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創造主な僕たちは華麗な日々しか創れない  作者: 黄昏月ナツメ
一学期:僕たちはまだ夢の中で。
11/36

誰が君の行く手を横切った?

 外の木の葉が風に吹かれ、そよそよと鳴いた。

 鼻歌の一つでも歌ってやりたくなるほど爽やかな日だった。五つのカップに注いだ紅茶は普段より鮮やかに見える。

 身を乗り出しながらきらきらとした目でこちらを見つめていた相方に苦笑しながら手元に並べていた皿と一緒にカップを差し出した。

「はいお待たせ」

 ぱぁっと顔を輝かせる相方の視線の先には生クリームの添えられたシフォンケーキがある。

 うきうきした様子でケーキにフォークを入れる結城は本当にこの学園最強と謳われるほどの天才なのかとその実力を一番知っているはずのあたしが疑ってしまう。小さい男の子にしか見えないのだ。

 深く考えるのも面倒だったので「リンリンと周防も、はい」と差し出してやれば二人はほとんど同時に頭を下げた。

「ありがとうお嬢ちゃん」

「いただきます」

「どーぞ」

 それから何故か窓の外を見つめている小町ちゃんに「小町ちゃんの分、ここに置いておくわよ」返事がない。ただの悪魔のようだ。

 冷たいわね、と心の中で呟きつつ結城の隣に腰を下ろすと一口だけ紅茶を口の中に流し込む。アッサムらしい濃い味だった。フォークを手に取ってシフォンケーキにすっと通す。柔らかいスポンジはすんなりフォークを受け入れて、そのまま一口大に切れる。

 添えてあった生クリームに一口大のそれをつけてから口の中に入れる。柔らかい甘味が口の中に広がった。

 口元に浮かびそうになるにやけを抑え付けていると「美味しいねぇ」と幸せそうに笑ったリンリンが告げる。

「そうね。新しいケーキ屋さんだからちょっと心配してたんだけど大正解だったみたい。あ、ほら、これ周防がこの間言ってた駅前に出来たケーキ屋の奴」

「ああ、あそこですか」

「そうそう。野暮用で通りかかったとき、そういえば言ってたなって思って」

 個人的に気になっていたんだ。ついでと思ってホールで買ってしまったがよかった。

「やっぱり甘いものっていいよね、幸せになれるよね」

 えへへと楽しげなリンリンにこちらまで嬉しくなってしまう。

 あたしたちのやり取りを気にした様子もなく、黙々とケーキを食べ続けていた結城がちらっとこちらを見つめた。小さく首を傾げてから「ああ、おかわりね」分かってしまう自分が恨めしい。

 空になった皿を受け取ってからその顔を再度見返して溜め息を吐く。

 口元にべったりついた生クリームがなんとも間抜けだった。

「結城、口、クリーム」

「え!?」

 慌てて腕を伸ばそうとする彼に「あ、こら袖で拭くな!」と叱りつけてからポケットからハンカチを取り出して無理やり口元を拭う。

「うー自分でやるー」

「うっさい」

 んー、と身を逸らして逃げようとする結城を追いかけながらハンカチを押し付ける。

 イヤイヤと首を左右に振る結城の口を拭き終えてからハンカチを畳んでいると突然、小町ちゃんがゆらりと立ち上がった。

 あたしたちの見比べて、目を吊り上げたかと思うと突然、ばんっと両手を机に叩き付けた。


「なんじゃ主ら、それでもこの学園の生態系の一番上かの!?」


 それは初耳だ。

 顔をしかめているとカップを傾けながら「なに言ってるんですか、小町先生」と周防が冷たく返した。

「なに言ってるんですかではないのじゃ! 部活動もせずに仲良く紅茶飲んでダラダラしてるとは何事じゃ! 怠惰以外の何物でもなかろう!」

 荒々しく腰を下ろす小町ちゃんは足を組み、フォークを勢いよくシフォンケーキに突き刺してからがつがつとそれを流し込んだ。

「全く、はぐ、主らがだらけるからあむ、わっしがこうして、あむ、来てやってるというのに、はむ」

「文句言うのか食べるのかどっちかにしてちょうだい、小町ちゃん」

 カップの中の紅茶を飲んでいた小町ちゃんにそう言えば少しだけ惜しそうにしつつ、小町ちゃんはケーキを自分からすすすと離した。意外だ。てっきり文句言うのをやめてケーキを食べ続けると思っていたのに。

 そう言われても、と二つ目のケーキに手をつけながら困った顔をしたのは結城だった。

「呪祖なんて見つけようと思っても情報なしじゃなかなか見つかんないのは事実だし、俺らだって別に怠けたくて怠けてるわけじゃ」

「あたしはこのままでもいいんだけどね」

「人が穏やかに話をまとめようとしてるときに余計なことを言うな魔女」

 本音を言ったところ怒られた。人間関係というのは難しい。

 ぐっと言葉を詰まらせた小町ちゃんはちびちび紅茶を飲みながら深々溜め息を吐いた。

 でも、とリンリンがそんな彼女を覗き込んだ。

「珍しいですね、小町先生がそんなこと言うのって」

 確かに、その通りだ。

 小町ちゃんは普段、ほとんど放任主義と言ってもいいほどこの部活には関わらない。それは小町ちゃんがあたし達と違って創造主の関連ではないことが一番大きな理由だとは思うがそれ以上に面倒くさがっているところもあると思う。

 けれど、書類上での顧問が欲しかっただけではあったのでこれで別段不便はしない。なんだかんだでこの部室を用意してくれたのもこの先生で、その働きは十分すぎるほどだろう。

 彼女はケーキにフォークを刺すことを再開しつつ「ただの気まぐれじゃ」とだけ嫌に説得力のある台詞を残した。

 苦笑しながら周防が言う。

「実際、僕らが暇なのは学校が平和だってことですよ。東雲くんが『なんて日だ!』って言いながらテロリスト制圧するよりよっぽどいいでしょう?」

「俺は世界一運が悪い男じゃない」

 ぱくっとフォークに食いつきながらどことなく不満げな結城に構わずうう、と小町ちゃんが唸る。

「まぁでも」

 カップを傾けながら小さく笑う。

「都合よく、あたしたちが活動できるようなことがあればいいけど」

 ああ、あたしは若かった。

 その言葉がどんなフラグになり得るかも知らないで。

 つくづく思う。あたしは男だったらきっとライトノベルの主人公に向いていたと。

「そんなのあるわけな」

 あたしの言葉を遮るように勢いよく部室の扉が開く。

 自分でも自分の顔が引きつるのがよく分かる。先に扉の方を見ていた結城が慌てて口元を拭っているのを見ても訪問者が誰であるかなんてことは簡単に予想がつくし、それがあたしに有益か不利益かでいえば絶対後者だろう。

