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創造主な僕たちは華麗な日々しか創れない  作者: 黄昏月ナツメ
一学期:僕たちはまだ夢の中で。
5/36

お嬢が紅茶を買いに行くだけの話

 眠りに落ちていたあたしの意識を強引に引き上げたのは布団の上から感じたエルシェの体重だった。

 彼女を自分の上から下ろす。スマフォの画面を見つめてぼーっと時間を確認して、九時という表示にさーっと血の気が抜けるのと同時に一気に意識が覚醒した。ばっと起き上がる。

 いかん、このままだと遅刻する。というかもうしてる。慌ててクローゼットに駆け寄ってからあることを思い出して崩れ落ちた。

 休みだ。今日、休みだ。

 なんだか一人で混乱に陥ったのが恥ずかしくなって誤魔化すようにエルシェを抱き締めながら部屋を出た。

 廊下を渡りながら母親はどうしているだろうかと色々考えてキッチンの方にやってくるとすぐに回答を得られた。


 カウンターに置手紙がぽんと置いてある。それを拾い上げながらコンロの方に寄ってみると置いてあった鍋にはスープが入っている。

 食えってか、と思いつつ手紙を開く。中にはあたしの名前とおはようの挨拶がハートマークつきで書かれていて、急にお仕事になったから一人で一日過ごしてね、ということだった。いつものことだ。

 わしゃわしゃと髪を掻き毟っていると『追伸』の文字を見つけて、また目を落とす。

『紅茶がなくなったので買って参れ』

 急にハートもへったくれもなくなった文章を見ながら面倒だな、と顔をしかめた。

 あの人が銘柄の指定もせずに紅茶といったら大抵一種類しかなくて、入手しようと思ったら生協じゃあ済まなくて、輸入品専門店のような場所まで旅立たなければならない。

 少し歩いた先の商店街にある。その手間すら今日のあたしには面倒だった。

 でもかといって帰ってきた母親に文句を言われるのも嫌で、食費諸々の入った財布を探しながらもそもそと焼いてもいないパンをかじった。


 というわけで、制服、ではなく、適当に見繕った私服に身を包みながら商店街に一人旅立つことになった。


 だらだらと買い物を楽しまなくてもいい。今日はさくっと目的のものだけをゲットしてとっとと撤退しよう。アーケードの前に立ちながらあたしは一人そう心に決めた。

 商店街と言っても、数年前に出来たアーケード商店街でゲームセンターやらやったらめったらお洒落な洋服屋やら、映画館があるせいでバスを乗り継いでショッピングモールに行かずともここでデートを済ませたりする付近の学校の生徒も多い。エール霧雨も無論ながら例外ではない。

