幼馴染と生徒会
遠くから優雅に聞こえてくるクラシックが心底恨めしい。そういえばオーケストラ部なんてのもあったよなぁ、としみじみ。
ああ、うんざりだ。地面を蹴り上げ、空中で一回転しながら舌打ちする。
「本当に怖いのは人だなんてよく言ったものよね。呪祖なんかよりあんたの方がよっぽど怖いわ」
「そう。その割に恐怖で歪んでないんだよ、顔が」
あたりめぇだ、嘘なんだから。
相手の手に握られた薙刀が虚空を切り裂き、あたしはそれを身をよじりながら間一髪でかわす。うんざりしながら相手を指差して、距離を置く。
自分に向かってくる鎖を弾き飛ばしながら「さあ!」と彼女は心底楽しそうに告げるのだ。
「今日こそ死んでもらおうじゃん! その顔が血で濡れる瞬間を私に拝ませてよ!」
変態だ。変態には関わりたくない。今度から防犯ブザーを持ち歩こう。
そう心に決めながら向かってくる刃をかわしてから彼女を蹴り飛ばした。
一般特待生兼生徒会副会長、巴夏菜、またの名を創造主巴夏菜。何故そんな副会長殿に開幕早々に薙刀を突きつけられなければならないのかといえば、それは彼女とあたしの出会いから話さなければならないだろう。
そもそも彼女とあたしの出会いは幼稚園時代にまで遡る。
年少からいる園児と年中から入って来た園児との力関係の差というのは実はないようで存在していた。少なからずあたしが通っていた園ではそうだった。
日本人らしいといえばらしい思考なのかもしれないが『先に居た方が偉い』という儒学チックな考え方を幼い頃から刷り込まれているからこういうことが起こるのだろう。
同い年ですら力関係の上下が生まれてしまう。入園する時期が違っただけである。
別に男女平等とかみんな等しくあるべきとかそういうくだらない理屈をこねるつもりは一切ない。人は皆生まれながらにして平等などしょせん上の人間が下を見下ろしながら告げる理想論に過ぎないのだ。
閑話休題。とにかくそんな嫌に儒教チックかつ日本人の本質丸出しの幼稚園に年中から入園したあたしがはじめて、友情というものをはぐくみかけたのが年少の頃から園に通っていたこの巴夏菜だった。
入園一週間ほどはそれはそれは穏やかで平和で、天性的な創造主の彼女と違ってあたしはこの頃、創造主どころか魔法というものすら実在することを知らなかったおかげもあって普通の、幼稚園児らしい日々を送っていたと思う。
ほんの些細なきっかけだった。
お遊戯の時間で夏菜が出来なかった振付けをあたしがあっさりやっちゃって、しかもそれを先生に褒められた。まぁ、これがいけなかった。
ここではじめて巴夏菜の生まれながらにしてなのか、それともこの頃すでに形成されきってしまったいたのかは定かではないものの未だに続く人間性が露わになる。
『自分が一番でなければ納得できない』、要は極端な負けず嫌いなのだ。
以来、何かというと敵対されるようになったが馬鹿なあたしはそれすら遊びの範疇と捉えていた。
そんなすれ違った幼稚園時代が終わり、小学校に上がるとあたしと夏菜は学区の違いで別の学校に通うようになった。それでも夏菜は毎日のようにあたしの家や学校の前に現れてはやれ戦えだの勝負だのと喚き散らしていたものだ。
あたしは、その毎日を恐らく楽しんでいたと思う。
ところが小学校を卒業するとき、あたしは実にありふれた理由で県内ではあるものの少しだけ離れた場所に引っ越すことになってしまった。そのとき同時に創造主になっていたのだがそれは夏菜が知る由もなかったし、あたしも夏菜が創造主だとは知らぬまま過ごした。
中学に上がり、知らぬ土地で過ごしていたときに某天才創造主のせいで携帯を水没させてしまってデータが全てお陀仏になって夏菜とは音信不通になった。
まぁ、幼馴染などそういうものかと割り切りながら中学三年間を過ごしたあたしはこのエール霧雨学園に指定特待生として呼ばれ、見事に入学した。
入学当初からあたしと結城という特待生二人がつるんでいることから学園中でかなりの噂になっていた。同じくして、特待生として入学した夏菜の耳に入るのも時間の問題だったのだろう。
もっとも、その頃のあたしはといえば、結城がまさにあの魔法屋を作ると言い出し、部室の確保や顧問、部員の数集めに奔走していた時期だったのでやっぱりそんなことに気を配ってる余裕もなかった。
そんなこんなで何も知らぬまま高校で一ヶ月ほどを過ごし、周防という生贄を手に入れながらなんとかどうにか部活を成立させた頃、ようやく彼女は薙刀を片手にあたしの目の前に現れたのだ。今でもそのときの台詞は覚えてる。
『あんた、創造主だったんだ』
長かった黒髪をばっさり切り落とし、ショートヘアだった彼女をあたしは本当に一瞬、誰か思い出せなかった。そもそも色々あった三年も会ってなかったんだ。
それでもこの返しは迂闊だったと思う。
『そうだけど、何か文句あるっての?』
瞬間、薙刀片手に飛びかかられた。
その後の展開を簡潔に言うなれば、あたしの勝利だった。もっとも、それを本当にあたしの勝ちと言っていいのかは疑問で事に気付いた結城が乱入してきたことで夏菜の気が散っているうちにまだ使っていなかった呪祖の力で一気に叩き込むという我ながら凄く卑怯な戦法だった。こうしなければ勝ち目がなかったというのはある。
その辺りであたしはこの巴夏菜という人物が自分にとってどんな存在だったかを思い出し、再び時々ではあるものの喧嘩を売られる毎日になった。多分生徒会に入ったのも嫌がらせの一環だろう。
回想終了。どっちが悪いかと言われれば夏菜だと言い張りたいが結城にはお前が悪いと言われる始末(携帯を水没させたのはあいつのせいなのに)だし、こうなることは避けられなかったと言えば避けられなかったのかもしれない。
どうせ巴夏菜のことだ、半分呪祖という特殊で目立つ創造主を放っておくわけもない。別の高校に通ったところで見つかるのは時間の問題だったろう。
