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創造主な僕たちは華麗な日々しか創れない  作者: 黄昏月ナツメ
一学期:僕たちはまだ夢の中で。
3/36

すれ違い春日和

 やっとの思いで追い詰めた東雲結城があたしの下で息を切らし、口元に手をやった。

 随分、いい眺めだ。

「は、っは、おま、ほんと、やめろって……」

「さすがのあんたもマウントポジション取られたら簡単には反撃できないみたいね」

 ブレザーの間に手を忍ばせてワイシャツの上から腹部に触れるとぴくっと結城が体を強張らせる。

 荒い息遣いのまま、涙を溜めた目でキッとこちらを睨みつけてくる。その視線にゾクゾクと体が震える。普段は出来ない相手への支配。それから来る高揚が与える優越感にも近い快感だった。

「そんなに怖い顔しないでよ、あんたが悪いんだからさ」

「ふざ、けるなよ……!」

「ふざけるなと叫びたかったのはあたしだった」

 腹部に指を這わせながらあえてにっこり微笑む。

「何度も言ったのに。分かってくれなかったあんたが悪いのよ」

 そう言って、腹部に這わせていた指を撫で上げるように脇の下に移動させる。ぴくんとその体が跳ねる。


 で、そのまま、こしょこしょと指を動かして刺激する。


「あ、ちょ、やめ、あは、あっはっはっは! やめ、やめて! あ、くる、あはは!」

 狂ったように笑い声をあげて、身をよじりながら逃げようとする彼を追いながら叫ぶ。

「ええいうるさい! あたし言ったわよね! 動詞形容詞の活用は覚えてないと後々古典で苦労するわよって!」

「だ、だって、あひゃ、あ、そこやめてぇ!」

「下二段活用にuとe以外の音はないっていい加減覚えろこの馬鹿!」

 じたばたと足をばたつかせる相方を容赦なくくすぐり続ける。駄目だ、ここで甘やかしたら徹底的に古典が出来ない奴になってしまう。せめて高校の間だけでもあたしの力なしでなんとかできるようにしなければ。

 思い返せば、東雲結城の古典嫌いは中学のときからすでにその片鱗を見せていて、何をどう読めばそう解釈するのかという訳し方は常軌を逸していた。普通の高校の入試なんて受けてたら確実に古典はボロボロだったはずだ。

 高校に入って、ひょっこり登場してきた動詞形容詞の活用で大分詰んでいて、挙句の果てに授業中に当時、同じクラスにいた周防や隣のクラスだったあたしに念話を飛ばしてくる、なんてことはしょっちゅうだった。

