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創造主な僕たちは華麗な日々しか創れない  作者: 黄昏月ナツメ
一学期:僕たちはまだ夢の中で。
19/36

近くにいると思っているときほど実は遠かったりするのです

 今年は例年より早く梅雨明けが来たということを聞いたのは本日最後の授業のときだった。

 通りで最近よく晴れているし、暑くなってきたと思った。


 ――なんて納得していたのはどうやらあたしだけだったらしい。そんなことを部室で実感している最中である。


「あーづーいぃ」

 今にも溶け出してしまいそうな顔で机に突っ伏す相方にあたしは溜め息を吐いた。

「梅雨になったら雨が降ったって毎日騒いでたくせにいざ梅雨が明けたら今度は暑いってあんたどんだけ環境に適応するの下手なのよ」

「繊細と言え、繊細と」

「あんたを繊細だなんて認めたらあたしは風に吹かれたら崩れ落ちるほど脆くなるわ」

 とはいえ、暑いのは事実だった。

 梅雨が明けたらずっと雲に隠されていた太陽が久々に表に出たことでテンションが上がったらしく、これでもかとばかりに辺りを照らしている。

 夏服はなんの効果もなさない。暑いもんは暑い。

 結城なんて半袖のワイシャツの袖をさらにまくり上げて、着ていたベストを投げ出していた。口にする言葉も先ほどから『あー』か『うー』か『暑い』という類ばかりだ。梅雨に散々文句言ってたくせに勝手な奴である。