それでもこの子が結城には喧嘩を売らないところを見ると東雲結城という存在はこの巴夏菜の野心すらあっさり打ち砕くほどの天才だということがよく分かる。
なんてくだらないことを考えていたら飛び上がってからの着地点を薙刀の刃が捉えた。しまったと思ったときには遅く、腿が思いっきり切り裂かれた。飛び散る血を意にも介さず、巴夏菜はあたしの腹部を薙刀の柄の方で思いっきり突く。
情けなく吹っ飛ばされたあたしの体がそのまま校舎の壁に衝突する。せめて誰か通ってくれればと思ったが校舎裏なのでその望みも薄い。
「が、て、っめ」
「そうそう! その顔! その顔が見たかったの!」
思いのほか傷が深いのか、立ち上がることが出来ない。
ああ、昔のかけっことかかくれんぼの勝負の方がよほど可愛げもあったし命の危険もなかったのに。
ぐいっと傷口が思いっきり踏みにじられる。苦痛のあまり、声にならない声をあげ、顔を歪めた。
「うぁぁ! あああ!」
「痛いなら切りおとしてあげよっか? それともそのまま首落とす?」
勘弁してくれ。
なんとか左手をあげようとすればすかさず傷から離れた足でぐっと押さえつけられた。
「馬鹿だな、魔法なんて使わせるわけねーじゃん」
「あぐ、は」
「ま、使ったところでどーせあんたは私には勝てないけどねぇ?」
うおおおムカつく。凄くムカつく。
どうしたものかと打開策を頭の中でぐるぐる考えているときらりと何かが視界の端できらめいて、次の瞬間、夏菜があたしから退いた。
地面に突き刺さったレイピアが太陽の光を反射している。
「ちょーっとなっちゃん、学校内で血生臭いことしちゃやーよ」
校舎の方から飛び降りてきた彼女はレイピアを拾い上げながらにっこり微笑んだ。
ちっと夏菜の舌打ちの音が聞こえた。
「なに、美里。今すっごいいいとこだったんだけど」
蒼井美里、その人だった。
彼女はレイピアを担ぎながら「かいちょさんが呼んでる。生徒会室に来いってさ。早めにいっちゃれよん」
「あんたは?」
「私はいいの。ひとまずなっちゃん」
あたしを庇うように前に立った美里さんはこっちを振り向いてからにこっと笑った。
それを見ながらあたしを睨み付けて「その傷、ちゃんと治しとけよ」と夏菜はこちらに何かを投げつけるとさっさと昇降口の方へ歩いて行ってしまった。
傍に転がる消毒液を見ながら舐めやがってとあたしも舌打ち。
「治しとけも何もあんたがつけた傷だってぇの……! ああ、ムカつく!」
「もーだいじょぶ? お嬢」
しゃがみ込んで美里さんがあたしの傷に手をかざすとそこから青白い光がわずかに漏れる。
大方治癒魔法の類だろうと思いながら「ええ」と髪を振り払う。
「助かったわ」
「えへん」
「ただ美里さんは投げたレイピアは拾わないわ」
あたしがそう言えば『蒼井美里』は顔をしかめた。
「あの人、どんどん創って捨てる戦法だから。覚えておきなさい。あ、でも、あたしのピンチに駆け付けたところは評価する」
そういえば、あたしの腿から手を離し、はぁ、と溜め息を吐き、『蒼井美里』がその場で一回転する。
そうしてそこにいた人物は、もうすでに蒼井美里などではなかった。
「それはそれは光栄です」
いつも通り胡散臭い笑顔を浮かべながらわざとらしいくらいに恭しく、『周防徹』が頭を下げた。
周防徹という呪祖の怖いところは、人に『成り変わってしまう』ことである。
見た目だけならあたしも他人に見えるように魔法で誤魔化すことができるが周防徹はそういう見た目だけの変化ではないのだ。
対象の見た目だけではなく、魔力、思考、匂いやら本質的なところまでもコピーする。勿論、それは彼が知る範囲という限界はあるが。だからあたしと結城は畏怖を込めて彼の能力は『成り変わり』だと呼んでいる。
他人に成り変わられたら、結城ですら区別がつけられないことだってあるのだ。恐ろしい。
まだ少しだけ痛みの残り、足を押さえながら立ち上がる。
「それより大富豪する感覚で殺し合いするのやめてください。今日こそ殺されそうでしたよ、あなた」
「平気よ、まだ生きてるから。あとあたし大貧民派だから」
いちち、と小声で漏らしながらぐぐっと伸びる。
夏菜にとってみればこの殺し合いですらじゃれ合いに過ぎないのだろう。これをああやって心から楽しんでいるうちはあたしもとどめを刺される心配はないと見ている。
何よりこれが巴夏菜とあたしという存在の交わり方なんだと思っている。
「そう考えると首が落ちても、足が落ちても、生きてられるんだから魔女って便利よね」
本人が駄目だと思えば駄目だし、まだいけると思ったら魔力さえあれば回復できる。それはこの存在の強みだ。
「あなたにあまり無理をさせると東雲くんに怒られるのは僕なんですよ」
「じゃー二人揃って怒られましょっか」
ふふと小さく笑えば、周防は呆れたように告げる。
「楽しんでるでしょう、あなた」
「当然じゃない」
転がり落ちていたカバンを拾い上げて、淀みなく答える。
「どんな状況でも天才が凡人相手に必死になっちゃってる様は滑稽で面白いわよ」
渡り廊下を抜けた辺りで「それで? いつもピンチを助けてくれる相方はどうしたんですか?」と周防が首を傾げた。肩をすくめる。
「今日ばっかりはほんとに知らないわ。何も言わずに教室出て行くんだもの。部長会議系かと思ってたんだけど」
「そうですか」
不思議そうな周防に笑いかけながら「いいじゃない、先に紅茶淹れてましょ。いつものことよ」とドアに手をかけ、横に引いた。
本来、誰もいない筈の部室から明るい声が飛んできた。
「おーおっかえ」
自分でも驚くくらいの速さで扉を閉めた。
あれーと頭を抱えてから隣できょとんとする周防を見つめる。
「ここ、部室よね?」
「え、あ、はい」
「……うーん」
唸りながらもう一度、小さく扉を開いて隙間から中を覗く。