 油が切れたゼンマイのような不自然な動きで首を動かし、やっと意を決して入口に視線を投げる。


 案の定、そこにいたのは不機嫌面の巴夏菜だった。


 ここのところ学校行事関連で生徒会に詰めることも多かったらしくしばらく会ってなかったので油断していた。ひとまず、いきなり攻撃してくるつもりはないらしいと判断して頭痛がしているような気がする頭を押さえる。

「よ、よう、巴!」

 緊張しきった様子の結城ににっこり笑いかけて「こんにちは東雲くん」と愛想よく告げる夏菜は本当にあたしと接しているときとは別人だった。なんなんだお前。

 その後ろで「とおっるーん! とおるんとおるーん! とっおっるーん!」とか永遠周防の名前を連呼してガン無視喰らってる子がいるが眼中に入れないようにして挨拶もなしにさっさと問いかける。

「なんの用よ」

 隣の結城から横っ腹に肘鉄を頂いた。

 じわじわ広がる痛みに耐えきれず机を叩きながらそこに突っ伏した。どうして相方はあんなのの味方するんだ! あたしを率先して痛めつけてる奴に! 普通逆だろ!

 ちらりと上を見上げていると見下すような目でこちらを見ながら夏菜がぷっ、吹き出した。いや、違う。あれは確実にあたしを見下してる。

 ふざけんな、とあたしが文句を言ってやる前に夏菜が告げる。

「宣戦布告しに来た」

「は?」

 ほとんど同時に間の抜けた声をあげるあたしと結城を忌々しげに見てから夏菜は言い放った。

「今度の体育祭の『エール合戦』に生徒会は例年通り、二年生役員が出ることになった」


 まず言うことがあるならばこんな学校の体育祭なのだからまぁ、普通の体育祭ではない。


 その中でも特に異常性を見せつけてくるのが二日間で開催される体育祭のうち、一日目全てを使って行われる『エール合戦』だ。学校行事という名目の実習試験に近い。

 二日目はクラス別で開催されるのに対して一日目のエール合戦は基本的には自由参加で、二人以上の有志団体に担当教師一人をつけてはじめて参加が許される。

 その内容はと言うと、一言でいえば『学校が公式に認めている制限なしの大喧嘩』である。学校中が戦場だ。無論、死人が出ないようにという配慮で各団体、教師一人を責任者としてつけるというルールが設けられている。

 各団体が一人大将を決め、相手が白旗を挙げるか実行委員会側に戦闘続行が不可能と判断されるまで戦い続ける。一部を除けば、ほとんどの魔法や武器の使用が認められ、どのような戦法を使っても構わない。

 勝利条件は単純だ。生き残ればいい。ちなみに大将が降参を告げれば、無条件でそのチームは全員が敗退となる。委員会側の判断で敗退とされた場合においては他の生徒たちはまだ動くことができる。

 ちなみに教師は、試合には参加できるが最終的な頭数には含めない。つまるところ、生徒全員が敗退になり、教師はまだ生き残っていたとしてもそのチームはそれ以上の存続を認められないものとなる。教師の生き残りを認めてしまうと下手をすると最終的に教師が潰し合うという恐怖の画面があっさり生まれてしまうからである。


 こんな現代高校にあるまじき物騒な競技だが一応メリットはあったりする。

 普段の実習授業は学年ごと、しかも模擬戦だとしても基本的には成績順位が近い生徒にしか当たらないように組み分けが行われており、自分より上位の相手とは公式に試合をすることすら許されない。力の上下差が激しいこの学校ならではだ。

 ところが、この行事は前述の通り、制限がない。学年が異なろうが、成績順位が遠かろうが関係ない。どんな相手にも堂々と喧嘩を申し込めるというわけだ。しかも学校お墨付きで叩き潰すことを許される。

 つまり、下位の生徒が上位の生徒に下剋上ができる唯一のチャンス。

 さらに、この競技は学校行事とはいえど模擬戦という扱いになる。下手をすれば普段の模擬戦以上に重大な役割を持つ。参加するだけでも関心意欲があると認められるし、優勝なんてした日にはそれなりの成績も約束される。

 にも関わらず、去年、あたしたちは参加しなかった。理由は単純だ。小町ちゃんが面倒くさいとばっさり切り捨てたからである。

「だからなんだってのよ?」

 頭の中でエール合戦のことを考えながら首を傾げる。

 そんな型破り体育祭競技には毎年、生徒会として二年生の役員が参加するのは恒例だ。わざわざ報告されるまでもなく分かっていたことだ。

「言ったでしょ、これは宣戦布告なんだよ」

 ばんっとその手が机の上に何かを叩き付けた。

 エール合戦参加団体申請書。そう書かれた書類だった。

「この試合なら正々堂々お前を叩き潰せる」

 いつも出会い頭、殺しにかかってくる奴とは思えない台詞だ。

 馬鹿馬鹿しい、美里さんが来ない理由も分かる。黙って視線を逸らしていると「別に参加しなくてもいいんだけどさ」と夏菜。

「あんたは私が怖くて怖くてしょうがないだろうから」

 あたしの体のどこかがびきっと鳴った気がする。

「はぁ?」

 申請書を掴み取りながらあくまで押し殺した声で告げる。

「あんた、それ喧嘩でも売ってるつもり?」

「さあね」

 あたしと夏菜を見ておろおろ視線を泳がせる結城に構わず、くるっとこちらに背を向けた夏菜は顔だけ再度振り向くとにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「弱者は、強者に淘汰されるか震えて隠れてな」

 そう言い放ってから「帰るよ、恭子」と開いたままの扉から夏菜は出て行った。

 ええーとか唇を尖らせていた恭子だったものの夏菜が聞く気ゼロと分かるや自分を睨み付けていた周防の方へ歩み寄った。

「またね、徹。あなたとやり合えるの楽しみにしてるから」

 ちゅっと可愛らしいリップ音を立てながら軽いキスを周防の頬にするや「しのしの! お嬢! ふにゅりん! まったにぇーん!」ひらり、スカートを翻し、恭子は夏菜の後を追った。

 硬直する周防を放ってなぜか目を輝かせたリンリンが「またねー!」と呑気に手を振っているのを一瞥してから溜め息を吐く。

「まったく、舐められたものね」

 片手に申請書を持ったまま、ばさりと黒髪を振り払う。

 ぽかんとしたままの小町ちゃんに、そのまま笑いかける。

「喜んで、小町ちゃん。部活動ができそうだわ」

 それもかなり過激なのが。




 エール合戦に参加する――それを伝えれば、小町ちゃんは喜んで責任者を引き受けてくれた。

 去年は嫌がったのに今年は二つ返事だということを見るとあれだけ夏菜に言われたい放題では小町ちゃんも気に入らなかったのだろう。

 大将は当然結城である。本人は最後まで渋っていたが周防と二人がかりで言いくるめた。

 魔法屋の面子は小町ちゃんを除いて四人。結城にあたし、周防と、どうしても来ると言って聞かなかったリンリンも、半ば強引に申請書にサインしてしまった。

 これに関しては後から某死神と某生徒会役員が散々文句言いに来たが「私が出るって言ったの! 怒るなら私!」というリンリンの一言ですっかり黙り込んでしまった。


 そんなわけで体育祭当日、晴天の下、ジャージ姿のあたしたちは太陽に照らされていた。

 何が、爽やかだ。突き刺すような光に眉を寄せた。髪を一つに縛っているお陰でまだマシだと思える程度で、小生意気に地球温暖化を嘆きたくなる。数日前に爽やかだのなんだのと抜かした奴はどいつだと思いながら額に手をやった。その手に肌とは別のものが触れた感触がして苦笑する。