 せめて、と窓を開けた。暑苦しい空気がふわりと流れ込んでくるだけだった。溜め息を吐きながら言う。

「今からそんな調子じゃ本格的に夏になったらあんた死んじゃうわよ」

「本格的に夏になったら夏休みでクーラーが利いた部屋にいられるのでよって俺は死なない」

「なんじゃそら」

 文明の利器にすっかり弱体化させられた人類をあたしは見た。

 紅茶が飲みたいのは山々だが、こう暑いと、コンロの前に立つ気になれない。せめて髪でも結ぼうとポケットからリボンを取り出し、髪をまとめる。

 じーっとあたしを見つめていた結城が口を開いた。

「せめてクシ出して鏡くらい見ろよ」

「持ち歩いてない」

「……クシ? 鏡?」

「両方」

 さらっと答えると深々と溜め息を吐きながら結城が机から顔をあげた。

 それから彼があたしの後ろに立つ。そのよく分からない行動に頭の上に疑問符を浮かべながら告げる。

「あたしの後ろに立つな」

「お前は殺し屋か」

 そう言いながら結城はあたしの手からするりとあたしの髪の束を取り上げた。

 どこから取り出したのか、プラスチック製のクシで髪を梳いてくる相方に顔をしかめた。

「あんた、クシなんて持ち歩いてるの?」

「違う。今、魔法で」

 さらっと魔法使うのがなんとも結城らしい。

 するすると丁寧にあたしの髪をとかしていく相方にされるがままになりながら問いかける。

「やけに手慣れてるのね」

「え? ああ、結香のやってるから」

 ふーんと気のない返事をする。

「聞いたんだからもうちょい食いつけよ」とかなんとか言ってる相方は無視である。

 それから結城は、どこかからかうような調子で言う。

「お客様、今日はどのような髪型にいたしましょうか?」

「普通に、いつも通りでいいわ」

 暑くて相手をするのも億劫だったあたしはそう返すものの簡単に引き下がってくれるほどあたしの相方は優しさに溢れてはいなかった。

「そんなぁ勿体なぁい、お客様なら三つ編みとか似合いますよぅ」

「なんで急にオネエのスタイリストみたいになってるのよ。いつも通りポニテでいいの、ポ、ニ、テ」

「そして俺はポニテ萌えじゃない。ハーフアップが好きです」

「ごめん、あんたの好みは聞いてない」

 冷たく返すと結城はちぇっとわざとらしく舌打ちした。

「はいはい、分かりましたよ。ポニテさんにしますよポニテに。あ、お嬢、リボン」

 とか言いながら手早く髪を一つにまとめていく。めんどくさいなぁ、こいつと思いながらリボンを差し出した。

 しゅるしゅると布がこすれる音がする。どこか懐かしいような、照れくさいような、奇妙な感覚に捕らわれる。

 あっという間に髪は一つにまとまった。よし、と結城の手がぽんぽんとあたしの頭を軽く叩いた。

「いっちょあがり。さすが東雲さん、完璧だわ」

「はいはい、ありがとね」

 馬鹿の戯言を軽くスルーしながらあたしはようやくコンロの前に立ったのである。

 かちりとコンロの火がついたのと同時に入口からこの暑さを気にかけている様子もない周防が入って来た。

「どうも」

「おっす……」

「ん」

 また机に突っ伏し始めた結城とあたしが声を掛ければ、彼はあたしの方をちらと見てからおやおやと驚いたように声をあげた。

「髪、まとめたんですね」

「暑いからね」

「暑いのに紅茶は淹れるんですか」

「紅茶を抜くと死ぬからあたし」

 大袈裟な、と言われて小さく肩をすくめた。否定はしないさ。

 あーと唸る結城の隣に周防が座る。同時にあたしの相方の不満げな声が聞こえてきた。

「なんでお前はまだベストを着てるんだ……なんでそんな涼しげなんだ……」

 言われてみれば、周防はまだベストを着たままだった。

 数学の教科書を取り出していた彼が顔を引きつらせる。

「いや、むしろ、なんで君はそこまでしてるんですか」

「あぢいんだよくそ……今日は暑いって心構えで来てなかったからなおさら暑いんだよ」