あたしの横で同じように中を覗き込んだ周防が声をあげた。
「げ」
天敵を見つけてしまった野生動物のような動きだった。
ばっと扉から離れた彼は「帰ります、今日は帰ります、凄い用事があったような気がするから帰ります! 東雲くんによろしく伝えてください!」と踵を返した。
しかし、一歩踏み出す前に勢いよく開いた扉から伸びた手によってそれが阻まれた。
「とおるんかっくほー!」
ぴょんと今日はツーサイドアップにしたらしい髪を揺らしながら『彼女』が周防に抱き着いた。
周防が分かりやすいくらい顔を引きつらせた。
「やーんとおるん! やっと会えたぁん、いっつもキョウキョウから逃げてこの恥ずかしがり屋さんめぇ、でもそんなとおるんもらぶだおー!」
「ええい、離れろ鬱陶しい!」
「きゃー! 冷たいとおるんもか、わ、い、い。みゃはっ、あ、今日はまだ言ってなかった。とおるんあいしてりゅー!」
どんな相手にも常に敬語ですかしてて、いっそ気に入らないレベルの優男の呪祖、周防徹にも唯一の天敵がいたりする。
それが、生徒会二年書記、白咲恭子。形式的な美里さんのバディで、彼女もまた創造主である。学校指定の制服を一体何をどういじればそうなるのかと問い詰めてやりたくなるほどふわふわのアレンジをしているのも特徴の一つだろう。式典等にきちんと着てくればいいと言われているとはいえど、スカートの裾や袖口にレースやリボンだらけにしてスカート丈自体もかなり短くなっている制服を見るとどう考えても自分の着ているものと元が同じだとは思えないのだ。しかもそれをきちんと着こなすのだから始末に悪い。
その異常なまでの可愛さから実は校内に親衛隊がいたりする彼女だが当の本人はよりにもよって周防徹にお熱だ。
わざわざ作ってるのであろう口調で毎日毎日、凝りもせずアタックをかけているようだがその周防の方は全く持ってなびかないどころかウザがる始末で、挙句の果てに「お前と付き合うくらいなら東雲くんと結婚する!」とか言い出してあたしと相方までも巻き込んで修羅場になったことすらある。
本日も始まった全く噛み合わない言葉のドッヂボールどころかデッドボール合戦をただ茫然と眺めていると「なんで閉めるのさ」と不満げな蒼井美里本人の声が鼓膜を揺らす。頭を押さえる。
「……ごめんなさい、あまりのことに頭の処理能力が追い付かなくって。あ、なんかクラクラしてきた」
「だいじょぶ?」
「うん主にあんたたちのせいだけどね」
「きつかったら早く保健室いったほうがいいみょん! ああん、キョウキョウもとおるんのこと考えてたら胸が苦しくなってきちゃったにゃん……愛の治療して欲しいな……?」
「頭の病院に行くといい。それでそのまま二度と帰ってくるな」
そんな言葉にもめげずに体をくねくねと動かす彼女を見つめ、なぜかいた美里さんを一瞥してから大きく息を吸い込む。
「とりあえず、紅茶、飲んでく?」
「勿論さ!」
というかこれが目当てだったんだろうなぁ、と薄々思っていた。
「んで、生徒会の役員がなんの用? うち、生徒会に文句つけられるような活動してないけど?」
口の中にチーズケーキを放り込んでからフォークの先を美里さんに向ける。
彼女は紅茶をすすってから「今日は単純にお友達として遊びに来たのだよ」とフォークの先を自分から逸らした。
「ふーん。仕事は? いいの? こんなとこで油売ってる暇ないでしょ?」
うちの学校は比較的生徒主体で動くイベントが多い。
そのため、生徒会役員はほぼ毎日生徒会室にこもっては色々と会議があるようである。
美里さんは唇を尖らせながら「そーれがさ」とチーズケーキをフォークで突き刺した。
「かいちょに追い出されちゃった」
「なんで」
「しらねー。うちのなっちゃんとお宅の武士さんにお話があるんだと」
「……結城が生徒会室にいるの?」
皺を寄せながら問いかけると「あり」と美里さんはわざとらしく視線を逸らした。
「やっべー……蒼井さんもしかして言っちゃ駄目なこと言っちゃったかな」
「ちょっと美里さんこっち向きなさい。どういうこと、なんでうちの結城が生徒会室に、しかも巴夏菜と一緒にいるの」
つーか夏菜が生徒会室に呼ばれてたのはマジだったのか。
あたしの問いに決まり悪そうに美里さんが答える。
「なんでと申されても蒼井さんもそこまでは。だから言ったでしょ、恭子と揃って追い出されたって」
「とおるんあーん」
「うるさい」
まだ痴話喧嘩中の二人を一瞥してから頬杖を突く。
結城が何も言わずに教室から出て行くはずだ。生徒会室に行くなんて行ったらあたしは何がなんでもついていこうとするし、そうなったら夏菜との衝突も必然だろう。結局、戦ったが話どころではなかったのは明白だ。
理由は分かっていてもなんだか邪魔者扱いされたような気がして(つーか実際されたんだろう)面白くなかった。
「あらーあからさまにおこねー」
「あんな奴、勝手に夏菜といちゃこらしてればいいんじゃないの? 知らないわよ」
けっと吐き捨てると恭子の腕を無理やり掴みながら周防が困ったように美里さんに笑いかける。
「……蒼井さん、あんまりうちの副部長を不機嫌にしないでください」
「ええー、私のせいかよ」
「そうだお、みさみさー、女の子は繊細なんだからぁ。キョウキョウも、毎夜とおるんのことを思って枕を涙で濡らしてるんだにゃん」
「やめろ気色悪い」
どーしてあたしは夫婦漫才見せられなきゃならんのだ。
カップの中に入っていた紅茶を飲み干しながらぼーっと窓の外を睨み付ける。
別に、生徒会室はこの部室棟の同じ階にあるんだ。行こうと思えば今すぐにだって乗り込める。ただそれが気乗りしないのはきっと、単にそこに巴夏菜がいるからというそれだけの理由ではないのだろう。
東雲結城の邪魔になりたくないと心のどこかで思っているのかもしれない。いつも足引っ張ってばかりなのだからこういうときくらい気を利かせようというどうしようもない自己満足だ。
