4章
そして、中学生時代、一つの転機が訪れた。
僕は小さいときから動物に囲まれて暮らしていた。犬・猫・ウサギ・大きなトカゲ・ハリネズミ・陸ガメなど沢山の動物を飼っていた。
友達からは
「お前の家はムツゴロウ王国かよ」
と、からかわれていたが、同級生が触ったこともない動物を飼っていることは、僕の一つの自慢であった。
動物や自然と触れ合う中で、僕は漠然と将来は自然環境を保護する仕事をしたい、と考えるようになった。
子供の頃というのはテレビの影響がとても大きい。
というよりも現代社会では情報はマスメディアが流していくことに実際は限定されており、その影響は大人と言えど否定することは出来ない。
小中学校の時期というのは、周りの会話は8割は昨日見たテレビ番組の内容という感じであった。皆が流行からについていこうと必死にテレビを見ていた。特に人気バライティー番組というものの話題が多かったが、僕はあまりそのようなものを見れなかった。
「こんなもの見てたバカになるぞ」
と言って父がチャンネルを変えてしまうだ。
その分、ニュース番組を見る時間が長かった。ニュースでは政治家の汚職やダム問題、環境破壊、不況、生物の絶滅、地球温暖化など現在日本が直面している危機などが取り上げられていた。その自分たちの身に迫った危険に比べたら、なるほど、確かに他のテレビ番組は下らないものだ、と今になってわかるようになった。
僕はニュースで報道されていることが全て真実であり、それ以外に重要なことは起きていない、と誤信してしまっていた。
確かに、映像で録画され報道されている事は、確かに事実として発生しているのであろうが、それは取捨選択をされた後に出てきた一部の事実でしかない。それぞれのマスメディアでもイデオロギーというものは確かに持っており、それに沿った内容のしか流していない可能性もある。
うその情報を流さなくても、情報を選択することで世論を形成したり、注意をそむけたり、ということはできる。マスメディアが報道しなければ、事実として起こっていることも、人々の中では起こっていないこと、になってしまう。
そのように沢山のニュースを見ていく中で僕は偏った思想も抱くようになった。
人間は地球にとって害悪だ。
かけがえのない地球を好き放題に荒らしまわり、その結果自分たちの首が絞まっていることにも気付かない愚かな生き物なのである。世界は狡猾で汚い政治家が支配しており、彼らは自らの利権を守ることしか考えていない。
そして、中学3年の夏の日、僕は決定的なニュースを見てしまった。
僕は定期試験中で深夜まで勉強していた。
休憩しようとテレビをつけると、あるドキュメンタリー番組を放送していた。その内容は保健所に引き取られたペットの最後についてであった。
僕は当然、一般常識として保健所では動物の殺処分が行われていることを知っていた。ただ、暗黙のうちにタブー化され、普段の生活で常にそれを意識することはないし、日々自分のペットに愛情を注ぎ、可愛がっていれば関係のない世界の話だと思っていた。また、自分の中で、人間が生活していくためには仕方がない制度なのかもしれない、と納得していた面もあった。どんなに自然がや動物が好きで、人間が嫌いであっても、社会の中で生きていかなければならないことは十分理解していた。何よりも具体的な現実味がなく、別の世界の話のように本当に感じていた。
しかし、その夜見た映像は、僕の中でどのような理論を使っても正当化できるものではなかった。
そして、今までは意識の水面下でしか考えなかったものが、圧倒的な現実味を帯びて僕に迫ってきた。その現実の音やにおいを生のものとして僕は感じた。
オートメーション化された機械に入れられた犬は、最初こそ抵抗したが最後はあきらめたように悲しそうな表情を浮かべて「ドリームボックス」と言われる装置に送られるのだった。最後の、あの自分の暗い運命を悟った顔が僕の頭から離れなかった。
自分たちがクリーンで幸せな生活を送っている裏では、罪もない命が次々に失われている。それも、食べるためではなく、快適な生活を維持するために殺すのだ。
僕は、そのようなことをしている人間と同じ血が自分にも流れていることを呪った。
そして、何とかしてこの現実を変えると決意した。
僕は政治家になろうと考えた。
法律を変えて彼らの命、地球の自然を守り、政治家として人間と自然の共存の形を模索しよう、そう考えた。今考えると笑ってしまうくらい拙い人生設計だ。だが、まだそのことが人間らしさを醸し出していると言えなくもない。
高校に進学すると僕は部活に入らずにひたすら勉強に打ち込んだ。
文型に進み法学部に進学すると決めた。法学部に入り、司法試験に受かれば社会的信用が高まる。そうなれば、何か保護活動するときにも説得力が出るし、将来、出馬した時にも、有利に働くと思ったからである。僕の目標は司法試験合格、その後の国会議員当選となった。
だが、なぜ法学部を目指すのかと友達に聞かれたら
「文系で一番カッコいいから」
そうヘラヘラと答えていた。
照れ隠しも意味もあったが、実際は醜い人間に本音を語る気がしなかっただけだ。当時の僕は、人間への憎しみを燃料として燃やし、嘘の笑顔という煙をモクモクと排出して生きていた。
元来、友達とワイワイ遊んでいることが性に合っている僕に、部屋に引き篭ってカリカリと勉強することは多少なりとも苦痛だった。だが、挫けそうになる度にあの殺処分される犬の目を思い出した。
そうして憎しみを鮮明に思い出すと勉強に集中することが出来た。
あの日、僕の価値観を壊し心を揺さぶった映像は、今では精神の安定剤だった。僕の目標は1通りに設定されていたし、そこに向けて勉強することは、確かな前進の実感を与えてくれた。
もちろん高校でも友達は沢山いた。家にいるときかほとんど勉強しているので、学校に言って友達と話すことは気が休まった。総じて言えば、高校時代は楽しかったと言える。だが、やはり心のどこかで同級生を軽蔑していた、というよりも自分を何か特別な存在のように感じていた。
自分は皆がまだ気付いていない真実に気付き、それを解決するために皆が遊んでいる間も努力を続けているのだ。自分は残りの人生を不幸な動物のために捧げる、十字架を背負って生きていく、そんな特別な存在だと信じていた。