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創造主な僕たちは華麗な日々しか創れない  作者: 黄昏月ナツメ
一学期:僕たちはまだ夢の中で。
13/36

信じたくないから信じなかった

 眠るのはこの程度にしようと心に決めて瞼を閉じたとき、あたしが設定時間を守れたことは指折り数えるほどすらない。大抵の場合は瞼が一度閉じられたらあたしの体は眠っている時間はプライスレスだと勝手に解釈して睡眠を貪り食うことに専念してしまう。

 結果、外は明るくなる。


 何が言いたいのかと簡単に言ってしまうならば、今回もそれだった。ただそれだけだ。


「ん……」

 瞼を通り越して目に飛び込んでくる明かりが鬱陶しくて寝返りを打った。

 ところが、一回覚醒しかけた意識は、同じように落ちてはくれない。うーと目頭を押さえながら布団の中で丸くなる。目覚ましは鳴ってないんだからまだ慌てるような時間ではないはずだ。

 目覚まし? 眉を寄せる。そもそもあたし、今、どこで眠ってるんだ?

 凄く嫌な予感がして目を開ける。ぼんやりとしていた視界が徐々にはっきりしてきた。

 すぐ真横に、相方が穏やかな顔で眠っている。一秒、二秒、三秒と状況を理解しようと頭をフル回転させてからやがて、混乱に陥ったあたしはその体を蹴り飛ばした。

「顔ちか!」

「おぐふ!?」

 蹲る相方を放って、上半身を起こしたあたしは体に布団を抱き寄せながらせわしなく視線を行き来させた。

 見慣れない天井、見慣れない室内。混乱するあたしの鼓膜を揺らしたのは周防の噛み殺したような笑い声だった。

 振り返って、顔をしかめてから、やっと、思い出した。

 そうだった。魔力不足で倒れていた友人を見舞いに来て、腕を掴まれて逃亡不可能になったから少しだけを言い聞かせたのにばっちり眠ってしまったのだった。

 女子としてあるまじき失態だ。

 まだ面白そうに腹を抱えて笑っている周防の元に歩み寄る。

「おはようこの野郎」

「おはようございます。朝から愉快ですね」

「ふざけんな、誰のせいだと思ってんのよ」

 苛立ちを抑えながらソファに腰かける。

 隣で立ったままの周防は白いワイシャツに黒のズボンというエール霧雨の制服姿だった。

 制服と言えば、と自分の体を見つめてから肩を落とす。そのまま寝てしまったせいで皺だらけだ。髪の毛もどうなってるかなんて考えたくもない。適当に魔法かけて誤魔化そうと心に誓い、改めて笑いかける。

「その様子だと学校に行く気満々みたいね」

「ええ、すっかりよくなりましたから」

 ふーんと生返事しながら制服の裾に手を伸ばす。適当に魔法掛けておけば衛生面的には大丈夫だろう。多分。

 手が触れた場所が淡く光って、寄せられていた皺が伸びる。

 マジカルパワーの便利さを噛み締めていると「何すんだよ馬鹿!」とようやく起き上がってこられた相方がぐいっとこちらに歩み寄ってきた。その頭は寝癖でぼさぼさだ。笑いをこらえながら告げる。

「やっと起きたの? お寝坊さん」

「ああ、お前のおかげで大分睡眠時間が伸びたよこんにゃろう」

「おほほ感謝してちょうだいね」

「誰がするか!」

 むにーっとあたしの頬を引っ張りながら周防の方を見た結城は嬉しそうに笑みを咲かせた。

「周防、もういいのか?」

「はい。東雲くんが魔力分けてくれたおかげで。ありがとうございました」

「気にすんなって、お前には出てきて貰わないと色々調子狂うしさ」

 にこにこと笑いあう二人が微笑ましいような、腹立たしいような。とにかく頬が痛かったので結城の手を引っぺがす。

 あたしから手を引っぺがされた結城はその手を、突然腹部当てるとはぁーと溜め息を吐いた。

「腹減った……」

「カップ麺ならありますよ」

「朝からラーメンはきっついだろ」

 がくっと項垂れる結城を見てくすくす笑ってから「冗談です。パン買ってきましたから、それで我慢してください」ぱぁっと顔を輝かせてから結城が周防に抱き着いた。

「好きです周防さん」

「はいはい」

 傍目から見るとあたしと結城もあんな感じに映るのだろうかと男の友情を観察しつつソファから腰を上げ、机の上に並べられたパンのうちの一個を無造作に拾い上げる。焼きそばパンだった。これもこれで朝から胃もたれしそうと思いながら文句を言えるほどの元気はなかったので袋を開けて口に放り込みながらテレビのリモコンを拾い上げる。

「周防、テレビ観ていい?」

「どうぞ」

 一応家主の許可を得てからテレビをつけると朝の情報番組が流れていた。明るい女の声が響く。

「サイモン犬頭(いぬがしら)のウルトラフォーチュン!」

 どうやらちょうど十二星座占いが始まったところだったようで二位から順番に発表されている。一位と最下位は最後に発表するらしい。胡散臭い。

 蒸しパンを口がぱんぱんになるまでせっせと詰め込んでいた結城は「かに座四位か、まあまあ」と顔をしかめていた。ぶっと吹き出した。

「あんた、占いとか信じるんだ。自分で未来視られるくせに」

「わ、悪いかよ! 俺は自分に関する未来は視ないの!」

 ばんばんと机を叩きながら不満げにする結城をはいはいと適当に受け流す。

「そもそもこういうのって気の持ちようでしょ。占いなんていい結果が出ていいことがあったら当たったって気持ちが先行して悪いことが見えなくなっちゃうだけじゃない。ばっかみたい」

 ぐぬぬと悔しそうにしている結城の横に居た周防がぽつんと「てんびん座出ないな……」とこぼしたのを聞いて顔をしかめる。

「あんたも信じるタイプ?」

「悪い結果が出たときは信じないし、いい結果が出れば信じます」

「勝手だなぁお前は」

 はぁー、と溜め息を吐いた結城はちらりと視線を投げてから「あ、お嬢、ふたご座」なんで人の星座を知っているのかとツッコむのはさておいて渋々、テレビを観る。それから、げっと顔を引きつらせる。

 最下位、という文字の下で双子のミニキャラが涙を流していた。いくら信じないとはいえど、なんとなく気分が落ち込む。

「んー、なになに? 『大きな失敗はしないけどいつもしていることがいつも通りに出来なくなっちゃうカモ! ラッキーパーソンは寂しがり屋さん』だってさ」

「うさぎ人間でも連れて行けばいいわけ?」

 馬鹿馬鹿しい、と焼きそばの入っていた袋を丸めた。病は気からだ。運が悪いと思っているから運が悪くなってしまうのだ。

 次いでテレビの音声が高らかに告げる。「一位はてんびん座のあなた!」思わず周防を見た。

「……なんか、別に占いを信じてるわけじゃないけど目の前で一位になられると凄く腹が立つ」

「それは僕に言わないでください」

 困ったように笑う周防は画面をぼーっと見ながら「『なくしていた大切なものが見つかるでしょう』か」とだけ呟いた。

 時報のあと、占い発表会がもう終わったのかアナウンサーがニュースを読み上げ始めた。それにも関わらず結城の話題はどうやらまだ占いだったらしく「周防、なくしたものあるの?」さあ、と周防が苦笑する。

「自覚はありませんが。あ、一回しか使わないまま有効期限が切れたボウリング場のポイントカードとか」

「馬鹿ね、たかが占いなんだから当たるわけないでしょ」

 ピンポイントでそれが見つかったらそれこそ超能力者か魔法使いを疑わなければならないだろう。あとそれは本当にそこまで大切なものだろうか。

 そうかなぁ、となぜか悔しそうにしていた結城はまたテレビに視線を投げかけてから「おー」と声をこぼした。

「すげー美人……」

 気になったので画面を見てから「あら、二階堂(にかいどう)恭花(きょうか)じゃない」

 不思議そうに周防が首を傾げた。

「ご存知なんですか?」

「ちょっとだけ。天才美人バイオリニストとかって海外の楽団に行ってたって話だけど、帰国したんだ」

 黄色い歓声の中、笑顔で手を振る二階堂恭花がアップで映し出される。

 大きな瞳に長いまつ毛、可愛いと美人の中間のいいところを取ったような顔立ちだった。肩につくくらいの黒髪がくるりとカールしているのがやたら可愛らしい。

「でも巴の方が美人だな」

「はいはい黙ってなさい」

 馬鹿な相方の戯言を適当に処理しながらふと、視線を留めていた周防が気になって問いかける。

「どうしたの周防」

「あ、いえ」

 首を左右に軽く振りながら「どこかで見たような顔だなぁと」

「そういうナンパは目の前に相手がいるときだけ有効なんじゃないの?」

「別にそういうわけじゃ」

「どーせどっかでポスターかなんか見たんでしょ。写真集とかも出てるし」

 腑に落ちない、とばかりに視線を落としていた周防だったものの「うわ、っていうかもうこんな時間!?」という結城の声に黙って椅子から腰をあげていた。




 自転車を押す結城と歩きの周防とあたし、三人で登校したおかげで、朝から向けられる視線が痛い。

 一人のときですら大分こそこそ言われているのに三人揃ったらそりゃあ大騒ぎになるだろう。生徒会とは別の意味で。

 通学路に対して多少の居心地の悪さを覚えつつ学校へ向かっていたのだが途中にある自販機であたしは足を止めていた。

 と、言うのも、原因は今朝、周防の家にいたせいで紅茶が飲めなかったことだ。毎朝の習慣が抜け落ちていた。

 本来なら自販機の紅茶は甘ったるくて苦手なので見もしないのだが今日に限っては違う。とにかく紅茶が飲みたかった。

 しかし、これから部室に行って淹れていたのでは職員室に鍵を借りに行く手間を含めて考えるとどう考えても一限の授業には間に合わない。

 学校の自販機にはミルクティーしかない。今日はストレートの気分なのでそう考えれば学校前のこの道の自販機で買うしかない。

 だが、自販機の紅茶のために百円以上出すのはためらわれる。


 というわけで、自販機の前で腕を組んで悩んでるのが現在である。


「なぁ、お嬢。まだ?」

「待ちなさい今あたしは死活問題に立ち向かってるのよ」

 これでも我が家は一馬力なこともあって裕福な部類とは言えないのだ。しかもあの親は容赦なく茶葉を買ってくるせいでなおさらだ。余計な出費は抑えたい。美味しかったらいいがあたしの経験上、こういう紅茶は八割甘い。どうも苦手だ。