「ねぇ、周防」
「はい?」
「泣いていい?」
「蒼井さん、うちの副部長泣かせないでください」
「いや、だから私のせいかよ」
ああ、情けない。
さすがに二度も責められたせいかにゃははと苦笑いしながら美里さんがぽんぽんとあたしの肩を叩く。
「んまーあれだ。ぶっちゃけ、お嬢は結城につきっきりすぎっていうか、なんていうの親離れならぬ相方離れ? ができてない感じ。うちの相方なんて私から喜んで離れて徹一直線なのにな!」
「胸が痛むなら言わなくていいのよ、美里さん」
「僕としてはいい迷惑ですが」
「だってみさみさ、とおるんみたいにかっこよくないもん」
「はうあ!」
「……今の一言はクリティカル入ったわね」
勝手に自虐して勝手に自滅した美里さんを見ていると恭子がぼそりという。
「でも、確かに異常に仲良しだよね、二人とも」
「そうかしら。あたし的に手乗りインコ飼ってる感覚なんだけど」
「ペット感覚で天才餌付けてるとか怖いにゃん」
あるいは豆柴でもいいだろう。
ふーっと息を吐きながら背もたれに身を投げ出せば勢い余ってそのままパイプ椅子が体ごと後ろに倒れ込んだ。
「ふぎゃ!」
間抜けな声と共に鈍い音が響く。
「う、うー……おばかになったぁ」
「大丈夫ですよ元々大してよくないんですから」
涼しい周防の声に顔をしかめた。
「なんであんたそういう酷いこと言うの……」
「そうですね、なんとなくですかね」
「なんとなくで暴言吐かれてるんだ、あたし」
頭を抱えながらその場で丸くなる。
ポケットに入れていた携帯が小さく震える。電源を入れて、メールボックスを開いてから「グレてやる」と呟いた。
「当てましょうか、『今日俺もう帰るから部室戸締りよろしくね』って東雲くんからメールでしょう」
「……わーすごいほんとだ、とおるんなんでわかったにょ?」
あたしの手に握られたままのスマートフォンを確認して恭子がぱちぱちと疎らな拍手を送る。
「僕にも来ましたよ、同じメール」
「すっごいグレてやる」
悔しくてひとまずそれだけ言っておいた。
翌日になっても結果から言えば東雲結城の口から生徒会で何があったどうこうの話が出てくることはなかった。
朝に交わしたやり取りすら挨拶と朝食はパン派か米派かという心底どうでもいいものだ。
こっちが聞こうという気にもなれなければ、向こうも言おうという気にはならないらしい。出席番号が近いせいで座席が隣なのがなおのこと恨めしい。
喧嘩したカップルかよ、と心の中で自分たちに毒づきながらというよりこれは上司の接待で奥さんに黙ってゴルフにいっちゃった旦那に奥さんがめちゃくちゃ切れちゃってなんか物凄い気まずい空気で朝食をとらなければならないそこそこの長年夫婦の空気に近いかなぁ、と納得しておいた。どっちも当てはまらないんだけど。
理解しようともせず、黒板の文字をノートに書き写す。それだけの作業だったのに妙に居心地が悪い。
どうってことはない。こいつがいつどこで、何しようが。あたしに害がなければいいんだ。
相手が生徒会じゃなきゃ。というより、どうして邪魔者扱いされなきゃならないのかと胸倉掴み上げて小一時間は問い詰めてやりたい。この際相手が巴夏菜個人だって関係ない。邪魔者扱いが気に入らないだけだ。凄く矛盾してるだろうか。
あたしには背を向けたまま、ぴくりとも動かない彼を睨み付ける。
「こっち向けよおたんこなーす」
小さく声をかけてみるも反応はない。ただの屍のようだ。
嫌な予感がして、教師が英文を呪文のように口から発して黒板に向き直った隙に身を乗り出して彼の顔を覗き込む。
すーすーと規則正しい寝息を立てながら頬杖をついて結城は眠っていた。一切の悩みもなさそうなほどその寝顔は穏やかだった。
一度体を引っ込めてから深呼吸を繰り返して、口元を引き上げる。きっと今、浮かんでいる表情はそれはそれは穏やかな笑顔だと思う。
そのまま彼の後頭部に手を伸ばし、引っ掴むと顔面から机に叩き付ける。
「ちぇすと!」
「ひでぶ!」
どこかで聞いたような気がしないでもない断末魔を上げ、教科書と筆記具の上に思いっきり叩き付けられた天才にざまぁみろと内心舌を出した。
クラス中が一斉にこちらを振り返るがその頃にはあたしは板書へと戻っていた。
その間にがばっと頭をあげた結城がこちらを睨みつける。
「て、てっめ、よくも」
「おい、東雲、どうした?」
きょとんとした英語教師の言葉にようやく自分に視線が集中していることに気付いたのか奴は「え、えと」と言葉を詰まらせながら、やがて、苦し紛れに、
「いや、ちょっと船漕いでたら沈没させられました」
とだけ答えて、もう一度だけあたしを睨み付けた。
授業終了のチャイムが鳴り響き、号令を終えて昼休みが始まるやすぐさま結城はあたしの元へとやって来た。
「おっまえよくもやってくれたな!」
ばんっと机に手を叩きつけながらこちらを不満げに睨む結城に「授業中に船漕ぐ方が悪いのよ」と教科書とノートを重ねた。
うぐ、と結城が言葉を詰まらせた。
「だからってお前相方叩き付けるか普通」
「辞書で殴られるのとどっちがよかった?」
とんとん、と教科書の端を揃え、カバンにしまいながら問いかけると結城は視線を逸らしつつ答える。
「そりゃ、机の方がダメージ少なそうだけど」
「じゃあよかったんじゃない?」
辞書もカバンにしまってからそれを担ぎ上げる。
廊下に出ようと立ち上がると焦った様子で自分の机に散らばった教科書を集めてカバンに突っ込み始めた。
「ちょ、ちょっと待てよ! どうせ部室で一緒に食うんだから」
「別にあんたと部室行かなきゃいけない理由ないし」
それだけ吐き捨ててそそくさと廊下に出た。
楽しそうに会話する級友たちとすれ違いながら自分の上履きの音を聞いていれば、ぱたぱたと騒がしい音が後ろから追加された。やっと追いついた、と肩にリュックを引っかけた結城がほっと息をこぼした。