 そんな無法地帯に長居は無用だ。息を吸い込んでぎゅっとカバンの紐を握りしめる。


 が、そんなあたしの決意を無に帰すようにその声は明るく響く。


「お嬢ちゃーん!」

 聴き慣れたあだ名につい足が止まり、振り返る。

 笑顔で手を振りながら薄桃色のロングスカートをふわりと揺らし、あたしの方へ駆け寄ってきたのは舟生リンだった。

「リンリン、どうしたの、こんなところで。いずみっちとデート?」

「ううん。今日は一人なの」

 にこっと微笑んだ彼女は「お洋服買いに来たんだ」

「あら、いいわね」

「そっちは?」

「あたしも似たようなもんよ。ちょっと頼まれたから買い物かな」

 にこにこしたままの彼女に負けじと笑い返す。

 後ろの方に視線を投げかけていると「そうだ。あのね、迷惑じゃなかったらなんだけど」

「なぁに?」

「よかったらお洋服選ぶの手伝ってくれないかなって」

 その誘いにあーと苦笑する。

「あたしそういうファッション系はあんまり」

「いいの! 一緒に来てくれればそれだけで。やっぱり、駄目かな?」

 ここで駄目だというと大事な命を危険にさらすような気がする。しかしかといって、現代っ子のファッションチョイスをお手伝いできるほどのセンスは魔女さまは有してない。

 うーんと唸ってから、まぁいいかと息を吐く。

「いいわ。一緒に行きましょっか」

 ぱぁっとリンリンの顔が輝いた。

「ありがとう!」

 ぎゅっと両手を握り、ぶんぶん上下に振る彼女にどう致しまして、とだけ返しておいた。




 彼女に手を引かれ、やって来たのは小さな洋服店だった。

 予想通りというべきか、いかにも女の子が好きそうなフリルやリボンのついた可愛らしい洋服が多い店で、少し気圧されたほどだった。

 店内を見て回るリンリンについて回りながらまた後ろを振り返る。そんなあたしを不思議に思ったのか「どうしたの?」と彼女が首を傾げた。

「いいえ、守護霊が視えた気がして」

「わあ、凄い。やっぱり魔女だとそういうのが視えるんだね」

 いや多分魔女じゃなくても視えるんだと思う。片方は分からないけど。

 あたしの言葉に嬉しそうに笑いながらねぇねぇ、と彼女は手元のワンピースを示した。

「これ、変かな?」

 彼女の手にあったのは花柄のシフォンワンピだった。淡い色で彼女の雰囲気にはぴったりだ。

「リンリンならきっと似合うわ」

「そうかな?」

「不安なら試着してみればいいんじゃないかしら。あれこれ考えるよりきっと早いから」

 あたしの言葉にそれもそうだと納得してくれたらしい彼女はワンピースを大事そうに抱えながら「じゃあ、ちょっと着てくるね。待っててくれる?」ええ、と頷いた。

 ありがと、と笑った彼女はあたしの手を振りながら試着室の方へと駆けて行った。その手を振り返してから改めて後ろを振り返る。

 口からは自然を溜め息がこぼれる。足を踏み出して、入り口付近の方へ向かう。

 ワゴンの中の洋服を実にわざとらしく、物色する男女にあたしはきっぱりと言い放った。


「なぁにやってんだ、そこの創造主と死神」


 びくっと二人の肩が跳ね上がり、「あ、あははやっだぁお嬢ったら気付いてたならもっと早くに声かけてちょーだいよ」と女の方がけらけら笑った。

 もはや言う必要すらないかもしれないがそこにいたのは蒼井美里と神泉いずみというリンリンに関すれば何をやらかしても不思議はない二人だった。

 呆れながら返す。

「気付かないわけなかろうに。嫌ね、春は変なのが多くて」

「変なの!? 変質者いたの!?」

「うん、あたしの目の前に二人くらいいるかな」

 いずみっちの言葉にそう返してから頭を抱える。

「なんでこんなことしてるのよ。こそこそと」

「いや、朝、デート誘ったら今日は駄目って言われたから心配になってついつい」

 手を組みながら目を伏せるいずみっちに「あのねぇ」となんとか言葉を紡ぐ。

「だからってこそこそしていいわけないでしょ? 美里さんまで呼んで」

「違うよ蒼井っちは勝手に来てた」

 顔をしかめながら美里さんを見る。彼女はさっと視線を逸らすだけだった。

「……なんでリンリンのおでかけ状況があんた、分かるの? ほんとにただの幼馴染なの?」

「そればっかりは蒼井さん言えないわ……」

 遠い目をする美里さんはやっぱりただのリンリン馬鹿ではなさそうだった。

 軽い恐怖を覚えながら「もー今日のことは黙っておいてあげるけど」と腰に手を当てる。

「リンリンだって子供じゃないんだからいい加減あんたたち、過保護やめ」

「どうしたの?」

 後ろから飛んできた声になぜかあたしが必要以上に驚いてしまった。

 振り返るともう試着を終えたのか、リンリンがにこにこしながらワンピースを抱えてこちらを見ていた。

「もういいの?」

「うん。それより、誰かとお話してたの?」

 不思議そうに首を傾げる彼女にあはは、と笑う。

「ちょっと守護霊と心を通わせていたところよ」

「え、じゃあ私邪魔しちゃったかな?」

「ううん、しばらく成仏しそうにないから放っておくことにしたわ」

「そっかー」

 なぜか残念そうにそう返してくる彼女にこの話題を掘り下げられるのも困るのでなんとかすり替える。

「それで、決まったの?」

「うん。これにしてみよっかな」

「そう、よかったわね」

 後ろの守護霊たちから頭の中に直接『リンは何着ても天使だけどね!』とか意味不明なテレパシーという名の電波を送られている気がするが無視しておこう。相手にしたら呪われてしまう気がする。呪われて洗脳されてしまう気がする。