 それでもなんとか、テスト前に死ぬ気で勉強させて赤点だけは逃れていた。のに。

「一部の動詞以外なら已然の音がaなら四段だって散々言ったじゃないあたし!」

「やめ、しんじゃ、あはは!」

「何よ! 馬鹿! 馬鹿!」

 そう叫ぶ以外方法がない。本当に。

 ああ、神様よ。あなたは何を思ってこの古典馬鹿をあたしの相方にしたのか。他の教科はいたって普通なのがなおのこと虚しい。

「あは、げっほ、あははは! ごめんなさい!」

 笑い声の中にそろそろガチの咳が混じり始めていたのですっと手を離す。ぴたっと笑い声をやませた結城はひーひーと苦しそうに息をしながら顔を手で覆った。

 ここでそろそろマウントポジションは終了しようかと結城の上からどいて、立ち上がろうとした瞬間だった。


 するりと伸びた結城の手があたしの腕を掴み、そのまま引き寄せた。


 あまりのことに対応しきれなかったあたしの体は安易にバランスを崩し、そのまま後ろに倒れ込み、起き上がっていた結城に受け止められた。

「な……しま」

 振り返ったときにはもう遅く、首元を思いっきりくすぐられた。

 さすがの魔女さまでも人間の本能的なくすぐったさには勝てなかった。

「んひゃ!? ぷ、あはっは! やめ、ちょ!」

「すぐ調子乗りやがってお前は……!」

「や、やめ、や、やあ」

 とはいえ、くすぐられるのが我慢ならなかったので頭を少し下げてから一気に前に突き出す。

「やめんかぁ!」

「ごは!」

 頭突きという形になったあたしの反撃はどうにかかわされることもなく、直撃。

 まではよかったのものの普段肉体言語で語らう手法をとらないあたしには高度なテクニックだったらしく、自分の額にも鈍い痛みが走る。

 結局二人揃ってその場で蹲りながら共倒れになった。

「いっでぇ!」

「痛い……あたしも痛い……」

 でも、と机の方を見る。

「それ以上に何も見えないフリして周防が数学の勉強してることのせいで心が痛い……」

「ああ、俺も痛いよ……」

 そんなあたしたちの心の痛みも無視で周防はひたすら数学の教科書とノートを見比べているだけだった。

 この手のやり取りにおいて、一番利く撃退方法は無視だ。これに勝る心の痛みはない。

 痛みすらも愛おしく思えるほどの愛はなさそうなので先に立ちあがっていた結城に差し出された手を握り、立ち上がってから改めてパイプ椅子に腰かける。

 それにようやく教科書から顔をあげた周防がにっこり微笑んだ。

「終わりました?」

「ちょっとくらい反応してくれてもいいだろ」

 拗ねた風に結城がそう言えば周防はくすくすと笑って教科書を閉じた。

「楽しそうだったのでついつい」

「どこがだよ、つーかお嬢は最近ほんと」

「うるさいラ変暗唱してろ」

 ぴしゃりと言い放つと足を組む。

 ご丁寧に指折り数えつつ暗唱していく相方を見ながらカバンの中に手を突っ込んで歴史の教科書を取り出す。

 どーせ今日も暇を持て余すんだ、課題くらいやっておこうじゃないか。

 そう決め込んでいると各教室備え付けのスピーカーが震え、校内放送用のチャイムの音を吐き出した。

 生徒の呼び出しか、それとも教師の呼び出しか。自分の頭の中で賭けをするのも馬鹿馬鹿しいので筆箱に手を伸ばしているとそれは実に唐突に、予想外の名前を告げる。


『魔法行使による生徒の生活扶助を目的とする生徒支援を活動内容とした部活動の所属生徒、理事長がお呼びです。至急、校舎一階、理事長室まで――』


 ぴたっと動きを止める。

 やたら目立つ長ったらしい名前、普段は呼ばれることのないその名前を知っている気がするし、その所属生徒というのにもバリバリ心当たりがある。

 しかし、よりによって理事長だなんて。心の中で嘆きつつ、顔を上げると前二人も不思議そうに顔をしかめていた。それから、やがて結城が頭を抱えながら小さく言う。

「よし、この中で理事長に土下座しなきゃいけないようなことした奴、大人しく手を挙げろ」

 冗談じゃない。あの理事長にそんな真似ができるわけがない。

 周防の方を伺うと彼も小さく首を振るだけだった。つまるところ、心当たりは全くない。

 いや、あるといえばあるが。そもそもこんな部活、呼び出そうと思えば呼び出せる要素はいくらでも山ほどあるわけで。

「しゃあない、行くか」

 結城は重い腰を上げた辺りで溜め息を吐きながらそれに倣った。




 特別珍しいことはない。うちの高校にだって理事長という存在は居たりする。

 焔華亜音(えんかあのん)理事長は創立してから間もないこの学校の当初からの理事長で、学校のパンフレットによると趣味はカラオケとゴルフ。色んな企業の幹部や取締役を経験してきた。そのため、かなり歳を食ってるはずだが相当若く見える。どう多く見積もったって三十代で見るのがやっとなほどだ。

 では、そんな焔華理事長が普通の人間かといえばそんなはずもなく。彼女は、永遠のときの中で何度も何度も死しては蘇り、繰り返しながら生き続ける不死鳥、フェニックスというやつ、らしい。

 らしいというのは実際あたしが理事長の死に際を見たことはないのでそれが嘘なのか、それとも本当のことなのかは分からずにいるのでそういう曖昧な言い方になる。

 とにかくそんな理事長が、あたしは苦手だった。


 重々しくそこにある理事長室の扉を恐る恐る結城が叩く。

 一拍置いてから「どうぞ」と明快な声が扉越しから聞こえてくる。

 結城が失礼します、と一言断りつつ理事長室に入って行く。そのあとに周防が続き、最後にあたしが入る。三人揃って入口付近に並ぶと理事長は椅子から腰を上げた。

 燃え上がるような真っ赤なスーツに黒髪のロングを縦巻きのゆるやかにカールした髪が異様に似合う。柔らかい笑みを携えた彼女に一番に動いたのは部長たる結城だった。

「お久しぶりです、理事長」

 頭を下げる彼に続いてあたしと周防も軽く頭を下げる。

 理事長はくすくすと笑うと「どうぞ、頭を上げてください。私も久々にあなたたちに会えてとっても嬉しいんですから」と告げた。

 ゆっくり頭を上げながら口を開く。

「単刀直入に聞かせてください。私たちはなんで呼ばれたんですか?」

 実に簡単な質問だった。

 理事長はぷぅと頬を膨らませると「もう少しお喋りしてくれてもいいじゃないですか」とかぶつぶつ言いながら応接用のソファに腰かけた。目の前のものを示しながら座って、と促されたのでそれに従う。

 あたしたちが腰を下ろしたところで理事長は黒い瞳でこちらを捉えつつ言い放った。

「うちの生徒会規約の部活動承認条件の項目をご存知ですか?」

 びくっとあたしと結城の肩が跳ね上がる。

 唯一、周防だけはなんのこともなさげに「はい」と答えるとそのまま続けた。

「確か、部員が五人以上、活動期間が一年以上あって、生徒会に認められた同好会が昇格して……」

 と、その辺りでやっと違和感に気付いてくれたのかぱっと彼がこちらに振り返る。そっと二人で目線を逸らした。


「そうなんです。ぶっちゃけ、あなたたちの部活動はどの項目にもかすりもしてないんです」


 知ってましたとも。

 そもそもうちの学校の部活動は最初は部費の出ない同好会からスタートする。これで周防が先に述べた条件をクリアすることで部活動への昇格が認められる。もっとも生徒会が却下を出せば、同好会止まりだが。

 しかし、悲しいながら、うちの部は部員を五人も集めることはできず、しかも、一年間も同好会としてくすぶってる暇はないと理事長に掛け合った。

 結果から言えば、特待生二名がいるという特異性と『生徒のために働く』という承認のために書いたでっち上げの言葉に感動した理事長が生徒会から出る部活動補助費、もとい部費を受け取らないことを条件に特例として同好会をすっ飛ばした部活動からのスタートを許可してくれた。

 それだけで、充分にメリットがある。うちの学校は、同好会より部活動である方が優遇されることは多い。

 エール霧雨学園的部活動特別補助費制度、こちらは生徒間ではエール費と呼ばれる制度で部活動内において『エール霧雨学園的非常事態が起こった場合において学校側が負担する費用』、部活動活用内において、かつ人外的にしょうがないことならある程度の保証をしてくれる制度だ。人間だけで成り立っていないうちならではの補助金制度。

 早い話、暴れやすくなる。

 呪祖を倒すため、学校内で暴れやすくなるために部活動という存在だけが必要だったあたしたちにとっては好都合この上なかった。

 の、だが。


 今この場でその話をされると嫌な予感しかしない。顔を引きつらせながら問う。

「まさか、今さら部活動承認を取り下げるとでも?」

「それはなるべくしたくない、ですけど」

「けど?」

 首を傾げると理事長は困った風に「生徒会の人が、やっぱり部員三名の部活動は認められないと」

 誰だ。人、という限定的な言い方をするところを見るとどーも生徒会の総意ではなさそうだ。個人か。どうせ巴夏菜辺りだろうなとあたりをつけながら溜め息を吐く。大体、この人が言いたいことが分かった。

「要するに部員あと二人捕まえればうちは同好会に格下げにならずに済むんですね?」

「さすが特待生、話が早くて助かります」

「……どーも」

 その褒められ方はいかがなものか。

 うちが今さら同好会格下げなど商売あがったりもいいところだ。エール費は部活動待遇の団体のみが受け取ることのできるお金だ。あれがなくなったら自費で色々と負担しなければならない。それは御免だ。なんのためにやりたくもないボランティア的活動に努めてきたと思ってるんだ。