「なんか怒ってんの?」
「あんたに八つ当たりするくらいには機嫌が悪いだけよ」
「お前が機嫌悪いといいことないから直してくれよー」
つんつんと頬を突かれて鬱陶しかったのでその手を引っ掴みながら「あんた、指へし折ろうか」と提案してみる。
「やだ怖い」
我ながら何やってんだろうなと思いながらその手を振り払う。
肩が風を薙ぐ。どうってことない、いつものことだ。
すっかり身に沁み付いたルートを通って部室の前までやってくると足を止めた。
小さな段ボールがぽつんと置いてある。
「これ、あんた?」
「いや?」
首を傾げる結城を見てからしゃがみ込んで、その蓋を開ける。
にゃぁ、と可愛らしい声が鼓膜を揺らす。
「……にゃぁ?」
段ボールを覗き込み、声の主を確認する。
内側に書かれた捨て猫ですという言葉の意味をまるで理解していないであろう黒い子猫がきらきらとした瞳でこちらを見上げていた。
「というわけで魔法屋始まって以来の初のナマモノ投下が起こりました」
「ナマモノゆーな」
ぺこんと丸めた雑誌で叩かれながら弁当の中に入っていた卵焼きを口の中に放り込む。
とりあえず与えた水をぺろぺろと舌先で飲む黒猫を見ながら周防がカップ麺の蓋を開ける。
「まさか生き物の世話を丸投げされるとは思ってもみませんでしたね」
「ねー。しかもあたしたちがいないときに放置ってどう考えても確信犯としか」
悩ましい事態だがかといってこのままというわけにもいかなかった。
「一応、聞いてみるけどあんたたち飼える?」ぱきっと割り箸が折れる音が響いた。
「僕はちょっと」
「ああ、あんたアパートだもんね。結城は?」
「すまん、無理」
「……かーっといってうちももう一匹いるからさすがに二匹はなぁ」
となれば、里親を探す以外ないだろうか。
にーにーと小さく鳴く猫を見つめながら「里親探す?」
「それが早そうだな」
「あーほんともうなんでもありねー」
苦笑しながら白米を口の中にかき込んだ。
ごくんと飲みこみながら「でも猫って可愛いわよね」
「やっぱり猫派でしたか」
周防の言葉に頷く。
「どっちかっていえばね」
「ひょれはふぇんひょうほっぱつひゃな!」
「そーね」
もごもご口に何か入れたまま喋る行儀の悪い相方に適当に返すとおや、と周防が驚いたような声をあげる。
「分かったんですか?」
「全然」
分からないないなりに大切な相方を理解しようと努力しただけである。
清々しい気持ちに一人勝手に浸っていると「今、思ってもないこと考えてるでしょう」周防の言葉に肩をすくめる。
「どうだか」
タンブラーの中に入った紅茶を口の中に流し込みながら苦笑する。
水を飲むのをやめたのか子猫がこちらに歩み寄って来てぺちぺちと足元を叩いてくる。小さな体を抱き上げる。
ばんばんと机が叩かれる。見てみると苦しそうに顔を歪めている結城がいた。
「なに、あんた、そんな勢いよく食ってたご飯が喉につまったみたいな顔して」
「のど、つま」
全く、と穏やかな笑みを浮かべながらすすっと結城から緑茶のペットボトルを拾い上げる。
希望を見た、と彼の顔が輝いたのも一瞬で、黙ってあたしの真横にそれを置くとばんばんばん、と机の音による主張が増す。ブロッコリーをくわえながら溜め息を吐く。
横に置いてあったペットボトルを放り投げてやると慌てて開けて、中身をごきゅごきゅと飲み干していった。
飲み口から口を離して、ぷはぁ、と周りについた緑茶を拭いながら結城が怒鳴る。
「殺す気か!」
「事故よ」
「緑茶をわざわざ遠いとこに置くのは殺意だろ! 明確な殺意だろ! 花畑が見えたわ!」
「年中頭がお花畑だからじゃない?」
「なんで俺殺されかけた上で暴言吐かれなきゃいけないの!?」
「それがあたしの愛だから、カナ……?」
「だとしたらお前の愛は重すぎて俺には受け止めきれない!」
単なる八つ当たり以外の何物でもないわけだがいちいち言って文句を言われるのも面倒だったので適当にお茶を濁しておいた。
その間、自分の隣で無関心で麺を食べ進めて、最終的にカップを傾けて中のスープを口の中に流し込み始めていた周防に結城が泣きついた。
「周防ー、お嬢がいじめるー」
「はいはいよしよし」
ぽんぽんと周防が結城の頭を撫でる。幼稚園児と先生みたいとは思ったけれど言わないでおいた。
なんとなく悔しかったので弁当を畳んでから黒猫を撫でるとにーと短く鳴いた。ああ、可愛い。手乗りインコもどきよりずっと可愛い。あんまりしつこかったからか、ぴょいと猫があたしの膝から飛び降りた。
そんなくだらないやりとりに時間を取られていたおかげであっという間に予鈴が鳴った。やっべ、と立ち上がった結城がいまだ座ったままのあたしに首を傾げる。
「おい、戻るぞ」
「あたし午後の授業サボって家帰る」
「は!?」
声を荒らげる結城に笑いかけながら「この子、部室に放っておくわけにもいかないでしょ。あんたは授業出なさいよ、ノート取って来て」と指示を出す。
「いいんですか?」という問いかけを発したのは周防だった。
「ええ、構わないわよ。あんたも授業出たいでしょ、へーきへーき」
へらへら笑いながら「ほら、いいからあんたたちは行った行った! 遅れるわよ!」と二人の背中を強引に押し出しながら外に出た。
学校からさして遠くもなければ、それほど近いというわけでもない我が家へ黒猫を箱に入れて帰ってきた。
ポケットに入っていた鍵を差し込んでかちりと回すと扉は簡単にあたしを迎え入れる。母親も帰って来ていないようで安心した。ここで鉢合わせたりしたら最悪だ。
中に入って「ただいまー」と家の中へ帰宅を告げると挨拶の魔法に釣られたかどうかはさておき、みゃあと短い声が響いた。黒猫のものではない。
足元を見て、小さく笑う。
「ただいま、エルシェ」