 あたしの肩に顎を乗せながら「なぁーおじょー」「まーだ」

 そんなあたしたちの後ろから「あれー」と明るい声が飛んできた。

「おはよう、みんな!」

 ぱたぱたとこちらに駆け寄ってきたのはリンリンだった。少し後ろでいずみっちが笑顔で手を振っている。珍しくもう一人の守護霊の姿が見えない。

「おはよう、リンリン」

「ちっす」

「おはようございます」

「あ、おはよう周防くん、風邪大丈夫? 恭子ちゃん心配してたよ」

 リンリンの言葉に不愉快そうに顔を歪めながら「ええ、まぁ」と周防が返した。名前だけでもその顔かよ。

「おーとーるちゃん! 生きてたー!」などといずみっちが周防に歩み寄って行くのを見ながらようやく、制服のポケットから小銭入れを取り出した。要は踏ん切りがついたのである。

 小銭入れから小銭を取り出し、投入口に入れる。軽い音を立てながらそれが中に落ちて行くのを確認してからボタンを押した。

 ところが、決死の覚悟で投入した小銭の代わりに出てこなければならない缶が出てこない。ボタンの押しが甘かったのだろうかともう一度押してみるも反応がない。何度も押しても、全く出てこない。

 顔を引きつらせながらおつりのバーを下げるも小銭は返ってこない。がしゃがしゃとバーを下げるのを繰り返しながら商品取り出し口にもう一度手を突っ込んだ。

 あたしの様子がおかしいのに気付いてくれたのか「どうした?」と結城が顔を覗き込んでくる。

 ばっと顔を上げて、「の、飲まれた!」

「え、飲まれたって……あ、金持ってかれたってこと!?」

「ここ数年で一番勇気を出して自販機に小銭を入れたのに!」

 自販の紅茶がトラウマになりそうだ。

 悲しみのあまり、うおおお、とその場で蹲る。

「何やってんの?」

 頭上から冷たい声が飛んできて、混乱していた頭が少しだけ冷静になった。

 顔を上げると巴夏菜がこちらを黙って見下ろしていた。

「お、おおおお、おはよう巴!」

「おはよう東雲くん」

 にこっと結城に笑って挨拶を返した夏菜は髪を耳にかけながら不思議そうに首を傾げた。

「私、なんかおかしい?」

「べ、別に!? きょ、今日も変わらず美人、いや、ちが」

 一人で勝手に混乱している結城を見て夏菜はくすくすと笑って「面白いなぁ、東雲くんって」とだけこぼしてから「そんなことより」と改めてあたしに向き直った。すでにその表情からは笑顔が消えていた。

 また一人で落ち込んでいる結城にもう目もくれず、夏菜は淡々と言い放つ。

「飲まれたの?」

「……悪い? 飲まれたわよあたしの百三十円!」

 吠えてやるとはっと夏菜は笑い飛ばした。

「ざまぁ」

「うるさいわね! 何よ、馬鹿にしにきたんならさっさと学校行きなさいよ!」

 我ながら情けないくらいきーきー騒ぎながらまた自販機を向き直っていると「下がんな」

「はぁ?」

「いいから下がれ。怪我するぞ」

 意味が分からん。

 しかし、何か策があったわけでもない。数歩、自販機から離れるとその瞬間、夏菜は自販機の体の横に足を回し、蹴りつけた。

 自販機が、がごん、と鈍い音を立てる。その場にいた全員に沈黙が訪れた。

「ちょ、ちょちょちょ、夏菜……?」

「ここの自販機、よく金飲むんだよ。生徒会にも何回か相談されたし。大抵こうすると詰まってるのが出てくるんだけど」

 受け取り口に突っ込んでいた手を引きぬいてから夏菜はぽいっとそれを投げてきた。

 慌てて受け止めるとあたしの手の中に紅茶の缶が収まっていた。

「次から自分でやりな」

 自販機の自分が蹴りつけた部分に手を当てながらそう言った夏菜にぼそっと言う。

「あんた、意外と親切よね」

 瞬間、ぐわっと夏菜がこちらを振り返った。

 その顔は真っ赤に染まっている。

「な、なに、なに言って、ふざけんな! だ、誰がお前なんかに……!」

 あたしに親切だと言われるのが顔を真っ赤にするほど頭に来るらしい。そこまで嫌われてしまうとさすがに悲しい。

「ごめんなさい、うん、思ったことを素直に言っただけだから。ただ嫌いな奴相手でもこうやってしてくれるの、あんた案外いい子だなって。そういうとこ嫌いじゃないかなって」

 なんてあたしに好かれても迷惑だろうが。

「き、嫌いじゃないって好きってこと……!? 好き……すす!?」と一人であたしの言葉を解析しながら怒りからか、まともに言葉も発することができていない夏菜に悲しさを覚えつつとりあえず缶のプルタブに手を掛ける。

 この際甘ったるくても何でもいい。とりあえず口に何か入れたい。

 ただそれだけを望んでいただけだったというのに。


 ごっと何かが背中にぶつかってから通り過ぎて行った。びっくりしてプルタブにかけていた手を離す。

「うおう!?」

 奇妙な相方の声が聞こえて振り返ると黒いワンピースを着た女がぴったりと結城の背中にくっついていた。状況が読めず、両手が塞がっているのが嫌だったので咄嗟に紅茶を自販機の横にあった木箱の上に置いてから改めて結城に向き直る。

「え、なに? なんで俺急に知らない人に抱き着かれて……」

「助けてください!」

 美しい声が確かに助けを求める言葉を紡ぎ出す。結城の背中の引っ付き虫に「助けるって」といずみっち。

「何から」

「あれ……」

 そう彼女がどこかを指差す前に、金属の音が響く。

 音の方を見ると木箱の上にあった紅茶が宙に舞っていた。間もなく地面に叩き付けられたそれに丸い穴が空いている。拳銃だった。間違いなく、拳銃だった。

 恐らく弾丸が飛んできた方を見れば黒いスーツにサングラスといういかにもな服装の男二人がこちらに銃の照準を合わせている最中だった。

「大人しく彼女をこちらに引き渡せば君らを撃たない。約束しよう。東雲結城クン?」

 男Aがそう告げる。

 ぎゅっと引っ付き虫が結城のワイシャツを握る力を強めていた。その彼女を見て結城は溜め息を吐いてから「嫌がる女の人、そんな物騒なもの突きつけながら連れて行くなんて感心できないんですけど。あと俺あんたに名乗った記憶ないッス」と男二人を睨み返した。それに続くかのように夏菜が告げる。

「悪い大人の指図を受ける筋合いはないね。場合によっては出るとこ出てもいいんだけど?」

 頭を抱えた男Aが、今度はきれいごとを言ってきた。

「君らに風穴は開けたくない」

「銃口向けながら言われても説得力皆無ー」

 けらけら笑いながらいずみっちがリンリンの目の前に体を滑り込ませた。恐らく庇うつもりだろう。

 周防も無言で、男二人を睨み付けている。やるならやってやろうじゃないか、そういう雰囲気だった。

 結城が肩をすくめて笑う。

「すいません、そっちも俺らが何かは分かってるみたいだし、手荒なことはしたくない。仲良くしません?」

「君らが彼女を渡せばだ」

「だからそれができねぇって言ってるんだよ。胡散臭いサングラスのおっさんなんて誰が信用す――」

 そこで、あたしの口が開いた。

「あたしの……」

「え?」

 ぼそっと、思わずあたしの口からこぼれでた台詞に結城がびっくりしたようにこちらを振り返って来た。

 男たちもなんだなんだとこちらを見ているのが分かる。そんな中で凄く素直なことで定評のあるあたしのお口が言葉を続けた。

「あたしの百三十円……」

「お、お嬢さん?」

 ひらひらとあたしの目の前で結城が手を振る。

 その手を叩き落としてから男二人を睨み付けた。

「よくもあたしの百三十円を……! 学生の百三十円の重みを知らない奴は地獄に落ちろ……! 金と命と食べ物を粗末にする奴は一遍死ね! むしろ百回死ね! もう百万回死ね! 率先して死ね!」

 紅茶を飲んでないせいでなおさら腹が立っていた。

 手を叩くとわっと蝶たちが三十匹近く現れた。唖然とする男たちを置いて指差してやると一斉に蝶たちが飛びかかって行く。

 太陽の光を反射させ、白く輝く鱗粉を撒き散らしながら右へ左へ、交差しながら男たちの周りを飛び交う蝶を見つつ引っ付き虫女の手を取ると「何ボケっとしてんの、走るわよ」

 え、え、と戸惑う彼女をどう引きずって行こうかとグズグズしていると手下たちの包囲網が呆気なく突破されてしまったようで「構わん、やれ!」という怒声と共に足元に弾丸が撃ち込まれた。