 とはいえ、学校側がそうしろと言ってきている以上はそれに則るのは生徒として果たすべき義務なのだろう。

 髪を振り払いながら立ち上がる。

「お話が以上なら私たちはこれで」

「そうですねぇ、来てくれてどうもありがとう」

 にこにことのんびりそう告げる彼女にいえ、と首を左右に振る。

 あたしの後に続くように残りの二人が立ち上がるのを見て、扉の方に足を向けると「学校は楽しいですか?」と実に唐突に、そんな質問が飛んできた。


「さあ?」


 咄嗟に、そう答えを濁した。




「で?」

 部室に戻るために渡り廊下を歩いていたときに、隣にいた相方からはそんな言葉が聞こえてきた。

 顔をしかめながら「で、って?」と聞き返す。

「またまた、とぼけんなよ。何か策があったからああやって大口叩いたんだろ」

 首元に腕を回されながら、苦しいと意思表明しつつきっぱり言い放つ。

「ないわよ」

 ぴたっと結城の動きが止まる。なんだよ、その顔は。

 彼の腕から逃れていると「ないって、マジで何も?」

「マジで何も」

「びっくりするくらい騙された感なんだけど」

「うちの部なんて入部希望者いるわけないでしょ」

 むっと結城が不満げにこちらを見る。

「んなことないだろ。これでも一応建前上は正義の味方なんだから」

「正義の味方がいつでも好かれると思ったら大間違いよ」

 だから貴様は大馬鹿なのだと言いたいのをぐっとこらえて代わりの言葉を探す。

「学校内では相当な変人というか化け物扱いだし。誰のせいか知ってる?」

「主に東雲くんのせいですね」

 すっと答えてくれる周防に結城が言葉を詰まらせた。

「実際蓋を開けても化け物だって言われるし」

「主に東雲くんが」

「下手に敵に回すと一瞬で焼き尽くされるとか一夜にして国家を滅亡させるとかあらぬ噂が立ってるし。ぶっちゃけ怖がられてるし」

「東雲くんに対してですけど」


「ああ、もう分かったよ! 俺が悪かった! 俺が天才なのが悪かったよ!」


 なんかその謝罪はそれなりに腹が立つが。

 とはいえ、実際のところそれが真実だったりする。嫉妬であれ、得体のしれない何かへの恐怖であれ、東雲結城が校内の一部の生徒から畏怖されていることも、全校生徒注目の的であることも事実だ。勿論それは、彼の隣を常に歩くあたしにも言えたことだったし、周防徹という呪祖も同様である。

 入学当初から能力試験の点数がただ一人だけずば抜けていて余裕で特待生をゲットした結城は誰がどうこう言うよりも早く、生徒間どころか他校を受験した人外の耳にまで届くほどの噂になっていたし、その相方であるあたしがこの年度の指定特待生だったことがそれに拍車をかけた部分もある。ちなみに本人いわく『八割の力も出してない』とのことなので化け物という評価そのものは間違いではないだろう。

 とにかくそんなわけで、そんな天才のところに好き好んで転がり込んでくる生徒などそうそういないし、いたら大体あたしみたいな訳ありか周防みたいな物好き変人のどちらかだ。

 みんな、自分が絶対に届かない領域に居る奴の隣に居て自分が壊されるのを恐れるのだ。正しい判断だと思う。

 しかし、そうなると、と思考の末に本格的に困ってみると部室の前にふと、人が立っているのが見えた。

 見覚えのある茶髪の男子生徒に一番に手を振った。

「いっずみっちー!」

 あたしの声に振り返った彼はぱっと笑顔を咲かせると背中にかけてあるベースが揺れんばかりの勢いで負けじと手を振り返して来た。

 ぱたぱたと駆け寄りながらその手を握りしめる。

「久しぶりー! 元気してたー?」

「超元気! おじょっちは?」

「モチのロン!」

 彼の名は神泉(しんせん)いずみ、お隣の部室で活動中の軽音楽部のベース担当であたしと結城とは中学のときからの友人でもある。人懐っこくて絡みやすい。

 この学校に居るからには、人間ではない可能性が高いがその通り。彼の正体は人間やその他いろいろの魂を管理する存在の息子、神話でいうところの死神という言い方が最も近いらしい。

 本人は『神様なんて御大層な存在じゃないんだよー俺よりゆーきのが強いしー』とか平気な顔して言ってるがなんだかんだで学年上位くらいにはいつもいるのでそれなりの存在だと思っている。

 にこにこ笑みを浮かべたいずみっちは結城と周防に気付くと嬉しそうに声をあげる。

「おお、ゆーき! それにとーるちゃんも!」

「おう」

「どうも」

 クラスが離ればなれだった上に向こうは練習があるおかげでなかなか会うことができなかった友人の腕をぶんぶん振り回しながら「今日はどうしたの、いずみっち」と問いかける。

 彼は困ったようにはにかんでから「いや、俺じゃなくってさ」と後ろに視線を投げた。

 いずみっちの後ろには不安げにこちらを見つめている女生徒がいる。真っ白な肌は健康的というよりも、外に出なかったという雰囲気の方が強く、よく言えば守ってあげたい。悪く言うと弱々しい印象を与えてくる。

 あたしの視線に気づいて彼女がこてんと首を傾け、うなじ辺りで一つに結ばれた長い髪がちょこんと揺れる。にこっと笑う。

「リンリン!」

「えへへ、久しぶり」

 小柄な身体を抱き締めると彼女はその細い腕をぎゅっとあたしの背に回した。


 突然の話になるがうちの学校の生徒には前に述べたように二種類いる。

 一つ目はこの学校の生徒の主である人間以外の存在。それは結城や巴夏菜のような創造主もそうだし、周防のような呪祖もそうだし、あたしみたいに中途半端な奴とか、いずみっちのように全く別の存在であることもある。

 とにかく言える定義としては人間としての道から明らかに脱線していて、可愛く言えばファンタジー、現実的に言えば世の中的に異常な力を持った存在たちが入学してくる。大体この手の生徒が八割を占めるだろう。

 では残りの二割は何者か。端的に言えば二割は人間だ。

 ただし、当然無関係な人間を引き入れているわけではなくて、事情があってある意味こちら側と部類されている人間たちだけの入学を許可しているのだ。


 そしてこの舟生(ふにゅう)リン、彼女もまた、そんな事情がある人間の方の生徒の一人だった。

 簡単に言えば死神に見初められたというべきか、それとも創造主に巻き込まれてしまったというべきか。

 いずみっち曰く、人には決められた寿命というものがあり(人外はよくこれを覆すからこれといったものを特定できないらしい)、それに伴って彼が冥府へと迷わず行けるよう、死人の魂を導くとかなんとか。

 舟生リンは、その天命に従って本来ならば中学一年生の時点でその短い生涯を病死という形で終える。そしてその魂は神泉いずみという仮の名を持った死神に導かれる、はずだった。