我が家の飼い猫エルシェである。箱の中の黒猫より一回りほど大きい。
真っ白な毛を少し撫でてやってからリビングへと向かう。エルシェは勝手にとことことついてきた。
太陽の光だけでは薄暗いのでリビングの照明のスイッチを入れてからカバンを放り出し、黒猫を箱から出した。 にゃぁ、と黒猫が鳴き、そのあとにエルシェがみーと鳴く。
「仲良くしててよ?」
それだけ言い残してその場に腰を下ろした。
この子を部室に残していくという選択をとりたくなかったのは本当だった。それ以上に授業をサボりたかったのもまた事実だが。
でも、それとは別に、なんとなく結城の横にいたくなかっただけかもしれない。
どーせ普段からお荷物にしかなってないのだからこういうところくらいは役に立つところを見せたかった。単なる強がりである。
こうしていても仕方ない。どうせサボったんだ、ぼけーっと子猫と戯れるだけで過ごすのも勿体ない。
カバンの中から画用紙と筆箱を取り出して、机の上に広げる。
また人の膝に飛び乗って、今度は丸くなる黒猫をちらちら確認しながらシャーペンを走らせる。
かりかりとペン先が紙にこすれる音だけが響く。遠くから笑い声や車の音が聞こえるもののどこか隔離されているような気がしてならない。
ぶっちゃけ寂しい。
自分ひとりになると常に感じるのは相方の完璧さに対する自分の不甲斐なさ。創造主として実に恵まれた彼と創造主としてはむしろ底辺に位置するあたしは未だにどうして存在しているのかと、そう言われるコンビである。
あたし自身にも、彼がどうしてあたしを相方に選択して、未だにコンビを組み続けているのかが今一つ分からない。
いや、後者に関しては大体の察しはついている。生真面目な彼らしいそれなりの理由。
分からないのはあたしが選ばれた理由だ。
あたしは、彼の魔法にはついていくことすら出来なくて、遠目でサポートしてやるのが精一杯だ。それすらきっと彼には必要ないはずだが。頼っているのはいつもあたしの方だ。
それが三人になってからも変わらない。結城と周防、あたしの間にはどうしようもないほどの力の差がある。
あたしが邪魔になるのが怖い。
もっと動き回れるはずなのにあたしが枷になっているのではなかろうかとは思ってしまう。他人に疎まれるのはともかく、曲がりなりにも命の恩人である彼に疎まれるのは心苦しい。
だからこうして、些細なことをする以外、方法がないのだ。
シャーペンを手放した。ころころと机の上を転がっていく筆記具を茫然と見つめていると玄関の方から扉の開く音がする。
あれーおかあたまおかえりがおはやいのね。
どう言い訳したものかと困っているとリビングの扉が開く。あーあれか第一声はなんでいるのよ、かな。
叱られる覚悟で顔を上げてからげ、と声に出した。
「なんだよ、一人寂しくしてるだろうと思ってきてやったのに」
ふん、と顔を逸らしながらそこにいたのはまだ学校にいるはずの相方だった。
「え、あれ、どっから入って来た?」
「玄関」
それだけ言ってから硬直するあたしに構わずに結城はこちらにやって来た。ぐいっとあたしの制服の襟首を掴み上げながらやたら低い声で言い放った。
「よーし、言いたいことがあるなら今言えすぐ言え」
その手を掴みながら「ないわよ、何も」と睨み付ける。
瞬間、彼の目の色が変わった。
変わった、というのはあまりにも優しい表現で豹変したという方がきっと違いないだろう。
眼光で人を殺す。そんなことが本当にできるのではなかろうかと疑ってしまうほど鋭い瞳、普段はふにゃふにゃしている男と同一とは思えないほどに睨むとか怒るとかそんな言葉が馬鹿馬鹿しく思えるほどだ。
そんな視線に突き刺されて、得た感情はただ一つ。純粋な恐怖だった。
きゃー睨まれちゃったこわーいとかそんなもんじゃない。感情が追い付くよりも早く、防衛本能が鳴らす警鐘だった。
それは一度、この目をしたこの男に殺されかけたからかもしれない。ただ一つ言えるのはとにかく怖い。
恐怖で喉元を圧迫され、声が思うように出ない。戦慄だ。恐怖だ。
「どうしてお前はいつもそうなんだ」
低い声が鼓膜を揺らす。
形式的に息を吸い込んで、目を閉じる。これを悟られたらその時点で負けだ。だから自分の感情にひたすら嘘を吐く。それができるあたしは確かに彼の相方を務めるには酷く都合がいいだろう。
若干自分の中で納得しながら目を開くとにっこり口元に笑みを浮かべる。
「うっせ、苦しい」
ごっと手刀を彼の首元にお見舞いする。
かわしもせず、それを受け止めた結城は「いってぇ!」とあたしの襟首から手を離し、自分の首元を押さえた。
その目はすでにいつもの柔らかいそれだった。
「何すんだよばかぁ!」
「こっちの台詞よ」
やっと圧迫のなくなった喉を通して、肺に空気を溜めながら腕を組む。
「つーかどういうことよ。なんでいんの」
「だって古典だからお前が教室いないと全然わかんないし」
なぜか手でキツネを作りながらそう供述された。
「だったら念話でも飛ばしなさいよ、天才創造主」
「嫌だよ、めんどくさい」
うん、知ってる。知ってるけど同情するつもりは特にない。
「ノートどうすんのよノート!」
「誰かに借りよう」
「あんたに借りる気だったのよあたしは!」
きーっと頭を掻き毟りながら悶える。とんだ茶番だ。
そんなあたしにお構いなしに丸まっていたエルシェに気付いて「おーエルー」と両手を広げている。もっともエルシェから威嚇されてるけど。
どうしたものかと困り果てているとちらりと机の上を見た結城がキツネの口をぱくぱくさせながら問いかけてきた。
「一個聞いていい?」
「何よ?」
「これなに?」
そう示されたのは先ほどまでシャーペンで色々と書き込んでいた画用紙だった。
「何って、里親探すのにポスターいるかなぁと」
「いや、それはわかるよ、うん。じゃなくってさ、ここの黒いの何?」
何を言ってるんだろう?