「リン!」

 ばっとリンリンを抱き上げてからいずみっちが後ろに飛びのいた。

「なんなのよ!」

 だああ、と頭を抱えながら鎖で鉛玉を弾き飛ばす。顔をしかめながら後ろ三人に振り返る。

「誰かリアル弾幕ゲーできる人?」

「いや、さすがにこれは……」

 顔を引きつらせる結城にそりゃそうか、と溜め息を吐く。

 いつの間にか五人に増えた男たちが一瞬の隙もなく、銃弾を撃ち込んでくる。あたしも防ぐので精一杯だ。無傷での突破は無理だろう。

 ここで大分パニックだったのか東雲さんが妙なことを言い出した。

「け、警察を呼ぼう……!」

 アホ言え。

 この辺りは人通りが少ない。車もほとんど通らないのだ。エール霧雨学園があるから、という理由は恐らく間違ってはいないだろうと思っている。

 それを分かっているからだろう。向こうも容赦がない。

 そこまでして彼女を追いかける理由はなんなのか。戸惑っていると連中の手に握られていた銃に太陽の光を反射させながらレイピアが突き刺さった。

 次々と銃が叩き落とされていく。


 同時に、目の前にふわりと創造主が降り立った。


「リンに銃口向けるとか即効極刑レベルですよああん!?」

 ドスの利いた声が聞こえてきた。

 男たちが顔を見合わせながらその場から離れていく。それを見ながらリンリンが声をあげた。

「美里ちゃん!」

「リン、無事? 無事ぞな? あといずみ何てめぇさり気なくお触りしてやがる」

 先ほどの声とは比べ物にならないほど不機嫌そうな声にどやぁ、といずみっちが笑った。

「羨ましかろう?」

「死ね!」

 キーッと叫ぶ美里さんがいつも通り過ぎて安心した。

 それから、こちらに振り返ってから「とにかく行こう」と駆け出した。




 ひとまず校門を越えてしまえば大丈夫だろう。




 門に滑り込んだあたしは引っ付き虫の手を離して、その場で膝を押さえる。息はわずかに上がっていた。激しく胸を打つ。ときめきではなく、どう考えても動悸だった。

「なんなのあいつら」

「少なからず、こっち側なのは間違いないだろうけど」

 抱き上げていたリンリンをその場で下ろしながらいずみっちは校門の外を睨み付けた。

 東雲結城の名前がすぐに出てくる。大体、こうなると十中八九、相手は人間ではない。

 ならば誰だ? こんな市街地で銃取り出してくるんだから頭のおかしい連中には違いないが。

「とりあえず俺のリンに銃口を向けた時点で即効冥府にお導きレベルの大罪なんだけど今からお二人様ご案内してきていいかな」

「やめとけ、いずみ」

 大鎌を取り出して、校門を出ようとするいずみっちを結城が止める。

 猛ダッシュしたせいで疲れたのかしゃがみ込みながら、胸を押さえながら小さく肩で息をする引っ付き虫を覗き込む。

「それで? あんたはなんだってあんなのに」

 その顔を見てから、目を見開く。

 大きな瞳に綺麗な黒髪、長いまつ毛をぱちぱち上下させている。

「二階堂、恭花」

 ぼそっと呟くと彼女がこちらを見上げた。

 間違いない。今朝テレビで観たばかりの顔だ。

「え? なに? 知り合い?」

「いや、そういうわけじゃ」

 怪訝そうに顔をしかめる夏菜に首を左右に振ると勢いよく立ち上がった彼女があたしの両手を掴んだ。

「エール霧雨学園の生徒さんですよね」

「え、ええ……」

 顔を引きつらせながらそもそもここにやって来たのだからそらそうだと思っていると今まで顔を俯かせながら黙っていた美里さんがやっと口を開いた。

「恭花姉さん」

「姉さん?」

 不思議そうにリンリンが首を傾げた。

「姉さんって、美里ちゃん、一人っ子じゃ」

 しかし、あたしたちが各々抱く疑問に答える気はないらしくカバンの中から可愛らしい封筒を取り出しながらまくし立てた。

「どういうこと!? うちの表に二階堂の人間がいた! おまけにうちの母ちゃんこの手紙読んで悲鳴あげたよ! 何が起こってんのさ!」

「落ち着いて蒼井さん!」

「止めんな徹!」

 彼女に掴みかからんばかりの美里さんを周防が止めていると二階堂恭花は驚いたように周防を見返した。

 それからあたしたちを見比べて「やっぱり、そうなんだ」

 なんだ。美人バイオリニストにすら悪行が知れ渡ってしまっているのか。だが、魔力の反応がない。相手はただの人間だ。

 そんな馬鹿なことがあってたまるか。考え込んでいると彼女は一歩、こちらを歩み寄ってから頭を下げた。

「改めて、お願いさせてください」

 震えた声で彼女が続ける。

「私、二階堂恭花と言います。二階堂……」

 いや、と彼女が首を振り、突然、この場にいない彼女の名を呼んだ。

「白咲恭子の、姉です」

 ぎょっとその場にいた全員が視線を向ける。

 周防には見覚えがあるはずだ。散々間近で見てきた顔の親近者なんだから。

 誰かが何かを言うよりも早く、彼女がさらに頭が痛くなるような台詞を放った。

「どうか、妹を、助けていただけないでしょうか!」


 ……誰を、なんだって?




 一限目の授業に出ることを完全に放棄して、恭子の姉だという二階堂恭花とあたしたち――たまたまその場に居合わせてしまったがために百三十円を失ったあたしたちは職員室の奥にある応接間に詰め込まれた。

 表の騒ぎを聞きつけた教師にどうにかしろという命令を頂いてしまったのだった。

 たまたま一限に授業が入っていなかった小町ちゃんが盆に湯呑を乗せて入って来た。二階堂恭花の目の前に置かれた湯呑の中を確認してから顔をしかめる。

「小町ちゃん、紅茶はないの? 紅茶」

「安心せい、主の分ははじめからない」

 ぽこんとアルミ製の盆であたしの頭を叩いてから「しっかし」とまじまじ彼女の顔を見て腕を組んだ。

「あやつにこんな姉がいたとはのう」

「それも含めて色々教えて貰おうじゃん」

 ソファの上でふんぞり返っている夏菜は彼女を見て、次いで美里さんを睨み付けた。

「そこの馬鹿も何か知ってるみたいだし? この私を巻き込んだからには黙ってられると困るんだよね」

 とかなんとか言いながらこの子はちゃっかり恭子の心配でもしているタイプだろう。あたし以外にはびっくりするくらい優しいから。

 今まで黙り続けていた二階堂恭花がわずかに顔を上げてから口を開いた。

「二階堂家は元は名家でした」

 始まったのは、身の上話のようだった。

「もっとも、今はその名声も地に落ちて、他の家に比べれば財産があるわけでもない」

 でも、と彼女は顔をしかめた。

 何かを恥じるような、疎ましく思うような表情だった。

「家の人間のプライドだけは高くて、だから私と恭子ちゃ……恭子は昔から、ずっと、厳しい教育を受けて来ました。勉強や芸事は勿論、友好関係すら二階堂の人間たちは私たちを支配しようとしました」

 彼女が、おっそろしいことを淡々とした言葉で言うのは何も思わないように努めている。そんな印象を受けた。

「そんな生活を続けてきたせいか、私の中で溜まっていた感情が」

「呪祖になった?」

 問いかければ、こくんと彼女が頷いた。

 無理もない。自分の感情を押し殺す人間ほど、反動で呪祖を生みやすい。逆に普段から感情を表出しにできる人間ほど呪祖に回すほど自分の中で感情を溜めこまない。溢れだした感情が具現化するのだから溜まる感情がなければ、呪祖は生まれない。

 家に縛り付けられた人間が呪祖を生むのはありがちな話だ。


 ところが、彼女の話には続きがあるらしかった。


「その呪祖を倒すために、恭子は今まで隠し続けていた創造主としての力を私や二階堂の家の人間の前で使いました」

 思い出したくないことらしく、そこでやっと彼女の声が少しだけ重たくなった。

「両親は恭子の力を恐れ、化け物と罵って、家の中に閉じ込めました」

 人は、自分の想像を超える力を目の当たりにしたとき、それを恐れ、排除しようとする。

 それしか防衛手段を持たないのだ。愚かだ。愚かだけれど、どうしようもない。

 不思議なことじゃない。ただ恭子の両親もそうだっただけ。あたしたちのように公認になっている方が珍しいくらいだ。だから創造主たちは普通の人間に隠れ、こっそりと生きていく。何も創造主だけじゃない。世の中の、大衆的な人類から逸脱した力を持った者たちは皆、その愚かさを心のどこかで知っていて、隠れて生きていく。全てを捨てる。

「そんな……恭子ちゃんは、普通の女の子で、化け物なんかじゃ」

 口元に手を当てながら真っ青になるリンリンの背を撫でながら「そいつを強引に連れ出したのがわたくしでごぜーますよ。その結果、恭子は名前を捨てて、中学の頃はうちに居候。今は一人暮らし。人生波乱万丈完」と美里さんが答えた。

「おかげで蒼井さん未だに二階堂の人間に恨まれてんの。ま、向こうも怖くて手は簡単に出せないみたいだったんだけど」

 と、先ほどから握りしめたままだった封筒を叩きつけながら「それがこれよ。どういうことさ」

 その封筒に一番最初に手を伸ばしたのは周防だった。何も言わずに花柄の封筒を開くと中から便せんを取り出した。

 そこには可愛らしい丸文字で、

『迷惑かけてごめんね』

 とだけ、謝罪の言葉が書かれている。封筒に消印がないところを見ると直接家のポストに投函したか、魔法を使ったか。多分後者だろう。

「それで試しに電話かけてみたら繋がらない、家の前は二階堂の人間が見張ってる。どういうこと?」

「両親が恭子を連れ戻しました」

「なんのために? 化け物の娘なんて帰ってこない方がいいでしょ。逃げてくれて、名前も捨ててくれたなら放っておいた方が都合がいい」

「夏菜ちゃんそんな言い方」

「こっちでどう取り繕うが向こうはそうとしか思ってない」

 リンリンの言葉に夏菜がきっぱり言い返すと、彼女は言葉を飲みこんだ。後ろの守護霊たちの機嫌がちょっとだけ悪そうだった。ちょっとくらいブレろ。

御代田(ごだいご)という家があります。うちと違ってまだそれなりに名があります」

 それから彼女は目を伏せつつ、「元々今の当主殿は凄くいい方で、私が海外に行くことができたのも、恭子ちゃんがあの家から逃げるのを美里ちゃんと一緒に手伝ったのもその人だったんですけどその彼が倒れられて」