 ところが、それを許さなかったのがリンリンの幼馴染であり、あたしとは高校からの付き合いで現エール霧雨学園、生徒会会計たる蒼井美里だった。


 創造主にはその魔法にそれぞれの特性がある。その中で蒼井美里の特性はいずみっちの導きを拒絶するにはあまりにも好都合な力だった。

 事象否定の力。彼女の魔法にはそれが備わっていた。

 何か一つの事象を否定することでもう一つの新しい事象を創り出す。ある種、東雲結城の魔法すらも無効にしかねない恐怖の力。それが彼女の魔法だった。

 舟生リンの病気を否定して、代わりに彼女は生き長らえる。そんな事実を世界の理完全無視で創り出した恐怖の反逆者と冥府ではもっぱらの噂らしい。

『無理にでもリンを導くつもりなら私の存在を否定してでも世界そのもののルールを創り変えてでもお前らを潰す』それがいずみっちに言い放った美里さんの言葉だったという。

 それでも諦めるわけにはいかなかったいずみっちは神泉いずみという仮の姿のまま、リンリンに接触する。


 そしてあろうことか、恋に落ちた。


 あまりの急展開にどういうことなの、と思ったがどうも、そういうことらしい。

 だからいずみっちは、その魂が蒼井美里に延命された分を終えるまで舟生リンの隣にいることを決意。なぜかリンリンのカップルになる。という多分当事者じゃない限り何度聞いても理解できない流れになっているらしい。

 というかそれは立場的に許されるのかと問いかけたことがあるが、曰く『だいじょぶ、人間に恋して死ぬのは漫画の死神だけだから』だそう。へぇそうかい。

 詳しく聞けば、一応蒼井美里という創造主が変えた理なのでそれに乗っかってもさほど問題にはならないらしい。つーかあれだけの脅しをかけられて強引に魂を導くこともできないとかなんとか。

 別にリンリンの方もいずみっちのことは好きなようだし、辿りつくまでの行程がめちゃくちゃなだけで普通のカップルと変わらないのだと言い聞かせて接している。


 そんなバカップルがなぜかうちの部室の前に居る。お隣さんのよしみで肉じゃが分けに来てくれたわけじゃあなさそうだ。

 腕の中にいる彼女に視線を落としながら問いかける。

「どうしたの、リンリン。あたしたちに用事?」

「うん……ちょっと」

 彼女にしてはやたら歯切れの悪い返事だった。

 不思議に思いながらそっと彼女を腕の中から離すと彼女は自分の彼氏のところまでてこてこと歩いて行って「もう大丈夫! ありがとう、いずみ君。練習戻って?」

 うっと不安げに呻いたいずみっちは「でもでも」とリンリンの手を握った。

「心配だからやっぱ俺も一緒に」

「めっ。ちゃんと練習して」

 言い聞かせるようにそう言ったリンリンを見つめ、いずみっちは小さく溜め息を吐いてその頭をぽんぽんと撫でた。

「んじゃ、俺もう部活行っちゃうからね?」

「うん」

 にこにこ微笑むリンリンに笑いかけてから「んじゃ、そういうわけで」とくるっと隣の部室のドアに手を掛けたいずみっちの腕を無言で結城が掴んだ。

「……あるぇー、何さゆーき」

「リア充のいずみよ、ちょっと男同士の話をしようか。周防も一緒に」

「そうですね、色々とお話しましょう、神泉くん」

「え、なに、怖い! めっちゃニコニコしてる! 怖い!」

 ひぃ、と悲鳴を上げる死神を見ておろおろしているリンリンに「平気よ」と肩をすくめる。どうせうちとの兼部要求だろう。もう手当たり次第的な部分があるのかもしれない。いずみっちとはある程度気心の知れた仲だ。確かに悪くない人選だとは思うが。

 うちの部室の扉を開けながら「入って」うん、と頷いたリンリンがとてとてとあとからついてくる。

「適当に座ってて。今、お茶淹れるから」

「あ、いいよそんな」

「いいからいいから。あたしが手元にないと落ち着かないの」

 水のペットボトルを拾い上げてテーブルの上に置きながら戸棚を見据える。少し迷ってみてからリンリンの方に振り向く。

「リンリン、紅茶はミルクが好き? それともストレート?」

「んー……ミルク、かな」

「おっけー。そしたら、そうね」

 棚に並べてあるカラフルな缶を手に取りながら唸る。

「アッサムに、ニルギリと、クラシックブレンド辺りかな。あ、このルフナ、まだ残ってたんだ。これ、ミルクティーにすると凄く美味しいの。これでいいかしら?」

「あ、えと、うん」

 椅子に腰かけながら戸惑った風に答える彼女によし、と頷く。

 いつも通り薬缶に水を注いでから火にかけ、今この場に取り出さなければいけないものを考える。黙って机に手をかざすとその場に現れたのは牛乳だった。

 戸棚を探してミルクピッチャーを取り出すとリンリンがきらきらした目でこちらを見ていた。

「どうしたの?」

「ううん、やっぱり魔法って凄いなって思って」

「言うほどいいもんじゃないわよ、これ」

 苦笑しながら牛乳のパックを開けて、ミルクピッチャーに注ぐ。それと同時にそうかなぁ、と疑わしそうなリンリンの声が鼓膜を揺らした。

「でも、美里ちゃんもいずみ君も凄いし。私なんてただの人間なのにこの学校にいていいのかな」

「やーね、あの二人はおかしいのよ」

「お嬢ちゃんだって」

「あたしは、大したもんじゃないわよ。そう見せてるだけ」

 薬缶に温度計を突っ込む。文句なしの温度だ。

 火を止めて、ポットに湯を注いでから、それを温める。

「あーあ、私も、少しくらい魔法が使えたらなぁ」

「それ、美里さんの前で言っちゃ駄目よ。泣くからあの人」

 リンが人間でよかったと、安堵する彼女を何度も見た。確かに魔法なんて持っていたところで多少便利かもしれないがこうして恵まれた環境に入れない限りは不便なことの方が多いだろう。

 結城と周防もどうせすぐに戻ってくるだろうと四人分のカップにも湯を注いで温める。机の上に放置だった缶を拾い上げ、一度湯を捨てたポットにすり切りで茶葉をいれ、また湯を注ぐ。