 今回のエール合戦において、チーム別に鉢巻が支給される。味方が分からなくなるからというより、実行委員会がスムーズに運営できるようにするためのものだろう。

 魔法屋に与えられたのはスタンダードな白色の鉢巻だった。額に巻くことが義務付けられたそれは今日の日差しの強さを再認識するためには最高のアイテムだった。

 他にも赤だの黄色だの、紫やオレンジだのとカラフルな鉢巻がずらっと並んでいる中で、それをつけている生徒の視線は一斉に同じ場所へ向けられていた。

「なので! 皆さんにはルールに則って、体育祭一日目を過ごして貰わなければなりません!」

 朝礼台の上に居るのは長い黒髪の女生徒だった。彼女は制服姿だ。それで今回の参加者ではないことが分かる。

 その足は、朝礼台にはついていない。地に足付かないを真の意味で実行している人だ。早い話、わずかに地面から浮遊している。神秘的というよりも可愛いという方が強いかもしれない。

 彼女はこの学園の生徒会会長である神立(かんだち)あずみ、一つ上の先輩でその年の推薦特待生だ。

 生徒たちは、彼女を愛称として『ポンコツ会長』と称することもある。

 なんでも雷獣を操る一家だとかでふにゃふにゃしてる割に力は膨大だという話も聞く。この学校の特待生って時点で普通じゃないのは分かってる。

 その会長殿がふらふら体を左右に揺らしながら一生懸命に何かを叫んでいる。

「健全な魂に健全な魔法は宿るのです!」

 ……一生懸命話しているのは分かるのだが要領を得ない説明は半分も理解できない。それこそが『ポンコツ会長』なんてあだ名がついてしまう理由だろう。

 ぐっと両方の拳を握りしめる会長が熱く語っているもののさすがに見かねたのか「はいはい」と後ろからブレザー姿の男子生徒が姿を見せた。

「会長、そこまで」

 彼の名前は山城(やましろ)(わたる)、彼女も神立先輩と同い年の先輩で生徒会の副会長だ。なぜかさんずいの存在を忘れられ、『あゆむ』と呼ばれることがある。創造主で、本人は自覚していない典型的ないい人だ。

 いや、自覚してないどころか自分を不良だと思い込んでる節がある。本物の不良が生徒会の副会長なんてしてるわけないんだが。

 むむむ、と顔を歪めながら会長が吠える。

「まだ三分の一も終わってないよ山城くん! 邪魔しないでよー!」

「馬鹿め、俺は悪なんだぞ。会長の邪魔くらいするさ」

「むがー!」

 空中に浮いた足をじたばたさせながら両目をぎゅっとつぶり、会長がマイク越しにぎゃんぎゃん吠える。

 耳を塞いで聞こえないフリをしながら山城先輩が続ける。

「はーいとにかくこれからエール霧雨学園体育祭、一日目を開催しまーす」

 前フリの割になんとも軽いノリで開会してしまった。

 まだ不満げな会長だったものの諦めはついたようで開会式を進行していった。

 校長の話が終わり、簡易なルール説明を終えたあと、前回の優勝チームである生徒会本部から優勝旗が返還される。

「あ、美里ちゃんだ」

 意外だったのは返還を行ったのは巴夏菜ではなく、蒼井美里だったということだった。

 赤いジャージ姿の理事長と礼を交わし合いながら形式的に優勝旗を返還していく美里さんを見て「凄いなぁ」とリンリンが呟いた。

「来年は、あそこに舟生が立てばよかろう」

 けらけら笑う小町ちゃんに「はい!」とリンリンは笑顔で頷いた。

 次いで行われた選手宣誓で、やっと優勝旗の返還に彼女が現れなかった理由を知った。


 壇上に上がったのが巴夏菜だった。


「きゃー! 夏菜さまよー!」

 どこからともなく黄色い歓声が湧き上がった。その後に続くようにさらに黄色い声は続く。

「相変わらずお美しいな、夏菜さま……!」

「壇上にいらっしゃっても堂々としてらっしゃって凛々しい。さすがは次期会長でいらっしゃる」

「きゃっ、こっち見た!」

 男女問わず、歓声が上がり続けた。

 巴夏菜の人気は絶大だ。ある意味、それは無理もない話で、美少女と呼んでなんら問題ない容姿に結城ほどではないにしても彼女だって十分すぎるほど強いのだ。おまけに大体の生徒は巴夏菜があたしに対して凶暴で悪質な原因は九割あたしが悪いと思ってる。悪いのは相方なのに。

 微笑しながら理事長を向き直った夏菜の澄んだ声が突き通って行く。

「宣誓――」

 つらつらと澄み切った声で告げられていく宣誓を聞き流していると「聞きました?」と周防があたしを覗き込んだ。

「何を?」

「魔法屋の参加が決まった途端、参加団体の数が跳ね上がったそうですよ」

 それが意味するところは、つまり。

「あたしたちを叩き潰しに来てるのは生徒会だけじゃないってわけね」

「そういうことですね」

 肩をすくめる周防と苦く笑うあたしの会話を聞いていたのか結城が首を傾げた。

「で?」

「でって?」

 聞き返すと呆れたように結城が言う。

「いくら腹が立ってもお前は勝てない勝負は引き受けないだろ」

 はは、と小さく笑い返す。

「作戦くらいはあるわよ?」

 やっぱり、と結城が告げた。

 ちょうど宣誓が終わったらしく、大きく拍手の音が響き渡った。




 エール戦の開始宣言を聞いたのはいつもの部室の前だった。

 今回のあたしの『秘策』を実行するためには全員が生き残った状態で生徒会との一騎打ちに持ち込む必要がある。

 そういった理由でも試合が長引くのは望ましいことではない。人間であるリンリンへ攻撃が来るのは時間の問題。結城ならともかく、あたしや周防ではリンリンを護りながらの長期戦はあまりにも不利だ。

