊と思われるが何かあったのかと聞いたが中佐は沈黙しそのうち話すこともできるだろうと言うと話を打ち切った。調査は土日は休みなので交代で自宅に帰ることになり私も久しぶりにようやく復旧した横須賀線で品川まで出ていった。
横浜市内も川崎も焼け野原に人々が行き交っているようで復興もまだまだ先なんだと思いながら多摩川を越えてもそれは続き品川駅へと電車は入っていく。駅を降りて食料を詰めこんだリュックと手提げを持ちながら出ていくと戦災孤児なのか駅の外の壁に座り込んでおり怖いなと思いながら自宅へとつづく坂道を上がり焼け野原で見晴らしがよくなり東京湾を右に遠くに眺めながら歩いていくと自宅に到着する。自宅の庭にはトラックがありどうやら伊藤曹長が余った一台を置いていってくれたようでこれを使い何かしないとなと思い扉を開きながら「ただいま戻りました」そう言いながら家にはいると皆が揃っておりと言うか増えており母親の姪が子供二人を抱えて食料事情に困り果ていたのを母親が呼び寄せて先週から暮らしていると言うことで、まことの弟と妹の年齢と同じで上は女の子で下は男の子でありかなり賑やかな家になっていた。
食事をしたあと父親からトラックはどうするのかと聞かれたのでもう少しでお役ごめんになるので運送業でもしばらくして暮らそうかと伝え米軍の調査も来年始めには終わるのではないかと伝えると、父親もその際には会社勤めを終わらせ手伝う事を申し入れてくれ、話のあとに裏庭の焼け残った土蔵に連れていかれて中を見せられると米と缶詰日用品等が山のようになっており父親から「これはどう言うことだ」と詰問され「私は長門に備蓄してあった物で故郷に戻る下士官と水兵に持たせた残りです、米軍にも許可は得ています」そう言うと父親はなにか言いたそうだが黙って居間へと戻っていった。
翌日は夕方に長門に戻ればいいので朝からまことと兄弟そして永豊みちこさんと子供二人をつれてせ泉岳寺まで散歩に出向き、前世では立派な門構えの寺であったが終戦間もないこの時期は寂れており復興と共にこれが立派になるのだなと思いながら散策をして昼前に自宅へ戻ると外には米軍のジープが停まっており、私は不味いことをしたのかトラックの件かと色々考えながらジープで待っている上等兵に「私は金谷中佐だが何かご用ですか」と英語で訪ねると相手はビックリした顔でなかにいるらしい上官を呼んだ。中からはドルツ中佐の部下で現場には出てこないが文書でやり取りをしていたノール中尉が出てくると急いでGHQの本部に来てくれと言われたので、私はあわてて軍服を着るとジープの後ろに座った。上等兵は勢いよくジープを発進させると国鉄(いまのJR)の線路際に出ると横浜へいく右折ではなく左折をしたので私はノール中尉に本部にいくのではないのかと聞くと、本部は皇居前の第一生命ビルに移転したと言われて、ようやく本来の場所に移動したのだと気づかされ始めて都心に向かうことになり興味津々で風景をながめていると、どこもかしこも焼け野はらでありため息しかでない状態で気がつくと皇居前のGHQに到着した。
ノール中尉は私を一室に連れていくと入っていく時にドアの名前を確認するとレイモンドスプルーアンス提督と書かれており、私はハルゼー中将と大平洋戦線で功を競った間柄であり双璧と言うことかなと考えニミッツ元帥の横須賀上陸に同じしてマッカーサー元帥の上陸を手助けしたのがこの提督だったかと思いだし、日本には好意的ではないかなとも考えながらノール中尉の後に続いて入室する。始めてみる提督は大きな瞳で私を見透かすかのように見つめており私は無言で敬礼をし言葉を待つ。言葉は提督の横にいたドルツ中佐が「休日に呼び出してしまってすまない金谷中佐」そう言うのを頷き返し本題にはいるのを促す。