 うるんだ瞳を腕で拭ってから「今は次期当主が御代田を仕切っている状態なので、その当主が写真で見た恭子を酷く気に入ってしまって。彼女を妻に出来るなら一緒になっても構わないと」

「……次元の違う話すぎて頭がクラクラしてきた」

 頭を抱える結城にあたしも倣いたくなった。

 なんだろう、この昼メロとアクション映画とライトノベルが一緒にやって来てしまった感じ。

 やっとわかった。ここ最近、あたしが感じていた彼女への違和感の正体は、これだったんだ。

 自分の不甲斐なさに反吐が出る。だからこんな厄介が降りかかるんだ。

「おかしいだろ」

 相方が、やっと吐いた言葉がそれだった。制止するために放てた言葉は彼の名前だった。

「結城」

「おかしいだろそんなの! だって白咲には周防が」

「結城」

「なんで白咲もそんなとこに」

「黙りなさい結城」

 いつものを言える余裕さえなかった。これ以上、こいつに喋らせたら駄目だ。余計なことしか言わない。

 助けてくれ。恐らく、二階堂恭花はあたしたちに恭子を連れ戻せと言っている。だが、ただ単に強引にこっちに引き込んで、納得するような子じゃない。

 それだったら初めから、そんな場所に行かない。死んでも拒絶する。それがあたしの知ってる白咲恭子という女の子だ。

 気になって周防の方を伺ってみると彼ははじめて会った頃と同じような、なにも読み取れない表情を浮かべていた。違ったのは笑顔ではなくて無表情だったことくらいだ。

「それは助けてくれと言われなければならないほど恭子にとって不幸なことかしら」

 びくっと二階堂恭花が肩を跳ね上がらせる。

 何か言いかけた結城を制止しながら「こんなところで毎日毎日怪我しちゃうような授業受けて、死ぬ覚悟で呪祖と戦うより、あったかいおうちでお金持ちとして生活している方が現実的には幸せでしょ?」

 両手を広げて見せると恭花さんが完全に黙り込んだ。

「振り向いてくれない誰かさんを追い求めるより、自分を気に入ってくれる人を選びたくなるもんでしょ」

「…………」

 その誰かさんがだんまりなんですがこれは。

「それが恭子の幸せだというのならそれはそれで構わないんじゃなくって?」

 なんて。

「けど」

 ふぅ、と息を吐きながら告げる。

「あたしは、自分の耳で聞くまでそれが恭子の幸せかだなんて分からない。だってあたし恭子じゃないし?」

 ばっと、結城がこちらを振り返る。その表情は、いつにも増して嬉しそうだ。ええい、鬱陶しい。どうせここであたしが何を言ったところで結論は変わってないだろうに。

 素直に引き受けるのは、それは、恭子の行動を否定しかねない。友達を批判するだけだなんてあたしは嫌なんですの。だって友達想いですものアテクシ。

 さあ、心の中の建前もばっちりだ。

「それに、あんたはあの子に貸しがあるんじゃなくって?」

 ぽんぽんとだんまりだった周防の肩を叩く。

 はは、と彼が乾いた笑い声をあげた。

「ありすぎて困るほどですよ」

 それから自分の手の中にある便せんを睨み付けながら、低く告げた。

「耳揃えて返すまで誰が逃がしてやるか」

 それじゃあ珍しく。真面目に、とっても真面目に、やってやろうじゃねぇか。

 他の連中も首を突っ込む気だけは満々らしい。「んじゃ」といずみっちが明るく告げる。

「作戦会議といこーぜ!」

 不条理は受け入れても、不可解は認めないのがあたしたちのようである。

「小町ちゃん、早退届!」

「主らは……」

 結城の言葉に呆れたように溜め息を吐きながら小町ちゃんは一旦職員室の方へと引っ込んだ。




「今日、本宅で婚約発表のパーティがあります。多分、来客としてなら簡単に忍び込めるかと」

 多少強引ではあるものの早退届を受理して頂き、無事に学校から早引け扱いとなると恭花さんがそう教えてくれた。

 夏菜たちとは別行動になって結城がぐちぐち言っていたものの、とにもかくにも胸を張りながら堂々と学校をサボれることになったので早速二階堂家に忍こむことになった。

「で、なんで着ぐるみ?」

 あたしの手元にあるアザラシの頭を見つめながら『二階堂恭花』が顔をしかめた。

 もっともこの恭花さん、あくまで周防が成り代わっているだけで中身はドS畜生の呪祖である。

「手っ取り早いかなって」

 あたしたちだとバレたら入れて貰えないどころかとっ捕まってしまいそうだ。

 おまけに朝大暴れしたおかげでお顔も知られてしまったことだろう。ごちゃごちゃ変装を重ねるより顔ごとごっそり隠してしまった方がいい。

 つぶらな瞳のアザラシの頭と見つめ合ってから「可愛いでしょ、アザラシ」とそれを被る。

 頭を抱えて溜め息を吐く周防(見た目は恭花さん)に「ほら、笑いなさいって。あんたがバレたら全部おじゃんなんだから」

「それよりなんで俺は女装せにゃならんのだ……!」

 あたしの肩をぐぐっと掴みながら忌々しげに告げたのは結城だった。

 黒い長髪のウイッグをかぶり、ひらひらしたドレスを着て、さらにはつけまつ毛や口紅を塗られたその姿は黙ってさえいれば女だと言って十分通用するものだった。

 肩に食い込む手をそっとどかしながら優しく伝える。

「だから、あたしたち顔が割れてるんだって」

「だからって、女装じゃなくていいだろ!? 俺も着ぐるみがいい!」

「駄目よ、着ぐるみが二人いたらただの怪しい二人組じゃない。それに可愛いかどうかはさておいて女の子がいたらまさか令嬢狙って乗り込んできた魔法使いとは思うまいよ」

「なんだよその理由!」

 ぽかぽかと叩かれながら分からず屋、とだけ吐き捨てると結城がさらに吠える。

「ふっざけんな! 傍から見たら俺ただの変態じゃねぇか! 巴なんかに見られたら……」

「大丈夫よ、夏菜はあんたの性癖どころかあんたそのものにほとんど興味ないから」

「知ってるけどそういうこと言うな!」

 わーきゃーやってるあたしたちがいい加減鬱陶しくなったのかおほんとわざとらしく周防が咳払いをした。

 アザラシの着ぐるみと女装野郎が口喧嘩するという奇妙な事態が収まってから周防が改めて二階堂邸を仰ぐ。

 高い塀に囲まれた洋風の建物に次々と高そうな外車が入って行く。さすがに元々はお金持ち一族なだけはある。

「どういう悪いことしたらこういう家が建つのかしら」

「建てたいんですか?」

「あたしは自分で買うなら平屋でいいや」

 そんなくだらない会話をしながら敷地内に一歩踏み込んだ。

 周防を先頭にしてただっぴろい玄関までの道を歩きながら「なぁ、俺、絶対男だってバレるって」とこそこそ結城が話しかけてきた。

「バレたらバレたでいいんじゃない? まさか世紀の大天才が女装好きの変態だとは夢にも思わないでしょ」

「人が普段から女装してるみたいな言い方すんな」

 ちっと舌打ちする結城ではあるものの、まずバレないだろうとは思う。

 元々、結城は男にしては少し小柄な方なので女の子だと言えば少しガタイがいいくらいで説明できる。肩幅の広さもドレスの質感でどうにか誤魔化してはいるし、何より丁寧に化粧したおかげで顔が綺麗だ。あとは彼がいかに女になれるかが問題である。

 胸に詰め物はしたし、言いきればどうにかできる。多分。

「しっかし、女って、いっつもこんなの揺らしながら生活してるんだから大変だよな」

 自分の胸元を見つめながら小さく溜め息を吐く結城に「個人差はあるけどね」とあたし。

「……そういえばお前ってよくよく思い返すと結構胸あるよな」

「セクハラ」

「二人とも」

 屋敷の入り口についたところで周防が再びあたしたちを制止した。

 顔を引きつらせる結城に一発肘鉄をかますのと同時に周防が中に踏み込んだ。

 瞬間、歓声が上がる。

「恭花さま! どちらに! 奥様も旦那様もご心配されておりました!」

 スーツに身を包んだ若い男性が周防(見た目は二階堂恭花)の手を握りしめた。

 特に動揺した様子もなく、にこりと微笑んだ周防は「ごめんなさい。せっかく恭子ちゃんのおめでたい席だから余興をしてくださる方がいた方がいいかと思って」

「それでしたらわたくし共で手配致しましたものを」

「可愛い妹のために自分で何かしたかったんです。私の個人的なお友達です、お通しして」

「はぁ……」

 困惑したようにこちらを見る男に一番最初に動いたのはあたしだった。

 ぺたぺたと彼に近付いて、ぺちぺちとその背を叩く。

「オサカナクレ、クレ」

 そうして、一体喉のどのあたりから出ているのか自分でも分からないような声を出しながらそう、ねだってみた。

 ぶっと周防と結城が同時に吹き出しているが幸い、男はあたしに驚愕の視線を向けるのに忙しくて気付いた様子はない。

 その次に笑いを押し殺した結城が黒い髪を耳にかけながら無言で彼を見返した。ぐっと黙り込んだ彼はやがて、何故か頬を赤く染めてから「それでは、どうぞ、こちらに」とあっさりあたしたちを通してくれた。