 三分用の砂時計をひっくり返して息をつく。そこでリンリンがふと、思いついたように問いかけてきた。

「魔法で紅茶は出せたりしないの?」

「んー? 出せるわよ」

 出せるけど、と苦笑する。

「それはなんとなく面白くないなぁと思って。どうせなら自分の手で淹れた紅茶の方が美味しそうな気がするじゃない? 気持ちの問題よ」

「そうかなぁ」

「そうよ?」

 カップの中の湯を捨てながら軽くカップを拭く。

 そんなあたしを見ながらリンリンがくすくす笑う。

「本当に紅茶が好きなんだね」

「あたしじゃなくて母親がね。中学入ったらあの人が飲ませてくれるようになって、なんとなくあたしも飲ませたくなって、見よう見真似よ」

 けらけら笑いながらミルクピッチャーから先ほどのミルクを注ぎ入れる。

 四人分のカップにきっちり注ぎ終えるとそこで結城たちが戻ってきた。「うーフラれたー」とか机の上で突っ伏すのを見る限り、成果は聞くまでもなさそうだ。いずみっちはただですら軽音楽部がある上に半ばバイト状態で本業である死人の魂案内があるのだから仕方ない。

 燻したような独特の香りが広がり始める。「おや」と周防が声をあげた。

「いつもと違いますね。ルフナですか?」

「あ、ピンポン。よく分かったわね」

「以前飲ませて貰ったときに特徴的だと思って」

 大した記憶力だ。あたしの相方にちょっと分けてやって欲しい。

 砂時計の砂が落ち切って、蒸らし終えたことを伝えてくる。あらかじめミルクをいれておいた四人分のカップにゆっくり紅茶を注ぐ。白と混ざり合って綺麗なクリームブラウン色に染まる。

「はいお待たせ」

 目の前にカップを差し出すとわぁ、とリンリンが歓声を上げた。

 一応うちの男共二人にも差し出してやると先ほどまで顔を突っ伏していた結城がゆっくり頭をあげて「ミルクティーだ」と見たまんまのことを述べる。

「リンリンのリクエスト」

「俺が淹れてって言っても淹れないくせに」

「なんであたしがあんたなんかのためにミルクティー淹れなきゃいけないのよ」

 お前はストレートで充分だ。リンリンの隣に腰を下ろすと「美味しい……」と彼女がこぼすのがかすかに聞こえた。

「口に合ったみたいでよかった」

「凄い……うちで淹れるのと全然違う、なんかさっぱりしてる感じ」

「牛乳、あとからいれてるでしょ? 多分それが原因」

 自分もカップに口をつけながら答えると「違うんですか?」と周防。

「全然違うわね。イギリスじゃ百年以上ミルク入れるタイミングで喧嘩してたくらいだし」

「そうなんだ」

「あ、あと、低温殺菌の牛乳の方が美味しいと思うわ。個人的にだけど。それで紅茶は濃い目に淹れるの。ミルクに負けちゃうから」

 それくらいやれば大体こんなもんにはなるはずだ。

 拗ねたようにミルクティーをちまちま飲んでいた結城が「なんかさ」とあたしを見つめた。

「お前ってあれだよな、俺への情は一切ないけど紅茶への愛情はあるよな」

「え? 何当たり前のこと言ってるの?」

「はっはっは、こやつめ」

 本能的に立ち上がった結果、同じく立ち上がった結城と組み合いの状態のまま硬直することになった。

 お互いに譲ろうともせず取っ組み合いを続けていると周防の声が鼓膜を揺らした。

「それで、舟生さん。今日はどうして?」

「え、あ、この状態のまま続けるんだ!?」

 驚いたように視線をうろつかせるリンリンを見ながら「ほら、リンリン戸惑ってるから手ぇ放しなさいよ!」

「なんで俺が!」

「本当に強情ねあんたって奴は!」

「おめぇにいわれたかねぇやい!」

 力を緩めようともせず、ただひたすら取っ組み合う。

 リンリンは困ったようにしてからやがて目を伏せると「えっと、その、お願いがあってっていうか。こんなこと、みんなにお願いするのは違うかもっていうのは分かってるんだけど」

 それでもこっちが気になるのかちらちらと視線を投げかけてくる。ごめんね、すぐ終わらせるから。

「どうぞ、言ってみてください。言うだけならタダですから」

「うん、ありがとう……」

 なぜか苦笑いを浮かべながらリンリンは「えと、部活に、入ろうかと思ってて」

「何部ですか?」

「うーん、それがまだ。悩んでるっていうかね。一緒に考えて欲しいなぁ、なんて」

「それくらいのことなら僕たちでよろしければいくらでもお手伝いしますが」

 こっちに構う様子もない周防さんは首を傾げながら「でも、それならそれこそ神泉くんや蒼井さんに相談すればよいのでは?」ぶんぶんとリンリンが首を左右に振る。

「駄目なの! 二人には内緒だから」

「またどうして?」

「……心配、するから」

 ああ、確かにいずみっちといい、美里さんといい、嫌にリンリンに対して過保護なところがある。元々病弱だったのも尚更二人の心配を煽ってるんだろう。

「私、もう美里ちゃんの魔法で元気なのに、二人ともいつも心配してくれて。大切にしてくれてるの分かってるし、嬉しいんだけど、なんだか、ちょっと寂しくて。だから私も元気に部活動ができるんだってことを伝えたくて」

「それで神泉くんを無理に追い払ったんですね」

「いずみ君、絶対心配して部活なんて駄目だって言うから」

 そういってリンリンがまた一口ミルクティーに口をつけた。

 とにかく彼女のお願いは分かった。一緒に部活を探して欲しいだなんて、いつもの学校中の電球取り替えて来いとか隣町まで呪祖退治に行ってこいとかに比べたら可愛いもんじゃないか。変態副会長に殺されかけるより遥かにいい。