「はぁ……」

 理解しかねる、とばかりにこちらを向く周防に知ったこっちゃないとあたしはコンロに向き直った。

 ええい、と結城が声を張り上げた。

「お前もう見てるだけであちいんだよ! 脱げ!」

 その言葉に一瞬、間を開けてから周防の掻き消えそうな声が聞こえてきた。

「そんな東雲くん……こんなところで脱げだなんて大胆な」

「ありがとう周防ちょっと背筋が涼しいを通り越して寒くなったけどやめろ!」

 死にそうな結城の声にあたしは思わず腹を抱えながらその場でしゃがみ込んだ。

 口からこぼれ落ちてくる笑いを特に隠すこともせずに外に吐き出している間に面白そうに小さく笑ってから周防は数学の教科書に向き直ってしまった。

「お、お前らな……」

 わなわな小刻みに小さく震える結城にさてどうしたものかと思っていると「こんにちはー」

 笑うのをやめて入口の方を見てみるとちょこんと立っていたのはリンリンだった。

「おう」

「やあ、どうも舟生さん」

「やっほ、リンリン」

「うん。わ、東雲くん、凄い格好……あ、それにお嬢ちゃん髪まとめたんだね」

 にこにこ笑いながら男共とは反対側に腰かけたリンリンは「やっぱり髪あげてる方が似合うねー」と告げる。

 お世辞だとしても褒められて悪い気はしない。

「そう? ありがとう」

「それより、廊下で脱げって聞こえてきたけど何やってたの、みんなで」

 困ったように問いかけてくるリンリンにいち早く答えたのは周防だった。

「東雲くんに脱げと言われました」

「お前、正しいけど間違ってる言い方するな!」

 食い下がる結城などお構いなしにわわ、と口元に手を当てたリンリンが戸惑い気味に言う。

「東雲くん……が、学校でそういうのはよくないと思うよ……」

「いや、違うんだ舟生!」

「あと周防くんには恭子ちゃんもいるんだし」

 思わぬ流れ弾を喰らった周防が顔を手で覆い隠しながらその場で撃沈した。

 あたしがまた噛み殺せなかった笑いを口から吐き出した。その笑い声が響く中、結城がぼそっと、

「ざまぁ」

 しかし、その呟きを聞き逃さないのがやはり周防の凄いところで次の瞬間には見事なグーパンが結城の腹に決まっていた。

 顔を歪め、机に突っ伏した結城は「おま……おま……」とか言いながらぷるぷる震えている。周防の方も周防の方で、沈んでいく結城を見ながら一人、落ち込み直していた。

 そんな馬鹿二人を放って、淹れ終えた紅茶をリンリンの前に差し出すと彼女は不安げにあたしを見上げた。

「私、悪いことしちゃったかなぁ……」

「いいえ、あなたは何も間違ってないわ」

 苦笑しながらいつも通り取り出したケーキを切り分け、皿に盛ってから溜め息交じりに告げる。

「ほら、あんたたちいつまでも落ち込まない。鬱陶しい」

 吐き捨てるようなあたしの言葉に同時に顔をあげた二人が反論してくる。

「鬱陶しいとか言うな!」「鬱陶しいとか言わないでください」

「はいはい仲良し仲良し」

 そもそも本気で喧嘩を始めたら殺し合うような二人なので言い合ってるうちは平和なもんである。

 人としての感覚の鈍りを実感しながら改めて、ケーキを差し出すと結城がきらきらとした瞳で見つめてくる。

「あ、これ、なんだっけ、あの、えと」

 そう言って指差す先にはチョコレートのバターケーキのスポンジを同じチョコレートの砂糖衣で覆ったケーキだった。照明の光を反射しながら輝いているようだった。

 スポンジの間にはアンズのジャムが挟まれている。いかにも高級なチョコレートケーキ、といった感じだった。

「ザッハトルテ」

 あっさりと答えてやると「そう! それ!」とすでにフォークを握りしめて準備万端な結城が笑う。

 オーストリアの典型的なチョコレートケーキの一つである。チョコレートケーキの王様とまで言われる濃厚なチョコレートケーキで、結城がまた食べたい、また食べたいと騒いでいた一つだ。