 では長期戦にしないためにどうするか。とても簡単だ。さっさと周りの皆様にはご退場いただく。

 二手に分かれて周りの生徒を潰し、生徒会との一騎打ちを目指す。戦力の分散は痛手だがリンリンと一緒に結城と小町ちゃんがいればそうそう倒されることもなかろう。

 すでに別の配置についた結城チームとは別に、あたしと周防の二人がのこのこ、ここまでやって来た可哀想な皆々様を潰すためにここにいた。

 ばきばきと拳を鳴らしながら準備万端の周防は「しかし」と苦笑した。

「あなたが正攻法で生徒会を倒す気はないだろうとは思ってましたが」

「勝った方が正義よ」

 肩をすくめられてしまった。

 そのとき、あたしと周防の間に黒い球体が横切って行った。

「来た来た」

 にっと周防を笑いあう。

 廊下の向こう側には同じ、赤のユニフォームを着て、黄色い鉢巻を巻いた十数人の女子がずらりと並んでいた。

 その顔を見比べてからははっと笑う。

「一番最初があなたたちだなんて意外だわ」

 髪を振り払おうとして一つにまとめているのを思い出しながら先頭の女子を睨み付ける。

「女子バレー部」

 我が学校の数少ない正統派部活動の一つ、女子バレー部。

 部活動としての公式な成績はほとんどないものの魔物や妖怪を中心に集まった十数人は揃いも揃って美少女揃いで学内でのファンも多い。

 二年生にしてその先陣を切るのがハルピュイアの(つづり)・デル・オルノ。赤い短パンから伸びた健康的な白い足にユニフォームをこれでもかと突き上げる形のいい膨らみはなるほど、人気にもなることだろう。

 短く結ばれたキャラメル色の髪が胸と一緒にひょこっと揺れる。

「東雲たちは?」

「あんたたちなんて結城の手を煩わせるまでもないわ」

 手で作った拳銃でばぁーんなんてふざけ気味で相手を撃ちながら笑っているとバレー部の目の色が変わった。

 こんな安い挑発に乗る程度じゃ、やっぱり結城に相手をさせる必要すらない相手だ。

「はーいそれじゃ」

 ゆっくりあたしが手を上げ、ポケットから取り出したナイフを周防が真上に放り投げた。

「団体さま、入られまーす!」

「はい喜んで!」

 居酒屋のようなテンションで会話しながらあたしが連中を指差し、周防がナイフの柄を掴んだ。ぱっと現れた鎖が綴の後ろに居たバレー部に襲い掛かる。

 同時に綴がばさりと白い翼を背中から生やし、地面を蹴りつけて一気にこちらに滑走してきた。

 周防の振り上げた足と綴の拳がぶつかり合う。おお、こわと顔を引きつらせながら綴の横をすり抜けて残りのバレー部を相手にすることにする。

「一対複数で勝てる?」

 そう言ったのはスキュラの飛鳥田(あすかだ)成海(なるみ)だった。

「勝てるじゃないわ、勝つのよ」

 そんな会話をしている間に、いち早く抜け出した蜘蛛の魔物、アラクネの布野(ふの)桐栄(きりえ)だ。彼女はすでに人に化ける術を解いてしまったようで上半身は人間の女のままだったが下半身は蜘蛛になっていた。何本もある足をかさかさと動かしながらこちらに向かって口から糸を吐いてくる。

 後ろに宙返りしてそれをかわし、追ってくる糸は鎖で断ち切った。

「手数の多さなら負けないわ」

 地面に着地するため体勢を整えながらぱっと両手を開く。

 わっと現れた蝶たちが白い羽を上下させながらひらひらと飛び回る。成海をはじめとする十数人の足止めを手下たちが引き受けてくれている間に桐栄を指差した。

 白い糸の束を引き裂きながら伸びた銀色の鎖はお互いをぶつけ合わせ、じゃらじゃらと音を立てながらその足を地面に叩き付ける。

 実行委員会が戦闘の続行不可能と判断する基準は二つある。一つは気絶、もしくはその場ですぐに体を動かせない傷を負った場合。もう一つは拘束系の技や魔法で一定時間動きを封じられた場合。この時間は術者の使用する魔法や道具の種類によって異なる。一分でなければいけない場合もあれば、数秒で済むこともある。

 あたしの鎖による拘束によって戦闘続行不可と判断されるまでの時間は十五秒。これはただですら強度のある鎖にあたしの魔法があることと使用中は大きな魔法を使えなくなることを配慮された上で委員会側が出した時間だ。

 つまり十五秒間、桐栄を押さえ付けておくことができればまず一人は潰せるのだ。

 エール合戦において、拘束系の技が使える存在は誰よりも有利だ。手間を掛けずに敵を退場させられる。最初に潰しておくべき相手なのだ。

 しかし、バレー部連中だって馬鹿じゃない。こっちの考えに気付いたらしい成海が手下たちを切り抜けてこっちに駆け抜けてくる。

 その姿は徐々に人間から離れていく。下半身は鈍く輝く魚類の鱗で覆われ、胴体から六頭の犬の頭が我先にと前へ前へと突き出た。

 双眸が炯々とこちらを捉えた。

「ガルァ!」

 六頭のうちの一頭がこちらに牙を剥いた。ここまでで三秒。

 二秒だけ頭を動かして一秒で腕を突き出した。残りは九秒。長い十五秒だ。

 腕から走る鋭い痛みに顔を歪めた。ぼたぼたと白い牙を伝いながら床に血が垂れていく。足を踏ん張りながら相手の顔を確認すると驚愕交じりの顔でこちらを見ていた。まさか自分から飛び込んでくると思わなかったらしい。残り四秒。

「しつけのできてない犬っころね……!」

 ばっと腕を振り払い相手を蹴り飛ばした。

 成海の体が吹っ飛んで壁に叩き付けられた成海がぐったりとその場で崩れ落ちたとき、ちょうど十五秒が経過したのでゆっくり無事な方の手をあげて桐栄を解放する。

「副キャプテン! 桐栄先輩!」

 一個したと思われる部員の声が響き渡る。そんなことより右腕いてぇ。

 自分の体にこんなに血があったのかと驚いてしまうほどだらだらと血が流れ続ける。しかし、あたしに止血させる間もなく「おのれ!」とまた数人飛びかかってくる。

 怪我人には優しくしろと心の中で怒鳴りながら負傷した腕を振り上げる。傷口から出続けている血が空中に鈍く舞う。ぱちんと指を鳴らした瞬間、空中に散っていた血の一滴一滴から赤黒い鎖が伸び、バレー部たちを縛り上げる。

 とはいえ、全員を縛ることができたわけではない。恐らく先輩なのであろう部員の足を受け止めながら綴とやりあっている周防に視線を投げる。さすがに一人で十数人はハードモードすぎる。元々人生ハードモードなのにこれ以上どうしろってんだ。