ドルツ中佐は机に広げている地図を広げておりオーストラリアの南方アデレードを指差し話始める。8月15日の終戦となりオーストラリアも戦勝のお祝いに湧いていたが、アデレードからの電信が途絶したため首都キャンベラから偵察機を出すも同じように通信途絶になりPー38の飛行隊を向かわせたが一機を残し全滅となり、事態を重く見たオーストラリア政府は重巡洋艦シュロップシャーとQ級駆逐艦5隻をただちに派遣すると、アデレードの沖にあるカンガルー島が黒い霧におおわれておりカタパルトから水上機を飛ばして偵察させようとすると霧の中から数隻の戦闘艦が出てきて交戦になり、上空も黒い航空機が霧から出てきて水上機を攻撃した。
敵の戦力が圧倒的でありただちにオーストラリア海軍は撤退を開始し水上機を失ったのと駆逐艦が2隻小破しただけですんだと言うことであり、その時に攻撃してきた戦闘艦は第一次大戦前の艦艇に似ており前後に二連装の砲が一門ずつあり数は多かったがこちらに攻撃してくる砲門の数か少なかったのが幸いしたと言うことだった。その報告を受け状況を重く考えたアメリカ海軍大平洋司令ニミッツ元帥はハルゼー中将貴下の艦隊を差し向け現状の把握と危険なら殲滅を命令し、ハルゼー中将は喜び勇んで出撃したのだが、昼間は圧倒的な火力で次々と殲滅していったが夜に入るとレーダーに映りにくい黒の艦隊に圧倒され半数以上の艦船を失いハルゼー中将も負傷しハワイへと送られ、残存艦隊はシドニーへと急遽寄港したと言うことで、残るスプルーアンス提督の艦隊がオーストラリアに陸軍の乗る大輸送艦隊を護衛することになったと言うことを説明してくれ、今回私を呼び出したのは2つソロモン海戦ではレーダーが装備されてない頃の日本海軍は圧倒的な力を見せたが今でも健在かと言うこと、もうひとつは長門を早急にドックに入れて修理を行い訓練を行い戦線に復帰出来るかと言うことをドルツ中佐は聞いてきた。
私は下士官である古参兵に率いられた水兵は戦いで数は減ったがまだ戦えると言うことを伝え、合わせて空母葛城や龍鳳、軽巡酒匂、駆逐艦冬月と涼月、夕風と汐風、響と雪風そして春月と夏月と花月とドルツ中佐からまだ生き残っており調査対象になっている艦を覚えている限りあげていくと、ドルツ中佐は長門と葛城と酒匂は了承したが龍鳳は速度が遅いと却下され駆逐艦はアメリカ海軍からの供与とするように言われたが、駆逐艦は慣れ親しんだ艦で戦うのが重要であると話すと納得してくれたようでただちに各造船所に入渠させ修理と対空機銃等はアメリカ海軍と同じ規格に入れ換えたりするように手配することと、各艦長を横須賀に招集することが決まり後日艦隊の指揮官をアメリカ海軍から硫黄島での負傷から復帰していたフレッチャー中将が担当することになり、横須賀で合流することになる。私は補給をスプルーアンス提督にお願いして部屋を出ようとするとドルツ中佐が呼び止め長門の艦長の就任と大佐としてアメリカ軍からの給料も出すことを言われ二つ返事で了承した。私は艦隊の部下たちに俸給とは別にアメリカ軍からの危険手当てとして少しの米ドルと食料を部下たちに一律に支払ってほしいと言うと了承して話し合いは終わった。
私には私を迎えに来たミルダ上等兵とジープそしてノール中尉を副官としてつけてもらうことになり一度自宅へ戻りたいと言うと自宅へ送ってくれ明日朝に迎えに来ることを言うとノール中尉は帰っていった。その夜父親とまことを呼び出しアメリカ軍として行動をすることになり長期で帰る事は難しいと伝えると父親は黙って頷き気を利かせてその場を離れた。まことは「やっと戦争が終わったのになぜ貴方が戦いにでなければならないのか」そう言いながら胸に飛び込み泣きじゃくるので「これはもしかしたら人類存亡の戦いになるかもしれない国を肉親をそして人々を守るために行くことなのだ、すまない」そう言うとまことは「卑怯ですそんな言い方、でも私のために必ず帰ってきてください」そう言われ頷いた。こうして明日からの忙しい日々に対する準備を考えながら就寝した。