 守護霊なのか悪霊なのかよく分からない何かに対して無心を貫く訓練を自主的に行っているとぼそっとリンリンが呟いた。

「いずみ君、可愛いって言ってくれるかな」

『ふぉおおっしゃあああ!』

 途端、絶叫とも悲鳴ともつかぬ何かが脳内に直接流れ込んできた。怖い、魔法怖い。

 内心引きつっているとさらに守護霊(死神)の魂の叫びが脳内に流れ込んでくる。

『リンマジ天使! いや知ってた! 超知ってたけどマジ天使すぎる。可愛いなんてもんじゃない、可愛いという概念そのものを超越してるわリンほんと可愛いなくっそ。結婚しよ』

『死ね、いずみマジ死んじまえ。もう地獄の果てに自分の魂導いて来い』

 人の頭に念話垂れ流しながら喧嘩しないでくれ頼むから。

 もうツッコむために念話を送る魔力すら勿体ないので無視しながらふと、ワンピースの上に乗った青色のシュシュに気が付いた。

「どうしたの、そのシュシュ」

「え、あ、これ?」

 リンリンは恥ずかしそうにはにかみながら小さく答えてくれた。

「美里ちゃんにお土産」

『いよっしゃあああああ! ありがとうございますぅうう!』

 守護霊(創造主)の叫び声が聞こえてきた気がする。というか後ろで小躍りしてる不審者がいます助けてください。

『リンきゃわいいい! もう死のう! リンが可愛すぎるから死のう! なんで!? なんでお土産くれるの!? 殺す気なの!? 美里ちゃん嬉しすぎて死ぬ!』

 ああ、テレパシーって着信拒否できないのか。今度結城に聞いてみようと心に決める。

 守護霊の電波絶叫を聞き流していると「そういえば」とリンリンがあたしを覗き込んだ。

「お嬢ちゃんもたまに縛ってるよね、髪の毛。いつも同じリボンで。お気に入り?」

「あーいやそういうわけじゃないんだけど」

 視線を逸らしながら「なんていうか、捨てづらくて」

 もうあのリボンも使い始めてから数年経つ。いくらそれなりに気を遣って使っているとはいえど、端はボロボロになってきたし、大分薄汚れてきた。

 それでも新しいものを買い替えないのはなぜだろうかと思えば、やっぱりあれを押し付けてきた相手に問題があるという結論に至る。

「誰かからのプレゼント?」

 リンリンが首を傾げた。薄く笑う。

「そんなところかな。でもいい加減ボロになってきたから新しいの買おうかしら。黒とかがいいわね」

「ええー白の方が可愛いよー」

 ぶーっと唇を尖らせる彼女はシュシュを見つめながら「美里ちゃんも、そんな風に大事にしてくれたら嬉しいな」

 すぐさまテレパシーが飛んでくる。

『家宝にします!』

 うるせぇと飛ばすか、お黙りと飛ばすかで迷ってしまった。




「それじゃあ、今日はありがとう。ごめんね、付き合わせちゃって」

「いいえ。楽しかったわ」

 あなたといるだけなら。

 どう考えても買い物するだけ以上の体力を使ってしまった気はするがリンリンと話をするのは楽しかったのでよしとする。

 紙袋を抱えながらそれじゃ、と頭を下げて歩いていく彼女に手を振った。

 あたしの買い物にも付き合ってくれると言ってくれたがどうせ紅茶だけなんだし、そろそろいずみっちと美里さんも直接会いたがってるだろうし、というかあの守護霊たちがついてくるのはもう御免だった。