 あたしのなんとかしろという心の叫びに気付いたのかはいはいとばかりに頷いた周防が綴を一度蹴り飛ばす。

 ばさっと翼を羽ばたかせ、着地する綴を見送りながら周防はナイフを放り投げてからその場で一回転。


 そしてその場に立っていた『周防徹』の姿を見て、綴は絶望的な表情を浮かべた。


「よう、バレー部?」

『周防徹』から発せられた声は、先ほど選手宣誓をしていた声と全く同じだった。

 早い話、彼は、今この瞬間、巴夏菜に成り代わっている。

 あの人目を惹く、気の強そうな美人っぷりが滲み出たその顔も、それに浮かぶ意地の悪そうな笑顔も夏菜そのものだとしか思えないがあれは周防徹だ。

 からくりをよく理解しているはずのあたしですらそう思うのだから普段さほど周防と関わりのない存在が目の前で成り代わられたとしても本物だと思い込んでしまうなんてことはあり得るだろう。


 まして、巴夏菜に恐れを抱いている存在ならなおさらだ。


 先ほどまでの威勢はどこへやら、すっかり腰が抜けたようにその場でしゃがみ込んだ綴はずりずり体を後ずさらせながら「な、ななな夏菜ささささ!?」と突然現れた『巴夏菜』に泣きそうになっていた。

 綴は夏菜がとにかく苦手らしい。いや、苦手というより怖いという方が多分しっくり来る。夏菜も綴のことがあまり好きではないらしく(それでも死ねとか言わないからあたしほどではないようだ)優しく対応しない。何が原因なんだろう、思い当たることはあるが本人に聞いたら首が飛びそうだ。

 くるくると空中で弧を描いていたはずのナイフは気が付けば薙刀へと変わっていた。自分の手元に落ちてくるそれをキャッチしてからくるくると回し、あたしの方を睨み付けた。

 調子を合わせろってか。やれやれと治癒魔法を右腕にかけながら苦笑する。

 他のバレー部も突然現れた巴夏菜に動揺しているようで攻撃の手は止まってる。好都合だ。

「何しに来たのよ、夏菜。心配しなくてもあんたは最後に相手してあげるわ」

「うっせぇ死ね」

 周防だと分かっていてもそう言われるのは胸に来るものがある。

 憎悪に満ち溢れた瞳を『夏菜』はこちらに向けてから綴に向き直って「私がやる前にあんたがやられたら困るんだよ」ひっ、と綴が悲鳴を上げた。ははっと笑う。

「あたしが負けるとでも?」

「そんなに血まみれになっといてよく言う」

 周防だろ、なぁ、今の言葉、夏菜とか関係なかったろ。

 心の中でツッコみながら演技派のあたしはぐっと言葉を詰まらせたフリをする。

 そんなあたしに構わずに『夏菜』は綴の方にまた視線を向け、にやっと笑った。

「というわけで、死ぬほど私の邪魔だ。綴・デル・オルノ」

 ひぃいいと綴がガタガタと震えあがった。可哀想なくらいだ。

 薙刀の刃を向けられてぶんぶんと首を左右に振った綴が叫ぶ。

「無理です! やっぱり無理です! 下剋上とか無理っす! 勘弁してぇ!」

「それ、降参ってこと?」

 けらけらと笑う『夏菜』に綴はぶんぶん首を上下に振った。

「生意気言ってすんませんでしたぁ! 降参するからぁ!」

 その言葉に、『夏菜』はあたしに向き直るとにっこりと愛想のいい笑顔を浮かべた。

「だ、そうですよ」

 夏菜の声でそういう風に言われると気味が悪い。

 苦笑しながら「ええ。そうらしいわね」

 え、え、と綴が視線をあたしと彼女の間で行き来させる。

「ごめんなさい、綴さん」

 そう言って『夏菜』はまた一回転して、やっとその姿を周防徹に戻したのだった。そこでようやく、自分がすっかり騙されたのに気付いたらしい。

 女子バレー部の主将はキャプテンである綴だ。つまり彼女が降参を宣言すればチーム全員が否応なく退場だ。

 あたしのところに駆け寄ってくる周防とハイタッチを交わすと不満げな綴の声が響く。

「あああああ! 何それ! ずるい!」

 ぎゃんぎゃん喚く綴に笑顔のまま周防がきっぱり告げる。

「勝てば官軍、負ければ賊軍です」

 それさっきあたしが同じようなことを言ったような気がする。

 うー、と唸っている綴だったものの往生際はいいようでぶーっと頬を膨らませるだけでそれ以上は言わなかった。ルールをわきまえているあたり基本的にはいい子なのだ。

 精神攻撃は基本、とぼそっと呟く。他の部員たちが「キャップ!」と綴に駆け寄って行く。そんな彼女たちの肩を借りながらとぼとぼと歩いていく後ろ姿を見て「夏菜さまさまね」と呟いた。

「手段は選んでいられませんから。あなただってノリノリだったでしょう」

「まぁねー。あたしたちならいつかオスカー行けるわよオスカー」

 くすくす笑いあっていると異変を感じて顔をしかめた。何かの音が聞こえた気がする。周防と顔を見合わせる。

 周防とあたしが廊下の床を蹴りつけ窓の方へ駆け出したのはほとんど同時だった。


 瞬間、あたしたちが立っていたところに一瞬で風穴だらけになった。


 うわ、と顔を歪めながら地面を蹴り上げ、身を屈めながら窓を突き破り、外に出る。きらきらと二枚分の窓ガラスの破片が太陽の光を反射させ、輝いた。

 あたしたちを追いかけて、弾丸が宙を飛ぶ。地面に着地すると校庭の方を振り返った。

「誰?」

「白咲ではなさそうですね」

 足元には野球部がそのままにしたのであろうバットや硬球が転がっている。溜め息を吐きつつ、

「やーね物騒で」

「全くです」

 突き破られたガラスの窓枠に人影が写る。顔が見えない。

 ぐっと二人で身構えると人影が腕をあげた。そのまま振りかぶる。

 窓から何かが飛び出してきた。目を細めて、やっとその正体を理解する。

「げ、手榴弾……!」

 ピンが外された手榴弾がくるくるとこちらに向かって飛んできている。

 まずい。逃げようにも時間がない。どうしのぐか迷っているとあたしが行動するより早く、周防が動いた。

 周防は足元で転がっていたバットを足で蹴り上げると手に取って、そのまま打ち返した。

 きぃんと、小気味いい音を立てながらバットに直撃した手榴弾はそのまま元来た道を戻って、爆発した。

 火を吹く校舎を見ながらバットを放り投げ、ぱんぱんと手を払う周防に思わず。

「ナイスバッティング」

「どうも」




 それから二十分ほど。あたしたちは本校舎の中を歩いていた。

 すでに大分激戦があったようでタイルを抉った跡やわずかに血が付いている。よくもまぁ、学校の中でここまで遠慮なくやるもんだと感心するほどだった。

「東雲くんたち大丈夫ですかね」

「あいつはそんなに簡単にやられるタマじゃないわ」

 二人分の足音が嫌に大きく響く。

 それより、気になっていることがある。今まであたしたちは生徒会役員に一人も会っていない。もしかしたら一番に飛びかかってくるなんて厄介なことがあるかもと心配していたのだが。