 と、なれば、まず解決すべきはこの硬直状態の勝負だ。同じことを考えたのか相方は不敵な笑みを浮かべていた。

「そろそろこの茶番を終わらせよう」

「終わらせる……? 馬鹿ね、この硬直状態がそうそう簡単に解けるはず……まさか!?」

「そうだ、俺は血反吐を吐くような修行の末に遂に『あの技』を完成させたんだ」

「あの技……?」

「舟生さん、まともに取り合っちゃ駄目です」

 外野の方から何かよく分からない台詞が聞こえてきたが『あの技』を知ってしまって動揺してるんだと思い込む。

「そんな……あんたは、あたしの知らぬ間に……すでにあたしが届かない領域へと行ってしまったというの……?」

「悪いな、お嬢。それがお前の相方である天才だよ」

 にっと笑った結城が叫ぶ。

「カーマインアナイアレーション! 相手は死ぬ!」

 結城が急に腕の力を抜き、身を引く。目いっぱいの力をかけていたせいで勢い余って、危うくバランスを崩しかける。

 間一髪踏ん張った。周防の手によってぱっと二人分のミルクティーよけられるも、顔面から突っ込むという情けない事態は避けられた。

 あっぶねーと心の中で冷や汗を流していると再び腕に力を込め、「なぜだ……なぜ死なん!」と結城。顔を突き合わせながらははっと笑い飛ばす。

「確かにあんたのその痛々しいネーミングの割に地味で陰湿な技は脅威だった。もう少し力をかけていたら危うくあたしは顔面から机に叩き付けられていたところよ」

「くっ」

「でも、あたしがいつまでもあんたにやられると思ったら大間違いよ! なぜならあたしもすでに『伝説の技』を完成させていたからよ!」

「なにぃ!」

 息を吸い込み、一気に決める。

「天才だということに甘んじたあんたの負けよ! 喰らえ、スカーレットプレジュディス!」

 で、そのまま頭突き。

 あまりの勢い技に結城の体がそのまま後ろに倒れ込み、その代償にあたしも死ぬ。

 じわじわと痛む額をごんっと机に叩き付け「うぎゃあ!」と叫ぶ。なんだこれ超いてぇ。全然完成してねぇ。がたごとと結城が倒れ込む音が聞こえる。見事なまでの相打ちだった。

「だ、大丈夫……?」

 リンリンの不安げな声に「え、ええ」と額を押さえて頭をあげる。

 周防から差し出されたカップに手を伸ばしているとふらふらと結城が立ち上がって頭を抱えながら椅子に腰かけた。

「とりあえず、もうお前スカーレットプレジュディス禁止な」

「うん、さすがにこれは反省したわ」

 と、二人同時にミルクティーを飲んでからほっと息を吐く。

 茶番も終わったことだし、そろそろ本題に戻ろう。

 立ち上がって、部室にそっと備え付けられてある本棚へ歩み寄る。あたしの趣味の小説やら結城の囲碁や将棋の教本を無視して黒いファイルを取り出す。ぱらぱらとめくって中から一枚のプリントを取り出すとそれを机の上に差し出した。

「なにこれ」

「うちの学校の部活、同好会の一覧表」

「そんなの持ってたんですか?」

「顧問がくれたからなんとなく」

 捨てるのも悪いし、かといって手元に置いておくのもと思って結局あそこにしまいっぱなしだった。

 その表を見つめながらほえ、とどこか間の抜けた声をあげたのはリンリンだった。

「うちの学校、こんなに部活あったんだ」

「基本的によそと比べて審査ゆるいからな、うちの学校」

 その審査のゆるさに今まで甘んじてきてしまったのがあたしたちなわけだが。

 そもそも部活動の昇格したからといって正規の部費が必ず出るとは限らない――生徒会から承認の判子を押してもらう必要がある――ので、とりあえず部活動に昇格したけど部費は全く受け取っていない、もとい受け取れない部活というのも多い。だから部活動の数が跳ね上がったとしても問題になるということはさほどないし、そこは生徒会がよく機能している証拠だとも思う。

 ずらりと立ち並ぶ部活動は運動系、文化系、そして扶助系の三種類に部類されていた。

 運動、文化はいわずもがな。扶助系というのは簡単にいえばうちみたいに、生徒や周辺地域の生活援助を目的とした部活動のことで同業者はいくつもある。ボランティア部とか放送部もここの部類らしい。もっともこのグループで一番働き、一番問題を起こしているのはあたしたちだが。

 それを示しながら「これだけ数があるから把握しきれてないかもと思って。どこか気になる部活はある?」と問いかけるとリンリンは一点を指差した。

「料理研究同好会、が凄く気になってた、かな」

「じゃあひとまず料研は見学行くとして」

 シャーペンで軽く印をつけながら「にしても」と扶助系の一番下にある見覚えのある部活名に結城が顔を引きつらせる。

「やっぱこうして並べられると目立つなぁ、うち」

「三十五文字ありますからね」

「でも、なんでこの名前になったの?」

 不思議そうに問いかけてくるリンリンに「いや、それっぽい名前をつけようと思ったらこういうことに」とじっと名前を見つめる。

「ただの生活支援じゃ駄目だったのよ。うちボランティア部とかあるし、あくまで魔法を行使するっていう。今でこそ魔法屋とか言われてるけど」

「それで、これ」

「そう、これ」

 可能であれば改名したいものだが。

「でも」と紙を覗き込みながら面白そうに周防が告げる。

「うちに負けず劣らず面白い名前の部活ありますけどね」

 何せ二人以上いれば同好会ならほとんど作りたい放題なんだから。理事長の方針で。

 ほんとだ、とリンリンが小さく笑う。

「障子部だって。何するんだろう」

「あ、それ、障子の穴にひたすら指突っ込む部活」

「……行ったことあるの?」

「好奇心に負けて仮入部しただけだ」

 知りたくもなかった相方の仮入部記録を知った気がする。

「あ、ほら、ルービックキュー部とかもある」

「ごり押し過ぎてなんといったらいいのかコメントに困る部活動ね」

 いくらなんでも承認ゆるすぎだろうと文句言いに行きたくなるレベルだ。


 そんなくだらない話に花咲かせているとぴたっと動きを止めた。ああ、この感覚には覚えがある。不愉快な感情の波が泣き叫ぶような不愉快な声をあげながら不愉快に居場所を伝えてくる。