 そんな諸々の事情でリンリンと別れたあたしはふと柱型の時計を見上げた。もう十二時手前ほどだった。

 さっさと帰るつもりが時間を使ってしまった。小腹も空いてきた。どこかで軽く昼食をとってから紅茶買って帰ろう。

 割とあっさりプランを変更して、どうせお金もないんだから安いところでと考え込んでいると牛丼屋が目に入った。どうしようか迷ったのはほんの数秒で、すぐにあたしの足はそちらに向いた。

 いらっしゃいませー、と機械的にソファ席に案内されてから「牛丼並と卵」とだけ告げるとはーいと明るい返事が飛んできた。

 早い安いを自慢にしているだけあって数分待たずにどんっと目の前にどんぶりが置かれて、店員は忙しそうな店内の喧騒の中へと戻って行った。

 箸立てから割り箸を確保すると特に思うこともなく二つに割る。そのあとに卵の存在を思い出して、割ってから箸をとればよかったと若干後悔。

 仕方ないので盆の上に一旦箸を置いてから卵を割る。

 透明な白身に包まれた黄身が肉の上に乗ったところで頭上からまた業務的な声が聞こえてきた。

「申し訳ありませんお客様、相席でもよろしいでしょうか?」

「ああ、大丈夫です」

 卵をほぐしながら顔も見ずに答える。とにかくあたしはここで飯が食えればなんでもいい。

「ありがとうございます」とだけ述べてさっさと客の元へと戻って行く店員が「あちらの席で相席になります」とかなんとか言ってるのが聞こえたが卵と牛丼を絡めるのに夢中であんまりきちんとは聞いていなかった。

 目の前で椅子が引かれる。相席相手の面くらい眺めておこうかとどんぶりから顔を離し、頭をあげると顔が引きつるのが分かった。

「は?」

「やあ、どうも」

 そこにいたのは周防徹だった。

 偶然なのか、必然なのか。判断するのも問いかけるのも馬鹿馬鹿しい。軽く笑みを浮かべながらこちらに挨拶してくるがあたしはなんでいるんだという表情を作るのに精一杯だった。

 素早く並盛の汁だくを注文する部活仲間に「あんた、牛丼とか食べるんだ」とどうでもいい会話しか生み出すことができなかった。

「おかしいですか?」

「別に。お昼はカップラーメン食べてるところしか見たことなかったから」

「まぁ、実を言えば食事の必要なんてないんですけど」

「知ってる」

 呪祖が自分の体を動かすために必要なのは魔力だけだ。そしてその魔力は放っておいても普通は回復していく。外部からの栄養摂取はほとんど必要ない。

 卵の量が思ったよりえげつなかったので紅ショウガで中和する。

「それでも食事をとるのは人間の真似事がしたいから?」

 あたしの問いに、周防徹はわずかに動きを止めた。それからあたしを見つめて、薄く笑う。

「相変わらず、意地の悪い質問をする人だ」

「こういう話し方しかできないの、不器用でごめんね」

「底意地が悪いだけでしょう?」

 柔らかな笑みで割と腹の立つことを言われてしまった。

 小さく肩をすくめて誤魔化す。機械的に自分の目の前に置かれた牛丼をわずかに自分の方に引き寄せた周防が箸を折った音が鼓膜を揺らした。

 自分のことを棚上げしている聞き方だということくらい自覚はあるさ。柔和な目がなぜかあたしには異常に責めるような目つきに思えて、心の中で言い訳した。

「恐らく、あなたと同じ答えだと思いますよ」

 ぽつんと聞こえてきた台詞に用意していた言葉全てを飲みこむ羽目になった。

 代わりのように問いかける。

「同じって?」

「あなたはそこまで察しが悪い人じゃないでしょう?」

 ははー、追い詰めたと思ったら追い詰められていたパターンか。

 七味を振りかける彼を見つめながらそっと息を吐く。口に出して完敗宣言をするより無音を貫いて無理にこの話題を切り上げる方が賢いように思えた。あたしの意図に気付いたのか彼は小さく笑ってから、

