一色≪8≫
『そろそろこのカードに気づいてくれたかな? ボクは携帯のメールというものに不慣れで、不本意ではあるが特殊なお手紙という形でいくつかヒントをあげようと思ったんだ。
あ、気づいているとは思うけどボクは墓場から君を飛ばした男だからね。
さて一つ目のヒントだが君が今必死に捜してる子はいくら捜しても無駄だ。なぜなら彼女はそっちに飛んでないから。
二つ目のヒント。察するに君はそこを日本だと思っていないだろ? うん、正解。そこは日本ではない。表ではなく裏。つまり異世界と呼ばれる場所。
では、幸運を祈る』
黒いカードに印刷されたように白く浮かぶ文字列は意味不明を通り越して現実味が一切なかった。 そもそも現実とはなんだったろうか。
玲斗の思考はそんな所へ不時着する。
水無瀬玲斗は今年から高校生になった。入学当初は左眼の眼帯のことで色々と聞かれはしたが高校での生活は中学時代より充実していて、余裕があると玲斗自身感じている。
部活には所属せず、学校が終われば近所のスーパーでアルバイトをし必要最低限の生活ができるように働く。
食事だけは山本紗枝の家の好意に甘えているので早く自立しなくてはと考えている。夕食後は自宅に戻り課題に取り組むのだが、知らぬ間に紗枝がリビングでくつろいでいることがあり、本人曰く、「女子校通いの大学受験生は色々とストレスが溜まるから息抜き」なのだそうだ。
課題が終われば紗枝を家に帰してシャワーを浴びる。光熱費の関係で湯は張らない。汗と疲れを文字通り洗い流しベットに潜れば一日は終わりだ。
周りの友人と比べれば少し異質なとこもあるのだろうが水無瀬玲斗の現実とはこんなものだった。同じサイクルで日々を過ごし、人生という時間を削って今日を生きる。
自分を置いて時計の針だけがグルグルと何周もするような毎日に退屈こそすれ、壊したいとは思ってなかった。
ガラガラと音を立てて崩れていく昨日までの光景は玲斗の理性ではなく本能がカードに浮かぶ非現実を認めてしまった結果だ。
「でも、紗枝は飛ばされてない? こんな理不尽に巻き込まれてないなら、それだけでも喜ぶことだよね」
カードに書かれた内容が本当なら紗枝はこの森ーーつまりは異世界ーーのどこにもいないことになる。得体の知れない白衣男が宛てた内容を鵜呑みにするわけではないが、ひとまずは安心を得られる。
「これからどうしよう……」
カードを手にしたままおぼつかない足取りで前に進んでいたのは完全に無意識だった。今まで歩いていたのも紗枝を捜すという目的があったからで、目的がなくなってしまっては歩く気力もなくなる。
携帯のライトが照らす足元には歩き始めに比べて草や木の根が少なくなってきていた。先が見えないくらい茂っていた木々も今では随分まばらで、上からは月明かりが強く差し込んでいる。
月明かりがあるということは月が見える可能性があるということで、それは進む方角がわかるということだ。
進行方向を確かめるため玲斗が顔を上げる。
見えたのは数メートル先で途絶える木の列と人工物である灰色の壁だった。
いつの間にこんなものが、と思ったのも束の間。玲斗は足早に前方の一際明るくなっている場所へ進む。再会した手の平大の狐の群れには目もくれず、森を抜け切った玲斗の目に飛び込んできたのはーー度肝を抜かれるような光景だった。
森の出口から目算で二十メートルほどの間には自然の広がりが押さえつけられてるかのように一切の自然がない。そして、無機質な地面すらも遮る一つの人工物は玲斗の目を釘付けにした。
一言で形容するなら“壁”というのが相応しいのだろうか。玲斗が疑問を持ったのはその横幅と高さである。
つなぎ目のないコンクリートの壁よりもつるりとした表面をもつそれは右左どちらを見ても先が見えない長さと、見上げれば首が痛くなる程の高さ、写真や映像で見た世界一の電波塔も及ばぬ上からの威圧感は感嘆の念より恐怖を感じるほどだ。
ゆっくりと人間が造るには到底不可能な領域にある巨大な壁から、再び視線を地面へと戻していく。植物の生育が玲斗の立つ場所を境にまったくなくなっているのは、この壁の他者を拒絶するような威圧感ゆえではないかとすら思える。