 無理もない。まさかあの二階堂恭花が中身は呪祖野郎だなんて誰が思うだろうか。

「こちらのお二人を」

「はい」

 お茶汲み女中か何かであろう女がぺこりと頭を下げてあたしたちの先を歩く。

「さあ、恭花さまはこちらへ。まずは旦那様たちにお会いしてください」

「はいはい」

 がっくりと肩を落とした周防はちらりとこちらを振り向いてから一度だけ頷いた。

 ここで周防と別行動になるのは想定内だ。彼はあくまで二階堂恭花としてこの場では行動する。

 小さく手を振り返しながらそれに返す。問題はここから先だ。

 案内されるがまま向かった先は大きなホールだった。金持ちの家にはこんな恐ろしいものがあるのかと頭が痛くなるのを我慢しながら辺りを伺う。

 すでに来客がたくさんいるようで皆がグラス片手に談笑している。数人に好奇の視線を向けられているが問題ではないだろうと言い聞かせる。小奇麗なドレスややたら高そうなスーツに身を包み、一体いくらするのか頭痛がするから考えたくないシャンデリアの下で笑い合う老若男女は裏事情さえ知らなければさぞや煌びやかに映ることだろう。

 庶民の心臓にはあまりにも恐ろしい光景だったので逃げ出したいあまり、次に用意していた台詞を早めに吐き出す羽目になった。

「オテアライ、カシテクダサイ」

 再度あの声でそう言えば結城が口元を手で押さえながら睨み付けてきた。笑う方が悪いんだ。

 女中さんはやはり困惑したような視線をこちらに向けてからやがて頭を下げて、「でしたらあちらの突き当りを右に曲がっていただけばございます。どうぞごゆっくり」とだけ言って逃げるように立ち去ってしまった。

「アリガトンソクネ」

 ぐいっと結城の腕を引っ張りながら言われた通りの方へ向かう。途中で彼が「どういうキャラ設定なんだよそいつ」とか言っていたが無視しつつである。

 逃げ込むように二人でやっぱり広いトイレに入ってから鍵をかけて、ぽふぽふ頭を示す。それだけで結城は察してくれたようで着ぐるみの頭を外してくれた。

 空気が涼しい。息を吐きつつ額に滲んだ汗を拭い、小さく呼びかける。

「七号」

 目の前が一瞬だけ青白い光に包まれた。

 その光が晴れた頃には、そこに目的の『彼女』が立っている。

 黒い髪を揺らしながらいかにも性格悪そうな顔をした彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返してからにいっと口元で笑みを作った。ねっとりとした嫌な笑顔だった。

「急な呼び出しにも応じる完璧呪祖、セブンちゃんでーす」

 同じ顔が奇妙なことを言っているような気がするが相手にしないことにした。

 彼女はここがどこなのか把握しようとしているのかきょろきょろ辺りを見渡してから結城のところで視線を留め、目を大きく見開いた。

「やだ、ゆーきぃい! どうしたのぉ、すっごく可愛いぃ……!」

 くねくねしながらあたしの相方に気持ち悪い声音で迫る『あたし』にもう嫌悪感しか覚えない。

 七号は、結城が大層お気に入りだ。元々、あたしの結城への嫉妬と羨望から生まれ、彼を手に入れるために具現化しかけたのだから納得できるといえばできるのだが、そりゃもう同じ顔が結城に大好きオーラを振りまくのは気持ち悪い以外の何物でもない。こんな感情があたしの中で燻っていたなど絶対に信じたくない。

 もっとも彼女が欲しているのは東雲結城そのものではなく、彼の才能だ。

 顔を引きつらせながら結城は頭を抱えた。

「ほっとけ……」

「えー嫌よぉあたしが結城をほっとくなんてできないの……あなたが欲しいの」

「あたしの相方にベタベタすんな気持ち悪い」

 結城の胸に自分の顔を押し付ける七号に脱ぎ終わった着ぐるみを投げつけながらきっぱり言い放つ。

 投げつけられたそれをキャッチしてから七号はつまらなさそうに顔をしかめたかと思うと、あたしに向かって冷ややかな視線を向けてきた。

「邪魔しないでくれるかしら、久々の再会で愛を確かめ合ってる最中なんだけど」

「愛? あんたが欲しいのは結城じゃなくてそいつの魔力でしょ」

「んふ、さすが『あたし』。自分の考えてることはよく分かってるか」

「次やったら潰すわ」

「出来ないくせに」

 くすくす笑う彼女が腹立たしくて小さく舌打ちした。

 それから彼女は「で?」と首を傾げた。真横に左手を突き出しながらそれに合わせてあたしも首を傾げる。

「で、って?」

「なんでこんなものを渡されたのか分からないのだけど」

 心底不思議そうに手元の着ぐるみを示す七号に笑う。

「あら、そんなことも分からなかったのかしら?」

 むっと七号が顔をしかめる。

 喧嘩するなよとばかりに不安げにこちらを見る結城に苦笑する。仕方ないだろ、こいつとあたしは根本的に合わないんだ。絶望的に相性がいいはずなのに。

「あんたの体、貸しなさい」

「はぁ?」

「着ぐるみに入ってあたしのフリをして」

 はぁ、とわざとらしく溜め息を吐いてから「それは恭子に会うため?」

 なんだ、話聞いてたんじゃないか。

「そうよ」

「……分かったわよ」

 舌打ち交じりに着ぐるみに手を掛ける彼女が存外素直で驚いてしまった。もう少し渋るかと思っていたのに。

「勘違いしないでよ」

 着ぐるみに袖を通しながら七号が不満げに告げる。

「あの子、結構お気に入りなの。だからどこの馬の骨とも知らない馬鹿にとられるのが不快なだけよ」

 信じられないことにあたしと同じ考えだったらしい。

 驚きを隠しながら、いつの間にか左手に転送し終えていた黒いローブを羽織りながら小さく答える。

「別に勘違いなんてしないわよ」

 自分のことくらい自分が一番分かってる。




 ローブで頭をすっぽりと隠しつつ会場から抜け出した。

 着ぐるみをばっちり装着した七号はあっさりあたしたちがやり取りしている間にやって来たらしいちびっこ軍団に周囲を固められて珍しく悲鳴を上げていた。ざまぁみろ。

 いかにも怪しい着ぐるみがあの場にいる限りしばらくは大丈夫だろうと思いながら廊下を歩く。

「で、どうするよ」

「上を調べるわ。恭花さんが二階にいるはずだって言ってたから」

「……上ねぇ」

 壁から少しだけ顔を出して階段の方を二人で伺う。

 恐らく家の人間が控えているのだろうが強面の男が二人並んで立っている。正面から通してくださいと言って通してくれそうにもない。

「どうすんだよ、あれ」

「上から誰か来ないか見張ってて」

「え?」

 驚いたように見返してくる結城に何も返さずに一歩踏み出す。

 あ、ちょ、と伸ばしてくる手を振り払って男たちの前に躍り出た。

 低い声があたしに警告を放つ。

「ここから先は立ち入り禁止です」

「ああ、大丈夫よ」

「いえ、大丈夫では――」

「平気なの」

 ぐいっと男の顔を引き寄せて、じっとその目を見据える。

「ここのお嬢さんのお友達なの。会わせてくれないかしら」

 その目から光が失われる。久々に使ったが、上手く行ったらしい。口元を思わず緩ませる。

 もう一人が「おい?」と不審そうにこちらを見つめている。素早くそちらの瞳も見返す。

 ぴたりと、その体が動きを止める。まるで操り手がいないまま吊るされた操り人形のように虚ろな目でこちらを見返す二人ににこりと笑いかける。

 右手を後ろに回し、くいくいっと指を動かし相方を呼びつける。恐る恐る、近付いてくる結城を確認してから小さく語りかける。

「あたしたちは特別なお客様よ。通しても問題なし。いいわね?」

 こくんと、二人同時に頷いた。ぎょっと結城が目を見開いて間抜け面を浮かべているのが面白い。

 黙って道を空ける二人の間を通って階段に足をかけるあたしの後ろを一層歩き辛そうにしながら結城がついてくる。

「な、何したんだよお前」

「別に。ただの幻覚魔法の応用よ」

「……洗脳?」

「嫌だーそんな物騒な呼び方しないで」

 両手で頬を押さえながら笑う。

 実際それに近しいものだから全てを否定出来るわけではないのだが。

「格好と相まってお前をはじめて、心の底から魔女だと思った」

 引きつった顔でこちらを見る結城に謝罪の気持ちだけは伝えておくことにした。

「帰りには解いていくから許してちょんまげ」

「おっさんか」

 そんなやり取りをしながらあたしが先に階段を登り終えたのでまだ手こずり気味の結城に手を伸ばす。

「どうぞ、お嬢さん」

「生憎魔女の手助けはいりませんの」

 フラれた。

 なんとか階段を登り終えた結城ががに股でぜぇぜぇ息をするのを聞きながら一番近くにあった部屋のドアノブに手を伸ばす。

 鍵でもかかっていたらまた魔法を使わねばと思ったが不用心なことに開けっ放しだ。

「きちんと部屋の鍵をかけないと怪しい輩が入っちゃうわよ」

 あたしは全然ちっともこれっぽっちも怪しくないのでありがたく侵入させていただく。

 中に恭子は居なかった。どうやら客間だったようで大きくてやっぱり高そうなソファとガラス製の机や木製のまるで社長机のようなものが並んでいて、適当に本棚や装飾品が並べられているだけの部屋だった。