 そのリクエストに応えてやる辺りよく言えばあたしは優しいのだろうが悪く言えば結城に甘いのだろう。猛省せねば。

 すっかりご機嫌の結城がフォーク使ってケーキを一口大にする。簡単な男である。

 あたしがその場で立ったまま、カップに口をつけたのと同時に結城は幸せそうな笑みを浮かべていた。

「はぁー、ケーキうまぁ」

「よかったわねぇ」

 頭の中が幸せで。

 あえて最後の言葉は付け加えずにまたカップを傾けると数学の教科書に目を落としたまま周防がぼそっと告げる。

「本当に、あなたは随分彼の扱い方を心得ている」

 苦笑しておいた。人を珍獣使いみたいに言わないで欲しい。


「ごめんくださぁい」


 間延びした声と共に引き戸が叩かれる。可愛い声だったが嫌に記憶に残る。特徴的な声だ。

 どうやら今日はもう一つ、カップが必要らしいと判断したあたしは自分の紅茶を一旦机の上に置くと戸棚に向かった。

「あいひぇるひょー」

「東雲くん、食べながらはお行儀悪いよ……」

 なんて会話が聞こえてきたがあたしがそれに何か反応を示すより早く、戸が開き、声の主が姿を見せた。

 茶色の髪を頭の上で二つ、お団子にした垂れ目の女生徒だった。

 声のこともあって名前はすぐに出てきた。二年生の小日向あまねだ。放送部で、お昼の放送のパーソナリティ。通称『こひにゃん』である。

 にゃん、と言ってる割に彼女の正体というのは山から下りてきたタヌキの一族の大親父殿の娘で要は化け狸だ。

 この間は狐だったのになぁ、と誰にともなく思っていると「今日はお願いがあってきました」

「でしょうね」

 遊びに来るやつなんて精々文句言いに来てる生徒会くらいだ。特徴的な声に返しながら、紅茶を机に置いて、着席を促した。

 彼女は椅子にちょこんと腰かけ、紅茶をすすってから真剣な瞳であたしたちを見つめてきた。

「特に、舟生さんに、協力して欲しいんだけど」

「え? 私?」

 不思議そうに首を傾げるリンリンに一度頷いてからあまねは改めて言い放った。


「神泉いずみ君について、教えてください」


 一瞬、間を空けてから、あたしに空になった皿を押し付けつつ結城が純粋に問う。

「え、なんで?」

 それよりこの皿はなんだ。おかわりか。おかわりの要求か。

 猛省するのは明日からにしようと心に決め、ケーキを皿に乗せていると彼女が言う。

「今度、軽音楽部がミニライブやるからその宣伝用の番組で、部員を結構詳しく紹介するっていうのがあるんだけど。その取材で」

「だったら軽音の人たちに聞いたらいいんじゃないかな?」

 首を傾げるリンリンに「それが」とあまねは苦笑した。

「その、よく分からないって」

「よく分からない?」

「うん。あんまり詳しいことは知らないっていうか。なんていうんだろ、ミステリアス? っていうか」

 ミステリアスなタイプには思えないが。

 でも確かに、と同意を示したのは周防だった。

「言われてみると神泉くんって分からないことが多いような」

「そうかしら?」

 うーんと悩みながら「そんなに言うなら」とあたしは部室の隅っこに寄せられていたホワイトボードに手を掛けた。からからとキャスターが床を滑る。

 なんとか机の前まで引きずり出したそれをとんとんと叩きながらあたしは告げた。

「いずみっちに関して知ってること書きだしてみましょうよ」

「確かに、それは分かりやすいかも」

 ぼそっと言うあまねに「いずみ君について知ってることかぁ」とリンリンが唸る。

「意外と難しいかも……」

「なんでもいいのよ。とりあえず名前と、死神ってことと、軽音楽部でベースやってることと……」

 黒いペンで彼を構成する要素を書き出していると「あれ」と周防が純粋に驚いたような声をあげた。

「あなた、左利きでしたっけ」

「え、なに、凄い今さら。そうだけど」

 特別触れたことはなかったが、あたしは左利きだ。

 といってもハサミだとか、習字だとか、世の中は右利き向けにできていることが多いので右手を使う機会は多い。あたしが左手を使うのは食事のときと習字以外で文字を書くときくらいだ。あとは包丁か。

 意識して見ていなければ、あたしが左利きとは気が付きにくいかもしれない。それにしたって周防らしくないが。

「よく考えたらあなたがホワイトボードとかに文字を書いてるのはじめて見た気がします」

「ああ、同じクラスになったことないもんね」

 という心底どうでもいいやり取りのあとに結城が手を挙げた。

「ん、馬鹿」

「将棋を指すのがうまい」

 と、そこまで言ってからぐわっとこちらに振り向いた結城が吠える。

「おい、馬鹿ってなんだよ!」

「今凄いナチュラルに受け入れてたから自覚があることに驚くのと同時に感心したわ」

 そんなことを言いながら書き足していると考え込んでいたリンリンがあ、と手を叩いた。

「いずみ君は優しいよ、とっても」

「まぁ……リンリンには本当に大甘だもんねぇ」

 どこからかお前が言うなと聞こえてきたような気もするが、多分幻聴だ。

「でも確かに、神泉くん、気が利きますよね」

「ああ、それは言えてるな。あいつ、普通にいい奴だ」

 神泉いずみ。日数的には結城と同じくらいの長さの付き合いのある彼だが確かに気が利くし、とっつきやすい。典型的な盛り上げ役というか、クラスの中心にいることも少なくないし、普通に明るいし。