 恐らく向こうの大将も、あたしたちと同じことを考えているのだろう。最後の一騎打ちを望んでいる。

 上等だ。やってやろうじゃないか。

 向こうの作戦に自分たちから突っ込むのも怖いが、こっちが確実に勝つにはやっぱり一騎打ちしかない。

 廊下の奥の方まで目をやりながらゆっくり突き進む。階段を通り過ぎたところでがたがたと音がした。慌てて振り返ってから、視界に捉えたものの名前を思わず叫ぶ。

「ヤギ!」

「え?」

 疑わしそうな目でこちらを見る周防にぶんぶん手を振りながら主張する。

「ヤギ! ヤギ! ヤギヤギヤギ! ヤギよヤギ!」

「なんでヤギ?」

「知らないわよ!」

 けれどあたしは確かに見た。黒いヤギが階段を駆け上がって行くところを。

 追いかけたい、そう思って足を向けようとするとあたしの目の前を何かが通り過ぎた。

 床に突き刺さっていたのは槍だった。飛んできた方を振り返ると緑色の鉢巻を巻いた男女数名の集団だった。その腕に巻かれた腕章を見て、顔を引きつらせる。

「恭子の親衛隊……」

 白咲恭子親衛隊。連中も今回の参加団体だったのか。

 周防が本日一番の不愉快そうな顔をしている。恭子という単語だけで嫌がるレベルではなかろうか、こいつ。

「申し訳ありません」

 先頭に立っていた男子生徒が丁寧に頭を下げながら続ける。

「いくら周防さまたちといえど、我らが恭子さまの邪魔はさせませぬ」

 不機嫌そうに周防が舌打ちするのが聞こえた。

 それからこちらに振り返った周防はナイフを取り出しながら「引き受けます」とにこりともせず言い放った。

 あまりの無表情っぷりに拒絶しようとすら思えなかった。

「わ、わかったわ」

 顔を引きつらせながら、あたしは階段を駆け上がった。

 下の方から悲鳴が聞こえるがどうにもできないのでただ駆け上がった。

 あたしを待っていたのか、立ち止まったままの黒ヤギの双眸があたしを捉えてからまた走り出した。しなやかな脚が階段を駆け上がって行く。

 理由は分からない。分からないけれどあたしはあのヤギを追いかけなければならない気がするのだ。

 手すりを乗り越え、壁を蹴り、ヤギの背に食らいついた。一番上の階に辿りつくとヤギは小馬鹿にするように廊下を駆けてから屋上へ続く階段へと向かって行った。

 追い詰められる。無我夢中でその後に続いて、開けっ放しになっていた扉の中へ飛び込んだ。

 息を切らしながらゆっくり顔を上げると、そこに居たのは、ヤギだけではなかった。

「おかえりピーター」

 黒いヤギを撫でていたのはエール霧雨学園の指定ジャージを着た輩だった。

 少し長めの艶やかな髪に引きずり込まれるような整った綺麗な顔は一見すれば女にしか見えなかったが聞こえてきた声は男のものだった。

 俗にいう男の娘だ。

 その目は赤く輝いている。別にこの学校じゃ珍しくはないので普通に口を開いた。

「その名前はうさぎにつけるものじゃないかしら」

 彼がこちらに振り返った。それから嬉しそうににこっと微笑んだ彼は「魔女が来た」と告げた。

 額に巻かれた黒い鉢巻が風に吹かれてひらひら揺れる。どこの団体があの色だったろうか、そもそもどこの生徒だったかと思い出そうとしてから三秒でやめた。全員把握しているわけでもないし、時間の無駄だ。

 どの道、倒れておいてもらおう。

 ぱんっと手を叩くとわぁっと蝶たちが現れた。黒ヤギを撫でていた彼は「ピーター」とその名を再び呼んだ。ヤギはぷるぷる頭を左右に振ってからあたしたちにまた瞳を向けた。

 コンクリートの地面を蹴り上げて、ヤギがこちらに飛びかかってくる。舌打ちしながらヤギを指差せば蝶が一斉にそちらに飛んで行った。

 蝶の群れに押され、地面にヤギが叩き付けられている間に彼がにこりとあたしにまた微笑んだ。

 ぱっと彼が手を開くとわずかな光と共に白い鞘に納められた一振りの刀が現れた。その刃を鞘から抜いて、こちらに見せると地面を蹴り、彼がこちらに走って来た。

 一瞬で間合いが詰められた。身を引いて振り下ろされる刃をかわすと彼は片手に握っていたその白い鞘であたしの横腹を殴りつけた。

 鈍い痛みに顔をしかめながら彼を蹴り飛ばし、距離を取る。

「ウサギが君の行く手を横切った!」

「え?」

 踏み込んで横に薙ぐように振り払われた刀を上半身を逸らしてかわしていると彼はそんなことを言い出した。

「あたしの目の前を横切ったのはヤギよ」

 けらけらと彼が笑う。

 SF映画ごっこはうんざりだ。体勢を立て直し、また距離を取ってから滲んでいた汗を拭う。

「じゃあ君の前を横切ったのは魔女じゃなかったってことだ」

 意味不明なことを言ってくるくる手すりの方まで歩いて行った彼はふわりと微笑むと刀を鞘に納め、手すりに腰かけた。

 まだ腹部が痛くてうまく動けない。痛む部分を押さえながら相手を睨み付けていると美しい顔で空を仰いでから彼は言い放った。

「でも君はウサギというより――」

 言葉が聞き取れなかった。

 混乱するあたしを置いて、にこっと笑ってから彼はぐらり、手すりの外へ体を放り投げた。物理法則に従って落下していく主人を追ってマイケル(名前を忘れた)もまた、大きく飛び上がって、手すりを越え、落ちていく。

 そこでようやく硬直が解けたあたしは手すりに乗り出して下を伺うももうすでにあの男の姿は見えなかった。逃げたか、悔しくて小さく足を地面に叩き付けた。

「クソッタレ」

「お嬢!」

 呟くと同時に後ろからいかにも悩みのなさそうな明るい声が飛んでくる。

 振り返れば、階段を駆け上がってきたのかぜぇぜぇと息を切らした結城があたしを見上げていた。

「結城」

 そちらに歩み寄れば腰に手を当てた結城が笑う。

「いや、さっき周防に会ってさ。合流しようってなってお前のこと色々さがし」

 彼の言葉を最後まで聞く前にあたしの体が動いていた。

 つかつかと結城に歩み寄り続けて腕を伸ばして、そのままその体に抱き着いた。男にしては細いだろうがやっぱりあたしのものよりは遥かにしっかりした体に今日だけは無性に安堵した。