 机の上には無造作に宝石箱が広げられている。真珠のピアスや緑色の宝石の付いた指輪など見るだけでクラクラしそうだ。庶民でよかった。

 本棚に手を伸ばし、一冊を手に取ってからぱらぱらとめくる。

「お嬢? 何してんだ?」

「お姫様を助けに来た勇者は家探しするのが基本でしょ」

「お前な!」

 ばっとあたしの手から本をふんだくった結城は元の場所にそっと戻すとあたしを睨み付けた。

「お前、何しに来たんだよ!」

「恭子と話をしに来たのよ。それくらい分かってるわよ失礼ね」

「なんで白咲と話をするプロセスに家探しが含まれてるんだ!」

「お金持ちでもへそくりくらいするでしょ?」

「そういう問題じゃねぇよ! あまりにも鮮やかすぎてびっくりしたわ!」

「そのプロセスはわずか三秒に過ぎない。では家探しプロセスをもう一度――」

「やらんでよろしい!」

 残念、宇宙刑事でもこの危機は乗り越えられなかった。仕方ないので用意していた別の言い訳を述べる。

「求めよさらば与えられんって言うでしょ」

「そんな罰当たりな言い訳をするな!」

「神は死んだ!」

「だまらっしゃい!」

 あまりにも相方が口うるさいので渋々本棚を諦めて今度は隣にあった趣味の悪い絵の額縁に手を伸ばし、ひっくり返す。

「だから!」

「およ」

 うるさい結城を無視して思わず声が上がった。

 額縁の裏に白い封筒がべたりと貼り付けられている。それを引っぺがしてからひっくり返し、見えた宛名に顔をしかめた。

「……あなたの狙い通りだったってわけ」

「え?」

「いえ、なんでもない」

 封筒をポケットにしまってから壁に絵を掛け直すとあたしたちが入ってきたのとは別の、奥の方につけられていたドアのドアノブがわずかに回る。

 結城と顔を見合わせてから咄嗟に近くにあった社長机の下に二人で身を滑り込ませた。

 息を殺して外の様子を伺っているとヒステリックな女の声がキンキン鼓膜を揺らして来た。

「ああ、全く苛々するわね!」

 若々しい、とは言い辛い声だった。

 その声をなだめるために低い声が続く。

「落ち着け。さすがに彼を呼ばないわけにもいかないし、いいじゃないか、あの子も戻ってきた」

「……本当なら戻って来てくれなくってよかったのよ」

 溜め息交じりの、嘆くような女の声が答える。

 その声が忌々しげな声音へと変わっていく。

「二階堂家にあんな、ああ、恐ろしい」

「力を使わせなければいいじゃないか」

「ええ、勿論」


 ――あれが噂に聞く馬鹿親か。


 聞いていて、精神衛生的に最強に悪そうな会話がさらに続いた。

 誰の話かなんて、わざわざ乗り込んで聞くまでもない。だからこそそれを理解する利口な頭が恨めしい。

「大丈夫、あの子はちょっと言ってやればいいってことに最近気付いたの」

「へぇ?」

「あなたのお友達があなたのせいで傷つくのよと、そう言えばあの子は大抵言うこと聞きますからね、昔から。変わってなくて安心した」

 咄嗟に、結城の手を握ってしまった。

 心細くなったとか、怖いとかそういうことじゃない。この馬鹿をとにかく制止しなければならないと直感的に思ってしまったのだ。

 顔を見るのも怖いのだが顔を合わせなければと横を伺うとあたしの手を握り返した結城が小さく笑った。

 大丈夫だよ俺怒ってないよとでも言いたげな明らかに信用できない笑顔だった。ふるふると首を振ると困ったようにしてから彼はぽんぽんとあたしの頭を撫でつけた。女装じゃなかったらある程度格好がつくのだろうが。

 悔しいのも腹立たしいのも、学校で恭花さんの話を聞いたときからだ。何かしてやりたいのも分かってるし、あたしだって「いつも素敵な娘さんにお世話になってます!」くらい言いながら殴り飛ばしてやりたいのは山々だが今が好機ではないのも分かってる。

 あたしたちはただですら化け物なんだからそれが感情に素直になんて行動してみろ。取り返しがつかないぞ。

 がちゃがちゃと何かをいじるような音がしてからぞわりと背筋を何かが撫でたような気がした。顔をしかめていると「とにかくご挨拶に行かないと」と扉が閉まる声が聞こえた。

 足音が遠くなっていく。はーっと息を吐きながらひょこっと机から顔を出す。

 どうやら気付かれずに済んだようだ。

「で、いつまで俺の手握ってるつもりだ」

「あ、ごめん」

 結城の手を放してから先ほどあの二人が出てきた扉のノブをそっと回す。

 ぎぎ、と軋みながらわずかに扉が開く。開いた扉の隙間からでは中の様子は詳しく伺えない。もう少しだけ、と身を乗り出そうとしているとしわがれた声が聞こえてきた。

「お迎えかな」

 身を引きながら心の中で嘆く。迂闊だった。中に人が居て、しかも気付かれるなど。

 どうしたものかと悩んでいると声がなおも続けた。

「いや、死神はもっと老いぼれかな」

「……そうでもないわよ」

 高校生を兼任している死神だっているさ。

 なぜか分からないが惹きつけられるようなものを感じて、一歩踏み込んでしまった。広い部屋の中、ソファに深々と腰かけた老人が怠そうな目でこちらを見ていた。見るからに弱々しい、そんな老人だった。

 彼はあたしの姿を捉えるなり、ほうと感嘆をこぼした。

「花売りか、魔女か。後ろは随分可愛らしいお姫様だ。面白い客人がやって来た。二階堂も少しはユーモアのセンスがあるようだ」

 勇気が苦笑しているのを確認してから「二階堂の家の人間じゃないのね」

「残念ながら。わしは御代田という者でな」

 御代田。

 恭子がうっかり見初められてしまった家の名前だ。まさかこの爺様が結婚相手ということもないだろうからとなると、当主か。

 なるほど、金持ちにしては随分やせ細っている。倒れた、という話は本当らしい。

 げほげほと爺様が咳き込んだ。「いや、すまないね」ぐったりソファに凭れながら彼が続ける。

「最近調子が悪くてな。老い先短いじじいなんだよ、君らと違ってね」

 反応に困っていると「ああ、あの子と同じくらいの歳だなぁ」

「あの子?」

 すっとぼけてみると彼は微笑を浮かべて、

「鳥籠に戻って来てしまった女の子。なんとかしてやりたいがどうにもね」

 また激しく咳き込んだ彼は「すまない、少し眠らせて欲しい」ああ、と身を引いた。

「ごめんなさい、もう行くわ」

「鳥を逃がしてやって欲しい」

 目を閉じながら放たれた台詞に足を止めてから「当人に逃げる意思があったらね」ふわと口元が弧を描いた。

 妙な時間を使ってしまったと思いつつ横を見てみると結城が不思議そうに首を傾げていた。

「どうしたの、結城」

 問いかけると「いや……」と結城はやはり不思議そうにしたままで穏やかに寝息を立てる彼まで歩み寄った。

 顎をくいっと持ち上げると結城は彼の体をじっと見据えた。

「確かに弱ってるけど中を患ってる様子がない」

「え?」

 聞き返すとそれには答えずに「ごめんお嬢、俺少しここにいてもいいかな」

 駄目だと言っても聞かないくせに。フードをかぶり直しながら小さく頷いた。

「分かった」

 呆れつつ背を向けて手を振った。

「必ず、生きて帰るのよ。そうしたらあたし……いえ、やっぱりなんでもないわ」

「おいやめろ死亡フラグ立てんな」

 どうやら気に入ってもらえなかったようである。




 部屋の扉を閉めた瞬間、首筋に冷たいものが当てられた。

「恭子の部屋の鍵、持ってたらよこしな」

 冷たい声が投げ掛けられてうんざりしながら溜め息を吐く。

「あたしよ」

 フードを外して、黙って振り返った。

 予想通り、首元に当てられていたのはレイピアの刃だった。やっと持ち主の顔を確認できるところまで振り返ると「あ」と彼女は慌ててレイピアを引っ込めた。

「美里さん、遅かったわね」

「いやーめんごめんご。そっちこそ、そんな早く来てると思わなかったんよ」

 レイピアを下ろしながら項垂れた彼女はさっきの女中と同じ服を着ていた。きょろきょろと辺りを見渡しながら「相方は?」

「色々あったのよ」

 肩をすくめるとあははと小さく笑ってから美里さんはさっと目の色を変えた。

 あたしの手を引いて歩き出した。

「こっち来て」

「ちょ、待ってよ」

 フードをかぶり直しながら引っ張られていると突き当りの部屋で彼女は足を止めた。

 美里さんはドアノブをじっと見つめながら「鍵、かけられちゃってさ。なんとかならない?」とこちらの顔を覗き込んできた。ああ、とあたし。

「これならなんとかできるわよ」

「本当?」

「ええ」

 にこにこ笑いながら足を振り上げてドアノブをぶち壊す。

 あんぐり口を開ける美里さんに「これが一番早いのよ」とだけ告げてドアを開く。


 開いた扉から中に入るとびっくりした表情でこちらを見つめている恭子が居た。


「恭子!」

 やっと見つけた、とばかりに顔を輝かせる美里さんを見て、あたしにも視線を投げかけてから彼女の唇が震えた声を出した。

「美里……お嬢……」

 一歩踏み出しそうになってから恭子はその足を引っ込めて、さらに一歩後退してから低く言い放った。

「来ないで」

「恭子」

「お願い、このまま帰って」

 ふるふると首を左右に振った恭子はまた一歩、後ろに体を引いた。

 心の底から嫌がっているというより、恐れているような、そんな態度だった。

 綺麗なおめめでこちらを睨みつけながら「お願いだから、このまま帰って。何も見なかったことにして、引き返して」

 美里さんがそれに一歩近づいた。

「待ってよ恭子」

「出て行って!」

 恭子はスカートの裾から二挺銃を取り出して、銃口をそれぞれあたしと美里さんに向けた。

 敵意に満ちた瞳をこちらに向けながら恭子は引き金に指をかけつつ「もう一度だけ言う。今すぐ、ここから、出て行って。見つかる前に」

 まぁ、この子がそうそう簡単に美里さんに抱き着いて万事解決と行かないのは分かっていた。髪を耳にかけていると「どうして?」美里さんが問う。

「どうしてここに来たの」

「実家に帰ってきちゃいけないっての?」

「どういう心境の変化だよ。あんた、あれだけ自由になりたがってたじゃない!」

「だ」

「あたしたちの邪魔をするとでも言われたの?」

 腕を組みながら小さく問えば恭子は言葉を詰まらせた。

 え、と美里さんがこちらを見返してくるのにも構わずに「言うこと聞かなかったら、あたしたちを傷つけるって。あたしたちの邪魔をするって。そう言われたの?」

「それだけだと思う?」

 がちゃりと二挺の銃口がこちらに向く音がした。溜め息を吐きながら首を左右に振る。

「さあ」

「邪魔しないで」

「撃てないわ」

「撃てるよ!」

「じゃあ今すぐ撃つのね」

 べーっと舌を出しながら笑う。

「あたし、死なないから」

「…………」

 言葉を詰まらせてそれから、恭子は銃を下ろした。

 はは、と笑う。

「やさしーわね」

 キッとこちらを睨みつける恭子に「そんなに可愛い顔で睨まれても怖くないわ」と返す。

 今さら恭子ごときでビビるほど柔じゃない。

 黙って彼女を見つめ返していると美里さんがやっと声を発した。

「どういうつもり?」

「何が」

「ほんとに、何考えてんの」

 本人にそのつもりはないはずだが叱責するような声の調子で彼女が続けた。

「私、恭子が何思ってそんなことしてんのかがわかんないよ。私たち、バディのはずなのに」

「……幸せになりたいって思っちゃ駄目?」

 鋭い視線を美里さんに向けると「みんなに笑って貰えるのが私の幸せだと思ったからここに来たんじゃ駄目なの!? これが一番だったんじゃない! パパとママだって喜んでくれ――」