「前にも言いましたけど僕は、あなたのことは創造主よりこちら側に近い存在だと思ってます」

「そうね、あたしもそう思うわよ」

「でも彼の方はよほどあなたを創造主として扱いたいらしい」

 今度はそうね、とも違うとも言わなかった。言いたくないというのが適切かもしれない。誰のことだとも問わなかった。

 ただひたすら無言で牛丼を口の中に流し込んでいると溜め息交じりに周防が言う。

「都合が悪くなったら黙り込むのやめた方がいいですよ」

「黙秘権は人が生まれながらにして与えられた正当な権利よ。というわけであたしは弁護士が来るまで話さないわ」

「じゃあいっそ本人を呼びましょうか」

「お黙り」

 舌打ち交じりに返す。

 やっぱりこの男相手はやりづらくて仕方がない。十試合やったら五勝はできても、四敗して一引き分けだ。手放しで喜べない。

 そして今日は勝てない日だったらしい。それでも素直に答えてやるのはなんとなく癪でどんぶりの中の米粒を綺麗に取り去ってから立ち上がる。

「言ったでしょ、それこそあたしたちはエゴの塊なんだって」

 ここは痛み分けと行こうじゃないか。

 不快そうに顔をしかめる周防に「なんてね」と笑いかけた。

「休みの日まであんたとくだらない討論会を牛丼屋でやってる暇はないわ」

「それは残念です」

 さして残念ではなさそうだがいつものことなので代わりに言う。

「それからあんまり外食とカップラーメンばっかりだと塩分過剰だから。たまには自炊しなさいよ」

「必要ないくらい親切な忠告ありがとうございます。善処します」

「そう言えるのがあんたのいいっとっこっろー」

 適当なリズムをつけながらぴょんとレジの前に躍り出た。




 そんなわけで、牛丼屋で必要のない冷戦を終えたあたしは今度こそ目的地へ向かって歩き出した。

 予定ならもう家でのんびりお茶でも飲んでるつもりだったのに。心の中で愚痴りながら歩を進めていたあたしは目に飛び込んできた光景に足を止めた。

 両腕いっぱいの荷物を抱えた顔見知りの女子。しかも全部洋服店の紙袋。今日はもしかしたら厄日なのかもしれない。いや、厄日と決定した。今決まった。

 このまま回れ右をして、別ルートから店に向かうことは可能だった。しかし、厄日の運命を心のどこかで受け入れたあたしはそうはせずに、荷物で前が見えていなさそうな彼女の元へ歩み寄ると声をかけた。