 死神だということを隠していても明かしていても、そこだけは絶対に変わらない。

「あれ、なんか……いずみっちってリンリン絡みのことを抜かせば普通に人間できてるんじゃ……」

 物凄い衝撃の事実に気付いてしまった。

 その出来上がった人間すら壊してしまうほどリンリンの接し方には問題があるが。あたしの知り合いってそんなんばっかりだなぁと一人でがっくりしてしまう。

 そんなどうでもいいことは置いておいて、実際書き出してみると、なるほど、確かにあたしたちもいずみっちについて詳しくないのかもしれない。死神というのも自己申告だったし、未だにどんな職場でバイトしているのかも知らないし。

 リンリンがホワイトボードをじーっと見つめているのが目に入った。首を傾げる。

「どうしたの、リンリン」

「え? いや、なんか、私、いずみ君のこと、何も知らないなって思って」

 どこかしゅんとする彼女に小さく笑う。

「嫌ね、お互い一から十まで理解しあえているカップルなんてそうそういないわよ」

 笑いかけるとそうなのかなぁ、とどこか釈然としない様子のリンリン。

 人間と死神ではどう足掻いても埋めきれないものがあるのかもしれない。似たような感情には覚えがある。

 なんと言おうかと考え込んでいると口を開いたのは結城だった。

「俺もお嬢と相方やって長いけど未だに分かんないことの方が多いって」

「……なんだろう、めちゃめちゃ説得力ないね」

 思わずと言った風に口を出してくるあまねに「え、なんで?」と首を傾げる結城。

 不思議そうにリンリンがこちらを見上げてくる。肩をすくめた。

「そうね。分からないことが多いかもね」

「こんなに仲良しなのに」

「仲がいいっていうのと理解しあえてるっていうのはまた別問題よ」

 ぽんぽんと彼女の頭を撫でてからもう要素が出そうもないホワイトボードの文字を消した。

 それと同時にあまねが立ち上がった。いち早く反応したのは周防だった。

「お帰りですか?」

「うん。結局、あんまり軽音楽部と変わんなかったけど……もう少し調べてみる」

「程々にな」

 結城の言葉にこくんと頷いた彼女は、

「最悪でっち上げてでも」

「うわー最近のマスコミ腐ってるぅ」

「うへへ」

 というくだらない冗談をかましてから戸に手をかけて出て行ってしまった。

 手を振って見送るとぽつんと結城がこぼした。

「意外と、近くにいる奴の方が知らないことが多いのかもな」

「知らなかったことを知る機会が増えるだけよ」

 すっかり空になったカップを持って、ポットの方に歩きながら言う。ああ、と納得したような声が返ってきた。

「そう思うだけ、って奴か」

「そういうこと」

 うんうんと頷いてから「一から十まで理解してるんじゃ、友人としてだって恋人としてだって付き合っていく理由がなくなっちゃうでしょ。知りたいと思うことが仲良しの秘訣」

 分からないことがあるから知ろうと努力するのだ。話すのだ。それが喧嘩の理由になったとしても知りたいという欲求なくして友人関係を保つのはなかなか難しいだろう。と、勝手に思ってる。全部知っている、と思っていても案外知らないことだってあるわけで。

 まだ難しそうな顔のままのリンリンに「そうなんよねぇ」と誰かの声が飛んで行った。

「私もバディたる恭子のことを理解してるとは到底言い辛いし」

「そうそう、やっぱりそういうも」

 と、そこまで言いかけてからあたしは勢いよく後ろに振り返った。同じ疑問を持ったのか結城と周防も同じように視線を投げかけている。


 

