9章
僕の話はこんなところだ、何か走馬灯のようだったな。全部話す時間があったみたいでよかったよ。
僕はキチガイなんかじゃないだろう?
ただただ正しいこと・確実なことを探求するあまり、極端な無価値論に至ってしまった。それを知ってほしかったんだ。
ところで、、、いったいいつになったらこの踏み板は開くんだろう。
もうかなり時間が経った。
何も聞こえないが事故でもあって中止されたのであろうか?ではなぜ僕に知らされない?無用な動揺を与えないためか?
僕は痺れを切らして呼びかけようとした。
「おい!いったいどうなって―――」
僕の脳は声を出せ、と命令したはずなのに体は反応しなかった。
緊張で舌が渇いてのどに張り付いたのか?
いや―――違う。
確かに体の感覚はあるのだが、それを動かすことは出来ない。運動神経だけが切断されたかような、意識と体が分断されたような感覚だ。
一体どういうことなんだ。
僕は理解した。
相対性理論の中にあった考え方だ。同じ時間を過ごしていても人によって感じ方が違う。楽しい時間は早く、いやな時間は長く、、、。
人間にとって一番いやなものは何だろう?
それは「死」だ。
どんなに精神で無価値論を唱えたところで、僕は生物的に、本能的に死を恐れていたのだ。
つまり、確実な死に直面した僕は最大級の恐怖を感じた。そして主観的な時間感覚が限りなく長く―――恐らく永遠に伸びたのだ。
客観的にみれば、死刑執行は終わり僕はとっくに死んでいるのだろう。
しかし、主観的には死んでいない。
ざまあみろ、僕は死なない。死刑なんて実行不可能な制度だったんだ。
もしかしたら、今までの死刑囚もみんな主観的に時が止まり、生きているかもしれない。
僕は絶望した。
ずっと感じていた不安、死の恐怖よりも強烈に知覚されていた不安の正体はこのことだったのだ。
「死」は意識のない永遠の暗闇が訪れるが、僕に待っているのは意識ある永遠の闇である。
死んだほうが何万倍も楽だろう。
僕は永遠に許されることなくこの暗闇に生きなければならない。
音も光もにおいも何もない世界に、、、。
永遠に、、、。
これで完結です。ありがとうございました。