「……どうしたの?」

「ごめんなさいね、リンリン。料研、一人で見学行ってもらってもいいかしら?」

 立ち上がるとそこで残りの二人も事態を察してくれたらしく、顔をしかめていた。

「呪祖?」

 ぽつんと呟く彼女ににっこり微笑んだ。

「うん、まぁ。へーきへーき、あたしたちには結城がいるし」

「人任せかよ」

 呆れたような結城の台詞は聞かなかったことにしているとぼそっと「怖くない?」とリンリン。その問いにすぐさま答えたのは結城だった。

「ちっとも」

「そりゃあんたはそうでしょうね」

 負け知らずなんだもの。

 そっか、とリンリンが顔を俯かせる。その頭をわしゃわしゃ撫でてから「いいのよ、あたしたちはこれが仕事」と腕を伸ばす。

「そうやってさ、舟生みたいに心配してくれる人がいるだけ俺たちはまだ幸せなほーな創造主だよ」

 なー、と同意を求められてはいと周防が頷く。

 誰にも知られず、そっと消えていく創造主だっている。そんな中で誰かに存在を認識して貰えていることは確かに悪いことではないのかもしれない。

「本当に?」

「東雲さん嘘吐かない」

「うわそれが嘘くせ」

 笑いながら部室をあとにした。




 結論から言えば、東雲結城が居る時点であたしたちの勝ちは確定していたようなものだった。


 いつも通りにあたしと周防でちまちまダメージ稼ぎ、最後は結城がばっちり矢を撃ち込んでくれたことによって呪祖は消滅。学園の平和は護られたとさ、ちゃんちゃん。

 ってな具合で、あとは解散、という流れになるのが常だったが今日に限ってはそれが通用しなかった。

 放置した荷物を取りに部室に戻るとリンリンがちょこんと椅子に座ったまま、こちらを見上げていた。

「あ、おかえりなさい」

 ぱたぱたとこちらに歩み寄ってくる彼女に一瞬、事態が飲みこめなかった。

 我ながら情けない表情をしていたと思う。後ろの二人もあれ、と言いたげに彼女を見つめていた。

「リンリン? 何してるの? 料研は?」

「あ、そのことなんだけどね」

 制服のポケットから綺麗に四つ折りにされた紙を取り出した彼女は「その、色々一緒に考えて貰ったのに申し訳ないんだけど」とそれを結城に差し出した。


「私を、魔法屋さんに入部させてもらうのは駄目かな?」


 予想外のこと過ぎてただですら情けなかった顔がもっと情けなくなっていたように思う。

 その証拠に「口開けっ放しですよ」と周防に指摘されて慌てて手で口を覆う。

 リンリンが慌てた様子で口を開いた。

「あのね、私、魔法も使えないし、みんなみたいに強くないし、呪祖退治だって何もお手伝い出来ないの。でも、ここでみんなを待ってることくらいはできると思うし、それがみんなのためになるなら私、それがしたいって思うの」

 伏し目がちに「迷惑なら、いいんだけど」

 その体を黙って抱き締める。

「ありがとう。とっても嬉しい」

 ああ、美里さんがこの子のために魔法を使いたがるのが少しだけ分かるような気がする。

 黙って入部届に目を通していた結城が「まぁ、いいんじゃねぇの。舟生が構わないなら。俺は大歓迎」と笑いながら周防に視線を投げかけた。周防の方も薄く笑いつつ、

「よろしくお願いします、舟生さん」

「うん! 頑張る!」

 えへと笑うリンリンの頭を撫でる。

 とにかくこれで四人だ。あと一人どうにかして集めなければ。

 さて、どこから連れてこようかと思っていると「話は聞かせてもらった!」とガタァンと音を立てながら掃除用具入れが開き、四人揃って体を跳ね上がらせる。

 中を覗き込んでみるとほうきやちりとりに圧迫されながら蒼井美里がなぜかぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。思わず悲鳴を上げる。

「ぎゃあ!? あん、今、なん」

「この『話は聞かせてもらった』こそ、蒼井さんの『死ぬ前に言ってみたかった台詞ランキング』の一位だったんだよ!」

「な、なんだってー!」

 この展開がオカルト以外の何物でもないのだが。

「いや、つーか」

 美里さんがごそごそと掃除用具入れから出てくるのを見ながら結城が問いかける。

「マジでお前なんでいんの。いつからいんの、生徒会はどうしたよ」

「舟生リンのあるところに蒼井美里ありってね」

「全然答えになってない上にガチでこえーよそれは」

「可愛い幼馴染が心配なのだよ、蒼井さんはほろろ」

「美里ちゃん……!」

「リンリン、感動してるとこ悪いけどこれ怖がっていいところよ?」

 想像以上の過保護だった。

 足をバケツから引き抜いた美里さんはその場にどかっと腰を下ろすと「んで?」とリンリンを見上げた。

「リン、部活入るの? しかもよりによってここ?」

「侵入しといてほざいてるよりによっての意味を詳しく」

 拳を振り上げる結城を周防と二人がかりでなだめていると「うん」とリンリンが頷いた。

「……それで、リンはいいの?」

「うん」

 そう言ってこちらを振り向いた彼女が続ける。

「お嬢ちゃんはなんかもう不良こじらせすぎてよくわかんないルート入った感じだし。周防くんも周防くんで、やっぱり二人のお友達なんだなって。東雲くんも、正直部長だ天才だという割に頼りないなと思うし」

 何かがぐさりと胸の奥を貫く音がした。

 残りの二人の同じようで胸を押さえながらしゃがみ込んでいる。

「すげぇ……すげぇ言葉の槍だよ……超いてぇ」

「まるっきり否定できないのが辛いわね……」

「あ、なんかもうあなたたちと同列とみなされた時点で大分立ち直れそうにないです」

「どういう意味よ」「どういう意味だ」

 同時に周防に冷たい視線を送ってると「でもね」と言葉が続いた。

「迷わず呪祖退治に行くのはかっこいいなって思って。私も、そんなみんなの力になりたいなって思って。こんな輪に入れたらきっと素敵だなって」

 一瞬で心に刺さった槍が抜けた気分だ。

 そんな風に言ってくれたのはリンリンがはじめてだ。隣の相方が目頭を押さえているのを見てそれがフリだと判断するのに少し時間がかかったがありがたくのっかることにした。

「え、ガチ泣き? ガチ泣きなの?」

「ち、違うわい! ただの花粉症だ!」

「……でもね、結城、あたしもあんたを頼れるリーダーであり、最高の相方だと思ってるわよ」

「う、うわぁああああ!」

「もうやめて! 東雲くんのライフはゼロよ!」

 いつも通り三人でくだらないやり取りしつつ気恥ずかしさを誤魔化していると美里さんの声が響く。

「それは、リンがやりたいことなんだね?」

 こくんとまたリンリンが頷く。その反応にそう、と呟いてからにっと笑った美里さんが「うおっしゃ。じゃあ」とカバンから何かを取り出して、こちらに突き出した。

「この蒼井さんが黙ってるわけにはいきませんね!」

 突きだされていた紙は先ほどのリンリンのものと全く同じ――入部届だった。

「美里さん、これ」

「ったく、水臭いんだから。理事長から聞いたよ、降格危機なんだって? せっかくうちのリンが入部したのに早々に降格なんてされちゃたまんないからさ、生徒会の合間合間になっちゃうけど、入部させてもらってもいいかな?」

