8章
「それで君が人を殺した理由をもう一度教えてくれないか?」
僕の取調べを担当していた涌井という刑事が聞いてきた。僕は何度も説明していたが、いまいち要領を得ないらしい。理解に苦しむという感じが表情から見て取れる。
「だから、価値がないから殺したんですよ」
僕はうんざりして答えた。
この涌井と言う刑事は元々体育会系の部活から上がってきたと思われる雰囲気がぷんぷんしていた。そういう人は独特空気を持っている。
「価値がないとはどういうことだ?彼らにも家族はいるし社会の一員として日々ひたむきに生きていたんだ。そんな彼らに価値がないとはどういうことだ?」
涌井は日に焼けた顔をさらに赤くして叫んだ。
「何度もいったでしょう、刑事さん。家族がいようがいまいが関係ない。いたら確かにその家族は悲しむだろうな。深く深く悲しむさ。でも、それもその家族だけなんだ。1世代までのことなんだよ。2世代も経ったら全くそんなことは忘れ去られてしまう。世の中のダイナミズムの中では一個人とは無価値なんです。」
涌井は僕の襟首をつかんで僕の顔を自分の顔の方へ引き寄せた。
日々、デスクワークだけでなく活動的に過ごしているだけあって腕も太く、かなりの力を感じる。
「じゃぁ、無価値な一個人であるお前をぶっ殺しても構わないんだな?」
「そりゃぁ、客観的に考えたら構わないけど、主観的にはやっぱり困ります。死ぬのはもっとも怖いことだから。だけどそんな感情に配慮することはないですよ?感情なんてただの脳内の化学物質の放出ですし、死んだ後には何も残らないですから。刑事さんのその怒りも悲しも、家族に対する愛情も、ただの脳内の科学部質の授受が起こしてるんですよ?それを止めたらあなたも家族には見向きもしなくなる。愛も憎しみもなくなります」
「お前みたいなサイコ野郎と同類になるのか?」
「僕、サイコパスって言葉嫌いなんですよね。そもそも、その分類って何か意味をなすんですか?仮にサイコパスが存在して、そいつらが全員、とまではいかなくてもかなりな高確率で犯罪を犯すとしましょう。だったらそいつらは全員収容施設にぶちこまなければいけないんじゃないんですか?そうやって分類するって事は、そのあと区別して生活しなきゃ意味ないんですよ。世界には何百万人ものサイコパスが野放しですからね。彼らが実際には犯罪を犯さないほうが多い、むしろ普通よりも社交的で社会によくよく溶け込んでいる。それは事実でしょう。だったらサイコパスと判明することは何の利益もない。一般人である、と言われているのと何ら変わらないんですよ。一般人も犯罪を犯すんですから。全人類を施設に入れないといけませんよ?本末転倒でしょう?」
涌井はしばらく僕の顔を睨んでいた。かなり鼻息が荒くなっている。恐らく僕を殴りたいのだろう。しかし僕を殴ることは出来ない。法律でしっかりと僕は守られているのだ。僕が全く価値を感じていない法律のおかげで僕は今守られている。
涌井は僕を激しく押し離した。
僕は勢いよく椅子にもたれかかった。
「俺はお前を殴りたい!」
ほらやっぱりそうだ。
「だがそれは出来ない。だがお前にはしかるべき罰が与えられる。そんな屁理屈を並べたところで裁判官は何も惑わされない。精神鑑定はお前に責任能力を認めている。お前は4人も人を殺した。分かっているだけでもな。お前は必ず死刑になるだろうよ。拘置所の中で日々死刑になる恐怖に怯えて暮らせ!それが遺族に対する償いとなるからな」
そういうと涌井は取調べ室を出て行った。
裁判でも僕は聞かれたことに対して包み隠さず正直に話した。その内容があまりに突飛だったために週刊誌やマスコミに「平成のサイコ殺人鬼」という名前で呼ばれるようになった。
テレビでは高名な学者が僕の昔のエピソードに対してサイコパスとの共通点を力説していた。何の意味があるかわからないが僕の昔の文集や、小学校時代の同級生へのインタビューが放映されていた。
ついに判決が出る日がやってきた。僕には結果は分かっていたが、、、。
「被告人を死刑に処する」
僕が昔、憧れた黒い曹服を身にまとった裁判長がきっぱりと言った。
僕もあそこに座る可能性もあった。しかし今は対極の被告人として向き合っている。なんとも不思議な感覚だ。
「何か最後に言っておきたいことはありますか?」
裁判長は言った。遺族への謝罪でも言うのがベストなのだろうが
「この世に生きることに意味ないんですよ。僕はそう思います。誰が死のうと生きようと結局は無意味に帰っていくんです。僕はこの信念に突き動かされていました。今でもそれは変わっていません。後悔はしていません。」
僕はそのまま東京拘置所へ収監された。そして3年間そこで暮らした。その間に5人に死刑が執行された。朝になるとみんな一様に恐怖を感じるらしい。死刑執行が受刑者に知らされるのは当日の朝なのである。
昔は数日前に知らせ、思い残すことがないように親族との面会を行わせ安らかで落ち着いた最後を迎えることが出来たらしい。
しかし、ある受刑者に事前に執行を知らせていたところ、執行前に自殺してしまうという事故が起きた。
死刑は国家が受刑者の命を奪うことで刑が完了する。自殺をされてしまうと死刑が執行できなくなってしまう。そのようなことを防ぐために当日の朝まで秘密にするようになったのだが、そのせいで、受刑者は毎日死の恐怖に震えなければならなくなった。朝を生き延びたらその日1日を生きることが出来る、と安堵のため息を漏らすのだった。
そんな中で僕は恐怖でなく不安を感じていた。
別にいつ自分にお呼びがかかっても構わないとは思っていた。しかし、言いようのない不安が僕の中で日に日に大きく膨れていった。
そしてある日の朝、刑務官が僕の部屋の前で止まった。
「お迎えだ」
正直ドキンとした。とうとう来た。人生のフィナーレ、僕の遺伝子の終着点が今わかるんだ。
こうして、ぼくは三人の刑務官と一緒にこのコンクリートの部屋に入った。そして首に運命のロープをかけられた。