「ハァイ、そこのかわいこちゃん、バス停までくらいなら荷物運ぶの手伝いましょうか?」

 自分から厄介事に首を突っ込むのが大好きです。

 今日はふわっとしたウェーブのかかった髪をわずかに揺らしてからあたしに気付いてぱぁっと顔を華やかせる。

「うわー助かりゅーキョウキョウ感激ー」

 白咲恭子が、お得意の甘ったるい言葉と共に笑みを浮かべる。

 どうせスルーしたところで捕まっていたような気がするから出頭したまでだったが喜んでもらえたのならまぁよしである。

 手を差し出しながら小首を傾げた。

「一人?」

「んー、ダーリンにフラれちゃったにゃん」

 そのダーリンと牛丼食いながら冷戦をやった気がするが報告義務はなさそうなので黙っておく。

 あたしの手に大きな紙袋を三つほど握らせると「バス停までお願いにゃん」と可愛い言われてしまった。

「りょーかい」

「かくいうお嬢は何してたにゃん? はっ、まさかキョウキョウみたいなリア充殲滅にきたにょろ!?」

 大げさに両手をあげる恭子にけらけらと笑う。

「フラれた分際で何を言うか。違うわ、あたしも買い物」

「……好き好んで洋服買うタイプじゃないよね?」

「人がまるっきりお洒落に興味ないみたいな言い方しないでくれない?」

 さすがに不服を申し立てると彼女はにっこり笑いながら言う。

「だってぇ、お嬢の頭に中ってぇ基本的に紅茶としのしののことしかにゃいでしょ?」

「そんなことないわよ。世界情勢の安定への道を思考していることだってあったりなかったり」

 ないんだけど。

 荷物を抱えながら顔をしかめていると「まーでもキョウキョウも頭の中は常にダーリンでいっぱいだからねあいらびゅとおるん!」とくるくるその場で回転して見せた。

 その幸せそうな横顔を見ながら頭を掻く。

「わかんないなぁ。どうしてあんたみたいな可愛い女の子がよりによって周防なのよ?」

 校内で常に可愛い可愛いと注目の的の白咲恭子がよりによって、自分を罵ってくる周防徹に入れ込む理由が分からない。

 彼女はにこにこ笑みを携えたままで迷いなく答えた。

「運命の赤い糸。きゃはっ」

「あー駄目だ。理解できない」

 あたしの感想に彼女はわずかに不快そうに顔を歪めた。

「逆にキョウキョウはとおるんに恋しない女の方がよっぽど理解できないにゃん。全人類納得のイケメンにゃのに。まぁ、恋のライバルなんていたところでキョウキョウととおるんのらぶぱわーには勝てにゃいけどね」

 にゃははと笑い飛ばしながら恭子はじっとこちらを見据えると、

「だからお嬢も気を付けてね。私の徹に手ぇ出したらぶっ殺さない約束できないから。私、あなたは殺したくないな」

 いつものふざけた口調ではない。ガチだった。すぐさま答える。

「あんな野郎興味ないわ」

 心の底からの本音を吐き出すと「そか、安心したー」と彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「安心してくれてあたしも安心したわ」

「あーあ、こんなに好きなのにとおるんデレてくれなくてキョウキョウ辛いよおあーん」

「それはあたしに尋ねられても返答に困るわね」

 苦笑すると恭子は楽しそうにふふっと笑みをこぼすだけだった。

 その笑みになんとなく違和感を覚えて、尋ねていた。

「何かあったの?」

 あたしの問いかけに彼女は心底から不思議そうな顔をして、こちらを見た。

「にゃに?」

「ううん、多分杞憂よ。忘れて」

 ふーんと、恭子は興味なさげに返すだけだった。そう見せようと繕っているようにも見えてしまった。

 気が付けば、入口をくぐり、バス停まで歩いてきていた。こうやってみるとちっとも商店街内部へ進めていないのだなとがっかりしてしまう。

「ありがとん! もーきょーはキョウキョウバス乗って帰えりゅからもう大丈夫にゃん」

「そう。分かったわ」

 荷物をそっと地面に置いておくと「それじゃあ」と小さく手を振った。

「あ、そだ! ちょっと待って!」

 引き留められ、がくっとその場で静止していると恭子は肩に提げていたポーチから何かを取り出してあたしに握らせた。

「何これ?」

「映画館のポップコーンの割引券。お買い物したとき、貰ったんだけどキョウキョウ、映画館で見ない派だからお礼にあげゆ!」

「ふーん……」

 貰ったところでどうしようもないのだが。まだ寄り道しろと申すか。

 そこでタイミングよくやって来たバスに乗り込む彼女を見送りながらどうしたものかと肩を落とした。




 簡単に言えば、あたしの中に根付いていた日本人的といえばいいのか、江戸っ子的といえばいいのか、そんな考え方、グローバルな感じで言えば『MOTTAINAI』という奴がこの券をスルーすることを拒んだ。