「お、お嬢……?」

 彼の胸に顔を押し付けていると頭の上から狼狽したような声が聞こえてくる。しかし、それには一切構わずに腕の力だけを強めた。

 なぜだろう。さっきまでなんともなかったのに、この男の顔を見た途端、妙に不安になってしまった。

「結城」

「……ん?」

 ついにあたしから事情を聞きだすのを諦めたのかぎゅっと抱き返してくる結城に顔を上げて、告げる。

「柔軟剤と火薬と血の匂いがするわ」

「うえ、マジで?」

 すんすんと自分の腕に鼻を当てた結城は「さっき一発喰らったときかなぁ」とぶつぶつ呟いてから、

「でも安心するだろ」

「しねーよ馬鹿野郎」

 否定するところはきちんと否定してからぐいっと結城の体を押し返す。

 もう大丈夫だから、そんな意味を込めていた。しかし、そんなあたしをやたら寂しそうに見つめてから結城は両手を広げて笑った。

「もう少し頼ってくれてもいいんですよ相方」

「これ以上あんたに触ってると電波がうつりそうだからお断りするわ相方」

「俺は病原体かなんかか!?」

「あはは、あんたそりゃ病原体に失礼よ」

 本当のことを言っただけなのにやたらお怒り気味の天才殿はむにーっとあたしの頬を引っ張りながら吠えてくる。

「なんでお前はいつもそうやってぇ!」

「やめてほんとに東雲菌がうつる」

「マジトーンでそういうこと言うなってばぁ!」

 ギャーギャー言いながら引っ張られるのが鬱陶しくてこちらも彼の頬を引っ張り返してしまった。

 一瞬、きょとんとしてからやたら楽しそうに笑う奴がムカついてさらに手の力を強めた。




 当初の目標の通り、全員が生き残った上で他団体の叩き潰しが終わった。

 同じ状況を目指していたのであろう生徒会が動き回っていたこともあってさほど大きな問題はなく終わることができたのはよかったと思う。

 こちらの思惑通りであり、ある意味では向こうの計画通りでもある。

 わざわざ残して行ってくれたのであろう魔力を辿り、招かれたのは体育館だった。

 閉ざされた重厚な扉を目の前にして結城と視線を交わす。どちらともなく手がそちらに伸びて、左右両方から同時に押し開いた。

 扉の開く音が大きく響く。その音にステージ上にいた人影がぴくりと動いた。右手にはアルミ缶を握っている。

「てっきり怖気づいて帰ったかと思ったよ」

 大きく、響く澄みきった声に思わず笑い声をあげる。

「そっちこそてっきり籠城を決め込んでるんだと思ったわ」

 舌打ちの音が大きく響き渡り、夏菜の手からアルミ缶が放り投げられた。

 瞬間、恭子が真っ白な両足につけられていたレッグホルスターから拳銃二挺を引き抜いた。銃声をあげながら火を吹いた銃がアルミ缶を跡形もないほどにぶち抜いた。

 んふ、と肩をすくめながら恭子が可愛らしく笑った。その視線は周防一直線だ。

 もう一人は、と視線を投げて、予想通りすぎて思わず吹き出しそうになってしまった。


 蒼井美里は視線をリンリンに向けたままカタカタと小刻みに震えていた。無理もない。まさかこの段階まで人間のリンリンが残っているとは夢にも思わなかったことだろう。


「美里ちゃん」

 キッとリンリンの意志の強い瞳が美里さんを貫いた。

 その途端、泣きそうな顔をなった彼女は「うわあああああやっぱり無理いいいいい!」と頭から鉢巻をはぎ取ると床に叩き付けてその場に崩れ落ちた。

「私は天使に刃は向けられないしいいいい多分なっちゃんか恭子がやろうとしたらぶっ殺しちゃうからやっぱりらめぇえええ!」

「うん分かってた、どうせお前はこの局面じゃ使い物にならないだろうなって」

 夏菜が特に思うこともなさそうにそう告げた。あらあら、と笑う。

「もう二人になったわよ? 大丈夫?」

「二人?」

 はっと、夏菜はおかしそうに笑ってから薙刀を構え直した。

「甘いんだよ、考えが」

 夏菜の言葉に次いで「あぐ!」と小町ちゃんの呻き声が鼓膜を揺らした。

 振り返れば、一番後ろに居た小町ちゃんが血が流れる腕を押さえながら誰かと対峙していた。

 相手は黒のジャージに口元を布で覆い隠しながら鍔のない短刀――匕首を構えている。

 押し殺したように小町ちゃんが笑った。

「相変わらず戦っているときは無口な男よのう、相瀬(あいせ)

 生徒会本部、顧問、相瀬 影之進(かげのしん)

 担当教科は古典と魔法学と呼ばれるこの学校独自の教科。もっとも本人は魔法を使う存在ではなく、暗殺者の一族の末裔だという話を聞いた。普段は眼鏡をかけているから分からなかった。

「さすがに小町先生に動き回られると色々こっちが不利になりかねないからね。相瀬先生に頼むのは当然だよ」

「想定の範囲内よ」

「強がんなって」

 にいっと、巴夏菜は歪に笑った。

「じゃあ、こっちもはじめよっか」

 ステージを蹴り上げて、恭子が宙に舞いあがった。

 地面に落ちながら手に握られた銃が火を吹いた。

 雨の如く飛躍する弾丸は周防を目がけて飛んでいく。後ろに飛び下がって、それをかわしてからダガーを取り出してから投げつけた。

 眉一つ動かさず、そのナイフを撃ち落としてからみひゃっと恭子が明るい声をあげた。

「徹、私が勝ったらデートしてよ」

「……安心しろ、お前が勝つなんてあり得ない」

「いやん、強気なとおるんもかっこいい」

 ちゃっと銃口を周防に向けながら恭子はにやりと笑った。

「そういう相手を叩き潰すのが一番燃える」

「やってみろ」

 金属の音が高い天井に向かって響き渡る。

「舟生、下がってろ」

「う、うん……」

 結城に言われ、リンリンが身を引いたのと同時に夏菜の薙刀が彼の足目がけて飛んでいく。辛うじてそれを刀で防いでから押し返した。少し距離を置いてから一気に間合いを詰めて、刀と薙刀がぶつかり合う。

「和解ってのはないかな、巴」

 天才殿の申し出にはっと夏菜は嘲笑うかのように口元を引き上げた。

「ありえないかな」

「デスヨネ」

「悪いけど君もまとめて二度と私に楯突けないようにしてやるから」

 安心しろ夏菜、そいつはもうすでにお前に楯突けないから。

 そんなあたしの心の補足は聞こえなかったらしい夏菜が結城を蹴り飛ばしてからくるりとこちらに振り向いた。目と目はあったが残念、ラブストーリーははじまりそうにない。

 あたしを切り裂こうと牙を剥く薙刀を指差して鎖で防ぐ。

 でも、夏菜の諦めの悪さはさすがにレベルが違った。自分に向かってくる鎖を強引に弾き飛ばし、距離を詰めてくる。その度に鎖が阻害して、また夏菜がそれを弾く。繰り返しだった。完全にあたしの防戦だ。

「どうした魔女さま! 防いでるだけじゃ私は倒せない! かかってこいよ!」

 完全に嘲り笑っていた。あたしで遊んでやがる、このアマ……!