 まるで当たり前のように、そこには蒼井美里がいた。



「ぎゃあ!? お前いつから居た!? どっから湧いた!?」

 焦ったような結城の言葉に美里さんは不愉快そうに顔をしかめた。

「湧いたとか言わないでくれんかね。言ったっしょ、『舟生リンのあるところに蒼井美里あり』って」

「だからそれ答えになってねぇんだって! 怖いんだって!」

 相変わらずな自分理論を振りかざしてから美里さんは結城の悲鳴交じりな言葉もお構いなしにリンリンを見つめた。

「リン、あんな腐れ死神のことなんて気にしなくてもいいからね。落ち込まないで」

「ありがとう、美里ちゃん……」

 小さく笑うリンリンを見ながらいずみっちは半身が意味もなく骨になるという特技の持ち主だったことを思い出して、書き出せなかったことを悔しがってみた。




 結局、その日は帰宅を促す放送が鳴り響くまで部室に居座った。

 さすがに暑くなってきた、というか夏が近づいてきただけあって外はまだ明るかった。しかし、そのままの格好で帰るなとあたしに叱りつけられたことで結城は非常に嫌そうにベストを着直して、袖も元に戻した。

 ぶつくさと夏の暑さへ理不尽な怒りをぶつけながら部室の鍵を閉める結城を黙って待っていると「おう、主ら。こんな時間までいたのか」と覚えのある声が飛んできた。苦笑しながら結城は声の主に鍵を投げた。

「文句あるなら見に来いよ、顧問」

 自分に投げよこされた鍵をテープだらけの手で受け取ってから顧問、こと小町ちゃんはけらけら笑った。

「別に文句など言っておらんだろう? 真面目、と思っただけじゃ。なんでそんなピリピリしとるんじゃ東雲」

「暑いから機嫌悪いんですよ」

 苦笑交じりの周防の言葉にああ、と小町ちゃんが頷いた。

「単純じゃな」

「単純とか言うな!」

 がう、と結城が吠える。

 めんどくせぇな、と改めて相方に思いながらカバンを担ぎ直すと何かがこちらに駆けよって来た。

「やっぱりここにいたか美里」

「げ、相瀬っち」

 生徒会顧問である相瀬先生だった。

 彼は不機嫌そうに美里さんを見つめてから「ちょっと仕事。五分で終わる」ええー、と美里さんがリンリンに抱き着いた。

「今日は休みって言ったじゃないかー! 恭子もなっちゃんも帰ったのにそうやって相瀬っちは私を生徒会室に束縛してー! リンと私の時間を奪うー!」

「うるさい働け会計」

「いやぁああ!」

 強引にリンリンから美里さんを引き剥がすと相瀬先生は彼女の首根っこを掴み上げた。

 生徒が教師にぷらんぷらんと持ち上げられるという普通の学校だったらPTAを通り越して教育委員会沙汰になりそうな光景を目の当たりにしていると小町ちゃんがぼそっと言う。

「相変わらず乱暴じゃのう」

 しかし、その呟きは相瀬先生に聞こえてしまったようでぱっと美里さんから手を離してから小町ちゃんの方へ向き直った。

 その顔には笑顔こそ浮かんでいたが眼鏡の奥の目はどう考えても笑ってはいなかった。

「おうおう、これはこれは。松七五三小町さまじゃないですか。相変わらず魔法屋はほったらかしでも動くから羨ましい限りで」

「わっしの教え子は主と違って有能でのう、すまんのう!」

「顧問は無能なのに」

 びき、と何かが切れたような、鈍い音がした。ような気がする。

「ああ? なんじゃ、やる気か、クソ暗殺者が」

「上等だ表出ろや悪魔女」

 なんか凄く見てはいけない教師同士の醜い争いを目にしている気がする。というか仲悪いんだ、この二人。

 めんどくさいが、あたしたちの安全な下校のために制止をかけるかと一歩踏み出そうとしたまさにそのとき、睨み合っていた小町ちゃんと相瀬先生の間に一本の矢が撃ち込まれた。