 ちょうどいい上演時間の映画があったら観ようというだけで、別に紅茶は逃げも隠れもしないのだし、厄日が与えてくれた細やかな休息だと言い聞かせていた。

 もとより、映画を観るのは嫌いじゃない。

 そんな考えもあって、そこそこな大きさの映画館で上映時間の確認をしていたとき、急に着信音が鳴り響いた。

 イマドキ女子高校生の着メロにしては不釣り合いな勇ましい――今にも将軍による成敗が始まりそうな音楽に背筋が凍りついた。

 あたしの携帯がこの音楽をかき鳴らすと決めている相手は一人しかいない。画面を見てみると発信者は『上様』になっている。予想通りの相手だった。

 無視しようかと思ったが斬り捨てられるのは御免だったので渋々それに応じる。

「もしもし?」

「……ん、ごめん急に電話して」

「どうしたのう」

 危ない。危うく登録名をそのまま呼びそうに。

「うきさま」

 駄目だった。限りなくアウトに近いアウトだった。

 通話相手は「何言ってんのお前」と返して来た。あははと笑って誤魔化す。


「なんでもないなんでもない。どうしたの結城」


 東雲結城のアドレスを『上様』と自分の携帯に登録しているのは出会ってすぐからずっとのことだ。

 特にへりくだる気もないのだが、馬鹿みたいな強さと武器のせいでついついこの登録名を選択してしまった。あたしは悪くない。

 ちなみに周防の携帯にはなんの示し合わせもなかったのに『将軍様』で登録されているのでやっぱり考えることは同じなのだと思う。

 そんなどうでもいい話はともかく。

「どうしたの、休みの日に電話だなんて」

「んー……今忙しい?」

「いや、微妙だけど。呪祖?」

「じゃなくって」

 どこか沈んだ声音のまま、「あのさぁ、一緒に映画観ない?」と突然誘われた。みられているのではないのだろうかとびくっと肩を跳ね上がらせた。

「え、なんで?」

「うっさいな、ドタキャンされてチケット余ってんの! 三十分後くらいの回の奴! 商店街の映画館の!」

 うげ、と顔を引きつらせる。

 どう考えても今の声音といい、何から何まで面倒の匂いしかない。今までの寄り道なんてまだ可愛いもんで、東雲結城が絡んだらろくなことにならない。それは経験上理解しているつもりだ。

 こんな誘い方をしている以上は、まだ向こうはあたしを発見していないはずだ。きっぱり告げる。

「いえ、今日は凄い忙しいわ。とにかく忙しいわ、忙しすぎて目がまわ」

「あ」

 が、時すでに遅し。

 スピーカーから声がこぼれてきたと思った途端、がっと後ろから肩に手を置かれてしまった。

 安っぽいホラー映画のような展開にあたしは声を失った。振り返るのが怖い怖い。

「よう、相方」

 ぐぐっと力を込められた。怖い! 怖いよ助けてマミー!

 内心悲鳴を上げながらもう降伏する以外道はなさそうなのでゆっくりと振り返る。

 予想通りというべきか、そこにいたのは東雲結城だった。

「ゆ、ユーキサン。イイお天気デスネ」

「ああいい天気だな、でも俺の心は色々と雨が降り注いじゃっててちょっとマジで辛いから一緒に映画観よう」

「イ、イエ、ソノワタシ色々とイソガシイヨ」

「うるせぇ来い馬鹿」

 ぐいっと引っ張られ、もう抵抗することすら許して貰えない。理不尽だ、天才というのはいつも理不尽だ。

「歩く! 歩くから引っ張らないで!」と叫んでようやく手を放して貰えた。はぁーと頭を抱える。

「で、何? 映画? 映画観るの?」

「すげぇ嫌そう」

「あんたと観るって事実がもうやだ」

 近くにあったソファに腰を下ろしながら足を組む。

「ていうかさ、ドタキャンってことはなに? 誰かと来る予定だったの?」

 びくっと結城の肩が跳ねる。

 それからじーっとあたしを見つめていた彼が突然ぷるぷると震えだした。慌てて声をかける。

「え、え!? 何、どしたの!?」

「今世紀最大の勇気出して誘った映画ドタキャン喰らったよ悪いかよばかぁぁぁああ!」

 うわああと抱き着かれたのでああ、と察する。これだけで相手を察することのできるあたしは優秀な相方だ。

「夏菜にドタキャン喰らったのね」

 巴夏菜は酷く気まぐれだ。

 そうでなくとも生徒会副会長とか無駄に役職だけは持っているような奴なので休みでも関係なく急に用事が入ることだってあるだろう。

 それを理解してもなお、東雲結城が巴夏菜を映画に誘うという行為に要した勇気を考えると不憫だと思ってしまうのはあたしが彼の相方ゆえだろうか。

 よしよしと彼の頭を撫でながら「ポップコーン奢ったげるから元気出しなさい」

「キャラメルがいい……」

「要望つけるか貴様」




 何が悲しいのか、何が嬉しいのか、あたしは東雲結城と二人で映画館で洋画を観ることになった。勿論ポップコーンは宣言通り奢りである。

 映画の内容は酷く単純で、簡単に言うと『ヒーローが悪役を倒す映画』だった。

 街に現れる怪物たちと戦うヒーローの葛藤と苦悩に、ほんの少しのラブストーリー。どこかで見たような、でももっとかけ離れているような、そんな気がして、どこか遠い目でスクリーンを観るというよりもはや眺めていた。

