一色≪6≫
*
身体の中が洗われるような爽やかな木の匂い。木の葉が揺れる音。 陰に差す陽光。
風が気持ち良く吹き抜け、前髪を揺らす。
木々の間から漏れる光は橙色で、闇の訪れを感じさせていた。
そんな中で玲斗は腕を組みながら自分に問いかける。
一体これはどういう事だろう?
人間の頭とは咄嗟の出来事においては全くもって役に立たないことを玲斗は実感していた。頭の中は真っ白で何も考える気が起きない。
「うーん……」
頭上を仰ぐと自分よりはるかに背の高い木が纏う葉が空を覆い隠し、木漏れ日がとても綺麗な光を作り出している。
光の続く先には木々が出迎え、足元には絨毯のような柔らかい草が豊かな自然を靴の裏から伝えてくる。
現実世界か疑いたくなるような神聖ささえ感じる大自然だ。
「なんで森の中にいるんだ?」
玲斗は自分を中心にぐるっと辺りを見渡す。辺りに人の姿はなく、どこを見ても金色の苔が生えた木々が大きな枝を揺らすだけである。
(しかも……)
目に入るのは今まで見たこともない動植物達。とんぼに蝶を合体させたような虫や、地面に咲くオレンジの桜など。玲斗の知る限りでは存在するかも分からないものばかりである。
気になるのはそれだけではない。さっきまで隣にいた二つ上のお向かいさんがどこにも見当たらないのだ。あの不気味な光に飲まれたのは間違いないとすると玲斗と同じように森で倒れてる可能性が高い。
「……紗枝を探さないと」
両親を事故で失ってからずっと面倒をみてもらってたのが自宅の向かいにある紗枝の家だった。事故が起こるまでは挨拶を交わす程度でなんの関わりもなかったのだが、気の良い紗枝の両親は親戚のいない玲斗を我が子同然に可愛がった。
しかし両親を一変に失ったことで当時9歳だった玲斗の心は酷く荒んでいた。小学校では誰とも口をきかず、出された食事を機械的に口に運び、紗枝と両親の邪魔にならないようにと夜だけは自分の家に帰った。
両親のいなくなった自分は可哀想で惨めでいらない心配ばかりされて一人じゃ何もできなくて。それが嫌で玲斗は心を閉じていた。
そこに手を差し伸べてくれたのがお向かいさんの一人娘の紗枝だった。いきなり家にやってきた玲斗を邪険にすることなく、持ち前の明るさで裏表なく接してくれたのは紗枝だけだった。
玲斗は携帯を取り出し画面を確認する。
午後六時。家を出たのが太陽が昇り始めた頃なので、すでに半日が経ったことになる。
そしてある程度予想はしていたが携帯の電波は圏外。連絡が取れればそれに越したことはなかったのだが……
初夏にしては涼しい風が森を抜けた。日陰が多いせいか街中で感じる風よりも温度が低いように感じる。
もし紗枝が森の中で目を覚まさず横たわったままでいたなら。何かに襲われていたら。
ブルっと玲斗は身体を震わせた。そんなことあってはならない。不安を蹴飛ばすように玲斗は前に一本踏み出した。
誘拐でも殺人でもなく玲斗を森に置き去りにして男にどんな得があるのだろうか? 第一にどうやってここに運んだのか? 紗枝は無事だろうか?
もくもくと歩を進めて考えても思考だけは一向に進まない。
森はかなり広め且つ入り組んでいるらしく一向に外に出れない。もちろん人の影などは皆無で、時折がさつく茂みを探ってみても出てくるのは耳が羽になってる兎や手の平サイズの狐の群れだったりする。
(早く紗枝を見つけて帰らないと)
自分だけが訳のわからない現象に巻き込まれてるならいい。しかし紗枝が巻き込まれてしまっているのなら、それは何としても探し出さなければならないのだ。