膝の上にいた猫を抱きかかえながら「この子よ?」
一瞬にして結城の目に動揺が走る。何かこの世で見てはいけないものに遭遇してしまったような、そういう目だ。
「え、猫なの……? これ」
「やーね、こんな上手な猫を不思議そうにするなんていくらなんでも無理があるボケよそりゃ」
ずざざ、と結城が膝から崩れ落ちた。ああ、あまりのうまさに感動してしまったのだろう。罪な画力だ。
ぷるぷる震えながら立ち上がった結城が黙って画用紙を指差した。
「この丸いとこから生えてる魚のヒレっぽいのはなんだ」
「耳よ?」
「んじゃあこっちのウナギみたいなやつは?」
「尻尾」
「……すっごいトゲトゲしてる」
「あ、そこは口。ぐわーって、可愛いでしょ」
「お前の感覚が前衛的すぎる!」
頭を抱える結城に首を傾げる。不思議なことを言う。どこからどう見ても可愛い猫なのに。
それを何、化け物を見たような顔してるんだかと思ってからはっとして口元を押さえる。
「ごめんなさい、そんなに猫が嫌いだとは思ってなかった」
「ははんなるほどあくまでこれを猫と通す気か」
「仕方ないから犬も書いてあげるわ! 待ってて!」
「うん、なんでお前ちょっと自信満々なの?」
迂闊だった。相方が犬派だったことを考えていなかっただなんて。
「……そういえば俺、お前の絵って初めて見たかもしれない」
「感動した?」
「別の意味でな」
なるほど、あまりに素敵すぎて感動の境地に達したと。これが犬だった泣いて喜びそうだ。
シャーペンを拾い上げながら「あたしね、こう見えて絵には自信あるの。意外でしょ?」
「ああ、意外すぎて泣きそう。もう少し謙虚に生きた方がいいよお前」
「そうね、日本人の美徳も忘れないようにしていきたいわね」
「あれー」
まるで伝わってないぞーと頭を抱える結城にやっぱり訳がわからないもののひとまずシャーペンを走らせた。
もう何も言わずにあたしから離れて、目の前に座る結城にぼそりと問いかける。
「昨日は生徒会室で何してたの」
責めるような口調にしたつもりはなかったのだがそう聞こえてしまったらしく、「え、あ」と結城は言葉を詰まらせた。
あたしと周防にとって宿敵の相手がいる組織でも彼にとってはそうでないのだから責める義理なんざありゃしないのに。
「どうって、会長さんに話があるからって言われただけで」
「なんの話かは言えないんだ」
「いや、言えるけど」
深々と溜め息を吐きながら額を押さえて「これ言うとお前めんどくさいんだもん」とかぶつぶつ言ってる。
「何よ」
「その……、生徒会役員にならないかって」
決まり悪そうにそう告げる彼にふーん、とだけ返す。
「じゃあ何、あたしたちに黙って生徒会になろうとしたんだ」
「いや、そうじゃなくって」
「酷いわ、あたしと周防というものがありながら! この薄情者!」
「いいから話を聞かんかい!」
ばんと机を叩かれた。
むっとしながら黙り込むと「言っとくけど俺は丁重にお断りしたから。役員とか向いてないし」
「向いてたら引き受けてたんだ、へー」
「おっまえ、ほんとめんどくせぇ」
褒め言葉だ。
まぁ、生徒会としては天才をこんな部活で燻らせないで引き抜きたい気持ちもよく分かる。
「別に行きたかったら行ってもいいのよ、生徒会」
「へぇ、そういうこというんだ」
「少なからず役員になれば夏菜の傍にはいられるわよ」
かぁ、と結城の顔が赤くなる。
東雲結城が巴夏菜を好き、なんていうすっごいめんどくさい人間関係の発展をあたしは理解していた。つーか知らないのは多分巴夏菜本人だけだ。
それに関して特に思うことはない。嫉妬云々もなければ、そもそも彼がこの先誰と付き合おうとあたしは無関心を徹するに違いなかったからだ。あたしの相方でいてくれれば不都合はない。
赤くなった顔を覆いながら「それとこれとは全然話が違うだろ」と掻き消えそうな声で言われてしまった。
「そうかしら?」
「俺が、その、巴を好きなのと、生徒会ってのは全く全然違う。うん、違う違う。もーとにかくこの話は終わり!」
残念だ。もう少し水掛け論で時間を潰すのも悪くないと思ったのに。
そう思いつつ「じゃあ」と手元の画用紙を結城に見せる。
「ほら、見て、犬」
「足が五本あるじゃねぇか!」
「ばっか、これ尻尾よ」
あたしが描いた絵を見ては結城が感動のあまりに悲鳴をあげるということをエンドレスに繰り返した。
叫び疲れたのはぜぇぜぇと息を切らす結城と久々に与えられたお絵描きが楽しくて充分満足していたあたしの二人の元に周防がやってくるのは案外すぐだった。
「勝手に入りましたよ」
「あ、いらっしゃい」
「本当にサボってたんですね」
いっそ感心したような声をあげながらやれやれと首を左右に振った彼はこちらに何かを差し出した。
受け取ってみるとノートだった。きょとんとしていると「どうせ東雲くんもサボってるだろうと思って午後の分の授業ノート、借りて来ました。本人に直接返してくれればいいそうです」思わず立ち上がる。
「周防……」
「はい?」
「抱き締めていい?」
「どうぞ」
両手を広げながらにっこり微笑む彼にすぐさま抱き着く。
「ありがとうこの恩は忘れるまでは覚えてるわ」
「そこまで喜んで頂けてこちらとしても借りてきた甲斐がありました」
「今度なんか奢らせて」
「ぜひカップラーメンでも」
「了解」
覚えていたら買っておこう。
もう一度改めて抱きしめ直してからほっと一息。これで借りに行く手間も省ける。
満足しながらカバンの中にノートをしまう。
「ところで、東雲くんはどうしてそんなに疲れ切ってるんですか?」
「クリーチャーの相手をしてたんだよ」
「はぁ」
意味の分からないことを言っている結城に首を傾げながら「じゃあ僕を抱き締めてみますか?」顔を上げた結城がこっちがびっくりするくらいのドン引きを表情で表現していた。
「すげぇ、じゃあからの関連性が全然分からない」
「いえ、多少は元気になるかなと」
「俺を心配してるフリして実は抱きしめたいだけだろお前、なぁ」
「実は僕、体からマイナスイオンが出てるんですよ」
「うわーすげー、だきしめさせてーとでも言うと思ったか!」
「……本当にいいんですか?」
「ああここでお前を抱き締めなくても多分なんの後悔も生まれないよ!」
余計疲れた、と机に突っ伏す結城に苦笑する。
紅茶でも出してやるべきだろうかとか色々考えながら「さーどうしましょうかね」と黒猫を抱き上げる。
エルシェはそれが面白くなかったようでにーにーとぺちぺちあたしを叩いてくる。
「二匹は無理無理」