 切り替わっていく映像を眺めていただけなのに流れる時間は早く感じた。面白いと思っていたわけでも、つまらないと思っていたわけでもない。

 時折、暗がりの中で見た結城の横顔はころころと変化し続けていた。冒頭は目をきらきらを輝かせ、中盤ピンチになると自分も苦しそうに顔を歪め、終盤、ハッピーエンドを観たところで涙ぐんでいた。

 ああ、やっぱりこういうのが好きなんだなと妙に納得した。


 パンフレットを抱きかかえながら結城が笑う。

「面白かった」

 予想通りの感想に「そう」と肩をすくめた。

「よかったわね」

「あーもしかしてお前は面白くなかった?」

 不安げに尋ねる彼に「いや、別に」と首を傾げた。

「そういうわけじゃなかったわよ。うん、面白かった」

 嘘は言ってないけれど、本当のことでもないような気がした。

 思うことが多すぎてまとめきれない。これが本音だ。

 ついつい顔をしかめていると「悪い、無理やり付き合わせて」とぼそっと言われてしまった。その言葉に顔を引きつらせる。

「何よ、急に。らしくない」

「いや、よくよく考えればこういう話あんまり好きじゃなさそうだなと思って」

「あのねぇ」

 凄い失礼なことを言われた気がする。

 基本的には好きだ。こういう爽快で何も考えずに、ただ悪い存在が正義の味方に倒される話が。多分どこか釈然としないものが残っているとしたら一緒に観た存在が原因だったように思える。

 それを言ったところでこの天才に理解できるとも思えなかったので「あたしがこういうの素直に言うの苦手なタチなの知ってるでしょ」とだけ言ってみた。

「知ってるけど……いや、うん、面白かったなら、まぁ、いいけどさ」

「だから気持ち悪いからやめなさいってばそれ」

 肘で彼の腹を突きながら映画館から一歩踏み出した。

 もう疲れた。帰ろう。

 ぐぐっと手を伸ばすと「あー、そうだ」と結城。何よ、と振り返ると何かが放物線を描きながらこちらに飛んできた。

 慌ててそれをキャッチすると小さな紙袋だった。

「何これ」

「開けてみ」

 促され、逆らうのも面倒だったので開いてみて驚いた。


 中に入っていたのは薄桃色のリボンだった。


「……どういうつもり?」

「いや、別に。俺が前にやったリボン随分大事に使ってるけどそろそろボロくなってきたかなと」

 今日はブレザーのポケットに入れっ放しの白いリボンを思い出しながら「違うわ」と頭を抱える。

「なんでこの色なの」

「好きかなと」

「どう考えても合わないでしょうがあたしには」

 よりによってなんでピンクなんだ。

 溜め息を押し殺していると「そうか?」と結城はあたしの手からするりとリボンを抜き取って、素早く背後に回った。

 またしても抵抗する間もなく、髪がまとめられて、そのまましゅっと音を立てたそれに結われてしまった。

「ん、よっぽど酷くないから大丈夫」

「そのコメントは正直腹立つわね」

 顔を引きつらせながら左手で新しいリボンを触る。

 どうということもない、なんでもないプレゼントだ。

「今日付き合ってくれたお礼兼ケーキのお礼ってことで」

「……しょうがないから受け取っておいたげるわよ」

 そうじゃなきゃあんたは納得しないだろうし。

 なんだか色々考え込んでいたことが馬鹿馬鹿しくなって、「もう帰る」とがっくり肩を落とした。

「じゃあ送ってやる」

「そうしたところで明日のケーキのリクエストは聞きませんけどね?」

「ちくしょう」

 悔しそうな結城に笑いかけながらまだ明るい空の下を進む。




 なお、紅茶を買い忘れていたということに気付いたのは家に着いた頃でした。

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