 その場にいた全員が固まる中で手の中にある弓の弦を震わせたまま、東雲結城が低く告げる。

「この! 暑いのに! 喧嘩すんな! 撃つぞ!」

 今にも次の矢をつがえそうな結城を慌てて押さえ付けた。

「ストップ! 待ちなさい結城! 落ち着きましょう、話し合えば分かるわ! 人は皆、心の平穏を持っていてね」

「お前が言うな!」

 困った、ぐうの音も出ないほど正論だった。

 どうやらあたしの用意した涙が浮かぶような説得は通用しそうもないのでぽんぽんと彼の肩を叩きながら囁く。

「帰りにアイス買ってあげるから」

「アイス!?」

 やっぱりあたしは珍獣使いなのかもしれない。

 おかしそうに笑っている周防を軽く睨み付けてから「だから弓矢はしまうの、分かった?」「はい!」で馬鹿を治める。

 反省しないことに定評のあるエール霧雨学園の教師共はお互いに睨み合ってからふんと顔を逸らし、相瀬先生が美里さんを引きずって行ってしまった。

 文句の一つでも言う権利があたしにはあるはずなのだがそれより早く、うちの隣の部室の扉が開いた。

「なんの騒ぎさ」

 眉を寄せながら出てきたのはケースにしまわれたベースを背負った神泉いずみだった。

 現れた本日話題の人に肩をすくめる。

「別に。学園の平和をあたしが二百円程度で買うことになったの」

「はぁーおじょっちまた出費がかさむねー……」

「そんなこと言うなら奢ってよバイト族」

「ええーやだよー」

 けらけら笑ういずみっちにあたしは溜め息を吐いた。

 さて、今日の所持金はいくらだっただろうか。そんなことを考えているとぱたぱたとリンリンがいずみっちに駆け寄った。

「いずみ君!」

「お、リン、今終わりなら一緒にかえ」

 と、そこでいずみっちは言葉を区切ることになった。


 理由は実に単純で、リンリンが、ぎゅっといずみっちの体に手を回していたのだ。


 この場に美里さんがいなくてよかった。居たら血を吐きながら死んでいたかもしれない、と大袈裟ではなく本気で思っていると動揺しきった様子のいずみっちの声が聞こえてきた。