 言いかけた恭子の頬を美里さんが思いっきり張った。

 ばちーんと乾いた音が響いた。

「この、馬鹿! なんであんたはいつでもそうなんだよ!」

「馬鹿はどっちだ! いっつも私の気なんか知らないで美里は!」

「だまらっしゃい!」

 またばちーんと、今度は左頬が打たれた。思わず目を閉じてから「二度もぶった……周防にもぶたれたこと……あったか」と一人で言った台詞に後悔。

 仕方ないのでぎににと睨み合う二人の間に身を滑り込ませながら「本気でみんなが幸せになれると思ってる?」

 びくっと恭子が身を跳ね上がらせた。

「あんただって心のどこかで知ってるはずよ。幸せと不幸は確かに同じ量だけこの世にある」

 髪を振り払って、彼女の綺麗な瞳を見返した。

 言うな、とでも言いたげな彼女の目に心の中で笑った。ごめんなさいね、あたし性格悪いのよ。

「でも、同じ量だけ人に与えられるわけじゃない。配分は平等じゃない。限りある幸福を手に入れるために人間は競争してる。あたしたちも」

 一拍置いてから、

「他人を蹴落とし、幸福を手に入れる。言い方は悪いかもしれないけど、そうすることでしか世の中は幸せになれないようになってる。他人の幸せだけで飯が食えるほど甘い世の中じゃねぇんだよ、それができるのは仏像さまと運がいい奴だけ」

「でも」

「じゃあもっと言い方を変えるわ。あんたが他人の幸せを望んだことで不幸になる奴がいるってことも自覚しなさい」

 それを迷惑だと憤り、あなたに傍に居て欲しいと願う人がいるはずなのに。その当のあんたがそれを裏切ったらあかんだろうに。

 彼女に背を向けながら「結局」と小さく笑う。

「自分が幸せになるのもエゴ、他人に幸せを押し付けるのもエゴ。なんでもエゴになっちゃうくらいならどういうエゴが自分とって都合がいいか考えなさいよ」

「…………」

「そもそも、世の中全員幸せになれるほど都合のいい世の中だったらとっくのとうにみんな幸せだし、呪祖なんていねーんだっつーの!」

 にっと笑いながら「そんな世の中、嫌だったでしょう?」

 すっかり恭子が黙り込んだ。これ以上は言っても無駄だろう。言いたいことは言えたからあたしは満足だ。

 今まで握っていた恭子の手を放した美里さんはくるりと背を向けると「そんなに出て行って欲しいなら出て行くよ」と歩いて行った。

「さようなら恭子」

 恭子が俯かせていた顔を上げたときには美里さんは廊下の向こうへ駆け出してしまった。

 何か言った方がよさそうなので何を言おうか迷ってから「ええと」と扉の方を見つめて、言う。

「ドアは、直して、行きます」

 それじゃ、とあたしも美里さんの後に続いた。




 着ぐるみを取り戻し、再び着込んで会場の戻るとつんつんと背中を突かれた。

 振り返れば相方が片手をあげていた。その肩を叩き返す。

「おっそい!」

「ごめんごめん。中身、お嬢だよな」

「ええ」

 頷きながら肩を示すと弱々しく羽を動かす青い蝶がそこに留まっていた。

「……ナナ、どうした?」

「どうしたもこうしたもないわよぉおお……あのチビ共……あたしの力がもっとあったら呪い殺してやったものをぎぎぎぎ」

 ふわっとあたしの肩から飛び立った七号は「覚えてなさい!」とかなんとか言いながら消え去ってしまった。

 安い悪役の捨て台詞だなといっそ感心していると「よう、役立たず」後ろから聞こえてきた低めの声に顔をしかめながら溜め息を吐く。

「何よ、夏菜。居たんだ」

「悪い?」

「べっつにー」

 振り返ってみると夏菜は制服から黄色い着物へと着替えていた。

 ところどころにある赤系の花柄が可愛らしい。元々美人なのも相まって随分様になる。

「へぇ」

 じろじろ自分を見ているあたしに夏菜は眉を寄せる。

「……なに?」

「いや、似合うなって思って。やっぱり美人が着ると着物って映えるのねぇ」

 なんの気なしに思ったことを言ってみただけだったのだがどうやらあたしの言葉は夏菜の顔を怒りで真っ赤にするくらいには気に障るものだったらしく「な、な」と口をぱくぱく開け閉めしている。

「あ、ごめんなさい、また何か怒られせるようなこと言ったかしら」

「う、うっせぇばぁか! に、ににに似合うとか美人とか、ななななんだっつーの!」

 ほんと、夏菜との意思疎通は難しい。悪気はなかったんだけど。

 顔をしかめていると横に居た相方が何か言いかけて開きかけた口を慌てて閉ざす。自分の今現在の格好を思い出したのだろう。絶望的な表情を浮かべながら黙ってがたがた震えだした。

 ところがそこはさすが巴夏菜といったところで彼女は結城を見つめてから不思議そうに首を傾げ、小さく問いかけた。

「東雲くん?」

「ひっ」

 顔を両手で覆って「ひ、人違いですぅ!」と今さらなことを言い出す結城に夏菜はくすくすと笑った。

 どうやら無駄だと分かったらしい結城が顔を出しながらがっくり項垂れた。

「やっぱおかしいよな、これ」

「あ、ううん。そうじゃなくって、そこまでする? って思っちゃって。ごめんね」

「いや、いいよ俺もそう思うから……」

 頭を抱えながら答える結城に「あ、でも、可愛いと思うよ」と微笑んでから「私、美里のとこ行くから。じゃあな」とだけあたしに吐き捨てて夏菜は歩いて行ってしまった。

 相変わらずあたしにだけ嫌に強く当たるんだからとがっくりしていると結城の手ががっとあたしの肩を掴んだ。

「うっわ、え、なに!?」

「ど、どうしよう……」

 顔を真っ赤にしながら「巴に可愛いと言われてちょっときゅんきゅんしてしまった……」と心底どうでもいい報告をされた。

「へぇ、はいはいよかったねぇ」

「こんな俺でもあんな風に言ってくれるなんてああ、巴ほんと優しいなぁ」

 どこがだ。

 凄まじく邪魔なので結城を引っぺがそうと頑張っていると会場の中心からぱんぱんと手を叩く音が聞こえてきた。

 一瞬でホールが静まり返る。次に響いてきたのはあの耳に残る甲高い声だった。

「皆さまぁ、本日はうちの恭子と御代田さんの坊ちゃまとの婚約発表の場にお集まりいただきましてありがとうございます」

 マイクなんていらないんじゃないかと思うほどキンキンと高い声が響き渡る。

 一応様子を伺ってみると顔を俯かせる恭子の横に若く見て二十代ほどの馬面の男が居た。あんなのと結婚するくらいなら爺様の方がよかろうに。

 何かしようとでもいうのか、一歩踏み出そうとしている結城の腕を無理やり掴む。

「だ、離せよお嬢、このままだと俺ら本当にただ余興しにきただけになっちまう」

「いいじゃない、大事な友人の門出を祝えば。それに話を聞きに来るってだけの約束だったはずよ」

「俺は違う」

「結城」

 ぐるるとあたしを睨み付ける結城をただ黙って見据えることしか今のあたしには出来なかった。

 そうこうしている間にも話は進んでいたようで「せっかくですのでうちの恭子から一言」と母から娘にマイクが渡された。

 じっとマイクを見つめていた恭子はやがて大きく息を吸い込み、吐き出してから口を開いた。

「何が、さようならだ」

 その声は、あたしたちが揉み合いをやめるには十分すぎるものだった。

「分かってたよ、こんなことして、無駄だってことくらい」

「きょ、恭子……?」

 おろおろと傍に居た両親が狼狽えるのにも構わずに、恭子がさらに続ける。

「どんなことしたってパパもママも私を愛してくれないことくらい分かってる! 私は化け物だから!」

「やめなさい」

「というか、私を愛してくれる人なんて、ほんとはいないと思ってた」

 目に溜まった涙が煌めいた。

「美里は馬鹿だし、リンしか見えてないし、自分勝手だし、一緒に居て疲れるだけだし! 夏菜は乱暴者だし、正直怖いし! おっぱいないし!」

 胸のことは関係ないだろ許してやれ。

「リンは優しいけど時々やっぱりズレてるし、でも優しすぎるし! いずみもいずみで、死神っていうかもうなんかただの変態じゃん!」

 嗚咽を混ぜながら恭子はさらに、もう叫ぶに近しい感じで言葉を絞り出した。

「結城は馬鹿だし。ひたすら馬鹿だし! もう何? お人よしじゃなくてあんなの馬鹿だし! お嬢に至ってはただ紅茶と結城のことしか考えてないし」

 一拍置いてから「徹は、いっつも意地悪だし。ドSだし、でも本当は優しくて、誰よりも私のこと分かってて、だから私だって迷惑かけたくなくて、なのにいっつも徹は私のこと助けちゃうし。もう、なんなの……!」