「うるさいわね、あたしは平和主義者なのよ!」

 心にもないことを言いながら体育館の中をずりずりと後ずさるので精一杯。

 時折火花すら散らしながら金属がぶつかり合う音が響く。それを聞きながらとん、と背に壁をぶつけた。

 小さく舌打ちすると夏菜がにっと笑って薙刀を振り上げた。

 しかし、それがあたしに振り下ろされることはなかった。顔をしかめた夏菜がざっと自分の真横にそれを薙いだ。

 地面に叩き落とされた矢が転がった。

「頭を狙ってこない辺り君らしいよ」

「俺が狙ったらお前の頭吹っ飛ぶぞ」

 弦を引きながら結城がにこにこ笑っていた。

 はは、と夏菜が笑う。

「大した自信だ」

 その目が再び、鋭く吊り上った。

「ほんと、ぶっ飛ばしてやりたくなるくらいには」

 殺すじゃないだけまだあたしより好意がありそうだからワンチャン……ないか。

 哀れな相方に同情しつつ、手を叩き、天井の辺りに鎖を呼び出しながら夏菜に蹴り込んだ。振り上げられた足は薙刀であっさり防がれてしまったが想定内だ。呼び出した鎖が振り上がったままのあたしの足に巻き付いて、そのままあたしの体を引き上げた。

 天井に巻き付いた鎖は一度あたしを宙吊りにして、ぽいっと後ろに放り投げる。宙返りしながら着地して心の中で自分に十点をプレゼントしておいた。

 視線を夏菜に戻すと間合いを詰めていた結城の蹴りが一発ようやく彼女に入っていた。もっともただでやられてくれるほど夏菜も優しくないらしく、そのお返しにうちの相方も一発拳を喰らってたが。

 天才同士の殴り合いはこうも恐ろしいものなのかと凡才が戦慄していると「ごめんともとも!」と恭子の声が響いた。


「ドローになっちった」


 そこに居たのは周防の頭に銃口を突きつける恭子とそんな彼女の首元にナイフを押し付ける周防だった。

 お互いに、少しでも動けば相手にとどめが刺せる硬直状態。委員会側がドローの判断を下すには十分だ。すみません、と視線で言われたような気がするので問題ないわとだけ視線で返す。そこの試合がどう転ぼうが周防がデートをしなければいけないかしなくていいかしか問題は発生しない。

 ドローは恭子的にはどちらに入るのだろうとかくだらないことを考えながら「二対一よ」リンリンは、あたしたちの負けが確定した時点で大人しく降参することを約束させている。

「しかも片方は東雲結城。あなたに勝ち目はあるかしら?」

「何が言いたい?」

 小町ちゃんの拳が空気を切り裂く音を聞きながらにっこり、とびっきりの笑顔を浮かべる。

「悪いことは言わないわ。降参しておきなさい」

「冗談だろ」

 薙刀の柄を握りしめたまま、夏菜が目を大きく開いた。そうしてこぼれ落ちたのは心の底から楽しむような声だった。

「こんな面白い状況で、私が逃げ出すと思ってんの?」

「……そうね、あんたはそういう性格だったわね」

 とにかく、警告はしてやったんだ。

 仕方ない、と溜め息を吐きながらあたしは淡々と、口を開いた。

「『この空虚な世界で私は何を愛として定義すればいいのだろう』」

 ぴたっと、夏菜の動きが止まった。

 目に明らかな動揺が浮かんでいる。なんで知ってる。そういう目だ。

 それでもあたしの口は円滑に言葉を紡ぐ。

「『この空虚な世界で私は何を失ってしまったのだろう。失ってしまったものはもう二度と取り戻せない。割れたガラスは二度と元には戻らないのだから……』」

「は、なん……」

 本当に珍しいことに、顔を真っ赤にしながら夏菜は金魚のように口をぱくぱく動かしていた。

 呆れたように結城がこちらを見ているが気付かなかったふりをして笑いかける。

「大変だったわ、これを見つけるの」

 自分の爪を見つめながら、言う。

「でも夏菜ママがあたしを覚えててくれたおかげで割合スムーズだったのよ、あんたの黒歴史であろう机の一番下の引き出しの奥にしまわれたノートに書き連ねてあった詩、百十一篇を見つけるの」

「あの親ぁぁあああ!」

 ぎゃんぎゃん吠える夏菜ははっとしたようにこちらを見て、「ま、まさか……」と震えた声で言う。

「お前……あれ、全部」

 勿論。

「『白百合のように偽れない存在になりたいけれどこの偽善だらけの世界じゃそれもできない。だったらいっそ偽善者になってしまおうか』」

 全部覚えましたとも。

 言ってるこっちだって十分恥ずかしいのだから向こうが恥ずかしくない訳がない。真っ赤になりながらぷるぷると震える夏菜があたしを黙らせようと思ったのかだっと踏み込んでくる。

 余裕を失った今の彼女では今までの巴夏菜とは比べ物にならない。

「どうしたの夏菜」

 いいえ、と首を左右に振る。

 この際だ。多少のオーバーキルは許容範囲内だろう。

黒影魔刹(こくえんませつ)ちゃん?」

 ノートの表紙に書いてあったペンネームと思わしきその名前に完全に夏菜の余裕は打ち砕かれた。

 こうなれば、あたしですら彼女を拘束するのは簡単だ。指差せばあっという間に夏菜の体は鎖で拘束された。

 抵抗する気力すら、もはやないらしい。ぐったりと項垂れる夏菜を見ながら「卑怯だ」と後ろの結城がぼそっと呟いた。あんたはどっちの味方だ。

 リボンを解きながら「さあ」と苦笑する。

「卑怯なのはどっちかしらね」

 え、と結城が顔をしかめた瞬間、鎖の中にいた夏菜がぱっとその場から消えた。

 やっぱり。振り返りながら真後ろを指差したがどうやら少し間に合わなかったらしく、刃があたしの太腿を切り裂いた。血を噴きだしながらあたしの体はあっさりその場に崩れ落ち、同時に刃の持ち主はからからと薙刀を落としながら再度、鎖を巻き付けられた。

「ま、どーせ……あんたのことだもの……! こんなこったろうと思ってたわ……!」

 激痛に顔を歪めながら、拘束された本物の夏菜を睨み付けた。

 彼女ははっと、笑い飛ばす。

「私をお前らと同じ価値観で見ないでくれる? 私の人生に黒歴史なんてない、全て輝かしい過去なんだよ」

「いいわね、あんた、人生楽しそうで」

 それでも結城がいる以上は、こちらの勝ちだ。

 残り数秒で確定する、実感のない勝利を噛み締めながらその場に倒れ込んだ。


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