「り、リン? なな、なななに、な何してんの?」

「私、もっと頑張るね」

 小さく笑いながらリンリンは続けた。

「もっといずみ君のこと、知りたいから。もっといずみ君と一緒にいられるように、頑張るね」

 そんなことを言ってからぱっと離れたリンリンは「きゅ、急にごめんね! も、もうみんなで帰ろうよ!」と慌てた様子で歩き出した。

 まだ部室内にいる軽音楽部の皆様やあたしたちが固まっている中で口元を押さえたいずみっちがかたかた震えだした。

「な、何あの天使……何事……!? え、なにあのサービス、え、なに、え、神様は俺に死ねって言ってるの……? え、リンめっちゃやわっこい、天使」

「ビンタ一発で目が覚めますかね」

「どうせならグーパンかましてやりなさい」

 真顔で尋ねてくる周防に呆れながら返すと「そこ、やめて! とーるちゃんの拳はさすがに嫌だ!」といずみっちがぶんぶん首を左右に振る。残念、目は覚めていたらしい。

 舌打ちしてやりたいのをこらえながら小町ちゃんに振り返る。

「んじゃ、あたしたち帰るね。また明日」

「おう、気を付けて帰るんじゃぞ」

 ひらひらと手を振ってくる彼女に手を振り返しながら軽音楽部と一緒に階段まで歩いて行った。

 段を一つ一つ下りながら、いずみっちがたまたま隣にいたあたしに問いかける。

「んで、リン、マジどうしたの?」

 やたら真剣な顔で聞いてくるので肩をすくめながら答えた。

「部活でね、いずみっちの話になって」

「俺の話?」

「そ。んで、あんたは優しくて気が利いて半身が意味もなく骨になるベースが弾ける死神だということが分かったのだけど」

「……それしか出なかったんだ」

 苦笑しながら頷くと周防と結城の二人と楽しそうに話しているリンリンに視線をやって、「んで、リンが気にしてるんだ。やっぱり天使じゃないか」と自己完結していた。

 それから頭上を見上げて、あーと彼は唸った。

「でも俺、確かにそれしかないかも」

「んなこたないでしょ」

「やー、実際びっくりするくらいバイト漬けだかんね。それでも借金返し切れてないし」

 嫌な単語に自分でも驚くくらいの速さで反応してしまった。「いずみっち、借金あるの?」



 あたしの言葉で自分の口が滑ったことを知ったらしい彼はぷいっと顔を逸らすだけだった。溜め息を吐く。



 さすがに中学からの付き合いになるとそういうところが分かってしまうのが辛いところだ。

「当てようか、リンリン関連だ」

「お、おいら黙秘権を使うでごわす」

「知ってる? 拷問ってね、死ぬほど痛いけど死なないようにやるのよ」

「やめてくだせぇよ魔女さん限りなく目が本気なのが怖いんですって」

 揉み手をしながらこちらを見てくるいずみっちに苦笑する。

 やっと観念したのか、それともはじめから話そうと思っていたのかは定かではないがいずみっちが口を開く。

「人間の寿命伸ばすのだってタダじゃないんだよ。タダでやってちゃあ死神として示しがつかないし。となれば偉いところから買うしかないわけで」

 そう言った彼はやけに寂しそうな顔をしていた。ああ。大体分かった。


 こいつ、リンリンの寿命買ったんだ。


 美里さんの魔法でどうにかなったっていうのは、嘘っぱちで。本当は、借金してまで買ったんだ。頭に浮かんだ言葉をぽつんと口に出した。

「地獄の沙汰も金次第、って奴か」

「そゆことっす。さすがに蒼井っちの魔法だけではいそうですかって引き下がるのも、ね」

 そうなると、疑問が一つだけある。

「じゃあ、なんでそのこと言わないの? リンリンも美里さんも、あくまで美里さんの魔法のおかげだと思ってるけど」

 あたしがそう言えばいずみっちはけらけら笑った。

「いいんだよ、別に。間違ってないから。蒼井っちが否定した分を俺が肩代わりしてるだけ」

「いいことしたつもり?」

「かもね」

 苦笑するいずみっちについ、吐き捨てた。

「馬鹿ね」

 あたしの言葉に、気を悪くするどころかむしろ笑ったいずみっちは、

「そう言ってくれると思ったからおじょっちには話したんじゃないですかやだー。結城なんかに話してごらんよ、俺がなんとかするとか言い出しかねない」

「それは言えてる」

 勝手に高いアイスの名前を出して、勝手に奢られる気満々の相方を見て納得する。

「死神としては失格だよなぁ」

 ぼそっとこぼすいずみっちに「いいじゃない、失格で。あんたが満足なら」

「うわーつめてー、そういうときは『失格なんかじゃない……!』って涙ながらに言うもんっしょ。あーおじょっちつめてー、アイスみたい」

「そんなあたしが好きなんでしょう?」

「く……! よくお分かりで……!」

 わざとらしいほど悔しそうな顔をしてからいずみっちは首を傾げた。


「でもお嬢も、結城のためなら同じことするっしょ?」


 嫌な質問だ。彼を気の利く奴などと評価したことに関しては取り消さなければいけないかもしれない。

 にっと笑いながらそれに答える。

「内緒」

「うわずりぃ、逃げた」

「違うわ。これから仲良くなって知ってちょうだい」

「何そのギャルゲみたいな仕組み。つーかこれ以上ないくらい俺たち仲良しじゃないですか!」

「まだまだ。あたしの好感度メーターはカンストしてないわ」

「手強いさすがおじょっち手強い」

 二人で顔を見合わせながら、小さく笑う。

 ほれ見たことか。また知らないことが出てきた。他人を一から十まで理解してる方が気味が悪いのだ。


「おじょー! 早くいこーぜ!」

「……へいへい」


 それでもそうじゃないと知るとどこか寂しくなるのはなぜでしょう。


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