「……歓迎するわ」

 それを受け取って泣いてもいない結城にパスすると頬を張る。

 これで五人。晴れて降格問題からは解放されたわけだ。一人が生徒会というのは後々どっかの副会長に文句言われそうだけど。


 降格? と不思議そうに首を傾げているリンリンには後々ゆっくり説明することにして下校時間までちょっとあるし紅茶でも飲むかと思っているとがらっと勢いよく扉が開き、「とっおっるーん!」と光の速さではなかろうかと思うくらいの素早さで突入してきた恭子が今日はポニーテールの髪を揺らしながら周防の胸に飛び込んだ。ひっと悲鳴が上がる。

「なんなんだお前は!」

「愛しのマイダーリンの危機と聞いてキョウキョウ居ても立ってもいられなかったにゃん!」

 と、恭子が取り出したのは驚くべきことに、記入済みの入部届だった。

「みさみさとキョウキョウ入れば、魔法屋降格しないで済むんだよね!」

「安心しろ舟生さんが入るからお前はいらない」

 きっぱり言い放つ周防に「いや、別に部活は六人でやってもいいのよ?」と言ってみたら睨み付けられた。はいすいません黙ります。

 むぅ、と顔をしかめていた恭子だったがやがて「あ」と手を叩いて突然入部届を二つに破いた。

「そっか! とおるん、キョウキョウ好きすぎて一緒の部活に入っちゃうとあんなこととかそんなことしてにゃんにゃんしたくなっちゃうからそれどころじゃなくなっちゃうんだね!」

「ああそうだなお前を刺し殺したいという欲求で確かに部活どころじゃなくなるだろうな」

 青筋が浮かび上がりそうな表情で恭子を睨み付ける周防だったもののそんなのお構いなしにキョウキョウワールドは展開していく。

「学校でそーゆーことするの確かに燃えるけどぉ、やっぱり不純なのはよくないからぁ、清く正しくキョウキョウとおうちでにゃんにゃんしようね! とおるんの気持ちわかってあげられなくてごめんね、だいしゅきらお!」

「ああもうなんとでも言ってろ、疲れた」

 折れた。周防が折れた。

 じっとそのやり取り見ていたリンリンが「カップル美味しいです……」とか言っていた気がするが幻聴だと言い聞かせる。

 腰に手をやりながら深々溜め息を吐くと「何この騒ぎ」とうんざりした風な声が背後から聞こえてくる。何も考えずに答える。

「生徒会役員が二人も押しかけてくるからよ」

「じゃあ三人になったらどうする?」

「どうするって」

 と振り返ってから思わず身構える。

 そこにいたのは、巴夏菜だったからだ。ぱぁっと嬉しそうに結城が笑う。

「巴!」

「こんにちは、東雲くん。うちの役員がごめんね」

「いや、全然。賑やかで超楽しい!」

 嘘吐けつい数秒前まで死んだ魚みてーな目してたくせに。

 おやつをいつもくれるご近所さんに会ったわんころみたいに尻尾振っているのではなかろうかと思うほど楽しそうな結城を放って「なんの用? 勝利宣言?」夏菜の表情が曇る。

「はぁ? 何それ?」

「とぼけないで。うちが三人で活動してるの文句つけた役員ってあんたでしょ?」

「なんで私がそんなことしなくちゃいけないんだよ」

 なんでって。と顔をしかめる。

「だってあんた、あたしのこと大嫌いだから」

 目と口を開きながら、夏菜は凄い衝撃を受けたとばかりの顔だ。なんだよ、間違ってないだろ。

 ちっと舌打ちしながら奴が言う。

「わ、私があんたを大嫌いかどうかはともかく、文句つけたのは私じゃない。勝手な勘違いすんな死ね」

「なんで声震えてるのよ」

 何をそんなに動揺してるんだこの子は。

 でも、もし本当に夏菜だったとしたならこの時点で高笑いしていたことは必至だったろう。そう思うと確かに違うのかもしれない。

「そう。違ったんだ」

「……納得するんだ」

「なんとなく分かるわよ、それくらい」

 一応それなりに付き合いがあったわけだし。

 でもだとしたら誰が? 悩ましく思いつつ「じゃあ何? うちが降格になるからって野次馬しにきたの?」

「まぁ、困ってるだろうと思って。なんだったらこの巴さまがその、にゅ、入部」

 なんだ入部してくれる奴を探してきてやろうかだとでも言うつもりか。冗談じゃない。遮るように言葉を放つ。

「でも残念だったわね、リンリンと美里さんが入部してくれるからうちは降格免除になりそうよ」

 瞬間接着剤を飲まされたのではないだろうかと思うほど見事にぴたりと夏菜の動きが止まる。

 それからわなわなと震え、「は、なん」と声をこぼしてからこちらに背を向けて座り込んだ。何やってんだと思っているともう一度振り返ったその手には紙飛行機が握られている。

 だっと窓際の方へ駆けて行った夏菜はその紙飛行機を窓の外へ投げ飛ばすとまた入口の方へと戻っていく。

 そして、あたしを睨みつけ、叫ぶ。

「ばぁかばぁか! 死ね! マジ死ね!」

 なんでだよ! 飛行機か!? 飛行機がうまく飛ばなかったからってあたしに八つ当たりしてんのか!? なんて理不尽なの巴夏菜!

 怒りに震えているとそのまま夏菜は廊下へ飛び出して行ってしまった。「あーあ」と呆れたように呟きながら恭子が周防から離れる。

「んもーしょーがないにゃーともともは。キョウキョウもういくねん。じゃ、まったねー! とおるん! らぶゆー!」

 愛の言葉を叫びながら夏菜を追って、出て行った恭子を見送りながら「んじゃ蒼井さんも今日サボった分の仕事してくんね」とてこてこ美里さんまで出て行ってしまった。

 取り残されたあたしたちはきょとんとしながら何が通り過ぎて行ったんだろうと混乱するばかりだった。相変わらずあの面子はここに混乱しか呼びこまない。

 美里さんはリンリン目にした途端、頭のネジぶっ飛んでるし、恭子は恭子で相変わらず周防しか見えてないし、夏菜に至ってはあいつ結局なんできたんだ。紙飛行機飛ばしに来たのか。なんて斬新な嫌がらせだ。しかもなんか結城がめちゃくちゃ落ち込んでるし。夏菜が帰ったくらいで凹むな情けない。

 疲れ切った周防とあたし、凹んだままの結城を見比べてからリンリンが小さく呟いた。

「なんか、ほんと、色々すれ違いすぎだよね……」

 意味が分からず、首を傾げた。


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