 と、ここまで理不尽に言い放ってからさらに恭子は「それでも好き。みんなと一緒に居たいの」首を左右に振りながら「みんなが笑ってくれたら幸せだなんて嘘っぱち」

 そして、やっと、待ちに待った台詞が聞こえてきた。

「みんなに迷惑でも、私はみんなと居たいよ……! みんなと笑ってたいの!」

 ぼろぼろと涙をこぼす恭子に着ぐるみの頭を外しつつ苦笑した。

「こんの! 言う通りに話せって言ったじゃない!」

「った……!」

 ぐいっと恭子の腕を強引に引っ張るお母様に「うにゃー! 着ぐるみアタックー!」とか言いながら頭部を投げつける。

 はが、とか奇妙な声をあげながら倒れ込む体を見つつ、着ぐるみを全て脱ぎ捨てたあたしは髪を振り払った。

「本音の暴露がおーそーいー! あと少し遅かったら料理タッパーに入れて帰るところだったわ!」

 奥様を攻撃したことにより、スーツ姿の男たちが一斉に飛びかかってくる。その男たちの顔面にばさっと女物のドレスが投げつけられた。

 装飾が多いせいでいくらか重たいドレスを投げつけられ、転倒する男たちの前で下に着ていた制服の皺を気にしつつ化粧落としの染み込んだコットンで顔を拭った結城が叫ぶ。

「どうも、もはやお人よしじゃない馬鹿です!」

「自虐してどうする」

 がくっと肩を落としてからじりじり距離を詰めようとしている男たちに向かって、死神の声が飛ぶ。

「ええい図が高い! 控えい、者共! このお方をどなたと心得るか! あのエール霧雨学園、推薦特待生さまの御前である!」

「え、なんで俺急に上様みたいになってるの!?」

「あの悪魔を知らぬとは言わせぬぞー!」

「舟生、お前まで変なこと言うな!」

 変に悪ノリしたリンリンに向かって振り上げられた拳をいずみっちが受け止めて、放り投げる。

「うちの天使に何してんだああん!?」

 あ、これは納得の変態だ。

 すでに会場は大混乱である。面倒に巻き込まれぬようにと逃げ出す輩もいれば、野次馬をする根性据わった奴から、果てに便乗して喧嘩始める奴らまでいる始末だ。ああ、後処理が面倒くさい。

 結城と背中合わせになりながら使用人たちと睨み合っていると「お前なんて迷惑にすらならねーんだっつーの!」と薙刀片手に夏菜が乗り込んできた。

「あと、誰の胸がなんだって?」

「てへぺろ」

 ぱちんとウインクした恭子に舌打ちしてから夏菜は柄の部分で相手を叩き付けた。

「ったく、ほんっと手のかかるバディなんだからさ」

 使用人の手を捻りながら、美里さんが叫ぶ。

「第一、迷惑ならこんなとこまで来ないっつーの!」

「美里……」

「ぐ、お前の好きなようにはさせんぞ恭子……」

 おっといかんお父上が残ってた。キャストオフした胴体の方をくれてやりゃよかったぜ。

 若干後悔していると逃げ出そうとした恭子の腕を誰かが掴んだ。

「お姉ちゃん……!」

「いいぞ、恭花。そのまま離すな」

 二階堂恭花に腕を掴まれて、おろおろと視線を泳がせていた恭子だったがやがてその動きを止めると息を飲んだ。

「ええ、勿論」

『恭花さん』が頷きながら、それに答える。

「誰が二度と離してやるか」

 徐々に、その姿は美人バイオリニストではなくなった。

 代わりに現れた、イケメン呪祖野郎に恭子が思いっきり抱き着いた。

「徹……ごめんなさい、会いたかった」

「謝るくらいならはじめから僕の前から勝手にいなくなるなこの馬鹿。どうせなら分からないところまで逃げろ。できないなら僕の前に居ろ」

 その体を周防は実に珍しいことに抱き返した。

 喧騒の中で、周防の声がなおも告げる。

「お前は、白咲恭子だ。二階堂恭子でも、誰かの操り人形でもない。僕にとっては、白咲恭子だ」

「……馬鹿だな、徹」

 周防の顔を見返しながら恭子はにこっと笑った。

「はじめから、私は白咲恭子だよ。あなたの、白咲恭子なの」

 そう言って、爪先立ちしながらぐいっと周防の顔を自分の顔に引き寄せて、二人は唇を合わせていた。

 げっと頭を抱えた。「リア充爆発しろ……」という結城の重々しい声が聞こえた気がするが無視しておこう。

 騒然としていた会場が静まり、時が止まったのではないかと思うくらいだった。やっと名残惜しそうに唇を離した恭子はもう一度、周防の頬に唇を落としてから愛おしそうに彼を見た。

「好きだよ徹。だから私をさらって。どこか二人で遠いところに逃げよう? 子供は三人は欲しいな」

「馬鹿も休み休み言え、この変態女!」

 ぐいっと自分から恭子を引っぺがした周防はまたまた珍しいことに顔を赤くしながら小さく返す。

「誰がお前なんかさらってやるか。ついて来い」

 その言葉に「と、とおるぅううう!」とすっかりいつもの調子で恭子が再度周防に抱き着いた。

 娘の豹変っぷりを目の前で見てしまったお父さんは口を半開きにしたまま固まっている。お可哀想に。

 あとはどうやってここを切り抜けるかと悩んでいると空気が震えた。

 誰かが暴れているからではない。よく知っている震えだ。

「認めない……絶対に……!」

 ぱきぱきと独特の音を立てながらまるで殻を破るように恭子の母親の姿が巨大な蜘蛛に変わった。

 ひぃいい、と御代田と父上が腰を抜かしてその場にしゃがみ込んだ。

「お前の母ちゃんでーべそってレベルじゃないわよ」

「やっぱり居たか」

「やっぱり?」

 あたしたちを置いて、さっさと逃げていく使用人を見送っていた結城の台詞を繰り返すと「そう、やっぱり」と彼が頷きながら向こうを示した。溜め息交じりにそちらを指差して鎖で二人を拾い上げると「邪魔」と廊下に放り投げた。

「御代田さん、あの爺さん、弱り方が妙だと思ってたんだ。で、あの部屋、何が居たと思う?」

「河童!」

「残念、惜しくもなんともない!」

 きっぱりあたしを否定してから「呪祖だよ、呪祖の手下。あいつらが爺さんの生気を奪い取ってたんだよ」

「あんた、それ一人で倒したの?」

「五十匹くらいちっちゃい子蜘蛛がいたから三十分もかかってねーぞ」

「ばっかじゃねーの」

 指差しながら鎖で蜘蛛の体を固めていく。

 いつの間にか腰に携えていた刀を鞘から引き抜いて「なんでだよ」と溜め息を吐いた結城が地面を蹴り上げて、一気に飛躍した。

 夏菜、美里さん、いずみっちも同じように飛び上がっていたようでほとんど同時に得物を振り上げた。

 ぎぎぎぎ、と歪な声をあげながら四本の足が切り落とされた。緑色の液体を血液の代わりに吐き出す様は異様だった。

「恭子!」

 美里さんの声が自分の相棒を呼ぶ。

 恭子はスカートの裏からいつもの銃を二挺取り出すと銃口を迷わず、顔面に向けた。

「皮肉だね、ママ。あなたの方が化け物になっちゃうなんて」

 それに答えるようにぎぎぎと呪祖が鳴く。

「――悪い子で、ごめんね」

 そう言って、彼女は両方の引き金を引いた。

 脳天に二発の弾丸を喰らった蜘蛛がその巨体を床に叩き付けた。じわじわとその体がまた元の姿に戻って行く。死んではいなかった。

 ぜぇぜぇと肩で息をする恭子は隣にいた周防に振り向くとにこっと笑った。

「改めて、ただいま、徹」

 呆れたように息を吐いた周防がその頭を撫でながら小さく言う。

「おかえり、恭子」

 ぽかんと、彼女の顔に間抜け面が浮かんでいた。




 翌朝のことである。

「う、うおお……全身が痛い……」

 肩を押さえながらふらふらとリビングに入ると「不良娘が朝に居る」不満げな母に苦笑する。

「勘弁してよ、ママ。事情があるって言ったじゃない」

「ボロボロで帰ってくるなり朝まで眠り続けてたのがどういう事情なの」

 全く、と不機嫌そうにトーストをかじりながらテレビを見つめていた母は「そういえば、ニュース。二階堂恭花」思わず反応していた。

「なに?」

「自分の親に虐待されてたって暴露したんだって」

 ああ、やっぱりな。

 あのときあたしが見つけた封筒に書かれていた宛名は恐らくあの両親。差出人は二階堂恭花だった。

 中身は確認していないので何とも言えないが大方、両親に都合の悪いことを書いた手紙を隠しておいたのだろう。そしてそれを、わざわざあたしを二階に行かせた上で回収させた。

 元々、もしかしたら二階堂恭花は今回の一件をきっかけに自分の家を破滅させる気だったのではないだろうかと思ってしまう。誰のために、かと思うと自分の長年の恨みを晴らすためなのか、それとも別の誰かさんのためなのか、微妙なところだが。

 とにかく利用されたのかもしれない。あたしたちは。

「……ま、いっか。どうでも」

 いつもの日常が帰ってきた。それでよしとしようじゃないか。

 目の前のカップに紅茶が注がれて、安堵の息をこぼしつつ、ふと思い出したフレーズを口に出した。

「『なくしていた大切なものが見つかるでしょう』か」

 昨日の占いだ。周防からすれば、もしかすればそれは当たってしまったのではないだろうかと思う。

 なんて。

「馬鹿馬鹿しい」

 紅茶を口に流し込みながらそう呟いた。


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