「じゃあエルーこっち来るかーん?」
しゃあ、とエルシェがあたしの相方相手に牙を剥いた。とことん嫌われてるな、こいつ。
「エル、おいで」
ぽんぽんと周防が自分の膝を示すとたったか走って彼の膝に飛び乗った。
その光景を見て結城が机に突っ伏した。
「理不尽だぁ」
「エルシェは頭がいいから人をよく見てるのよ」
「どういう意味だよ!」
言葉のままの意味だが。
先ほどまで色々書き込んでいた画用紙を拾い上げながら「ひとまず、これ、コピーしてく」がっと結城に腕を掴まれた。
「待て、待て待て待て。そのいかにもドキッ、クリーチャーだらけの地獄絵図みたいなのをどうする気だ」
「どうするって、配るなり貼るなりしなきゃ、この子の引き取り先見つからないし」
「絶対やめろ、それだけはやめろ!」
「なんでよ?」
うーん、やっぱり意味が分からん。
その横で周防が画用紙を覗き込みながら「……ウナギ? シャチ?」と一人顔をしかめているので「猫よ? こっちが犬」と当たり前のことを言ったら酷く驚いた顔をされた。
「あ、分かった。これがきっかけであたしが芸術の世界に見初められるのを恐れてるのね、結城ったら。大丈夫よ、あたし、創造主やめたりしないから」
「お前の芸術は爆発どころの騒ぎじゃないんだよ!」
「や、やーね褒めすぎよ。知ってたけど」
「なんでお前はポジティブになるべき場所を全力で間違えるんだよ!」
あー、と頭を抱える相方はいつにも増してわけがわからないよ。
これは慎重に話し合って、彼が生徒会に行く意思がないのと同じように芸術の世界に行く意思がないのを伝えてやらなければと息込んでその場に座り直す。
と、そのとき、ポケットにいれていた携帯が振動する。こんなときに誰だろうと、メールを開いてから酷く後悔した。
差出人は巴夏菜だった。
なんの用だよ、と思いつつ授業サボったことをねちねち言いにメールよこしたんだろうなぁと思って本文を開くとなぜかそこには『猫』とだけ書かれていた。
何が言いたいのかさっぱりで首を傾げていると追撃メール。そこには『なんか拾ったらしいけどさとおやみつかったの』とある。
無視するのも面倒なので『まだ』とだけ返すと少し間を空けてから返信。
『なんだったらひきとてやらんことおない』
焦っているのか大分メールの本文がめちゃくちゃだ。
苦笑しながら『別に無理しなくてもいいのよ』とだけ返す。すぐに返信が来る。
『むりじゃねーよ』
さいですか、と思いつつ『じゃあ引き取りに来る?』と問いかけてみる。あたし相手ならともかく猫相手には酷いことはしないだろうという確証があたしの中であったからだ。
また少し空けてから返事が届く。
『かん、勘違いすんなよ。猫をむかえにいくだけだから』
何をどう勘違いすると申すのかこの子は。
『何言ってんのあんた』
『こうちゃとケーキとかいらないから。ほんとに』
何それ用意しろってこと?
メール画面を見つめながら高度な心理戦が要求されていることに初めて気付く。せっかく猫を引き取ってくれるっていうんだし、それくらいなら用意してやらんこともないけど。
『それくらい用意してあげるけど』
『死ね』
「なんでだよ!」
なんの前触れもない理不尽なメールに思わず声を出して突っ込む。どんだけあたしが嫌いなんだこいつ。
すぐに次のメールが届いた。
『お茶菓子くらい持って行ってやるから感謝しろばーか』
『はいはいどうもありがとう』
『蟻が十匹、ありがとうって? やかましいしね』
「だからなんでだよ!」
あたし一言もそんなこと書いてないのに! なんて理不尽なの巴夏菜……!
『分かった分かった。とにかく引き取りに来てくれるのね。今日中にこられそう?』
『今から行ってやる』
今から来るのか、面倒だな。というかあの子うちの場所分かってるんだろうか。
いらん心配をしながら『分かった。待ってるわね』とだけ返す。
それでメールは終了したのか。送ってはすぐ返って来ていた返事が来なくなった。ほっと安心していると「誰から?」と結城。
「夏菜」
「え、なんで!? なんて!?」
「んーいや猫をさ」
と、そこで再び携帯が震える。
終わってなかったのかーと思いながらメールボックスを開くと『松ぼっくりの唐辛子からしでとかふざけやがってんのかしね』というなんとも奇怪な文章が送られてきた。とりあえず死ねと言われたのは分かった。
返信に困っていると追撃。
『お前は奥さんか』
「どういう発想の飛躍よ!」
理解不能すぎる。つーか誰の奥さんなんだよあたし。
うーんと困りながらまぁいいかと用意していた文章を彼女に送る。
『あんた、猫好きよね。昔から。だから安心して預けられるわ』
それはまだ、殺し合いになる前の幼稚園児時代のときのこと。
怪我をしていた野良猫を夏菜が大事そうに抱きかかえながら登園してきたことがあった。
先生に見つかったらまずいと思ったあたしはそんな夏菜の腕を無理やり引っ張って、園の脇にある植え込みにその猫を隠すように言ったことがある。
ところが夏菜は猫を一人にするのが嫌だと言ってきかなかった。
結局夏菜はそのまま教室に来なかった。園の近くまではお母さんに車で送ってもらっていたので案の定、先生たちは大騒ぎになって夏菜を探し、植え込みのところで一人しゃがみ込んだ彼女を教室に連れて来た。
猫はどうなったの? そうあたしが問えば、治ったよと夏菜はどこか誇らしげに言い放った。そんなわけない、とあたしは否定していたが今思うと彼女はあの猫に治癒魔法をかけたのだ。まだまだ未熟な魔法で猫を治そうと必死だったんだ。
巴夏菜という女は人間には厳しくても犬猫には優しい人間なのだ。幼稚園ときからまるっきり変わっていないんだからきっと今でもそうだろう。
一人懐かしさに浸っていると『うるさい黙れ馬鹿死ね』ときた。前言撤回。こいつは大分悪質で理不尽になってる。
まったくと呆れているとまだ続きがあった。スクロールする。
『そんな昔のこと忘れたし、今の私が昔のままだと思ってるお前は相当頭がおかしい』
そうかしらねぇ、と心の中で呟いた。
あたしはともかく、彼女は未だに幼稚園の頃のあの純粋な負けず嫌いなままだと思うのだが。
『とにかく待ってるからね。お土産、楽しみにしてるわ』
それっきり、今度こそ返信が来なくなった。
あたしの体を前後に揺らしながら「なーなー巴なんていってたんだよー」と問いかけてくる結城に「やめんか!」と肘鉄を喰らわせる。
まぁ、幼馴染なんてこんなもんよね。
いつぞやに思ったことをまた繰り返しながらひとまず巴夏菜の来訪についてどう伝えるか悩んでみた。