4月5日(金) 先輩と後輩を取っ払おう!
鼻歌を歌いながら、お茶を淹れる円の姿を楽はテーブルから見つめていた。
(この瞬間だけが今の所のお楽しみだなぁ……)
テーブルに突っ伏してニヤニヤしているのを悟られまいと隠す。 今日は真彩に三回噛まれたり、詩子に自主制作品を押し付けられたりと散々な目に遭った。
(こればっかりは楽しみにしてもバチなんか当たらないか)
「……相良さん、具合悪いんですか?」
声をかけられてハッとする楽。 目の前にはお盆を持った円が立っている。
「いっ、いいえ! そんなことはないです!」
「そう、ですか? 遠慮しなくてもいいですからね。 相良さんって真彩ちゃんや詩子ちゃんみたいに精神的にタフじゃなさそうですし」
(うぐっ!)
確かにタフではないが何もストレートに言わなくても……と、今度は悲観的な意味でテーブルに突っ伏す。
「だ、大丈夫ですか!? きゅっ、救急車! 保健室!」
「……大袈裟です、瀬名さん……」
「本当に? 本当の本当にですか?」
今度は逆に気を遣われ過ぎて顔を上げることが出来ない。
「男の人の入部は今まで無かったそうですから、応じ方とかいまいち解らなくて……」
お盆に載せられている湯呑みをテーブルに置き、部室左上隅の台所へと戻って行く。
「いいんですよ、女友達と接するような感じで」
「うーん……それはそれで失礼だと思うんですよ、私」
そう言いながら楽の真向かいに座る円。 眉を八の字に狭めて真剣な面持ちだ。
「じゃあ、どうします?」
「先輩と後輩の壁を取っ払っちゃいましょう! 互いに敬語だからいけないんです!」
何を言い出しているんだ、この人は……と感じたが彼女なりのスキンシップなのだろうと楽は思うことにした。 一方の円は手と手をポンと合わせてウキウキな様子。
「相良君」
「はっ、はい!?」
「だーかーらー、相良君も私と同じようにやって!」
「せ……瀬名さん……」
「ちーがーうーっ! そこは『円さん』でしょ!」
あまりの迫力に腰が引けてしまう。 ついでに恐怖で顔が引きつる。
「『円さん』! はいっ!」
「ま、円さん……」
「グー! ベリグー! それだよ、相良君!」
右手を突き出して親指を天へ突き立てる。 かなり満足しているようだ。
「でも、さすがに敬語は取っ払えないんですけど……」
「どうして?」
「どうしてって……」
視線を泳がして時間を稼ごうとする。 だが、円がそれに合わせて追ってくる。
「まだ……」
「『まだ』?」
「まだ、五日目ですし」
「『もう』五日目じゃない! ダメだよぉ、そんなんじゃあ!」
テーブルに乗っかって楽に顔を近づける円。 額と額がもう少しでくっついてしまいそうな距離まで近づいて来る。
「さぁ、敬語を取っ払おう!」
「無理ぃ! 無理ですー!」
近づいて来る彼女の顔と胸と吐息を避けようと後ずさりする、が当の本人はまだまだ諦めきれないのかジリジリと距離を狭めて来る。
「……」
「……」
「まぁ、いきなりは無理か」
諦めて元いた位置に戻る。
「じゃあ、せめて四月が終わるまでには……」
「それって、部室以外でも敬語禁止ですか?」
「え? そういうもんじゃないの?」
「えー……」
予想していない返答に思わず頭を抱えてしまう。
「せ、せめて部室限定で敬語禁止をお願いします」
「でも、それって変じゃない? 私としては相良君とは良いお友達になりたいから場所を問わずにフレンドリーにお付き合いしたいのに」
「そう言われても……」
「どうなの!?」
かなり強気の円に押されしどろもどろになる。
「ど、努力します……」
「それなら良し!」
にっこりと笑う少女に少年は色んな意味で危機を感じた一時間であった……